ハルの発熱
ハルが熱を出したのは、ひょうたん湖の街を出てから三日目の夕方のことだ。
晩メシの肉団子を残したと思ったら、食後のお茶の後に吐いた。顔を赤くしていたので、額に手をやるとひどく熱い。体感では、三十八度以上はあるように感じる。
ハナに近寄らないよう言ってから、寝袋に入れる。
ここが東京の自宅なら、そう心配するような症状じゃない。一晩様子を見て、朝になったら小児科へ連れて行けば良い。熱が高いようなら、冷蔵庫に座薬があるし、額と脇の下にジェルシートを貼って、ハナは別の部屋に寝かせてーー。
ーーーーーー。
ダメだ。しっかり、考えなければ。
ここは、パスティア・ラカーナ。現実逃避をしてる場合じゃない。小児科も風邪薬もない。そして、こんな時、途轍もなく頼りになる、ナナミもいない。
手ぬぐいを濡らして、ハルの額に乗せる。
寝袋はひとつしかないので、ハナにありったけの服を着せ、隣にもうひとつ簡易テントを張り、クーとハナを入れる。
「ハナ、ハルはお熱出ちゃったから、ハナはこっちでクーと寝ような」
「とーたんは?」
「ハルの熱が下がったら、こっちで一緒に寝るから。我慢できるな?」
「ハナちゃんは、がまんできるけど、クーはいやだっていってるよ」
「ハナはえらいな! クーがさみしくないように、一緒に寝てあげてくれるか?」
「うん! おうた、歌ってあげるよ」
ハナとクーの頭を撫で、ハルのテントに戻る。
熱冷ましのラダの実をすり潰し、整腸作用のあるポンポン草の根のお茶で飲ませる。発汗作用のある生姜根。さゆりさんの持たせてくれた、にんにくの蜂蜜漬け、医者いらずのアロエ、ヤーモ特製のミミズの干したヤツ。なんでもいいから効いてくれ!
咳はしていなかった。鼻水も出ていない。風邪ではないかも知れない。腹に耳を当てて音を聞く。極端にひどいゴロゴロという音は聞こえない。下痢や腸炎ではなさそうだ。
さゆりさんは、なんと言っていた? 思い出せ! ハルやハナが具合の悪い時、ナナミはどうしてた?
確か、風邪に似た症状の病気は、あったはずだ。ハナがくしゃみをしていた時に、さゆりさんが心配していた。
この世界の子供たちが、幼い頃のほとんどを獣の姿で過ごすのは、何か意味があるのかも知れない。例えば、子供の体力では、やり過ごせない病原体があるとしたら。
そんな、やけに具体的な、悪い想像が頭をよぎる。
さゆりさんの知らない、地球人には免疫のない、恐ろしい病気があるかも知れない。
ハルの額の手ぬぐいは、すぐに緩くなる。
何度も手ぬぐいをかえる。
汗を拭ってやると首から胸にかけて、赤い発疹が出ている。さらに、熱が上がった気がする。
ハルは、風疹と水疱瘡の予防接種は済ませたはずだ。
地図を確認する。一番近い街まであくびの全速力でも一昼夜はかかる。朝まで様子を見るか、いっそ今から街を目指すか。あくびなら、そう身体に負担をかけずに運べるはずだ。
荷物をまとめハナを起こす。ハルを寝袋ごと背負い、寝ぼけたハナを腹側に抱く。クーは着いて来てくれるだろうか。あくびにもまた負担をかけてしまう。
ハルに水分補給しながら、夜通し駆けた。朝方水場で休憩して、ハルにもう一度、熱冷ましのラダの実を飲ませる。クーとハナに、蜂蜜入りのミルクを飲ませ、あくびに肉を投げる。
あくびはまだ走れそうだ。ハルの熱はまだ下がっていない。
ハナにサーボスせんべいを渡して、また走りだす。太陽が真上に差し掛かる頃、クーが遅れだした。あくびとの距離が徐々に広がる。最悪、どこかの水場にクーを繋いで、後から迎えに来ようか。そんなことを考えていると、小高い丘の上に街が見えてきた。
ハルを背中から下ろして、あくびに乗せ、クーの荷物を俺が背負う。あと少しだ! クー、頑張ってくれ!
街に入り、教会を探す。大抵の教会は、医療を受け持っている。
教会の場所を聞き、まっすぐに向かう。
『教会には近づくな』
本屋のトリノさんの言葉が思い出される。
『ハンパ者にも耳なしにも、厳しい土地だ』
パンダの人の声が聞こえる。
ここはすでにザドバランガ地方。耳なしが理不尽な暴力を振るった土地。
教会の扉を叩く。
ハルを、助けてくれ。耳なしの罪は、俺が全部引き受けるから。
『とーたん!』
ハナの声が遠くから聞こえる。ダメだハナ、お父さんから離れて。
景色がぐるりと回り、俺は意識を手放した。