夕虹
ハルが、
「おとーさん、虹が出てるんだよ!すごくきれいだよ!」
と、俺の手を引いて言った。雨は上がったらしく、洞窟の入り口から光が差し込んでいる。
ハルと2人、洞窟から出てうーん、と伸びをする。まだ少し寝惚けている頭を振る。洞窟の外には雨上がりの埃っぽい匂いが漂っていた。
雲の切れ間へと沈んでゆく夕陽と、仄かに茜色を帯びはじめた空。大きな二重の虹の橋は、くっきりと半円形を描いていた。
見応えのある光景に、思わず「おおー!」と声が出る。
「ハル、二重の虹を見ると良い事があるらしいぞ」
ハワイではダブルレインボーは、祝福と再会の象徴だそうだ。
「へぇー! じゃあ、きっとおかーさんに会えるんだよ」
俺はハルの言葉には応えないで、なんとなく虹の事を考えていた。
虹は空中に漂う水滴の大きさで、色の濃さに違いが出るという。内側の濃い色の虹を主虹、外側の淡く薄っすらと見えるのが副虹。副虹は主虹とは色の並びが反対だ。
空中の水滴に光が反射する事によって虹が出来る。大きな巻貝が吐き出している、綺麗な煙ではないし、妖精が杖を振ったら出るものでもない。何かの不思議現象ではないのだ。地球の虹と変わらない。
雷も同じだ。この世界の雷は、龍が操っているものでも、雷神が太鼓を叩くとできるものでもなく、大気中の放電現象として発生している。
この世界は、ファンタジーではない。
動物や植物が喋ったり、魔法使いがかぼちゃを馬車にしたり、あっと言う間に傷が治る薬があったり、俺が勇者の能力に目覚めたり、そんな荒唐無稽がないのだ。
どこか他の惑星なのだろうか。
この世界において、訳のわからない不思議な現象は、ほぼ「獣の人」に集中している。
彼らは元となる動物に、その身を変える事が出来ると言う。気のような力を操り、聴力や脚力など身体能力を強化出来るらしい。
そして俺たちと同じように、地球から来たさゆりさんは、耳と尻尾が生えてこの世界の人たちと同化している。理由も原因もわからない、摩訶不思議現象だ。
ああ、もうひとつあったな、不思議現象。地球からこの世界へと飛ばされてくる人たちがいる事。少なくとも2度、俺たちとさゆりさんに起きた転移だ。
「おとーさん?」
ハルに声をかけられて我に帰る。
気がつけば夕焼けが辺りを赤く染め、虹はその赤色に溶けるように消えてゆく。
後ろからロレン店長が声をかけて来た。
「ヒロト、今日はこの洞窟で野営する事になりました。そろそろ夕食の準備をお願いします」
ロレン店長の言葉で、現実に引き戻される。
俺は軽く手をあげて「了解」と応える。
異世界で、ネコ耳の人に現実に引き戻されるのも、不思議な気分ではあるが。




