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6月×日 2

 学校まで戻った瑞希は、廊下を全力で走り抜けた。すれ違った生徒達が、驚いたように瑞希を見ていた。長い髪が乱れ、息が切れるが、そんな事は気にしていられなかった。


――すごく嫌な感じがする。


 教師に出くわしたら確実に怒られる場面だが、幸い教師に出くわす事は無く、瑞希は無事に理事長室に到着した。そして、少し乱暴に扉をノックする。


「どうぞ」


 市田の声が聞こえた事を確認すると、瑞希は理事長室の扉を開いた。


「遅くなって、すみません」


「いや。これで全員揃ったか……」


 理事長室には厳しい表情の市田の他に、玲、裕太、慧子がいた。蓮と真一の姿は無い。


「全員って……。あの、三井先輩と真田君は……?」


 蓮と真一の姿が見えない事に瑞希の不安が大きくなる。裕太と慧子も瑞希と同じ事を考えたのか、不安そうな表情になった。しかし、玲だけは表情を変える事は無く、冷静さを保っていた。もしかしたら、市田から予め話を聞いているのかもしれない。


「その事、なんだが……」


 市田が話しにくそうに口を開いた。


「真一が怪我をした。……件の廃ビルで」


 市田は表情を曇らせ、一つ息を吐いた。


「今、蓮が病院に付き添っている。上月君も先ほど病院へ向かった」


「あの、真田君の容体は……?」


 瑞希は、軽傷だから心配無いという答えを期待していた。しかし、市田からの答えは全く別のものだった。


「階段から転落して、非常に危険な状態だそうだ」


「そんな……」


「瑞希君は真一と同じクラスだから、特に他の生徒から事の詳細を聞かれる事もあるだろう。その時は交通事故という事にしておいて欲しい。他の者も、何か聞かれたら同様に答えるように。それと、真一は我が校の特待生が行っている事を知っている何者かに突き落とされた可能性もある。安全が確認出来るまで、単独での行動は控えて欲しい」


『分かりました』


 玲、裕太、慧子は声を揃えて返事をしたが、瑞希はショックで声を発する事が出来ず、無言で頷いた。


「……玲」


 市田が静かに玲の名を呼んだ。玲は意外とばかりに片眉を上げる。


「何でしょう?」


「……蓮の事を頼む」


「無論です」


 玲はにっこりと笑って答えた。それを見た市田の表情が少しだけ緩む。


「今日はこれで解散だ。皆を送って行きたいところだが、私はこれから職員会議がある。全員、真っ直ぐ寮に帰るように」


 市田は再度厳しい表情に戻り、話を切り上げた。




 寮に戻った瑞希は、ラウンジでひとり夕食を取っていた。あまり食欲が無く、いつもより食べ終わるのに時間が掛かっている。そんな瑞希をマロンが心配そうに見つめていた。瑞希は真一の事を心配する度に食欲が無くなっていく事を感じながら、それでも心配せずにはいられなかった。


「はあ……」


 瑞希が本日何度目になるかわからない溜め息を吐いた時、ラウンジに人が入ってくる気配がした。瑞希が入口へ目を向けると、そこには疲れ切った顔の蓮がいた。


「三井先輩。その、お帰りなさい」


「ん。ただいま」


 返事をした蓮は瑞希にむけて笑みを作ったが、それはいつものような人懐こい笑みではなく、どこかぎこちない笑みだった。


「マロンちゃん、コーヒーちょ~だい」


 蓮はそう言い、マロンのいるカウンターへ向かった。マロンは慣れた手つきでコーヒーを淹れ始める。


「あの、三井先輩。真田君の事、聞きました……」


 瑞希は手に持っていた箸を置き、おずおずと口を開いた。蓮の肩が小さく震える。


「真田君、危険な状態だって……」


 瑞希は下を向いた。蓮はマロンから受け取ったコーヒーに砂糖を大量投入し、瑞希の正面の席に腰掛けた。


「そっか、もうみんなに話したんだね……。真ちゃん、足首開放骨折してて、さっき手術終わったんだ。出血も多かったし、頭も打っていて意識無いし、危険な状態だってお医者さんに言われた。ご両親が到着するまで付き添ってようと思ったんだけど、上月先生に帰されちゃった。意識が戻れば安心らしいんだけど……」


「そう、ですか……」


「こんな事になるなら、ビルの中で別行動なんてするんじゃなかった……」


 蓮はそう言うと、左手で髪の毛を掻き毟った。瑞希はそんな蓮に、何と声を掛けたらよいか分からず、スカートの裾を握った。


「蓮さん、お帰りなさい」


 瑞希が顔を上げ、ラウンジの入り口に目を向けると、玲が静かに佇んでいた。その顔にはいつもの優しげな微笑みが浮かんでいる。


「真一さんは?」


「さっき手術終わった」


 玲の問い掛けに、蓮は視線を合わせずに答えた。


「蓮さんの責任ではないですから。あまり気を落とさずに……」


 蓮の傍に来た玲は、蓮の肩にそっと手を置いた。


「ん。ごめん。僕、もう部屋戻る」


 蓮はそう宣言すると、全く口を付けていないコーヒーカップをマロンに渡しに行った。


「蓮ちゃん、ご飯は?」


「今日は食欲無いからいい」


 マロンは心配そうに蓮に声を掛けたが、蓮は目を合わせようとせず、静かに首を横に振った。


「あ――」


 マロンは何か言いたげに口を開きかけたが、蓮はそんなマロンに背を向けた。今の蓮に何を言っても無駄だと判断したのか、マロンは目を伏せた。心配そうに蓮を見つめる瑞希、玲、マロンを余所に、蓮は無言でラウンジを出て行ってしまった。


「大分参っているようですね。あんな蓮さん、初めて見ました」


「はい……」


 瑞希は玲の呟きに小さく頷いた。


「瑞希さんまでそんな顔していたらダメですよ? ね?」


 瑞希が玲を見上げると、玲は瑞希を元気づけるようににっこりと笑った。


「はい。すみません」


 瑞希は玲に返事をすると、途中になっていた夕食を再開した。しかし、なかなか箸が進まない。


――こんな時、何をしてあげたらいいんだろう……?


 何か話し始めた玲とマロンに気が付かれないよう、瑞希はそっと溜め息を吐いた。

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