6月■日 2
「どこがいいかね~?」
放課後、そう言いながら瑞希の手を引く香織の後ろを、瑞希は黙ってついて行った。校舎内にはいくらかの生徒が残ってはいるものの、殆どの生徒が部活動に行ってしまったか、帰ってしまっているかした為だろうか、昼間のような活気は無かった。
――三井先輩、怒るかな……。
蓮には、香織になるべく近づくなと言われている。しかし、瑞希はその言いつけを破るように、香織と二人きりで校舎内を歩いていた。本当なら蓮に告げた方が良いのかもしれないが、瑞希は余計な心配は掛けまいと、蓮と玲には慧子と裕太と共に帰るので先に帰って欲しいとメールを送っていた。
「そうだ! 管理棟にある第二図書室なら人も滅多に来ないし、相談事には丁度良いよ!」
香織は思い立ったようにそう言うと、瑞希の手を引いてずんずんと廊下を進んでいった。瑞希と香織が足を踏み入れた管理棟の三階は、全くと言って良い程人の気配が無い。瑞希は青嵐学園に入学してから、この管理棟三階には全く足を踏み入れた事が無かった。管理棟で用があるといえば、一階にある理事長室と職員室のみで、何があるのかさえ興味が無かったのだ。
「やっぱり、人いな~い!」
瑞希の手を離し、第二図書室の扉を開いた香織は満足そうに笑った。第一図書室にすら、まだ足を踏み入れた事が無い瑞希は、この第二図書室の用途など知らない。しかし、小ぢんまりとした雰囲気で司書すらいないとなると、図書室とは名目だけの、さして重要ではない本の為に作られた書庫なのかもしれないと想像する事は容易だった。
「瑞希ちゃん、こっち。こっち!」
瑞希が蔵書を確認しようと本棚に近づくと、決して広いとは言えない読書スペースの方へ行った香織が手近な椅子に腰掛け、瑞希に手招きをした。瑞希は本棚と香織の顔を見比べ、手招きする香織の元へ向かった。
「で、相談は何かな~?」
瑞希が香織の正面の椅子に腰を下ろすと、頬杖をついた香織がニヤニヤとした表情で瑞希の顔を覗き込んだ。
「……あのね、その……えっと……本当の事を言って欲しいの……。その……隠し事、しないで欲しいの……」
意を決した瑞希は、俯きながら口を開いた。
「え? えっと……? 瑞希ちゃん、一体、何の事?」
香織は全く心当たりが無いというように、訝しげな表情を浮かべていた。瑞希の言葉が足りなかったせいでよく分からなかったのか、ただとぼけているだけなのかは分からない。しかし、香織の反応はごく自然で、瑞希に隠し事をしているようには見えない。
「あのね、今日の朝に話した廃ビルの事……」
「心霊写真が撮れるってビルだっけ?」
「うん。香織ちゃん、あのビルには行った事が無いって言ってたよね? でもね、その……私ね、香織ちゃんがあのビルにいる写真見たの。だから……」
「あぁ、それで本当の事を言ってって事なのね」
香織はやっと納得がいったという顔になり、呆れた様に溜め息を吐いた。
「そんな写真があるんだ。全然知らなかったな。……いいよ。本当の事、教えてあげても」
瑞希が顔を上げると、香織の笑みが真っ先に目に入った。その笑みはどことなく冷たげで、瑞希を嘲るような、普段の香織の笑みではなかった。そして、香織の後ろには【影】が二匹、佇んでいた。
「香織、ちゃん……?」
「ことごとく三井先輩が邪魔してくれちゃってさ! あんた、ナイト様に守られるお姫様かっての!」
吐き捨ているように言った香織の顔は醜く歪んでいる。只ならぬ香織の様子に、瑞希は慌てて椅子から立ち上がると、咄嗟に香織との距離を取ろうとした。
「あははは。あんま、後ろ下がらない方が良いんじゃない?」
香織の言葉に、瑞希がチラッと後ろを確認すると、一匹の【影】が後ろに佇んでいるのを目の端に捉える事が出来た。香織の後ろに二匹と、瑞希の後ろに一匹。しかし、香織が扱う【影】がこの三匹だけとは限らない。
「香織ちゃんが【影】呼び出してるの?」
「【影】? あぁ、こいつらの事? そうだよ。凄いでしょ!」
かすれ声で尋ねた瑞希に、香織は胸を張った。
「で、廃ビルの事だったよね? いつの写真かは知らないけど、瑞希ちゃんが見た通りだよ。何をしていたかは……分かるよね?」
香織は瑞希の驚く顔を面白がるようにニヤニヤと笑っている。
「な、んで……?」
「何でって……。最初は言われたからそれに従って嫌々練習してたんだけどねぇ。こいつらキモイし」
香織の答えに瑞希は眉を顰めた。瑞希の頭の中に「誰に?」という疑問が湧く。
「ふふ、でもさあぁ、人と違う力っての? 持ってると気分良いじゃん? だんだん思い通りになってさぁ! だから毎日練習したの。こいつら凄いんだよ! 人を操る事だって出来るんだから! あはははは!」
香織は心底可笑しそうに笑った。その目は狂気に染まり、それを見た瑞希の背中に嫌な汗が流れる。
「香織ちゃん、誰に、誰に言われてそんな事……」
「別に、あんたには関係無いじゃん! どうせ、あんたの知ってる人じゃないし」
「真田君も香織ちゃんが……?」
「…………っ!」
無言で香織が瑞希を睨み付ける。その表情はどこか悲しげで、苦々しさを感じさせるものだった。
「香織ちゃん?」
「煩い。煩い、煩い、煩い! あんたなんか大っ嫌い!」
香織はそう叫ぶと、椅子から立ち上がって瑞希を指差した。香織の動作に反応したかのように、【影】が瑞希の方へゆっくりと近付いて来る。瑞希は混乱し、動けないでいた。こんなにも危ういほどの感情の起伏など、香織は見せた事が無かった。瑞希は、香織がいつも優しく朗らかに笑っている表情しか知らない。
「香織ちゃん……」
「何よ? 何で戦わないのよ?」
香織は瑞希の反応を楽しむように口角を上げた。
「あははは。このままじゃ、こいつらの餌食だよぉ? ほら、警棒出しなよ! ほらぁ! あ、それとも今日は持って無いの? あの時みたいに教室? それとも寮に置いてあるの?」
香織は意地悪そうにそう言うと、スッと目を細めた。
「まあ、私はあんたが大人しくこいつらの餌食になる方が都合が良いんだけどね!」
その言葉を聞いた瑞希の目には涙が溢れた。
「何? 泣いてんの? あはは、ウケるぅ! もしかしてさぁ、あんた、私の事、友達だとでも思ってたの? バカじゃない? あんたさぁ、何で自分に友達ができないか考えた事、ある? 無いだろうな~。そうだ! 最後に、友達が出来ない理由教えてあげる! 私って親切~!」
香織は腕を組み、うんうんとひとり頷いている。
「あんた、自分がどんだけ嫌味な存在か知ってる? 知らないよねぇ? その顔でその性格って、私弱いから守って下さいって言ってるようなもんだから。しかも、その性格作ってんなら男子達にもぶりっ子って嫌われそうなもんだけど、天然なんだもんなぁ。それで、勉強も出来てスポーツも出来てって、どんな超人だよ。そりゃ、周りの女子に疎まれるから。競い合っても勝てる要素が無いんだもん」
香織はそう言うと、嘲笑を浮かべた。
「あんたが掃除当番の途中で抜けて、真田のお見舞いに行った後、男子達が何て言ってたか教えてあげるよ。真田が羨ましいだって! ははは。ホント、うちのクラスの男どもってバカだよねぇ。死にそうなヤツが羨ましいって~」
「私――」
何もしてない、と瑞希が答えるより早く、香織は遮るように話し続けた。
「あんた、周りにちっとも興味無いから、人の気持ちとかも全然気が付かないんでしょ? 気にかけてくれる人の有難さとか分かる? 白糸先輩なんかさぁ、あんたにちょっかい出す女子がいたら止めるようにって、真田にきつく言ってあったみたいだよ? 三井先輩もきっと同じだよね。まあ、白糸先輩と三井先輩が毎日のように迎えに来る状況で、あんたにちょっかい出す勇気のある女子なんていないだろうけど。あの二人を敵に回すと、女子の七割以上を敵に回すことになるらしいから。あの二人がいなかったら今頃絶対にいじめられてたんだから、感謝しなよぉ? あははははは!」
香織は腹を抱えて笑いながら瑞希の反応を見ていた。瑞希の目は赤くなり、今にも零れ落ちそうな程涙が溜まっていた。
「あはははは。ホント、何も分かってなかったみたいね。カワイソウにね!」
香織はひとしきり笑い終わると、スッと目を細め、瑞希を睨み付けた。
「一緒にいても引き立て役にしかならないんだ。頼まれても、誰もあんたの友達になんてならないんだよ!」
吐き捨ているように言った香織の言葉を聞いた瑞希が目を閉じると、涙が一筋頬を伝った。瑞希はそれを制服の袖で拭うと、目を瞑ったまま大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。そして、静かに目を開くと香織を睨み付けた。
「ふ~ん。何だ。あんたでも、そんな表情出来るんだ」
香織は鼻で笑うと、【影】に進路をあけるように窓際まで下がった。必然的に、瑞希は三匹の【影】に取り囲まれる形となる。
――一番近いのは後ろ……。
瑞希は冷静に、【影】の大体の位置を確認した。香織に言われた事はショックだったが、それをいつまでも引きずっていれば命取りになる。瑞希は【影】の駆除で頭の中をいっぱいにするよう努めた。
真後ろにいた【影】が瑞希の間合いに入る直前、瑞希は太ももにベルトで固定していた警棒を引き抜いた。そして、グリップに付いているボタンを押しながら一振りする。【影】が瑞希の間合いに入った瞬間、警棒に霊力を込め、腰を低く落としてながら振り向きざまに【影】の胴を薙ぎ払った。上下に両断された【影】が一匹、あっけなく光の粒子になる。
狙われているのが瑞希かもしれないと蓮に言われ、瑞希は肌身離さず警棒を持っていようと試行錯誤した。制服を着ている状態で、一番目立たない位置が太ももで、朝からずっとベルトで固定していたのだった。瑞希を狙っている者は時と場所を選ばないタイプらしい事は、焼却炉の件で証明されている。念の為にとやっていた事だったが、功を奏したらしい。
「何? そんなとこに隠してたの? スパイ映画みたいなんだけどぉ!」
香織は目を見開き、驚いたような、呆れたような口調で言った。その間に、瑞希は無言で後ろに下がり、【影】との間合いを取った。
「まあ、いいや。こいつら、いくらでも出せるし」
香織がそう言うと、香織の横に新たな【影】が一匹、出現した。
――前方に三匹。一匹はかなり後ろにいるから、まだ無視しても大丈夫。
冷静に状況を分析している瑞希の前方から、ゆっくりと近付いて来ていた【影】が瑞希の間合いに入った。瞬間、瑞希は警棒を一匹の【影】に振り下ろし、横に身を捻る。紙一重でもう一匹の【影】から伸びた腕を躱すと、瑞希はその腕を警棒で薙ぎ払い、再び大きく間合いを取った。
――あと二匹。確実に数を減らさないとだから……。
「じゃあ、こんなのどう!」
前方から迫っている【影】が瑞希の間合いに入った瞬間、香織の声に反応するように、背後から新たな【影】が出現した。
「くっ!」
瑞希は正面の【影】に苦し紛れに突きを入れ、それをそのまま横に薙ぐ。そして、勢いのまま身体を反転させると、真後ろに出現していた【影】に袈裟懸けに警棒を振るった。
――あと一匹!
「おぉ~! 瑞希ちゃん、すごい、すごい」
そう言って手をたたいた香織の表情は、言葉とは裏腹に冷徹なものだった。
「香織ちゃん。もうやめて」
「やめてって言われてやめるバカはいないから! あははは」
香織は嘲笑すると、次々と新たな【影】出現させた。瑞希が驚愕の表情を浮かべる。そんな瑞希の様子を見て、香織はにんまりと満足そうに笑った。




