6月■日 1
「瑞希ちゃん、おっはよ~!」
香織の元気な声が教室に響き渡った。香織は毎日のように満面の笑みで瑞希に朝の挨拶をしてくれる。自分から積極的に話し掛ける事があまり得意ではない瑞希には、こんなにもありがたい事は無かった。
「香織ちゃん、おはよう」
瑞希が香織に挨拶を返すと、香織は満足そうに瑞希に笑い掛け、別のクラスメイトの元へ挨拶に行った。瑞希は椅子に座り、そんな香織を頬杖をつきながら見つめていた。
昨晩、蓮は香織が廃ビルに行っていると言っていた。はっきりとは言わなかったが、真一を階段から突き落とした犯人も、瑞希を狙っている犯人も香織ではないかと疑っているようだった。瑞希の心境は複雑だった。蓮が本気で瑞希の事を心配してくれていると理解しているだけに。
――もしかして、香織ちゃん、誰かに呼び出されたのかな? クラスの他の子と、肝試しに行ったって可能性もあるし……。でも、それじゃあ【影】が憑いていないのは説明できないし……。あ。でも、体質的に【影】に嫌われる人もいるらしいし……。
「も~! 瑞希ちゃんってば、朝から何暗い顔してるの?」
物思いに耽っていた瑞希の背中を、香織がバシバシと叩いた。
「今度は何を悩んでいるのかな~? また三井先輩の事?」
香織の中では、瑞希が蓮を好きだという事が決定事項になったらしい。自分の席に座った香織は、瑞希の方へ上体を向けると、頬杖をつきながらにやけ顔で瑞希の顔を覗き込んだ。
「……あのね、香織ちゃん」
瑞希は意を決して口を開いた。瑞希の只ならぬ様子に、香織は少し驚いたような顔をしている。
「あのね、駅の近くに心霊写真が撮れる廃ビルあるの、知ってる?」
「へっ?」
香織は間抜けた声をだし、キョトンとした表情で瑞希を見た。全く想像していなかった質問が、瑞希の口から飛び出したからだろう。
「あ、あ~。噂くらいなら知ってるけど。心霊スポットなんて、高校生にもなってバカらしいよね」
そう言って、香織は鼻で笑った。
「行った、事は無いの?」
瑞希は不安そうに香織を見つめながら、恐る恐る質問を続けた。
「え? 無いよ~! 私、そんなの全く興味無いから!」
「そ、そっか……」
――香織ちゃん、嘘ついた……?
瑞希が昨日蓮に見せてもらった写真には、間違いなく香織が写っていた。ビルには行った事が無いという香織の答えとは矛盾する。こんなにも平然と香織が嘘をつくとは思っていなかった瑞希は、ショックを隠し切れないでいた。
「それがどうしたの? 何かあった?」
「あ、えっと……。その……。きょ、今日ね、伊勢先輩と眞鍋先輩と一緒に登校したんだけど、伊勢先輩が廃ビルにまつわる怖い話してきて……。それで、怖くなっちゃって……。あは、あはは……」
瑞希は、怪訝そうに瑞希の顔を覗き込んでいる香織に、誤魔化すように笑った。
「あはははは! 瑞希ちゃんってば、子どもじゃないんだから~!」
「うん。そう、だよね……」
瑞希は弱々しく頷いた。
「そうそう! 幽霊なんて非科学的! いい歳してそんなの信じちゃダメだって! そんな風に素直に信じるから、伊勢先輩にからかわれるんじゃん!」
「う、うん……」
「暗い顔してるから、もっと深刻な悩みなのかと思ったよぉ」
笑みを深めた香織に、瑞希もぎこちないながらも笑みを向けた。
「あ! そろそろ予鈴鳴るね!」
香織は壁掛け時計に目を向けると、そのまま前を向いた。瑞希は暫くの間、その背中を難しい表情で見つめていた。
昼時の食堂の賑やかさが、考え事をする瑞希にはどこか遠く感じる。瑞希はきつねうどんを食べる手を止めた。そして、正面に座って鯖の味噌煮を突っついている香織に視線を向けた。
今日は四人掛けの席をとることが出来た瑞希と香織は、向かい合わせに座りながら昼食を食べていた。幸いな事に、まだ相席のお願いをしてくる生徒はおらず、二人だけで広いスペースを使う事が出来ている。周りの生徒達は、自分達の話に夢中で、周囲に気を配っている者などいるはずもない。
香織が何故嘘をついたのかが気になる瑞希は、午前の授業に集中する事が出来なかった。何か理由があるはずと思い、聞く機会を窺っていたのだが、授業の合間などは短すぎて、聞こうかどうしようか迷っている間に次の授業が始まってしまった。そして、その繰り返しで午前中が終わってしまったのだった。
「あの! あのね、香織ちゃん」
「何? どしたの?」
意を決して口を開いた瑞希を、香織は鯖の味噌煮を食べる手を止め、キョトンとした表情で見つめている。
「あのね、あの……。えっと、その……」
瑞希は何から聞いたら良いのか分からず、泣きそうな顔で俯いた。
「どうしたの、瑞希ちゃん? 今日、ちょっと変だよ?」
香織は笑いながら、俯く瑞希を見つめるも、瑞希は顔を上げられずにいた。なんでもないと誤魔化してしまえれば楽なのだろうが、それでは午前中と何も変わらない。瑞希は唇を噛んだ。
「何か悩み? 深刻なの?」
香織は瑞希に優しく問い掛けるが、その優しい声さえも瑞希を苦しめる。瑞希は無言で小さく頷いた。
「そうだ! 今日の放課後、瑞希ちゃんが時間取れるなら相談に乗るよ?」
「……うん。ありがとう……」
瑞希は小さく頷くと、きつねうどんを食べ始めた。そんな瑞希の様子を見ていた香織の顔に、小さな笑みが浮かんでいた。




