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6月▼日 1

「おう。今日も来たのか。で、授業、どこまで進んだ?」


 瑞希がノックをして病室の扉を開くと、真一が憎まれ口を叩きながらも瑞希の姿を見て口角を少し上げた。ベッドの簡易テーブルの上には教科書とノートが開いて置いてある。


「はい。今日の授業のプリントとノートのコピー」


「悪いな」


 瑞希が数枚のプリントとノートのコピーを差し出すと、真一は小さく笑った。真一の表情は柔らかく、顔色も良い。ついこの間まで、生死の境を彷徨っていたとは思えない程だ。


 瑞希はここのところ毎日、真一のお見舞いに来ていた。勿論、蓮、玲と一緒に。玲は病室に着いて早々、花瓶の花の水を取り替えに行ってしまった。世話焼きの母親のようだと、瑞希はそんな玲を見ながら笑みをこぼした。


「あ、そうだ。期末テストの範囲は?」


「まだ言われてないよ。テスト、病院で受けるの?」


 真一が瑞希の持ってきたプリントをパラパラと捲る。それを瑞希も覗き込みながら答えた。瑞希の隣には蓮もいるのだが、真一が敢えてスルーしているようなので瑞希も敢えて何も言わない。蓮は少しだけ寂しそうに瑞希を見ていた。


「今、字書く練習してんだ。指固定してるとペンが持ちにくい」


「そっか。大変だね」


「字、書くのも時間かかるし――」


「真ちゃんも瑞希ちゃんもヒドイ……」


 真一にスルーされ、瑞希にも特に何も言ってもらえなかった蓮は、病室の隅にしゃがみ込んでいた。床に「の」の字を書き、口を尖らせている。蓮の周辺だけ薄暗く感じるのは、瑞希の気のせい、ではないだろう。


「だぁ~! ウザい!」


 独りでブツブツと文句を言っている蓮に向かって、真一は叫ぶと同時に手に持っていたシャーペンを投げつけた。すると、それはものの見事に蓮の頭に命中し、床に転がった。


「え~ん! 瑞希ちゃん、真ちゃんがいじめるよ~!」


 真一の行動を待っていたかのように、蓮は勢いよく立ちあがると、満面の笑みで瑞希に向かって突進した。しかし、瑞希は慣れた様子で、そんな蓮を華麗に避ける。


 蓮は毎日、玲や真一にからかわれたり怒鳴られたりしては、瑞希に抱き付こうとしていた。そのせいもあり、瑞希は蓮の行動を大体予測出来るようになっていた。だから、今日も華麗に蓮の行動を予測して突進を避けたのだが、一つだけ想定外の事があった。そう、それは蓮の突進してきた角度。ベッドの真一、瑞希、突進する蓮がちょうど一直線に並んでいたのだ。


「あっ!」


 瑞希は蓮の突進を避けてからその事に気が付き声を上げた。


「いってぇぇぇぇ!」


 しかし、時すでに遅し。蓮は真一のベッドに頭から突っ込んでいた。病院中に真一の悲鳴がこだまする。


「てめぇ! いつもいつも!」


「ごめんなさい。ごめんなさい」


「お前のせいで退院伸びんだろ!」


「ごめんなさい。ごめんなさい」


 真一が怒鳴り、蓮が正座をして謝っている様を、瑞希は微笑ましく見ていた。意識が無かった真一も、瑞希が香織に襲われた日、無事に目を覚ました。蓮を怒鳴る事が出来るのも元気な証拠だろう。足の骨折は完治まではまだまだ時間が掛かるが、リハビリをきちんとすれば以前と変わらないくらい動けるようになると、医師からも太鼓判を押されている。本当に良かったと、瑞希は朗らかに笑った。


「おう、見舞いに来てやったぞ! 今日も相変わらずか」


「元気そうね。廊下まで声、聞こえているわよ?」


「真一さん、病室では静かにね。恥ずかしいですよ?」


 瑞希は病室の入り口に目を向けると、裕太、慧子、玲が「またか」というように笑っていた。


「はい。これ、お見舞い」


「ありがとうございます」


 慧子が籠入りフルーツをベッド脇のチェストの上に置くと、真一が頭を下げた。その様子を見ていた瑞希は思いだしたように手を打った。


「そうだ。私もお見舞い、持って来たんだった!」


 瑞希は鞄に飛びつくと、大きなコンビニ袋を引っ張り出した。そして、次々とベッドの簡易テーブルの上に中身を並べていく。


「ポッチーと、たぬきのマーチと、チョコチップクッキーと――」


「今日はチョコ尽くしか……」


 コンビニ袋から次々出てくるチョコレート菓子を前に、真一は溜め息交じりに言った。


「チョコ、嫌い?」


 真一の微妙な反応に、瑞希は真一の顔を上目遣いで窺った。


「ベッドの脇、よく見ろ。食べきれてない菓子がこんだけあるんだぞ」


 真一がそう言って指差した先には、気を利かせた看護師が持って来てくれた段ボール箱が三箱置いてあった。その中には、瑞希がお見舞いと称して毎日持って来ているお菓子がぎっしりと詰まっている。種類も多種多様で、チョコレート菓子は勿論、アメやガム、スナック菓子、バームクーヘンやカステラなどのケーキ類、果ては大福や団子まで詰まっていた。


「だって、病院のごはん、美味しくないし、量も少ないって……」


「だからって、毎日毎日、菓子、持って来んな。医者とか看護婦にあげても全然減らねーだろ。それに、チョコこんなに食ったら気持ち悪くなる」


「あ、そっか。じゃあ、良いものあげる!」


 瑞希は何かを思い出したように再び鞄を漁り始めた。その場にいる全員が瑞希の行動を興味深そうに眺めていた。


「じゃ~ん。これならどうだ!」


 瑞希が自信満々で取り出したのはザラメ煎餅の大袋だった。


「これね、今日のおやつなの。でも、特別、あげる!」


「お前……」


 瑞希は満面の笑みでザラメ煎餅を真一に差し出した。しかし、真一はそれを複雑な表情で見つめる。そして、小さく溜め息を吐くと、諦めたようにそれを受け取った。


「あ、そうだ! 今日はね、僕もお見舞い、持って来たんだった~」


 そう叫んだ蓮が鞄を漁り始めた。


「珍しいな。何、持って来たんだよ?」


「ふふふ。真ちゃんが一番喜ぶもの、頑張って考えたんだ~」


 蓮はニヤニヤと笑いながら鞄から紙袋を取り出した。


「ああ。だから、本屋さんに寄ったんですね」


 瑞希は蓮が取り出した書店の紙袋を見て、病院に来る途中、蓮が本屋に寄りたいと言い出したことを思い出した。


――何、買ったんだろう? 参考書? それとも小説? でも、厚みが薄いから雑誌かな?


 蓮に店の外で待っていて欲しいと言われ、瑞希は玲と共に大人しく外で待っていた。蓮がすぐに店から出てきた為、あまり気に留めていなかったが、あの時にお見舞いを買っていたのかと納得した。


「はい、真ちゃん」


「おう。サンキュ」


 蓮が尚もニヤニヤと笑いながら紙袋を真一に手渡す。真一は嬉しそうに受け取り、丁寧に紙袋の口を開けた。


「……おまっ!」


 中を覗き込んだ真一の顔が真っ赤になる。そして、鋭い目で蓮を睨んだ。


「やっぱり、僕らの年代が喜ぶものっていったら、ね~?」


 真一に睨まれても蓮はニヤニヤと笑っている。それを瑞希は不思議そうに見つめた。


「あれ? もしかして蓮さんと被った? はい。俺からの見舞い」


 裕太が徐に鞄から書店の紙袋を取り出すと、真一に投げ渡した。真一はキャッチした紙袋を覗き込むと動きを止める。そして、瑞希と慧子の視線を気にするように、慌てて二つの紙袋をベッド脇のチェストへと仕舞い込んだ。


「どうしたの?」


「な、何でもない!」


 瑞希は真一の不可思議な行動に首を傾げた。真一は慌てたようにぶんぶんと首を横に振った。


「瑞希ちゃんには面白くないよ。真ちゃんは興味あるだろうけど~」


「おう。瑞希が見ても、な。真一は好きだろうけど」


 蓮と裕太が真一を見てニヤニヤとしている。そんな二人に、瑞希の好奇心がむくむくと頭をもたげ始めた。


「何、もらったの?」


「何でもない!」


「教えてくれたっていいのに」


「だから、何でもないって!」


「何でもないなら教えてよ?」


「お前には関係ない!」


「何で?」


「何でも! 関係ないの!」


「真田君のイジワル!」


 頑として何を貰ったのか教えようとしない真一に、瑞希は頬を膨らませた。


「じゃあさ~、寮に帰ったら見せてあげようか? 勿論、僕の部屋で~」


 満面の笑みで言った蓮の言葉に、瑞希は目を輝かせた。そして、返事をしようと口を開く。


「は――」


「ちょっと待てぇぇぇ!」


 瑞希が返事をしようとした瞬間、真一が大声でそれを阻止した。


「蓮! お前、いったい何考えてんだ!」


「蓮さん、あなたって人は……」


 蓮の隣で、玲がジトっとした目で蓮を見ていた。


「蓮さん! それはいくらなんでもまずいっすよ! マロンと市田さんにばれたら殺されますって!」


 そう叫んだ裕太は慌てているようだった。


「えっと……?」


「やめておいた方が良いわ」


 真一、玲、裕太の反応に戸惑っている瑞希の肩に、そっと慧子の手が置かれた。瑞希が慧子を振り返ると、その表情は真剣なものになっていた。真一が同意とばかりにこくこくと頷く。


「そうだ、そうだ! 慧子さんの言う通りだ! 絶対に行くな!」


「瑞希さん。蓮さんって普段は従順な大型犬に見えますけど、本性はオオカミですからね」


 玲はそう言うと、瑞希に優しく微笑みかけた。


「蓮さんはいつオオカミになるか分からないタイプだ。絶対、部屋には行くなよ!」


 裕太が玲の発言に同意とばかりに頷きながら言った。


「はい……?」


 瑞希は、慧子、真一、玲、裕太の説得に首を傾げながら返事をした。


「ちぇっ」


「ちぇ、じゃねぇ!」


 口を尖らせて不満そうにしている蓮の顔面目がけ、真一がベッド脇のチェストに置いてあったティッシュ箱を投げつけた。パコーンという軽い音がするかと思いきや、ゴスっという鈍い音が響く。箱の角が当たったようだ。


「うぅ、イタイ……」


「イタイじゃないだろ! 大体、お前は昔から――」


 涙目になって額を押さえている蓮に向かって真一が怒鳴る。その様を、瑞希は止めて良いものかと、オロオロとしながら見ていた。


「のど、乾いたわね」


 唐突に慧子が口を開くと、一同の注目が慧子に集まった。


「売店、行って来る。瑞希ちゃん、一緒に行きましょう?」


 慧子はこれから真一の説教が始まるだろう事を予測し、瑞希にその内容を聞かせないよう気を利かせたのだろう。慧子に多少強引に腕を引っ張られ、瑞希は大人しく売店へ向かった。溜め息を吐きながら玲も二人の後に続く。


「眞鍋先輩、さっきのは?」


 瑞希は売店でジュースを選びながら、隣に立つ慧子に先程の事を尋ねた。真一がもらったものといい、蓮の部屋に誘われた後の皆の言動といい、色々と解せない事が多いのだろう。


「一つ言える事は、男はバカって事よ」


「はい?」


 答えになっていない慧子の答えに、瑞希は首を傾げた。


「瑞希さん、慧子さん。全ての男がバカというわけではないですよ。あの人達と私を同類に考えないで下さいね?」


 玲はそう言うと、瑞希と慧子に向け、にっこりと笑みをつくった。


「そうですね。すいません。玲先輩みたいな人もいますね。裕太や蓮先輩が今日持って来た本は、私たちが目にする機会は無いと思う。どうしても見たかったら――」


「見たかったら?」


 慧子が手に持っていたジュースをレジに置く。瑞希もレジにジュースを置きながら慧子に問い掛けた。


「将来、彼氏が出来た時にでも見せてもらえば?」


「彼氏、ですか……?」


 ジュース代を払う慧子を瑞希は不思議そうに見つめた。


「そう、彼氏。男ってバカだなって思うわよ、きっと」


 慧子がそう言いながら、レジから受け取ったジュースを手に歩き出す。瑞希も慌てて後を追った。


――彼氏? やっぱりよく分からない……。今度、誠に話してみようかな……。


 廊下を歩きながら、慧子の発言を思い返す瑞希だったが、慧子が一体何を言いたかったのか分からず、首を捻った。


「ただいま」


 慧子が病室の扉を開くと、蓮、真一、裕太が慌てて後ろ手に何かを隠した。慧子と玲に一歩遅れて病室に入った瑞希には、三人が何を隠したかは分からない。しかし、どこか気まずい雰囲気が流れた。


「はあぁ……。ホント、男ってバカね……」


「ええ。同じ男として恥ずかしくなりますね」


 溜め息を吐いた慧子と玲の反応に、瑞希は首を傾げた。


「だってね、慧子ちゃん、玲ちゃん」


 後ろ手に何かを隠したまま、蓮が慌てたように口を開いた。


「裕ちゃんの持って来た本の趣味がね、とっても良かったから、つい……。出来心! そう、出来心なの~!」


 蓮が訳の分からない事をまくし立てる。それを慧子と玲がジト目で見つめた。


「そうそう。出来心、出来心! 蓮さんの持ってきたのもなかなかだったから! 病院でナースものって、やっぱ王道じゃん! 白衣の天使って言うだろ!」


 裕太も後ろ手に何かを隠しつつ、訳の分からない事をまくし立てる。その間にも、真一は後ろ手に隠してあったものをそっと布団の中に隠した。


「憧れるよね~! でも、僕らの年代だと裕ちゃんが持って来た女子高生ものの方がいい――」


「バカな事言ってないで、とっとと見えない所に隠すなり何なりしなさい!」


『はいっ!』


 慧子の剣幕に、蓮と裕太はピンと背筋を伸ばして返事をした。そして、後ろ手に隠してあるものが瑞希と慧子に見えないよう、カニ歩きでベッド脇のチェストに移動すると、引き出しを開いて隠していたものをコソコソと仕舞った。どさくさに紛れて、真一も布団に隠してあったものを引き出しに入れている。


「えっと……? あの、飲み物、どうぞ……?」


 何を隠したのか分からない瑞希は首を傾げつつ、蓮にオレンジジュースを、真一に牛乳を手渡した。その横で、慧子が裕太の顔面目がけ、鬼の形相で缶コーヒーを投げつけていた。

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