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6月■日 8

「……ちゃん! 瑞希ちゃん!」


 名前を呼ばれ、ゆっくりと瑞希が瞼を開くと、心配そうに瑞希の顔を覗き込む蓮の姿が真っ先に目に入った。目を覚ました瑞希は玲が横たわるベッドの隣のベッドに寝かされており、蓮だけでなく裕太や慧子も心配そうに瑞希の顔を覗き込んでいる。市田は玲の手を握り、遠巻きに瑞希が目覚めた事に安堵の息を吐いていた。


 瑞希はゆっくりと手を伸ばすと、蓮の長めの前髪を梳かした。そして、ある一点で手を止めると、ゆっくりと手を下ろす。確かめたかった傷跡は確かにそこにあった。


「瑞希ちゃん?」


 瑞希の謎の行動に、蓮が僅かに訝しげな表情をした。


「あの……。市田さんと三井先輩とお話がしたいのですが……」


 瑞希はベッドがから起き上がってそう言うと、申し訳なさそうに目を伏せた。そして未だ目覚める気配が無い玲に視線を向ける。先程の映像が玲の記憶なら、関係ない裕太や慧子に話を聞かせる訳にはいかない。


「……裕太、慧子君。すまないが……」


「りょ~かい。親父も帰ったみたいだし、学校内、適当にブラブラしてます」


「玲先輩が目覚めたら連絡下さい」


 瑞希や市田の様子から深刻な話だろうとあたりをつけた裕太と慧子は、気を悪くするでもなく素直に保健室を後にした。


「それで、我々に話とは?」


 市田が玲を見つめながら口を開いた。その表情は何処か強張っている。


「あの……その……」


 話があると自分で言った瑞希だったが、何から話し始めて良いものかと口ごもり、顔を伏せた。そして、掛布団の端をギュッと握る。そんな瑞希の手を、蓮が優しく握った。瑞希が顔を上げて蓮を見ると、蓮は瑞希を優しい眼差しで見つめていた。


「あの、私……さっき、気を失っていた時、その……たぶん、白糸先輩の記憶、見てしまいました……」


「……っ!」


 市田が息をのんだのが分かり、瑞希は再び俯いた。不可抗力とはいえ、玲が隠していたかっただろう記憶を見てしまった罪悪感が、瑞希の心に重くのしかかる。


「瑞希ちゃん。それ、どこまで見たの?」


 瑞希の手を握る蓮の手に力が篭る。


「白糸先輩が……その……小さい頃に虐待を受けていた事、三井先輩のお家に引き取られた事……。市田さんが白糸先輩の伯父さんで、三井先輩が従弟で……。あと……」


「あと?」


 先を促す蓮の表情が強張る。


「その……三井先輩を……階段から……」


「そうか……」


 市田は溜め息交じりに呟いた。蓮は瑞希の手を握り締め、無言で俯いている。二人の反応を見る限り、瑞希の見た玲の記憶はまやかしの類ではなかったようだ。


「瑞希君。すまないが、君が見た玲の記憶は忘れてくれないだろうか? 玲には見た事を黙っていて欲しい。この子の一番知られたくない記憶だ。どうか……!」


 市田はそう言うと、瑞希に深々と頭を下げた。勿論、瑞希としては誰にも言うつもりはない。しかし、果たして今まで通り変わらず玲と接する事が出来るのだろうかと、瑞希は頭を下げている市田と玲を交互に見た。


「あ――」


「……うっ……」


 瑞希が口を開きかけた瞬間、隣のベッドで寝ていた玲の呻き声が漏れた。そして、ゆっくりと瞼が開く。市田が弾かれたように玲を振り返った。


「玲……! 玲!」


 市田が玲の肩を軽く揺さぶると、玲の焦点が市田に合った。


「伯父、さん……?」


 ボーっとした表情の玲が呟いた。その表情はどこかホッとしているようにも見える。


「ここ、は……?」


 玲はゆっくりと視線を周囲に巡らせた。


「保健室だよ、玲ちゃん」


 そう言った蓮が優しげに微笑む。蓮の姿を確認した玲は笑みを返し、小さく頷いた。


「玲。痛いところは無いか?」


 市田が心配そうに玲の顔を覗き込んだ。その表情は父親のような、そんな愛情が伝わってくるものだった。


「強いて言うなら、全身が痛いですかね。ちょっと、いえ、暫くは起き上がれそうにありません」


「そうか。瑞希君との霊力の相性はお前も悪かったみたいだな」


「ですね。相性が悪いと結構なダメージがあるものですね。市田さんが瑞希さんとの訓練、あっさり負けを認めた理由、身をもって理解しました」


 穏やかに笑う玲と市田の表情はとてもよく似ていた。そう、親子のように。


「っと! すまない。上月君から電話だ。廊下にいるから何かあったら呼びなさい」


 玲が小さく頷いた事を確認した市田は、携帯電話を片手に廊下に出た。玲は微笑みながらその背中を見送る。そして、小さく溜め息を吐いた。


「……瑞希さん」


「はい……」


 玲に名を呼ばれ、瑞希は俯きながら消え入りそうな声で返事をした。玲の記憶を見てしまった罪悪感から、玲の顔をまともに見られないのだろう。


「先程は、ありがとうございました」


「え……?」


 思いがけない玲の言葉に、瑞希は呆然とした表情で玲の顔を見た。玲は瑞希に優しく微笑んでいる。


「さっき、瑞希さんが助けてくれたんでしょう?」


「白糸先輩、もしかして……」


「ええ。瑞希さんが私の中に来てくれた事、瑞希さんと話をした事、はっきりと覚えています。瑞希さんが来てくれなければ、コンプレックスとか嫉妬とかいう呪縛からずっと抜け出せませんでした」


「私、先輩の記憶を見て――」


「自分でも忘れようとしていた記憶です。気にしないと言えば嘘になります……」


 玲の言葉に、瑞希は申し訳なさそうに俯いた。


「でもね、大切な事に改めて気づかされたんです。市田さんや蓮さん、蓮さんのご両親、今は真一さんや裕太さん、慧子さん、そして、瑞希さん……。私の周りには私を心から心配してくれる家族同然の人がたくさんいます」


 玲は天井の一点を見つめ、小さく息を吐いた。


「瑞希さんには何も責任はありません。私の弱さが引き起こした事です。だから、そんな顔しないで下さい。ね?」


 玲はそう言うと、瑞希に向かって優しく微笑んだ。瑞希はこくこくと頷くと、いつの間にか目に溜まっていた涙を拭い、笑みを返した。


「それにね、瑞希さん」


 玲が悪戯っぽく笑う。


「実は、少しだけですけど、瑞希さんの感情というか、気持ちというか……そういったものが私にも見えたんです。手を握られた時。だから、おあいこですよ?」


「へ……?」


 玲の予想外の告白に、瑞希は間抜けた声を上げ、呆然とした表情で玲を見つめた。


「瑞希さんって蓮さんの事――」


「い、いやぁぁぁぁぁぁぁ!」


 瑞希は顔を紅潮させ、悲鳴を上げた。そして、頭から掛布団をかぶって丸くなる。瑞希の悲鳴に驚いた市田が保健室の扉を開け、布団の中で丸くなる瑞希と笑いを圧し殺している玲、呆気にとられた表情の蓮を呆けた表情で見つめていた。


「い、今の悲鳴は……?」


「何でもありません」


 そう言うと、玲は明後日の方向を向いて肩を震わせた。


「そ、そうか……?」


「ええ。気にしないで下さい。それより、上月先生からの電話、大丈夫なんですか?」


「あ、ああ。丁度終わったところだ。真一が目を覚ましたと、病院から連絡があったそうだ」


 市田は携帯電話を掲げ、微笑みを浮かべた。


「市田さん! それ、ホント?」


 叫んだのは蓮だった。瑞希も市田の言葉に反応し、布団から顔だけ出していた。


「ああ」


 市田は蓮に向かって大きく頷いて見せる。蓮は心底ホッとしたように息を吐いた。そして、瑞希に笑みを向ける。瑞希も蓮に笑みを返した。

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