5月■日 2
放課後、瑞希がいつも通り鞄に荷物を詰めて帰る準備をしていると、遠くから黄色い歓声が聞こえてきた。初めてこの騒ぎを聞いた時は驚いた瑞希だったが、今ではもう慣れっこである。
「香織ちゃん。じゃあ、また明日ね」
玲と蓮が来た事を察した瑞希は、香織に声を掛け、いそいそと教室を出た。遠目に玲と蓮がやって来ているのが見える。歩いている二人を遠巻きにしながら女子生徒がきゃあきゃあ騒いでいるのもすっかり見慣れた日常風景になった。
「お疲れ様です!」
「はい。お疲れ様です」
二人の元に駆け寄り挨拶をした瑞希に、玲はいつも通り優しく微笑んだ。
「瑞希ちゃんってば、早く僕に会いたいからって走って来なくても良いんだよ~?」
「瑞希さんがセクハラ男に会いたい訳ないでしょう」
「があ~ん」
玲に真顔で冷たくあしらわれ、蓮は打ちひしがれたように項垂れた。飼い主に叱られた大型犬をイメージさせる行動に、瑞希は笑みを漏らした。
「玲君。蓮のヤツ、また何かしたの?」
瑞希の後からゆっくりと歩いて来ていた真一が呆れ顔で言った。
「実は今日の昼休み、真一さんが学食に行った後なんですけどね、蓮さんってば――」
「わ~わ~わ~! あ~あ~あ~!」
「蓮さん、少し黙っていてくれますか?」
玲は静かに言うと、話の邪魔をしようとしていた蓮を真顔で殴り倒した。
「実はね、蓮さんってば、今日瑞希さんに抱き付いたんですよ。後ろから」
玲は幽鬼の如き表情で、廊下に倒れている蓮を冷たく見下ろした。ここが学校ではなく寮であれば、間違いなく蓮の関節を極めている場面なのだろう。
「だから玲君、そんなに怒ってんだ」
そう言った真一の眉間に皺が寄る。そして、玲に殴られて倒れたままの蓮へゆっくりと視線を移すと、容赦なくその背中を踏みつけた。
「ぐぇ……!」
「蓮はすぐ調子に乗るんだから、嫌なら嫌ってちゃんと言えよ」
「う、うん」
蛙が轢かれたような声を上げた蓮の背中を踏みながら呆れ果てた声で言う真一に、瑞希は曖昧に笑うと短く返事をした。
「では、そろそろ理事長室へ行きましょうか」
真一が蓮の背中を容赦無く踏みつけている事に多少満足したのか、玲がにこやかに瑞希に言った。
「理事長室、ですか?」
「今日は市田さんに呼び出されてるんだよ~」
おうむ返しに問う瑞希に、真一に背中を踏まれている蓮が顔だけ上げて陽気に答えた。
「瑞希さんは変態さんと同じ空気は吸いたくないそうですので、蓮さんは来なくて結構です。さ、瑞希さん。こんな変態は放っておいて、我々だけで行きましょうか?」
「しくしくしくしく……」
玲は冷たい目で蓮を一瞥すると、瑞希の手を引いて歩き出した。真一も蓮の背中に乗っていた足をどかすと舌打ちをし、瑞希の後ろを付いて来た。黙って歩を進める玲に付いて行きながらも、瑞希は蓮の様子が気になり、何度か後ろを振り返った。しかし、真一に解放されても尚、蓮は床に突っ伏して泣いていた。
「たまにはいい薬だろ。気にすんな」
瑞希のすぐ後ろを歩いている真一が呆れたように言った。
「でも……」
「気にすんなっつってんだろ」
再度後ろを振り向こうとした瑞希を、真一は強い口調で制止した。瑞希が後ろを振り向こうとする。真一がそれを制止する。そんなやり取りを数回繰り返すうちに、いつの間にか理事長室の前まで到着してしまった。
人前で蓮に抱き付かれた事は恥ずかしかったが、玲も真一もやりすぎではないかと思っている瑞希は純粋に蓮を心配していた。蓮が独りで寮に帰ってしまう前に迎えに行った方が良いのではないかと瑞希が逡巡している間に、玲は瑞希の手をそっと離し、理事長室の扉をノックした。
「どうぞ」
「失礼します」
市田の渋い声が室内から聞こえると、玲はゆっくりと扉を開いた。扉の先には市田の他に、先に到着していた裕太と慧子が待っていた。
「……何で蓮はそんなに暗い顔をしているんだ?」
瑞希が苦笑している市田の言葉に驚いて振り向くと、そこには蓮が背後霊のように立っていた。いつから後ろにいたのかと、瑞希はぎょっとした。蓮の周囲だけ、キノコでも生えそうなほど暗くジメジメしているのは瑞希の気のせい、では無いだろう。
「少々お仕置きをしただけですから。気にしないで下さい」
「そ、そうか……?」
「ええ。で、今日はどのような用件でしょうか?」
市田が蓮を憐みの表情で見つめている事など全く気にせず、玲は市田に用件を話すよう促した。市田は気を取り直すように咳払いを一つする。
「今日は、我が校の近くで新たに噂になっている心霊スポットの調査と、もし【影】がいるようならその駆除を頼みたいと思って皆を呼んだ。というのも、先日の電車事故で亡くなった生徒が、亡くなる当日、そこに行ったらしいという情報を蓮が手に入れてね」
「で、駆除が無事に終われば調査も一区切りですか」
「ああ。君達をあまり危険な目に合わせたくはないんだが、特定現象調査室の職員が現在、他の件に追われていてね。調査だけの予定だったんだが……。申し訳ないが宜しく頼む」
市田は特待生全員に向かって深々と頭を下げた。
「いつもの事ですから気にしないで下さい。その為の特待生なんでしょう?」
そう言った玲は、市田を見つめていつものように微笑んでいた。




