はじめの一歩
空が白みはじめる前に、そっと屋根裏部屋から降りる。庭に出ると、昨夜は珍しく霧が出たのだろう、空気は雨上がりに似た匂いがする。岩壁の縄ばしごを登り、壁の上に立つ。オイルライターでタバコに火を点けて、深く肺に煙を入れる。クラクラとする目眩と、ニコチンが身体に染み渡る不健康な快感にひとしきり身を委ねる。
ハナが目を覚ます前に、さゆりさんの家を出て、今日はリュートの家に泊めてもらって、明日の朝の鐘の頃、商会へ行く約束になっている。厳密に言えば、今日は旅立ちの前日なのだが、俺の中では今日が旅立ちの朝だ。
俺がいなくとも、ハナが泣かずに笑って暮らしてくれると良い。そう思う反面、俺が帰って来ない事で、ハナが泣き叫んでくれる事を望んでいる。我ながら病んだ父親だ。
庭へと降り、軽くストレッチをする。井戸で顔を洗い、歯を磨く。
家へと戻ると、ちょうどハルが屋根裏部屋から降りてくる。口に人差し指を当ててから、小さな声でおはよう、と挨拶を交わす。
荷物の点検をしていると、さゆりさんとじーさんが起きてくる。またもや小さな声で挨拶を交わす。
顔を洗ってきたハルから、歯ブラシを受け取り荷物の中に入れる。さゆりさんが朝メシの弁当を渡してくれる。いつの間に作ったのだろう、まだ温かい。
最後にハナの顔を見ようかと思い、やめておく。出かけられなくなりそうだ。
ポンチョを羽織り、ハルの装備を確認してから、荷物を背負う。ハルの荷物を持ち、連れ立って庭へ出る。じーさんが馬を引いてきてくれたので、荷物を積み込み手綱を受け取る。
壁のギミックがゴゴゴー、とびっくりする程大きな音を立てて開く。たぶん全員が同じ事を考えている。「ハナが起きちゃったらどうしよう」だ。 4人で同じ方向を見て咄嗟に顔を見合わせて、なんだか全員でうなずき合う。同じ心配をして、まるで、家族みたいに。
さゆりさんが家の方を気にしつつ、膝を折りハルを抱きしめる。
「行ってらっしゃい、気をつけてね」
「帰って来い」じーさんがいつも通りの口調で言う。
「行ってきます。ハナを、よろしくお願いします」と頭を下げる。
ハルを先に馬に乗せ、俺がその後ろにまたがる。
「おじーちゃん、おばーちゃん、行ってきまあす!」ハルは手を振り、俺はもう一度頭を下げる。
昇り始めた朝日を背に、俺とハルは、はじめの一歩を、こんな感じで踏み出した。




