イベント中日(なかび)
翌朝は久し振りに少し寝坊した。特に自分では深酒したつもりはなかったが、薄い膜が全身を覆っているような感覚の鈍さを感じる。無理の効かない年齢へ差し掛かった事を、思い出すのはこんな時だ。
異世界効果で若返ったりしねぇのかな。ちぇ。
ハルはもう起きてスリングの練習をしていた。部屋の隅に的を置き、対面にうつ伏せで寝転び丸めた紙を打っている。タン、タン、と小気味良い音が耳に心地いい。
おはようと挨拶を交わし、タオルと歯ブラシを持って2人で宿の井戸へと向かう。顔をしかめて歩く俺にハルが、おとーさん、のみすぎなんじゃないの? なんて、誰かを思い出す口調で言った。
冷たい井戸の水で顔を洗うと、少しずつ身体の感覚が戻ってくる。歯を磨きながら、
「ハル、お父さん、馬の世話しに行くけど一緒に行くか?」と日本語で聞くと、うん、と頷いた。
軽くストレッチしてから、宿を出る。
朝の煮炊きの煙が、あちこちの家のトンガリ屋根から上がっている。荷物を積んだ荷車を引くネコ耳の男が忙しそうに通り過ぎると、干物の匂いが取り残されたようにプンと漂った。
どこの世界も、どこの街も、朝の空気は似ているな。みんな目的を持って動いていて、どこか忙しない。
「おとーさん、ぼくまた海に行きたい」
ああ、良いな! でもお父さん、腹減ったよ。さっさと用事済ませて宿で朝メシ食べよう。
15分ほど歩き、ロレン店長の商会の倉庫へと着く。一旦表へと回り、店の方に声を掛けたが返事はなかった。井戸で水を汲んでから、厩へと向かう。ハルにも一回り小さな木桶を持ってもらったら、ヨロヨロとしながら顔を赤くして付いて来る。がんばれハルくん、転ぶなよ!
飼葉の桶も持って馬のところまで行くと、
「遅いのよ、何やってんのよ、腹減ったわ!」
とでも言いたげに歯を剥き出された。すまんすまんと、手早く飼葉を補充する。水をやり、身体を拭いてやってから蹄の点検をする。軽く削ってやるから、蹴らないでくれよ!死ぬからな!
馬の鬣は背中、尻へと繋がり、尻尾まで続いている。尻尾と鬣は割とサラサラしているが、背中の毛はゴワゴワと硬い。辛抱強くブラッシングして、毛の生えていない腹や首をもう一度濡れた布で拭う。
ハルは縺れた背中の毛に四苦八苦していたが、馬はなぜか慈愛に満ちた目で見つめ、時々顔をハルの頭にすり寄せたりしている。
なんか俺への態度と、違い過ぎないですかね?
馬の世話が終わったので、もう一度店で声をかけると、ロレン店長が眠そうに出てきた。シャツのボタンを2つも外し、落ちた前髪をかきあげる仕草が、壮絶な色気を醸し出している。おはようございます、という少し掠れた声に、俺でも顔が赤くなりそうだ。
ハル! 見るな! アレはお前には毒だ!
ナナミが見つかっても、ロレン店長には絶対に合わせないようにしようと心に決めた。ああ、ハザンには紹介しよう。うん。きっと気が合うはずだ。
2日後の出発までに、食材を買って来るように頼まれた。生ものを買い過ぎないようにと注意され、金を渡される。
「ああ、荷物持ちが必要ですね。アンガーを呼んでおきますので、いつ行きますか?」
アンガーさんはロレン店長の親戚なのだそうだ。ネコ科繋がりなのか?
「明日の午後」と答えておおよその時間を決め店を後にする。
少し遠回りだが、海岸沿いを通って帰る。石を積み上げた低い防波堤の上をハルが走る。波の音というのは、なぜこうも静けさを感じさせるのだろう。規則正しく寄せては返す。この世界に月があり、重力が正しく働いている証拠だ。今は白く頼りなげに雲間に見え隠れしている。
俺も少し走るか。随分先まで行ってしまったハルが、
「おとーさーん!」と手を振って呼んでいる。
宿屋に戻って遅い朝メシを食べていると、ガンザールさんとヤーモさんが釣り道具を担いで入ってきた。けっこうな釣果があったらしくご機嫌だ。一緒に朝メシを食べながら海の話しを聞く。昼に宿の台所を借りて、釣ってきた魚をご馳走してくれるそうだ。
「明日の朝も行くから、ヒロトとハルも一緒にどうだ?」
夜明けまでが勝負らしく、まだ暗いうちに出発すると言う。
「ハル、行くか?」と聞くと、
「うん! 行きたい!」と満面の笑みで答えた。
明日のイベントも盛りだくさんだな。
今日俺は、人通りの多い場所を探して似顔絵屋さんをやろうと思っている。ナナミの絵をなるべく沢山の人に見てもらいたい。教会ではなんの情報もなかったが、もしかしてナナミを知っている人がいるかも知れない。
宿にも似顔絵を貼ってもらえるよう、頼んでみようと思う。本人、または居場所を知っている人が来たらサラサスーンまでの地図を書いた手紙を渡してもらう。教会にも、同じような手紙を預けて来た。
「おとーさん、早く海行こうよー!」
ああ、そうだった。さっきそんな約束したな。イベント中日でのんびり過ごせるかと思ったら、けっこう今日も忙しいな。ハナやさゆりさん夫婦、リュートのたちへのお土産も買いたい。
さて、出かけるとするか。




