6月△日 3
瑞希、玲、蓮の三人は、真一が入院している病院に学校から直行した。マロンが入院に必要な物を寮で用意してくれているのだが、蓮の事を考えると瑞希には一旦寮に戻ろうとは言い出し難かった。
「ちょっと、あなた達!」
真一がいるICUに向かう廊下で呼び止められた三人が振り向くと、そこには恰幅良い中年女性が険しい表情で立っていた。服装からして明らかに看護師なのだが、ぴちぴちのナース服が体のラインを無駄に強調し、白衣の天使とは程遠い容貌をしていた。ナースキャップに黒いラインが入っているところを見ると、師長あたりの役職者らしい事は想像に難くない。
「ここから先、ご家族以外入れませんよ」
「大切な友人のお見舞いなのですが……」
玲が困ったような顔で看護師を見つめた。玲の顔を見た看護師の表情が心なしか緩む。
「た、大切なご友人でも、この先はICUですから。ご、ご家族以外は――」
「僕たち、家族みたいなものなんです」
蓮が泣きそうな声で看護師に訴えかけた。その目には涙が浮かび、いつもの人懐っこい笑顔を封印したその表情は、絵画のように美しい。
「いい、いえ、で、ですから、ご家族以外――」
「ダメ、ですか……?」
慌てだした看護師に、玲も泣きそうな声で問いかけた。寂しそうなその表情は、薄幸の美少年そのものだった。蓮と玲、二人の背後にバラの花が見える気がするのは、勿論瑞希の気のせいなのだが、瑞希は思わず目を擦ってしまった。
「ででで、ですから――」
「どうしても? どうしても?」
蓮の目が涙でウルウルしている。今にも涙が零れ落ちそうだ。
「だだだ、だから――」
「ダメ、なんですか……?」
「どうしても、どうしても? 絶対?」
「う……。き、規則、です……から……」
花を背負った二人に見つめられた看護師は、消え入りそうな声になっていた。瑞希がその顔をよく見ると、目が泳いでいる。
『そこを何とか……。お願いします、お姉さん……』
――お、おねえ……さん……?
瑞希が問題発言をした二人を見ると、深々と頭を下げていた。そして、二人は少しだけ顔を上げ、看護師を上目遣いで見つめた。
「分かりました。特別、許可します」
――変わり身、はやっ!
玲と蓮が声を揃えて言った最後の言葉が決め手になったのか、玲と蓮が好みだったのか、はたまたその両方なのかは分からないが、看護師は目じりを下げ、先程までの厳しい表情がうそのような締りのない顔で許可を出した。様子を見守っていた瑞希は、口をあんぐりと開け、呆れたように三人を見つめた。
「ありがとうございます、お姉さん」
「お姉さん、ありがと~」
玲と蓮に微笑みかけられた看護師は、頬を赤く染め、少女のようにキラキラした目で二人を見つめていた。
――この二人の天職って……。
瑞希には、玲と蓮の将来像が一瞬、垣間見えたような気がした。そう、女性相手にお酒を振る舞う、スーツ姿の二人が。その妄想を振り払うかのように頭を振った瑞希は、先を歩き始めた玲と蓮を慌てて追いかけた。
ICUに寝ている真一をガラス窓の外から見た瑞希は、真一が想像以上に痛々しい姿になっている事に息を飲んだ。真一の頭には包帯が巻かれ、骨折をしていた足は固定されている。顔には擦り傷があるのか大きなガーゼが付けられ、左目の周辺は腫れ上がっていた。口には呼吸器が付けられており、体中から伸びているコードは機械につながれ、機械からは規則正しい音が響いていた。
「一先ず、危険な状況からは脱したらしいけど、もしかしたらこのまま意識が戻らない事もあるかもって……」
「そんな……」
真一を険しい表情で見つめながら言った蓮の言葉に、瑞希は大きな衝撃を受け、表情を曇らせた。
「そんな顔しないで下さい、瑞希さん。真一さんを信じましょう。必ず意識は戻りますよ」
瑞希の肩に手を置いた玲が、瑞希に微笑みかけた。今言葉を発してしまうと感情が高ぶって泣いてしまうと思い、瑞希は黙って頷く事しか出来なかった。気持ちを落ち着ける為、瑞希は数回深呼吸をする。
「あ。やっぱり先に来てたんすね」
唐突に掛けられた声に三人が驚いて振り返ると、裕太と慧子が苦笑しながらこちらに歩いて来ていた。裕太の手には紙袋が握られている。
「ええ。お二人には悪いと思ったんですが……」
「気にしないで下さい。マロンさんから預かった荷物は、先程、看護婦さんにお渡ししておきました」
申し訳なさそうに言った玲に、慧子は笑顔で首を振った。
「そう言えば、ここに来るのに、看護婦さんに何か言われませんでした?」
看護師との先ほどのやり取りを思い出した瑞希は、おずおずと慧子に尋ねた。玲と蓮がいたからこそ問題無くICUに入れたが、裕太なら看護師と口喧嘩をしかねない事が容易に想像出来たからだ。
「え? 何も言われなかったわよ?」
「ああ。そういえば、変な看護婦はいたな。俺らの制服ジッと見て、お友達によろしくって、不気味なくらい上機嫌の看護婦。何かあった?」
慧子の答えに裕太が付け加え、二人で不思議そうに顔を見合わせた。
「あ、何でもないんです。気にしないで下さい!」
瑞希は慌てて首を振った。
――三井先輩と白糸先輩って、病院のルール捻じ曲げたんじゃ……? さっきの人、婦長さん、だよね……?
そんな事を思いながら、瑞希はチラッと玲と蓮の様子を窺った。当の二人は特に気に掛ける風もなく、至って平然としている。
「ホント、変なヤツだな……」
瑞希の様子を見ていた裕太が不思議そうに呟いた。慧子も同意するように小さく頷いている。
「そう言えば、裕太さん、その荷物は?」
「あ、そうだ。マロンからこれ、預かったんす。蓮さんにって」
玲に紙袋を指差され、裕太は思い出したように、手に持っていた紙袋を蓮に掲げて見せた。心当たりが無いのか、蓮は不思議そうに首を傾げた。
「何? 僕、何も頼んでないよ?」
「蓮さん、真一が心配でろくな物食べてないだろうからって、サンドイッチ持たされたんっすよ! 人数分入っているから皆で食べるようにとも言われました」
「天気も良いですし、外のベンチで食べましょうか?」
「僕はいいや。真ちゃんの傍にいるから。皆で行って来て」
蓮は曖昧に笑うと、気遣うように声を掛けた玲に首を振った。
「蓮さんがそんなんでどーすんっすか!」
「そうですよ。しっかりと食事は取って下さい」
その様子を見ていた裕太が苛立ったように声を上げると、慧子がそれに加勢した。そんな一同を、瑞希はハラハラとしながら見守っていた。
「あ、あの――」
「君達、こんな所で何を揉めているんだ? 静かにしていないと追い出されるぞ」
瑞希が口を開きかけた時、突然市田の声が聞こえた。予想もしていなかった人物の声に一同が驚いて振り返ると、市田が苦笑しながらこちらに歩いて来ていた。
「市田さんも真一のお見舞いっすか?」
「ああ、そうだ。で、こんな所で一体何を揉めていたんだ?」
バツが悪そうにしながらも市田に声を掛けた裕太に、市田は再度苦笑しながら問い掛けた。
「蓮先輩が昨日からろくにご飯食べていないだろうからって、マロンさんからサンドイッチを持たされたんです。それで、病院の外に行こうって言ったんですが……。蓮先輩、真一君の傍にいるって動こうとしないものですから、つい……」
「そうか」
事情を説明した慧子に、市田は短く返事をした。そして、顎に手を当て、少し考えるような素振りをした。
「……蓮」
「…………」
ややあって市田が蓮の名を呼ぶが、蓮は返事をせず、悲痛な表情で真一を見つめたままだった。
「蓮? みんなお前を心配しているんだよ?」
市田は返事をしない蓮に再度呼びかけると、優しい声で諭した。緩々と蓮の視線が市田に移る。
「だって、食欲無いし……」
「蓮、食べてきなさい」
消え入りそうな声で答えた蓮に、市田は再度優しい声で諭す。
「でも……」
「蓮?」
「…………」
蓮が無言で、市田の視線から逃れるように下を向く。その様子に市田が溜息を吐いた。
「三井先輩。外、行きましょう」
見かねた瑞希が、笑顔で蓮の手を取って歩き出した。瑞希は蓮に抵抗されるかと思っていたが、蓮は予想に反して大人しく付いて来た。病院に来て、真一の様子を見てからの蓮は、覇気が無くなっている事が瑞希の目から見ても明らかだった。昨日、寮に帰って来てからの蓮の様子といい、瑞希はそんな蓮の様子を見ているのは辛かった。何もしてあげられない事が悔しくて、瑞希は唇を噛んだ。
「あ! 飲み物買わないとですね。私、売店で買ってきますから、皆さんは先に行ってて下さい」
黙って蓮の手を引いていた瑞希だったが、売店の前で立ち止まり、蓮の手を離した。もし、サンドイッチを殆ど食べられなくても、ジュースなら喉を通るかもしれないし、甘いものが好きだからプリンか何か買った方が良いかなと考えつつ、瑞希は蓮の様子をそっと窺った。蓮は俯いたまま、瑞希に合わせて立ち止まっていた。
「おう。俺ら場所取っとくから。ブラックコーヒーよろしく」
「私はカフェオレを」
裕太と慧子はそう言うと、病院のエントランスに向かった。
「三井先輩と白糸先輩も先に行っていて下さい。飲み物、何が良いですか?」
「ひとりで持つには少し多いですから、手伝いますよ?」
玲は瑞希に優しく微笑みかけると、売店に入って行った。蓮は無言で玲の背中を見つめていた。
「三井先輩? 伊勢先輩達と先に行ってて下さい」
瑞希は再度蓮に声を掛けたが、蓮は無言で首を横に振ると、黙って売店へ入って行った。そんな蓮を心配そうに見つめる瑞希だったが、小さく溜め息を吐くと、二人の後を追うように売店に入った。
「瑞希さん、決まりました?」
瑞希がミルクティーを手に取ったところで、玲が瑞希に声を掛けた。
「あ、はい。白糸先輩は?」
「決まりましたよ」
問い掛ける瑞希に、玲は手に持っていたレモンティーを掲げると微笑んだ。
「三井先輩は……」
瑞希が裕太と慧子の飲み物をかごに入れながら売店を見回すと、蓮も手に飲み物を持っていた。
「牛乳にしたんですね」
「うん」
瑞希が蓮に微笑みかけると、蓮は小さく頷いた。
「他に食べられそうな物あったら買いましょう。プリンとか、ゼリーとか――」
「いや、いい。瑞希ちゃん、ありがと」
気遣う瑞希に蓮は小さく笑って首を振った。
「じゃあ、そろそろ行きましょうか? 裕太さん達が首を長くして待っているでしょうから」
玲は瑞希ににっこりと笑い掛けると、颯爽とレジへ向う。瑞希も蓮と共にその後に続いた。
会計を済ませて外に出た瑞希達が辺りを見回すと、三、四人座れそうなベンチが幾つか並んでいるうちの一つに裕太と慧子が並んで座っていた。瑞希達が出てきた事に気が付いた裕太がベンチから立ち上がり、大きく手を振る。
「お待たせしました。伊勢先輩はブラックコーヒーでしたよね?」
瑞希は裕太と慧子が座っているベンチに駆け寄ると、裕太にブラックコーヒーを、慧子にカフェオレを手渡した。
「おう。サンキュ!」
飲み物を受け取った裕太が瑞希に笑い掛けた。黙っていると不良のように見え、第一印象はあまり良くない裕太だったが、笑うと八重歯が見えて雰囲気が一変する。その可愛らしい笑顔にやられた女生徒のファンが、意外なことに多かったりする。それ以上に、男子生徒からの人気の方が高いが――。
「ありがとう。これ、瑞希ちゃんのね」
慧子は瑞希に笑い掛けると、ラップに包まれたフルーツサンドを手渡した。ラップには油性ペンで名前が書かれている。
「ありがとうございます」
瑞希は慧子に礼を言いサンドイッチを受け取ると、二人の持っているサンドイッチに目を向けた。裕太がカツサンド、慧子がツナサンドを手にしている。マロンが各々好みそうな具を用意してくれたらしいと知り、瑞希はマロンの気遣いに感謝した。
「お待たせしました」
「これが玲先輩ので、こっちが蓮先輩のです」
玲と蓮が瑞希より少し遅れて到着すると、慧子はタマゴサンドを玲に、蓮にはサンドイッチの詰め合わせらしい大きな包みを手渡した。
――マロンさんにも三井先輩が何を食べられるか分からなかったのかな? それとも、沢山食べなさいって事かな?
瑞希は、蓮が一際大きな包みを受け取るのを見て、そんな事を考えながら慧子の隣に腰を下ろした。瑞希のすぐ隣のベンチに蓮と玲が腰掛ける。
「んじゃ、いただきます」
全員がサンドイッチを受け取りベンチに腰掛けた事を確認すると、裕太が手を合わせて言った。そして、サンドイッチを美味しそうに頬張る。
『いただきます』
裕太に促されるように全員が声を揃えて言うと、サンドイッチを口にした。
「やっぱ、マロンの飯は美味いな」
「そうね」
裕太と慧子はサンドイッチを頬張りながら満足そうに笑っている。
「本当に、マロンさんの食事はいつも絶品ですね」
玲も二人に同意し、微笑んでいた。
「美味しいですね、三井先輩」
瑞希も微笑みながら蓮に話し掛けると、蓮は数口食べたサンドイッチを手に持ったまま、何かを考え込むように難しい表情をしていた。
「三井先輩、一つくらいはちゃんと食べて下さいよ?」
瑞希が苦笑しながら蓮に再度話し掛けると、蓮はハッと我に返ったかのように瑞希を見た。そして、食べかけのサンドイッチを口に押し込み、流し込むように牛乳を飲む。
「残り、皆で食べて。僕、真ちゃんのところ戻るから」
「あ、ちょっと、三井先輩!」
サンドイッチの残りを瑞希に押し付けるように渡すと、蓮は病院の中に走って戻った。瑞希は後を追おうと腰を浮かせるが、すでに蓮の背中は遠くに見える。
「どう、しましょう……?」
「暫くそっとしておきましょうか。帰る時に呼びに行けば良いですよ。きちんと一個、サンドイッチを食べた訳ですし」
困ったように意見を求めた瑞希に、玲はにこやかに答えた。
「ホント、蓮さんがあんな調子だと、こっちまで調子狂うよな」
頭をバリバリとかき回しながら、裕太が溜め息交じりに言った。
「ぼやかないの。誰だってパートナーが調査中に大怪我したらショック受けるし、責任だって感じるでしょ? それとも裕太は、蓮先輩と同じような立場になっても何も感じないの?」
「……感じる」
「素直でよろしい」
慧子に諌められた裕太がしゅんとする様子を見て、瑞希と玲は顔を見合わせて笑った。




