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6月■日 6

 次の瞬間、玲の腕が止まった。呆然とする瑞希の前に見慣れた背中が現れる。玲の腕を蓮が掴んだ事を瑞希が理解すると、脇腹の痛みに堪え切れずに膝を着いた。


「玲ちゃん、何、やってるの?」


 蓮が静かな声で問い掛ける。普段の陽気な蓮からは想像できない程の怒気が伝わり、瑞希は人知れず身を震わせた。


「何やってんだって聞いてるんだ!」


 そう叫んだ蓮は、玲の鳩尾に容赦なく蹴りを放った。鈍い音と共に、玲が膝から崩れ落ちる。蓮は、玲の首筋にだめ押しとばかりに手刀を落とした。


「何故、玲が……?」


 瑞希が声の方を見ると、市田が呆然と立ち尽くしていた。その隣には、スーツ姿の見慣れない中年男性もいる。


「多分、傀儡です。初めて実物を見ましたが……」


 慧子が答えた聞きなれない単語に、瑞希は眉を顰めた。


「誰が、操っている?」


 市田は眉間に皺を寄せ、慧子に問い掛けた。慧子は目線で香織を指す。市田はゆったりとした足取りで蹲ったままの香織に向かい、その正面に片膝をついた。香織は憎々しげに市田を睨んでいる。


「君は、藤堂、いや、今は広田香奈か……。彼女の娘、か?」


「……そうよ」


 市田に問われた香織は憮然とした表情で頷いた。香織の答えに、市田の表情がわずかに歪んだ。


「何故、この学園に? 彼女はだいぶ昔に我々のコミュニティを抜け、行方を眩ましたはずだが?」


「…………」


 香織は市田の問いには答えず、視線を逸らした。そして、悔しそうに唇を噛む。


「まあいい。その事は後でゆっくり聞かせてもらう。まずは玲の傀儡を解いてもらいたい」


「絶対、嫌よ! やっと白糸先輩が私のものになったんだから。どうせ術者が死ねば術は解けるんだ! 私の事、処分でも何でもすれば良いじゃない! あんた達が大昔からやってきたようにさぁ!」


 目に涙を溜めて叫んだ香織の様子に、市田は溜め息を漏らした。


「香奈に何を吹き込まれたのやら……。伊勢君、彼女の事は調査室に任せる。貴重な能力者だ。手荒な真似は極力しないで欲しい」


「はい。分かっています」


 伊勢と呼ばれた中年男性の面差しが、どことなく裕太に似ているところを見ると、男性が裕太の血縁者だろう事は想像に難くない。伊勢は香織に手刀を落として昏倒させると、軽々と肩に担いだ。


「玲と瑞希君、裕太は手当が必要だな。保健室へ」


 市田はそう言うと、昏倒している玲を背負って歩き出した。




 晴嵐学園の保健室は普通の学校と変わらない広さの、極々一般的なものだった。豪華な学校だから、広々とした病室をイメージしていた瑞希は、初めて足を踏み入れる保健室の普通さに拍子抜けしていた。


「市田さん。彼女の母親と知り合いなんですか?」


 瑞希と裕太の手当てが終わり、慧子が開口一番そう言った。


「ああ。彼女の母親はうちの特待生だった。一時期、調査室にも所属していたのだが、ある日行方を眩ました。結婚をし、子どもも産んでいたと知ったのはついさっき――伊勢君の調査結果を聞いた時だ」


 そう言った市田は、三つ並んだベッドの一番端に横たわる玲に視線を落とした。


「傀儡はかつて藤堂香奈――今は広田香奈だが――彼女が使っていた能力だ。正直、厄介な能力でね。術者が傀儡を解かない限りそのまま……」


 市田は眉間に皺を寄せ、難しい表情で玲を見つめていた。瑞希もベッドに横たわる玲に視線を向ける。先程の様子では、香織が進んで玲の傀儡を解くとは思えない。


「何は方法は?」


 裕太が静かな口調で市田に問い掛けた。玲の隣のベッドに腰掛ける裕太は、真っ直ぐな瞳で市田を見つめていた。


「他の方法、か……。あるにはある。傀儡を掛けられている者――玲が自力で解くか、術者――広田香織が死ぬかだ」


 市田の答えに、裕太は気まずそうに市田から視線を逸らした。


「もし、玲が自力で解けるのなら、こんな事になる前に解いている。しかし、玲の能力者としての素質は高い方ではないし、精神的にも強くない。自力で解く事が出来ないのだろう」


「そんな……!」


 市田の言葉に、瑞希はショックを隠しきれないでいた。制服のスカートを握り締める手が震える。


「瑞希ちゃん……」


 目にいっぱい涙が溜まった瑞希の頭を、蓮が優しい手つきで撫でる。


「瑞希ちゃん、そんな絶望的な状況じゃないわよ?」


 静かにそう言ったのは慧子だった。弾かれたように瑞希が慧子へ視線をやると、慧子は悪戯っぽく笑った。


「傀儡に関しては、だけどね」


「どういう事だ?」


 裕太が訝しげに慧子に問い掛けた。全員の視線が慧子に集まっており、慧子は苦笑した。


「傀儡って初めて見ましたけど、おばあ様に話を聞いた事はあったんです。確か、【影】を媒介にして人を操る術式で、うちの一族が操る式神と扱い方は似ているって。決定的に違うのは、攻撃対象が【影】か人かって事ですね。傀儡は操る【影】を人の深層部分――人の一番弱いところに憑りつかせる術式なんです。玲先輩から僅かに【影】の気配もしていますし、瑞希ちゃんのお友達が【影】を自在に呼び出していましたし、聞いていた通りだったみたいです」


「で? 何でそれで大丈夫だって断言出来んだよ? お前、解けんの?」


 裕太は腕を組み、首を傾げた。


「私には無理。でも、適任者はいるんじゃなくて?」


 慧子の言葉に、一瞬、全員が沈黙した。


「そっか。瑞希ちゃん、か……」


 蓮がそう呟くと、同意するように慧子がにっこりと笑った。全員の視線が瑞希に集まる。 


「わ、私、ですか?」


 皆に注目され、瑞希は呆然と自分自身を指差した。


「ええ。皆さんもご存じの通り、瑞希ちゃんは【影】を浄化する能力があります。玲先輩に憑いている【影】を浄化出来れば傀儡は解けるんじゃないですか? 蓮先輩のお父様やうちのおばあ様のように、【影】を払える人を呼んでも良いんでしょうけど。でも、玲先輩が目を覚ます前にどうにかしたいですよね?」


「ああ、そうだな」


 市田はそう呟くと、真っ直ぐと瑞希を見つめた。


「瑞希君、どうか玲を助けてやってくれないだろうか?」


 そう言った市田は深々と瑞希に頭を下げた。


「市田さん、や、やめて下さい! 私だって白糸先輩を助けたいんです。……でも、本当に私に出来るんでしょうか……?」


 そう言って俯いた瑞希を励ますように、蓮が瑞希の肩に手を置いた。


「瑞希ちゃん、偶には自分を信じてあげなよ? 瑞希ちゃんなら、きっと大丈夫」


「三井先輩……」


 優しげに笑った蓮に、瑞希も笑顔を返した。


「やってみてダメだったら、その時はその時っしょ! 蓮さんの親父さん呼べば良いんだ。あんま気負うな!」


 裕太はそう言うと、ニッと瑞希に笑みを向けた。


「伊勢先輩……」


「瑞希ちゃんの霊力を玲先輩の体内に送ってあげれば、原理的には浄化出来るはずよ」


 瑞希を元気づけるように、慧子も微笑みを浮かべた。


「はい。やってみます」


 瑞希はこくりと頷くと、ベッドに横たわる玲の手をそっと取り、両手で包み込むように握った。そして、その手に意識を集中させ、霊力を集めていく。


 瑞希の手がピンク色の光に包まれる。僅かに抵抗するように玲の手が動くが、瑞希は更に集中し、手に込めた霊力を高めた。そして、その霊力を玲の体に流し込むようにイメージする。玲と繋いだ手に、僅かに冬場の静電気のような感覚が走り、瑞希は眉を顰めた。痛いという程では無いものの、何とも言えない不快感がある。


 暫く意識を集中していた瑞希だったが、額には玉のような汗が浮かび、呼吸が荒くなってきた。集中力の限界が近いと瑞希自身自覚しているが、瑞希は更に意識を集中させる。その直後、瑞希の世界が暗転した。

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