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名前のない英雄

「アトラ治療師(カラ・マヌーサ)、俺の名前はヒロト。耳なしかも知れないヒロト。耳なしのこと、教えて下さい」



 耳なしは、私の目をまっすぐに見つめながら、そう言った。


 ザバトランガの教会に、治療師見習いとして入ってから五十年。この目で耳なしを見たのは初めてだ。


 この地方の教会では、耳なしは太陽神イラティラを裏切り、耳なしのための世界を作ろうとしたと伝わっている。


 耳なしは、痺れる棒を持っていたという。身体が痺れた人々を、大きな空飛ぶ船に乗せ、どこかわからない場所に連れて行ってしまったらしい。


 そして、その人々は二度と戻って来なかった。耳なしの国に連れて行かれ、幸せに暮らしたとはとても思えない。


 抵抗し、交戦した村は、村ごと焼かれたと言われている。




「黒猫の英雄譚を、読んだ事はあるか?」


「少しだけ」


「文字は読めるのか?」


「苦手だ」


 耳なしは、苦い貝をたくさん口に入れたような顔をして言った。


「図書室へ連れて行け。私が相手をする」


「治療師長! 危険です。相手は耳なしですよ? 火を吹かれたら、大切な書物が燃えてしまう!」


「口を塞げば良いだろう。すまんが、武器や荷物も預からせてもらうよ」


「アトラ治療師長!」


「ちゃんと尋問もする。心配なら、エンドも一緒に来ればいい」


 私はパンパンと二度手を叩き、皆を促した。


「他の者は、自分の仕事に戻りなさい。患者が待っているぞ!」


『患者は待ってくれるが、病気は待ってくれない』。私の師匠の口癖だった。今は私の口癖なってしまった。


 トルルザの教会きっての武闘派エンドが、耳なしにくつわを噛ませる。他の者がおっかなびっくりと、ポンチョを捲り腰ベルトを外す。


 耳なしは抵抗する事なく、大人しくしている。


 自分でも、なぜそんな事に付き合おうと思ったのか不思議だった。強いて言うならば、耳なしが、子供に必死に何か叫んでいるのを見たからだろうか。


 子供が走り去る姿を、祈るように見送っていた。おそらく『逃げろ』と言っていたのだろう。耳なしは我々となんら変わらない、心配そうな、親の顔をしていた。


 だから、つい子供を追う指示を、出す事が出来なかった。



 何か企みがあるのだろうか。大勢の耳なしや、空飛ぶ船を呼ばれてしまっては、悪夢の再来となってしまう。


 油断するつもりはない。情けをかけるのも、危険だろう。だが、ヒロトと名乗った耳なしが言った『耳なしかも知れない。でも耳なしの事を知らない』という言葉の意味が知りたかった。


 耳なしの事を知らなくても、何か他の事を知っている気がしてならなかった。



 ▽△▽



 アトラ治療師は、木漏れ日の差し込む窓辺に腰を下ろすと、ゆっくりと分厚い本を開いた。そして、詩吟しぎんのような独特の節回しのついた口調で、静かに朗読をはじめた。


 耳なしと呼ばれる男は、後ろ手に縛られ、くつわを嵌められたままだ。だが、とらわれた咎人とがにんであるはずの男の姿は、なぜか哀れみを誘わない。まるでこの男のために用意された舞台の、幕が上がったかのようにすら見えた。


 耳なしは、少しも俯くことなく、粛々(しゅくしゅく)と耳を傾ける。よこしまという名の耳を、傾ける。


 低く、唱えるような老人の声が、長い物語を唄う。それは耳なしという悪魔が、平和な世界を蹂躙じゅうりんする、痛ましい歴史。


 悲劇は淡々と紡がれる。血の色や、涙の温度を伝える。火に焼かれるその音を、風に流れる叫び声を、書き記す事だけが目的だと言うがごとくに。


 世界を救う英雄が現れても、老人の声はたかぶる事はなく、物語も淡々と進む。英雄の勇敢をたたえる事もなく、正義を語る事もない。


 英雄の描写は、黒猫であった事、耳なしの言葉をかいした事。その二つだけだった。


 戦士たちは空飛ぶ船を全て壊して、全員が無事に戻る。唯一黒猫だけが戻らなかった。


 そして空に船が飛ぶ事はなくなり、耳なしはいなくなった。


 この物語を書いたのは誰だ? まるで呪文のように繰り返される。『邪な毛のない耳』『笑いながら人を殺す悪魔』『火を吹き、鉄の塊を撒き散らす怪物』。


 刷り込むように、繰り返される文言もんごん


 心の底から、耳なしを憎んでいたのは、誰だ?






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