6月□日
次の日、誰もいなくなったラウンジで瑞希は何をするわけでもなく、無為な時間を過ごしていた。真一が急変したという連絡が入るのではないかと思うと部屋でひとりというのも不安で、マロンが帰るまではとりとめのない話をして気を紛らわせていた。マロンが帰ってからも部屋に戻る気にもなれず、何をするわけでもなく、ただひたすらボーっとしていた。
「あれ? 瑞希ちゃん?」
瑞希が声のした方へ目を向けると、驚いたような表情をした蓮がラウンジの入り口に立っていた。
「……まだ寝ないの? いくら明日休みだからって、夜更かしは良くないよ?」
蓮はそう言うと、ぎこちない笑みを浮かべた。いつもの天真爛漫な笑みではない、少し戸惑ったような笑みだった。その笑みを見て、瑞希の胸が締め付けられる。しかし、瑞希はそれを蓮に気取られないよう、精一杯の笑みを浮かべた。
「目が冴えちゃって。三井先輩、ジュースでも飲みます?」
「ん。ありがとう」
「ちょっと待ってて下さいね」
瑞希はそう言うと、蓮に背を向け、薄暗いキッチンへ小走りに向かった。
――私らしく三井先輩に接するって決めたんだから。三井先輩が元気ないからって、私まで落ち込んでちゃダメだよ。
瑞希はそう自分に言い聞かせながら冷蔵庫からリンゴジュースを取り出した。そして、グラスを取ろうと振り返ると、瑞希のすぐ後ろに蓮が立っていた。
「ぅわ! み、三井先輩!」
蓮がすぐ後ろに立っていた事に全く気が付いていなかった瑞希は、思わず手にしていたリンゴジュースを取り落しそうになった。ワタワタとしながらも何とか落とさずに済み、瑞希はホッと安堵の息を吐いた。そして、瑞希はどうしたんだろうと蓮の顔を見上げた。
「三井、先輩……?」
「…………」
薄暗いキッチンで俯いている蓮の表情に違和感を覚えた瑞希は、遠慮がちに蓮の名を呼んだが、蓮からの返事は無かった。佇む蓮は無表情というか、何を考えているのか全く分からない表情をしていた。
「あ。もしかして待ちくたびれちゃいました? すぐに持って行きますからソファで待っていて下さいね」
瑞希は精一杯元気よく言い、蓮に微笑みかけた。しかし、蓮からの返答は無い。
「あの、三井先輩?」
瑞希が再度呼びかけ、訝しげに蓮の顔を覗き込むと、蓮の手が瑞希に伸びた。
――え? えええぇぇぇ!
次の瞬間、瑞希は蓮の腕の中にいた。予想だにしない蓮の行動に、瑞希は思わず心の中で驚きの声を上げた。
「ちょ、ちょっと! 三井先輩!」
混乱した瑞希が何とか蓮の腕から抜け出そうともがくと、蓮の腕に力が入った。
「不安なんだ……。怖いんだ、すごく……」
そう呟いた蓮の声は、消え入りそうな程小さく、震えていた。その声を聞いた瑞希が蓮の腕かの中から抜け出そうとするのを諦めると蓮の腕が少しだけ緩んだ。
「大丈夫ですよ。三井先輩」
瑞希は自分の腕を蓮の背に回し、子どもをあやすように優しく撫でた。
「絶対大丈夫です。真田君、すぐに元気になりますから」
瑞希は出来る限り優しい声色で声を掛けた。自分より背の高い蓮が小さく、儚く感じ、瑞希は優しく優しくその背を撫で続けた。
暫く蓮の背を撫で続けていた瑞希だったが、ふと自分達の姿を客観的に想像してしまい、顔を真っ赤に染めた。誰かに見られたら誤解どころの話ではなくなる。
「あ、あの。み、三井先輩? ジュース、飲みませんか?」
「ん。……ごめん」
瑞希が遠慮がちに蓮に声を掛けると、蓮は瑞希からゆっくりと身体を離した。
「リ、リンゴジュースで良いですか?」
「……ん」
瑞希は蓮が小さく頷いた事を確認すると、グラスに氷とジュースを入れた。ついでに自分のグラスにもジュースを注ぐ。そして、蓮と共にソファに戻った。
蓮の正面にジュースを置いた瑞希は、ジュースを飲みながら蓮の様子をそっと窺った。暗い表情のままだが、蓮が大人しくジュースを飲んでいる事に少しだけ安堵する。
「あのね、瑞希ちゃん」
「は、はいっ!」
唐突に蓮に名を呼ばれ、返事をした瑞希の声は見事なまでに裏返っていた。心なしか、瑞希の頬は薄く色付いたままだ。
「あのね、僕、真ちゃんが階段から落ちた時、二フロア下にいたんだ。その時ね、非常階段から逃げていくような足音を聞いた」
そう言った蓮は、怖いくらい真剣な表情をしていた。元が綺麗な顔立ちをしているだけに、迫力がある。
「それって……」
「真ちゃんはたぶん、誰かに突き落とされた」
「なんで……」
瑞希は呆然と呟いた。ついさっきまでジュースを飲んでいたにも関わらず、口の中がカラカラに渇いてる。蓮に抱きしめられた時と同じくらい心拍数が上がっていた。
「分からない。もしかしたら、真ちゃんを殺すつもりだったのかもしれないし、他に狙いがあるのかもしれない。突き落としたヤツが何を考えていたかなんて、正直どうでもいいんだ。ただ、僕は真ちゃんをあんな目に合わせたヤツを許さない。絶対に見つける」
そう言った蓮の瞳には決意の光が灯っていた。瑞希としては蓮に危険な目にあって欲しくは無い。しかし、その決意に満ちた蓮の目を見つめた瞬間、今の蓮には何を言っても届かない事を悟り、瑞希は俯いて小さく頷いた。
瑞希日記
6月□日
お父さん、お母さん、私はどうしたら良いのでしょうか。三井先輩が危険な事をしようとしているのに、私には止める事が出来ませんでした。私はいつもの天真爛漫な三井先輩が好きです。ああやって思い詰めて、ひとりで何もかも抱え込んで、そんなの三井先輩らしくない。真田君が目を覚ませば、いつもの三井先輩に戻るのでしょうか? 胸が苦しいです。
蓮日記
6月□日(土)
真ちゃんは今日も目を覚まさなかった。お見舞いに行って真ちゃんに会ってきたけど、少しだけ顔色が良くなっている気がした。でも、身動き一つしなかった。
さっき、瑞希ちゃんにラウンジで会った。薄暗いキッチンへ瑞希ちゃんが向かった時、このまま消えてしまうのではないかと急に不安になった。冷蔵庫からジュースを取り出して微笑む瑞希ちゃんがもし幻だったら、そう思うと我慢できなかった。幻じゃないという実感が欲しくて、思わず抱きしめてしまった。瑞希ちゃんは僕の背中を撫でてくれた。とても安心した。華奢な身体なのに、すごく頼もしく感じた。少し元気が出てきたから、早速調べ物をしようと思う。




