6月◇日 4
瑞希はオレンジジュースを飲みながらラウンジで蓮を待っていた。マロンが帰った後のラウンジは薄暗く、ひっそりと静まり返っている。瑞希が自分から蓮に教えて欲しいと言ったにも関わらず、不安で胸が押しつぶされそうだった。瑞希が何度目になるか分からない深呼吸をした直後、蓮がノートパソコンを小脇に抱えてラウンジに姿を現した。
「あ、あの、オレンジジュースで良いですか?」
「うん。ありがと」
瑞希は蓮の返事を聞き終わらないうちに、厨房の冷蔵庫へ小走りで向かった。そんな瑞希を気に掛けるように、蓮は瑞希の背を見つめていたが、小さく溜め息を吐くとノートパソコンの電源を入れた。
「お待たせしました」
瑞希がジュースを片手に蓮の元へ戻ると、蓮はノートパソコンをインターネットに接続していた。瑞希がつい最近知った事には、寮の中はどこでも無線ランが使用出来るらしい。パソコンを持っていない瑞希はあまり興味が無かったが。
「ねえ、瑞希ちゃん。やっぱりさ、聞くのやめる――」
「教えて下さい」
瑞希は、気遣うように言った蓮にきっぱりとした口調で宣言し、蓮を見据えた。
「でも、僕、出来れば瑞希ちゃんには話したくないし……」
蓮はそういうと、瑞希の視線から逃れるように俯いた。その顔には苦悩の色が滲んでいる。
「私が役立たずだからですか?」
「違う!」
自嘲気味に言った瑞希の言葉を、蓮は強い口調で否定し、顔を上げた。
「違うんだ。そういうんじゃないんだ」
「じゃあ――」
「瑞希ちゃんを傷つける事になるから……。だから話したくないんだ……」
「香織ちゃんの事、ですか?」
「うん……」
「だったら、なおさら教えて下さい」
再び俯いた蓮は、瑞希を説得する事を諦めたのか、大きく溜め息を吐いた。
「分かった。約束だし話す。瑞希ちゃん、学校裏サイトって知ってる?」
顔を上げ、蓮は瑞希に問い掛けた。唐突に投げられた蓮の質問に、瑞希は無言で首を横に振る。
「学校裏サイトっていうのはね、会員制の掲示板――って言っても、うちの学校のは申請すればだいたい会員になれるんだけど。学校に関しての噂とか、愚痴とか、そういう事を書き込むサイトなんだ。携帯とかスマホでも見れるけど、パソコンの方が見やすいから」
蓮は弄っていたパソコンを瑞希にも見やすい位置に移動させた。パソコンの画面には「青嵐学園噂の真相」という白抜きの文字が、青嵐学園のイメージカラーであるブルーの壁紙の上で踊っていた。裏サイトという割に、爽やかな印象を受ける配色だ。
「三井先輩もここに書き込んだりしているんですか?」
「僕はロム専――見ているだけだよ。色々情報を集めるのに便利だから」
瑞希の問いかけに、蓮は苦笑しながら首を横に振った。
「このサイトで、いつも生徒間の噂を集めてるんだ。あの廃ビルもこのサイトで噂になってたんだよ」
「噂って?」
瑞希は首を傾げ、蓮に問い掛けた。
「メインは心霊写真が撮れるって噂かな。あとは、それから派生した怪談話だね。廃ビルの心霊写真って、いくつか写真も載せられているんだけど――」
蓮はパソコンを弄り始めた、その手慣れた操作は、瑞希の目に留まらぬ速さだった。
「あった。これとかよく撮れてるよ」
瑞希が画面を覗き込むと、画面には廃ビルの写真が映し出されていた。少し高い位置から撮られた写真は、隣接するビルの非常階段の踊り場辺りから撮られたものだろう。
「ここの所。よく見ると、うっすらと【影】が写ってるんだ」
瑞希が蓮の指さす一点に目を向けると、蓮が言った通り、【影】らしきものが薄らと写り込んでいた。
「確かによく写っていますね」
これならば心霊写真として噂になるだろうと、瑞希は感心しながら頷いた。
「でね、本題なんだけど……」
蓮は少し言い難そうに口を開いたが、その手は迷う事無くパソコンを操作している。
「これ。投稿日は僕らが初めてあのビルに行った日の三日前」
蓮が示した写真は、先程とは別アングルから撮られたものだった。先程のものよりも建物の中が見やすい。
「これにも【影】が写っているんだけど、本題はこれ。ここの所」
蓮は先程と同じように、パソコンの画面の一点を指さした。促されるように、瑞希は蓮のさす一点へと視線を移す。
「建物の中に女の子が写っているでしょ?」
「本当ですね。うちの学校の制服着てる……」
「このままだと顔、分かり難いから拡大するね」
蓮はそう言うと、画像変換ソフトを立ち上げ、画像を拡大する。そして、見やすいように画像を変換した。
「これ……!」
「そう。えっと、広田香織ちゃんだっけ? 瑞希ちゃんの友達。あの子はあそこに行った事があるんだ。【影】があんなにたくさんいる場所に。普通なら無事じゃないよね?」
「でも、これだけで――」
「そうだね。もしかしたら体質的に【影】を寄せ付けにくい可能性もある。能力者までいかなくても、そういう体質の人、稀にいるからね。でも、能力者という可能性もあるよね?」
反論しようとした瑞希の言葉を、蓮は静かに遮った。瑞希は俯き、唇を噛んだ。香織を疑いたくなどないが、蓮の言っている事も理解出来る。
「だから彼女にはもうあまり関わらない方が良い」
「でも……」
「それに、瑞希ちゃん。君、狙われているんだよ?」
「え?」
蓮の思いがけない発言に瑞希は耳を疑った。瑞希が驚いて顔を上げると、蓮は静かに瑞希を見つめていた。
「今日、病院からの帰り道、【影】が現れたでしょ?」
「でも、私じゃなくて三井先輩が狙われているのかもしれませんよ?」
あの場にいたのは瑞希だけではない。蓮もいたのだから、蓮が狙われている可能性も否定できないはずだ。しかし、蓮は静かに首を横に振った。
「瑞希ちゃんが【影】に狙われたのは今日だけじゃない」
「……もしかして、学校の? 焼却炉ですか?」
あの時、瑞希は独りだった。【影】が誰かを狙っているのなら瑞希以外は考えられない。
「そう。瑞希ちゃんには言った事無かったかな? 学校は市田さんの意向で、訓練が完了していない能力者――特に瑞希ちゃんや真ちゃんみたいに【影】に好かれる子でも安心して通えるように結界を張ってあるんだ。うちの親父が結界を張ったから、効果は折り紙付き。瑞希ちゃんや真ちゃんだけでなく、過去にも数人、同じように【影】に好かれる人がいたらしい。だからね、本来なら学校で【影】に遭遇するなんて事、絶対に無いんだ。あの時は誰かが瑞希ちゃんを狙って【影】を出した」
「【影】を出すって……」
「犯人は慧子ちゃんみたいな能力者だって事だね。ただ、慧子ちゃんと違うのは、お札みたいな道具を使わないって事かな。【影】を駆除した後に何も落ちてなかったし」
「そんな事、出来るんですか?」
「出来る。もちろん、得手不得手はあるから、こういう特殊系の能力って皆が皆、出来る訳では無いけど。でも、確かな事は、学校内にそれが出来る人がいるって事だ」
「……もし、香織ちゃんが能力者だったら、誰か気が付きませんか?」
瑞希の疑問は尤もだった。訓練された能力者には、能力者から流れ出す霊力を感じる事が出来る。駅で裕太と慧子が瑞希を見つけられたように。
「能力を自覚して、隠していれば気が付かないよ。例えば、瑞希ちゃんも、普段は霊力を抑えているんでしょ? 【影】と遭遇しないように。そうやって霊力を抑えている場合、一般の人との区別ってつかないよ」
「でも……」
瑞希は何とか香織の疑いを晴らそうと必死だった。瑞希にとって、香織は掛け替えのない友達だから。
「あの子がビルに行った事がある事実は変わらない。市田さんにも素性を調べるように頼んである」
蓮は瑞希を見据えた。その瞳は真剣そのもので、瑞希の反論を許す余地は無い。
「っ…………」
瑞希は息を飲んで俯いた。そんな瑞希を他所に、蓮はノートパソコンを畳むと立ち上がり、話は終わったとばかりに瑞希に背を向けた。
「ごめん……」
蓮は独り言のようにそう呟くとラウンジを後にした。残された瑞希は俯いたまま、両手をきつく握り締めた。




