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6月◇日 2

 午後の授業が終わり、瑞希は教科書と筆記用具を慌てて鞄に詰めていた。今日も真一のお見舞いに行く事になっている為、玲と蓮が迎えに来ることになっている。一刻も早く病院へ行きたいだろう蓮の事を考えると、無駄に待たせてしまう訳にもいかなかった。


 そうこうしているうちに、瑞希の耳に女生徒の黄色い歓声が届いた。玲と蓮が教室に近づいている事が分かるこの黄色い歓声は、瑞希にとっては大変便利なものだ。


「じゃあ、香織ちゃん。また明日!」


 瑞希は前の席の香織に声を掛けると、鞄を手に慌てて教室の扉へと走った。


「瑞希ちゃん、バイバイ!」


 香織の声に振り返り、瑞希は手を振る。そして教室を飛び出した。


「あ、瑞希さん」


 瑞希が廊下に出ると、驚いたような顔の玲が声を掛けた。丁度、瑞希の教室を覗き込む直前だったようだ。瑞希は玲と蓮に向かって勢いよく頭を下げた。


「お疲れ様です!」


「はい。お疲れ様です。よく、私達が来たのが分かりましたね」


「え、ええ。まあ……」


 あれだけ黄色い歓声が聞こえていれば誰でも分かりますよという言葉を飲み込み、瑞希は曖昧な笑みを浮かべた。


「三井先輩、お疲れ様です」


 玲の隣に佇んでいる蓮に、瑞希はにこやかに声を掛けた。本当は、最初の挨拶は二人に向けて言ったはずだったのだが、蓮が全く反応をしなかった為、瑞希は敢えて蓮の名を呼び、二回目の挨拶をした。


「うん。お疲れ様」


 蓮はそれだけ言うと、疲れたような表情で廊下を歩き出した。


「蓮さん、昨日も一昨日もあまり寝ていないようなんですよね」


 玲は溜め息交じりに、蓮の背中を見つめながら呟いた。


「顔色、悪いですよね……」


 瑞希は頷き、心配そうに蓮の背を見つめた。瑞希の言う通り、蓮の顔色は青白い。目の下にも薄らと隈があった。真一が目を覚ます前に蓮が倒れてしまうのではないかと、瑞希は溜め息を吐いた。


「ふふ。あまり溜め息ばかり吐いていると、幸せが逃げますよ? 真一さんが目を覚ませば、蓮さんもきっと元気になりますから。今は真一さんの回復を信じて待ちましょう」


「はい。そうですよね」


 玲とそんな会話をしながら、瑞希は先に行ってしまった蓮を追うように歩き出した。 




 病院い着いた瑞希、玲、蓮の三人は、ICUの前に立った。今日も看護師に見咎められるのではないかと、内心びくびくしていた瑞希だったが、そんな心配は必要無かった。以前会った恰幅の良い看護師は、にこやかに三人を迎え入れてくれた。他の看護師や医師もあまり気にしていないところを見ると、病院の規則を変えてしまったらしい。


 ICUの外から見る真一は、意識こそ取り戻していないが、数日前より格段に顔色が良くなっていた。体中の包帯や真一と機械を繋げるコード、呼吸器が痛々しい事は依然として変わりはないが。


 真一が目を覚ませば、意識の無い真一を心配する蓮も元気を取り戻すだろう。そして、真一はきっと非常階段から逃げていく人の顔を見ているのだろうから、蓮が必死になって探す必要は無くなる。瑞希は真一の顔を見ながら、心の中で早く目覚めてと呼びかけていた。


「ねえ、喉乾かない? 玲ちゃん、売店で何か買ってきてくれない?」


 突然の蓮の発言に、瑞希は驚いた。普段の蓮なら、率先して動くタイプだからか、玲に売店へ行くように頼むという行動に違和感がある。瑞希が蓮の顔を見上げると、蓮は表情一つ変える事無く、真一の顔を見つめていた。


「分かりました」


 玲は蓮の突然の発言にも驚いた素振りすら見せず、短く返事をすると踵を返した。


「――ねえ、瑞希ちゃん」


 玲の姿が見えなくなった頃、蓮は静かに口を開いた。瑞希に呼び掛けたにも関わらず、その視線は真一へ向けたままだ。


「はい、何でしょう?」


 瑞希は蓮の行動に首を傾げた。普段の蓮ならば、他人と目を合わせずに会話をするなどあり得ない。


「今日、食堂で一緒にいた子って、何て名前?」


「え? 広田香織ちゃん、ですけど……?」


 瑞希は普段と異なる蓮の態度と質問の内容に一抹の不安を覚えた。


「瑞希ちゃんと真ちゃんのクラスメイト、だよね?」


「はい」


 瑞希は短く返事をすると、蓮が話し出すのを待った。しかし、蓮はそれ以上話を続けるつもりはないらしく、黙って真一を見つめている。


「あ、あの! 香織ちゃんが何か?」


 蓮が香織の事を話したくないという事は瑞希にも容易に想像ついた。しかし、友達の名前だけを確かめられて気にならないと言えば嘘になる。


「……彼女には、あまり近づかない方が良いかもしれない」


 蓮は瑞希に向き直り、真剣な表情で言った。その表情には有無を言わせない迫力がある。


「あの、それって――」


「お待たせしました」


 瑞希が蓮の真意を問おう口を開いた時、玲がジュースを手に戻って来た。玲は瑞希に優しく微笑みながらペットボトルを差し出す。


「ありがとうございます」


 瑞希は差し出されたペットボトルを受け取ると、玲に深々と頭を下げた。


「申し訳無いのですが、私はこれから所用がありまして……。蓮さんはもう少しいますよね? 瑞希さんはどうされますか? 蓮さんとこのまま病院に残りますか? それとも、私と寮に戻ります?」


 玲が申し訳なさそうに、ジュースを飲み始めた瑞希と蓮に言った。そして、ちらりとICUに掛かっている時計を見る。


「あ、私はもう少し病院いたいです」


「では、蓮さん。瑞希さんをお願いしても良いですか?」


 瑞希の答えを聞いた玲が蓮に微笑み掛けた。


「あれ? でも、ひとりでの外出は禁止って……」


「ああ、そうでしたね。でも、市田さんに会う予定ですので、連絡すれば大丈夫でしょう」


「でも……」


「大丈夫ですよ。自分の身は自分で守れます」


 瑞希は純粋に玲の事を心配していた。玲に万が一の事があれば目も当てられない。そんな瑞希の心配をよそに、玲は心底困ったような表情をしていた。


「瑞希ちゃん、大丈夫だよ。玲ちゃん、行っていいよ」


 二人のやり取りを聞いていた蓮がそう言うと、玲はホッとしたように息を吐いた。


「すみません。ありがとうございます」


 玲は申し訳なさそうに蓮に礼を言い、廊下を歩いて行ってしまった。瑞希が蓮を見ると、蓮は少し困ったような、何とも言えない表情をしていた。そして、再び視線を真一に戻してしまう。


 黙って真一を見つめる蓮を見ながら、瑞希は香織の事をもう一度聞くべきか一瞬迷った。しかし、蓮には蓮の考えがあっての事なのだろうと、瑞希は小さく溜め息を吐き、目覚める気配の無い真一を蓮と並んで見守っていた。

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