ようやく、サラサスーン
ドルンゾ山はサラサスーン側に回ると、途端に乾燥する。「風が変わる」とトプルが言っていた。ラーザの海からの湿った風はドルンゾ山に遮られて、サラサスーンには届かないのだ。
山肌が露出し、徐々に木が減っていく。羽虫の類が減り、殻を持った丈夫そうな虫が増えてくる。住んでいる動物も生えている植物も、ガラリと様変わりするのだ。
1番わかりやすいのは、動物の体毛だろうか。ドルンゾ山やラーザに住む動物は、黒や、灰色の毛色をしている。サラサスーンの動物たちは赤みの強い茶色い毛色だ。保護色とか、そういった理由だろう。そういえばラーザの海のカニや魚は、薄いピンクや紫色をしているものが多かった。よく出来ているものだ。
街道に出れば馬車足は速くなる。途中の村で少しずつ荷物を降ろすので、馬の負担が軽くなるのだろう。もちろん敷石の街道が走りやすいのもある。
この世界の馬は頑丈で図太い。地球の馬の繊細さや気難しいイメージとは程遠く、悪路を苦にしないし環境の変化や突発的な出来事にも動じない。たくましく、頼りになる生き物だ。
俺の頰の傷は、じくじくと滲んでいた血が止まり、動くたびに感じていた響くような鈍痛も引いてきた。傷口が引き攣れるような違和感は、縫い目によるものだろう。きっと抜糸すれば治る。
ロレンやハザンに、痕が残ると気遣わしげに言われたが、俺的には少し嬉しかったりする。頰に傷を持つ男だぞ?めっちゃカッコイイじゃないか! 「ちょっとヘマをしちまってな」とか言って、フッと笑ったりしたい。いや、是非やろう。
食事の支度や馬の世話をしながら、絵を描いたりラッカを弾いたり、ハルと勉強したり。以前と変わらない生活へと戻っている。もちろん朝晩のトレーニングも再開した。たった3日寝込んでいただけなのに、体力や筋力が驚くほど落ちていた。元通りに戻るまでは、もう少しかかりそうだ。
途中、谷狼の群れに追いかけられた。だか、ドルンゾ山で、灰色狼のとの戦闘を経験した俺とハルの敵ではなかった。谷狼は灰色狼に比べると、小さいし脆い。スリングの玉を受けると、気が抜けるほどあっさりと倒れた。
「やるじゃねぇか、おめぇら!」
ハザンにニヤリと笑って言われた時は、不覚にも頰が緩んだ。コイツに褒められるのは、思いの外嬉しい。ハザンの揺るがない強さには憧れるほどだ。癪だから言わないけどな。
だがハルは違う。
「ハザンがほめると、嬉しい!ハザンはカッコイイ、すごく強いから」と、頰を紅潮させて言う。
ハルの人を褒める性質と、嬉しさや好意を素直に表す様子は、本当にナナミに似ていると思う。捻くれた俺とは違う。
「お?なんだよ、照れるじゃねぇか!」
ハザンが嬉しそうに、鼻に皺を寄せて笑った。
馬車が進むにつれて、景色はどんどん乾燥地帯のそれに変わっていく。敷石が赤っぽい岩に変わり、サボテンがちらほら見えてくる。歩きサボテンを見かけた時は、ああ帰って来たなと、感慨深い気持ちになった。
街道沿いの野営地で赤い岩の上に立ち、ポンチョを風になびかせながら、ハルが夕陽を眺めている。クーが寄り添い、首に付けた小さな鐘がカランカランと鳴った。
帽子は被っていない。俺とハルに耳がない事は、もうキャラバンの全員が知っている。俺が灰色狼の爪にやられた時、帽子は飛んでしまったし、傷口を縫った後、色々説明した。
反応は様々で、トプルとアンガーは大した事じゃない、と言っていた。ガンザはさすがに驚いていたが、長生きすると色々面白い事に巡り合うもんだな、としみじみと言っていた。ロレンはある程度わかっていたようで、
「ヒロトが初めてうちの店に来た時は、耳付き帽子を被っていなかったじゃないですか」と言った。そういえばそうだった。
「耳なしは、昔話や伝承に出てくるんですよ」と言っていたので、あとで聞いてみようと思う。ヤーモはわかっていないかも知れない。まあいいか。
キャラバンのみんなの態度は、俺たちの素性を話した後も、驚くほど変わらない。
ただ、ロレンに『耳なし』は地方や人によって信仰の対象になったり、凶事や災害の象徴となったり、差別や迫害に合うかも知れないと言われた。キャラバンの外では隠しておいた方が無難だろう。
夕陽が地平線に沈んでゆく。考え事をしていたら、すっかり遅くなってしまった。焚火の周りで腹ペコ野郎どもが、
「ヒロト!メシまだかよ!」と叫んでいる。俺はスープを味見してから、フライパンのオムレツをひっくり返す。今日は百合根とウサギ肉のオムレツだ。
「できたぞ!皿持って並べ!」
もうすぐ、この旅も終わり。食材をケチる心配もしなくて良い。景気良く、全部使い切ろう。
シュメリルールの街が見えるまで、あと3日。ようやくハナに会える。
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今日のメニュー
朝 昨夜のシチューで、クリームリゾット
昼 焼きリンゴ、バナナ入りホットケーキ、赤かぼちゃのチーズ焼き ミルクティー
夜 ウサギ肉と百合根のオムレツ、ほうれん草の胡麻和え、豚汁風の具沢山スープ
ハナの事を考えていたら、ハナの好物ばかりを作ってしまった。




