夢で聞く声
夢というのは、なぜ声が聞こえるのだろう。脳が再生するのだろうか。目が醒める瞬間、すぐ耳元でナナミの声が聞こえた。
手を伸ばせば、抱き寄せられるようなリアルさだった。
『ヒロくん、ずるい』
えっ、そんな言葉? せっかくならもっと色っぽい言葉が聞きたい。
好きとか、愛してるとか?
いや、あんまり言われた事ないな。俺たち夫婦は一般的な日本人がそうであるように、そんな言葉を交わしながら暮らしていた訳ではない。
ナナミが好きだと言ってくれたのは、俺の『手』くらいのものだ。
小学校3年生でミニバスを始めて、中学の部活でもバスケをやっていたせいか、俺の手は大きい。まあ、大きいのは手だけで、背は180には届かなかったのだが。
俺が色鉛筆を握って絵を描いていると、
「サーカスの熊さんが、自転車に乗ってるみたい」と、言われた。
褒められてるのか、ビミョーな例えだ。サーカスの熊が、器用に自転車に乗る様のように、
『そんなに器用な事が出来るんだ! すごい!』みたいな意味らしい。
俺の手はそこまでゴツくないし、コラーゲンたっぷりでもない。ハザンの手に比べれば、俺の手なんて華奢なもんだ。
ヒロくんの手、好きだな。
そんな風にナナミは言った。
絵を描いてる時、包丁やフライパンを握ってる時、ハルの宿題の粘土を、一緒に捏ねている時、ドライヤーでハナの髪の毛を乾かしている時。
割と頻繁に言われた。いつのまにか俺も、意外に器用に動く自分の手が好きになり、よく動かすようになっていた。
つまり、掃除をしたり、料理をしたり、洗濯物を畳んだり。そんな事が嫌いではなくなっていたので、あれはナナミの策略だったのかも知れない。
まあ、お陰様で、こうしてキャラバンの仕事にありつけたのだから是非もない。
夢とはいえ、ナナミの声を久しぶり聞いたので、嬉しかった。これが虫の知らせとかいうものか? とも思ったが、
『ヒロくん、ずるい』から、ナナミ虫が俺に知らせたい事を読み取るのは難しい。強いていえば、俺が子供たち2人と一緒にいる事だろうか。
ああ、そうだな、ナナミ。俺ばっかりでごめんな。早いとこ2人を連れて行くから、そんなに膨れるなよ。
俺は頭の中に浮かんだ、ナナミの膨れっ面に向かって謝った。
だからナナミ、ひとりでも負けないでくれ。俺が行くまで、どうか潰れないでくれ。
さて、ナナミの声の余韻に、いつまでも浸っているわけにもいかない。キャラバンの朝は早い。
馬車は相変わらず赤い大地に伸びる、石畳の街道をひた走る。水場を見つけると休憩し、狩りをする。あまり大きな獲物は狙わず、谷ウサギや足長鳥、蛇なんかも狩った。今回の旅は、積荷の商品が占める割合が高い。
綱渡り的な危機感を感じたりもしたが、実際ガンザは優秀な狩人だし、ヤーモはどこからともなく食べられる野草やサボテンを集めてくる。俺とハルはどちらにも着いて行くので、この世界でのサバイバル知識と技術は日々うなぎ登りだ。と、自分たちでは思っている。
日課になったストレッチと筋トレ、反復横跳び、朝のメニューをこなす。ストレッチと筋トレは良いのだが、反復横跳びをしているところを誰かに見られると、妙に気恥ずかしい。どうにも気恥ずかしい。でも急に止めるのも恥ずかしい。
おい! じっと見てないでなんか言えよアンガー!
「ヒロト、朝メシは甘い卵焼きが食べたい」
俺の反復横跳びは、アンガーの心には届かなかったらしい。
おう! 甘い卵焼きな! 片栗粉入れてフワトロにして、砂糖と塩の1:1.2の黄金比率で作ってやるぜ!
ああ、そういえば卵の賞味期限(水の樽に入れて暗所で一週間程度)がもうすぐだ。景気良く使おう。
俺が地球から持ち込んだもので、スマホ以外だと一番役に立っているのは、ジップ◯ック様とタッパー様だ。密閉できる容器というのは、食品保存において、この上なく強い味方だ。
ちなみにタッパーにはサンドイッチ、ジップ◯ックにはおしぼりとくだものと、保冷剤が入っていた。日本では使い捨てに近かったジッパー付きビニール袋を、俺は大切に大切に使っている。
徐々に日差しが強くなってきている気がする。昼と夜の寒暖差が大きくなっている。あと数日もすれば、砂漠の入り口が見えて来るらしい。
入口?