笛を吹け! 後編 ★
「大丈夫だ! あくびが何とかしてくれる! ハル頭低くして、あくびから絶対降りるな! 無理にスリング使おうとするなよ!」
俺は思いつく限りの注意事項を並べ、寄ってきたパラシュに飛び乗る。実際俺は、あくびなら何とかしてくれるんじゃないかと半ば本気で思っていた。
「行け! ハル! 一番高い砂丘から、笛を吹け!」
最優先事項は「クルミちゃんの救出」。とりあえず、俺のパラシュに乗せてしまえばどうにかなるだろう。
次いで「ロレンとハザンに武器を渡す」。ロレンは小さなナイフ一本で盗賊と切り結んでいる。俺のナイフの方がまだ大きいか? ロレンの弓は、ハザンの十文字槍はどこだ?
ハルがパラシュを連れて戻れば、雑技団バリの騎乗テクを持つうちのキャラバンは、そうそう負けはしないんじゃないかと思う。
命題は「ハルが来るまで、踏ん張る」。
俺はパラシュを全速力で走らせながら、何度か指笛を吹いた。盗賊の気をほんの少しでも逸らさせる、ハザンたちに俺が来た事を知らせる。どちらにしても、何もやらないよりは良いだろう。パラシュに乗っている俺が一番安全だ。
頭を低くして盗賊の間をすり抜ける。奴らが飛び道具を使わない事を祈る。
真っ直ぐにクルミちゃんのところまで行き「クルミちゃん! 乗って!」と手を差し出し、ロレンにナイフを投げ渡す。
ロレンは「またナイフですか」と苦笑した。なんだ結構余裕あるじゃねぇか。
俺が「他、ない」と言うと「仕方ないですね」と両手にナイフを構える。
クルミちゃんは俺の背中にしがみ付いて、ガクガクと震えている。盗賊たちは、増援が俺ひとりである事を確認し、まだイケると踏んだらしい。
人数は十五人か、キツイな。
ハザンとアンガーが孤立している。囲まれたら更にマズイ事になる。
ロレンが相手取っている二人の盗賊に向けて、スリング・ショットで鉄玉を連射する。俺は人を傷つける覚悟なんて在りはしない。だが、躊躇っている暇も、そんな余裕も今はない。
顔に玉を受けたパラシュが嫌がり暴れる。これは有効かも知れない。顔に痛いものを何度もぶつけられて、戦意を損なわない動物はいない。俺は物入から予備のスリングを出し、クルミちゃんに渡す。
「クルミちゃん、パラシュの顔狙ってどんどん撃って」
「えっ! 無理です! 急にそんなの無理!」
「当たらなくても、手数が大切なんだ。パラシュが嫌がって逃げれば、俺たちの勝ちだ」
「は、はひ!」
爺さんとノリで作った、胡椒入りとか、赤辛子入りの玉も、どんどん撃つ。盗賊がパラシュの制御に手を焼いている間に、ロレンの弓を取り投げ渡す。
ロレンの弓は小ぶりなガンザの狩り用の弓より、大きく張りも強い。次々に盗賊の肩を正確に射抜いていく。
アンガーやハザンにも援護射撃を繰り出す。俺の仕事は邪魔する事、気を逸らす事、それだけで良い。二人とも俺の作った隙を見逃す事なく、これ以上ないくらい有効に使った。
アンガーが尻尾を足掛かりにしてパラシュに駆け上がり、盗賊の後ろを取る。見事な廻し蹴りで意識を刈り取り、更にパラシュから蹴り落とす。続いて、手近なところにいるパラシュに跳び移り、座席にいる盗賊を蹴り倒す。相変わらず、アンガーの戦い方は慈悲の欠片も見当たらない。
ハザンは俺の投げた十文字槍をパシッと受け取ると、三途の川の奪衣婆も逃げ出すような、凶悪な笑みを浮かべた。俺の後ろでクルミちゃんが小さく「ヒッ」と言って固まった。俺も一瞬スリング・ショットの手が止まった。
おい! 味方ビビらせてどーすんだよ!
と思ったが、あちらサイドはもっとビビっていた。明らかに戦意を喪失している盗賊にも、ハザンは容赦なく攻撃を繰り出した。リーチの勝る槍で、刃物を持つ利き手を正確に潰していく。あの盗賊たちは、もう二度と刃物を握る事は出来ないだろう。
遠くの砂丘から、ハルが吹くパラシュ寄せの笛の音が聞こえた。何度も、何度も吹いている。
ハル、頑張れ!
少し間を置いて、今度は高く長く吠える声が響く。あくびが吠えているのだろうか。パラシュ寄せの笛と、どこか似た声だ。あの笛はこの、仲間を呼ぶ声を模した音色なのだろう。ハルの吹く笛の音と重なって風に乗り砂丘を渡っていく。
立っている敵の数が半分に減った頃、パラッシュの群れが姿を現した。
盗賊のボスらしきひと際大柄な男が「撤収、撤収!」と叫ぶと、意識のないヤツや動けないヤツをパラッシュで回収しながら走り去る。ハザンがその男に向かって、
「おい、二度と顔見せんなよ? 次は絶対に逃がさねぇからな」
と、底冷えのするような声で言った。
ボスらしき男は返事はしなかったが、手に持っていた剣をポンとハザンに投げ渡した。
何だろう、廃業宣言か?
ハルとあくびが、パラッシュを引き連れて駆け込んで来る。
「みんな元気!? 無事!? 大丈夫!?」
ハルは血だらけのハザンを見て、真っ青になって叫んだ。
「おとーさん! ハザンが死んじゃう!」
「大丈夫ですよ、ハルくん。ハザンはとても頑丈ですから」
そう言うロレンも、腕や肩にかなりの数の切り傷がある。アンガーは少し深手だ。蹴り技ばかりで戦っていたのは、腕が使えなかった為らしい。
「ロレン、アンガー、血が、血が!」
あわあわとあくびから飛び降りるハルを、ロレンが抱きとめる。
「みんな、無事です」
ロレンがハザンと顔の前で腕を打ち合わせる。
ハイタッチみたいなもんか? アンガーが俺にも腕を突き出して来たので、真似して軽く合わせる。健闘を称え合う的なアレだろうか。少し照れ臭い。
ハルが今にも泣き出しそうになるが、必死で堪えている。背中でクルミちゃんは「ひーん、ひーん」と小さな声で泣いている。
どうやらもう安心しても良いらしい。今更ながら手が震えている事に気づく。あれだけの人数を相手に、よくもまあ乗り切ったものだ。
見渡すと、盗賊が置いて行ったらしいパラシュが二匹、所在ない様子で立ち尽くしていた。
ハザンが「今回はハルに助けられちまったな」と言ってハルに向かって腕を突き出した。
ハルは堰が切れたようにしゃくり上げながら、それでもハザンの腕に勢いよく腕をぶつけ合わせた。
この日、ひとりの男が『やり直しの地』と呼ばれる開拓地へと旅立った。男は今日まで小さな盗賊団を率いていた。大きな理由があった訳ではない。ただ、最後の獲物としたキャラバンが、やけに諦めが悪かっただけだ。金を渡すと交渉するでもなく、命乞いするでもなく、直ちに全員が戦闘態勢に入った。たった三人で、少女を守って足掻きに、足掻いた。
男はその日のうちに盗賊団を解散した。付いてきた者もいたし、どこかへ去っていく者もいた。男が開拓地にたどり着いたかどうかは、誰も知らない。犯罪者の烙印は消えないし、犯した罪を償った訳でもない。ただ、「俺も、もう少し足掻いてみるさ」と呟いた声が、砂漠の風に流れて消えた。
それは物語にもならない、小さな出来事。