ビークニャのクー
ビークニャの子供は、おそらく春先に生まれた生後2ヶ月程度の女の子。体毛は濃い茶色だがこれは夏毛仕様らしく、モコモコ度も低めだ。冬になると真っ白な毛に生え変わり、ふわふわモコモコの毛玉のようになるそうだ。顔は短毛で真っ黒だ。
大人のビークニャは首が長くなるが、今はまだ短くヤギっぽさが強い。名前はハルが付けた。『クーニャ』。ビークニャのクーニャ。愛称は『クー』だ。一晩考えた割には単純だが、可愛いし呼びやすいので良い名前だと思う。
クーは、保護した時こそ衰弱していたが、3日たった今はすっかり元気になった。なかなか強い生き物だな。助けてくれたアンガーと餌をくれるハルに懐き、休憩の時などは「メェー」と鳴きながら後を付いて歩いている。
まだ乳離れが済んでいない時期だが、残念な事に牛乳は切れていた。今はチーズをお湯に溶かし、それに蜂蜜を入れたものをスプーンで喉に流し込んでいる。最初は嫌がったが、哺乳瓶がないので仕方ない。
母ビークニャの乳が恋しいのか、寝る前などはよくハルや俺の耳たぶをチュパチュパとしゃぶる。非常にくすぐったいし、よだれでべちょべちょになる。
そして、その光景をハザンに見られてしまい、俺たちの頭頂部に耳がないことがバレた。
ハザンは目を丸くして、
「ヒロト、それ、耳か?おまえら、うさぎじゃなかったのか?」
と、戸惑うように言った。奇形とか障害とか、聞いてはいけない事情に口を挟むような、気遣いを含んだ口調だった。
そんなハザンのあたたかさが嬉しくて、俺はウサ耳帽子を脱いだ。
ハザンは更に目を見開いて、俺の頭頂部を恐る恐る撫でた。ハルもウサ耳帽子を脱いで、ハザンに耳を見せる。
クーがハルの耳を見て、嬉しそうに寄って行き、耳をしゃぶり出す。チュパチュパと言う音に深刻さが薄れ、俺もハルも吹き出してしまった。ハザンのびっくりした顔が、かなり面白かったせいもあるのだが。
「ハザン、すまん。うさぎは嘘」
俺たち家族が、この世界の人間ではない事、気づいたらサラサスーンの忌み地にいた事、元々は猿が進化した生き物で、耳も尻尾も退化している事を話した。
ハザンは、
「なんだよ!うさぎじゃなくて猿だったんだな!」
などと、わかったんだか、わかってないんだか、判断しにくい事を言って笑った。
スマホを見せて、写真や動画で日本の街並みや、ビルや自動車、飛行機などを見せたら、ようやくこの世界とは全く異なる世界がある事をわかってくれたようだ。
どーやって来たんだ?
そんなの俺たちにもわからない。
帰れんのか?
それは俺たちが知りたい。
迷子か?
そんなようなもんだ。
嫁さんはそんな状況でひとりぼっちなのか?
だから、早く迎えに行ってあげたい。
「バカヤロウ!早く言えよ!」
怒られた。
顔を赤くして、どうやら本気で怒っているハザンに、俺とハルは顔を見合わせてふふふ、とさゆりさんみたいに笑った。
こんな状況に、さゆりさんのふふふ笑いは、とても似合っているような気がした。




