地図にない村
街道をひたすら東に進む。途中で水場を見つけたら、こまめに休憩を入れる。あくびは砂漠の生き物なので、二、三日水を飲まなくても平気だ。クーもドルンゾ山脈で生きる非常に辛抱強い動物なのだが、俺は砂漠の旅を経験してから、若干の乾き恐怖症に陥っている。常に水の残量を心配していた名残で、水場を素通りできないのだ。
茜岩谷は乾燥地帯ではあるが、地下水脈は豊富だ。地面の下の岩盤の切れ間から、水が地表に湧き出ている、いわゆる『水場』が思い出したように点在する。だが、この水場は気まぐれのように移動したり、消えてしまったりする。そのため、サラサスーンの植物は非常に成長が早く、季節に関係なく水場が枯れそうになると、急激に種をつける。そして、その種は移動することに特化している。
例えば風に運んでもらう。タンポポのような綿毛を持つものや、丸めた枯草の塊のようになって、カサカサと風で転がっていくもの。乾燥すると弾けて跳ぶものも多い。弾力のある塊になって、弾んでかなり遠くまで転がる種もある。ちなみにこの種は子供がボールのように投げて遊ぶので、人間がよく持ち帰る。これも種の策略かも知れない。
動物に運んでもらう種も多い。地球のひっつき虫のように毛皮に絡みついたり、粘着質の薄皮に包まれていたり、甘く栄養たっぷりの実に包まれていたり。その合理的な進化は、したたかで狡猾だ。
最近知ったのだが、茜岩谷の名物『歩きサボテン』は昆虫に寄生しているらしい。移動手段となった昆虫は栄養を注入されながら、命尽きるまでサボテンを運ぶ。人間や動物には寄生しないらしいが、それを聞いてからより一層禍々しく見えてならない。
三人きりで、太陽と月を数えながら街道を行く。走っている間は、異世界語しりとりをしたり、俺がラッカを弾いて二人が歌ったり、ハナに旅の話を聞かせたりする。
美味そうな動物がいれば狩り、水場で食べられる野草や木の実を探し、枯れた水場では燃料にする立ち枯れた木を拾う。なるべく一日二回は、火を焚いてメシを作る。暖かくて、うまいと思えるものを腹に入れることは、省略してはいけない。
夜は小高い岩山にのぼり、ロープと毛織物で簡易テントを張り、三人で寝袋で寝る。クーが甘えて寝袋に寄り添ってくるので、一層暖かい。もこもこのふわふわだ。
あくびはいつも通り立ったまま寝る。パラシュは足の関節が特殊なので、うずくまることすらしない。鳴子の内側で俺たちのテントを背に、すっくと立つ姿はなんとも頼もしい。いや、寝てるんだけどな。
俺はそんな旅の生活が、当たり前になっていくことが心地よかった。日本にいた頃、ナナミが夜勤でいない夜、よく三人で布団にもぐって懐中電灯で絵本を読んだ。そんな日常の中の秘密めいた遊びと、この旅の生活は少し似ているような気がした。
大岩の家を出てから十日目の朝、街道から少し外れた岩場で朝を迎えた時のことだ。遠くに村らしき影が見える。ゴーグルを望遠にして見ると、大きな水場を抱き込むように、周囲を畑に囲まれた家々がポツポツと点在している。
今日までの旅で、ふたつの村に立ち寄ってきた。話せばすぐに異国人だとわかる俺にも、快く野菜や果物を売ってくれた。今のところ食べ物や水は足りているが、次に立ち寄る予定の村まで、だいたい五日くらいかかる。できれば卵やミルクを補充したい。他にも漬物とか果物も売ってもらえたらありがたいな。
地図を調べてみたが、現在地の周囲にそれらしい村の記載はない。地図が古いのか? とりあえずハルを呼んで相談する。
「うーん。かいどうから少しはなれてるけど、この岩山をめじるしにすれば、平気じゃないかな?」
ハルの同意も得られたので、その村へと向かうことになった。
▽△▽
村の手前であくびから降りて、口輪を嵌める。かわいそうだが仕方ない。あくびは見るからに危険生物だ。『すまんな』と背中を叩いたら、まるで『ばかね、わかってるわよ』とでもいうような、慈愛に満ちた目で見つめられた。トカゲじゃなかったら、惚れてしまいそうだ。
あくびを木につないで、クーを連れて三人で村に入り、畑仕事をしている人に声をかける。
「チャルジオ・ランダ(おはようございます)。旅の者です。お店はありますか?」
練習してきた言葉を、丁寧に発音する。
振り向いた麦わら帽子の人は、猫の人だった。
爺さんやロレンのように、耳と尻尾がある人ではない。ふさふさのもふもふだ。ぬいぐるみが服を着て麦わら帽子をかぶっているようだ。
聞いてない。聞いてないぞー!
この世界は、まだまだ俺の知らないことが、たくさんあるらしい。