歩くしか出来る事がない
「ねぇおとーさん、おうちへ帰るまでどのくらいかかるかな? ヘチマにお水あげないと枯れちゃうよ」
ああ、観察日記な。やっとちっさい実が出来たって、喜んでたもんな。
わかるよ、わかるけどハル。でもお父さん、自分たちの方が枯れちゃいそうで心配だよ。
しゃがみ込み、目線を同じ高さにして、ハルの頭にポスンと手を乗せる。ガシガシとかき回す。
「ヘチマ、枯れないうちに帰れると良いな。でも枯れたら、枯れたヘチマを観察しような」
お父さんの2年生の時の観察日記がそれだ。けっこうイケる。
差し当たっての問題はヘチマより、どっちに向かって歩くかだな。コレが右も左もわからないってヤツか。
とりあえず辺りが見渡せそうな高台へと向かう。方位磁石アプリも、グーグ◯マップも立ち上がらなかった。
緊急時に助けてくれそうな、警察や消防署、役所などは電話が圏外なので通じない。ポケットWiFiでもあれば違ったのだろうか?持ってないけどさ。
スマホのGPS機能を使えば、嫁の居場所も現在地もわかるはずなのに。
数年前の震災時に、スマホの充電が切れお互いに連絡が取れなくなった。その時の教訓から俺とナナミは、ソーラーパネル付きのスマホ充電器を買った。そして互いに持ち歩く事を約束した。
だが今の状況を考えると、ポケットWiFiも持ち歩かないとダメかも知れないな。
高台までは急な坂道で、よじ登るような起伏もあり、かなりハードな道のりだった。だがそこからの景色はまさに絶景だった。
『死ぬ前に一度はこの目で見たい世界の絶景ベスト10』の4位くらいに入っていそうだ。
目前に広がるのは、ただひたすらに赤茶色の縞模様が露出した、起伏に富んだ大地。背の低い草地は枯れた色をしていて、所々にサボテン群が見える。そして細く長く、うねるように伸びる道。
俺とハルはこのスケールの大きな景色に、声も出せずに見入った。我に返ったのはハルが先だった。
「おとーさん、道のおわりが見えないよ。コンビニもせんろもじどうはんばいきも見あたらないよ‥‥」
ハルが途方に暮れたように言った。
だが、道があるということは文明があり、人が住んでるという事だろう。この状況での初めての安心材料に、ホッと息をつく。
「でもハル、道があるって事はきっと人が住んでる。とりあえず行ってみよう」
果ての見えない道に挫けそうになりながらも、俺たちは自動車1台分くらいの幅の道を歩き出した。
ハナが目を覚ましたので、手を繋いで歩く。あーるこー、あるこー、とトト◯の歌を歌いながらご機嫌だ。
途中で嫁が早起きして作ってくれたサンドイッチを食べた。卵サンドはアボガド入り、ツナは玉ねぎとコーンが入っている。家族全員で、公園で食べるはずだった。ピリリとマスタードが効いていて美味い。
3歳児の連続して歩ける時間は30分程度だ。おぶったり、休憩したり、抱っこしたり、また歩いたり。
「あーたんは?」
ハナの言う『あーたん』は母親の事だ。おかーさん、おかーたん、あーたん。
しかしハナさんや、今気づいたんですか。
夏休みの宿題、終わってて良かったなーとか、キャンプという名の野宿の話しとか。疲れてぐずりはじめるハナを騙し騙し歩く。
そして案の定日が暮れる。夕焼けは荘厳だった。大きな夕日が空を、雲を、荒野を茜色に染めてゆく。盛り上がった地層が陰影を深くして、影絵のように浮かび上がる。
「スゴイねおとーさん。がいこくみたいだね!」
さっきまでつかれたーとか、もーむりー、とか泣き言を言っていたハルが、目を見開いて言った。
夕日に照らされた息子の顔は、嫁がびっくりした時の顔に、思わず二度見するくらいよく似ていた。