5月■日 1
中間テストから数日が経ったある日、瑞希と香織が昼食を食べる為に食堂へ向かうと、廊下の一角に人だかりが出来ていた。
「香織ちゃん。あれ、なんだろう?」
人だかりを目にした瑞希は、隣を歩く香織に問い掛けてみた。
「朝のショートホームルームで上月先生が言ってた、成績上位者の一覧が張り出されてるんじゃん? 見に行ってみる?」
「うん!」
ザワザワと騒がしい廊下を瑞希と香織が進んでいくと、遠目にも見えるように大きく印刷された成績上位者の一覧が見えた。三箇所に分かれているところを見ると、学年別に分けて張り出しているらしい。一覧の前にはガッツポーズをしている者、落胆の表情を浮かべている者、呆けたように一覧を見つめる者、皆、多彩な表情をしていた。
「瑞希ちゃん。見て見て! 白糸先輩、学年トップだよ!」
香織が真っ先に見に行ったのが三年生の一覧だった事に呆れながらも、瑞希は香織の隣に並んで一覧を見上げた。すると、香織の言った通り一位の欄に玲の名前があった。そして、瑞希が視線を動かして二位の欄を確認すると、そこには蓮の名前もあった。
――うん。三井先輩もちょっと変なところもあるけど、やっぱり頭良いな。
テスト勉強を寮でしていた時の事を思い返してみると、二人が一位と二位なのも頷けた。人に勉強を教える為には、自分も内容を理解していないといけないのは勿論の事、相手にも分かり易いように、例を入れたり噛み砕いたりして説明をしなければならない。言うのは簡単だが、やってみると案外難しい事は瑞希も知っていた。玲と蓮はそれを難なくこなしてしまうのだから、相当頭の回転が速いだろう事は想像に難くない。テスト勉強をしている時は、蓮がアメで玲がムチという絶妙なバランスも取れていた。しかも、期せずしてそうなっていた。テスト勉強をしていた時の事を思い出して、瑞希の顔に小さく笑みが浮かんだ。
「ん? 瑞希ちゃんどうしたの?」
瑞希の顔を見た香織が不思議そうに首を傾げた。
「あのね、三井先輩もやっぱり頭が良かったんだなって思って」
「あ、ホントだ。三井先輩、二位なんだね。白糸先輩の名前しか目に入って無かった」
瑞希が香織と仲良くなってからというもの、香織との会話の大半は玲の話題だった。休み時間は追っかけのような行動をしている香織を瑞希は微笑ましく見ていたし、もし本気で玲の事を好きならば絶対に協力してあげたいと思っていた。しかし、今のところ香織は盲目なファンの域を出ないなと、瑞希は苦笑した。
「委員会の先輩も三井先輩は不思議ちゃんって言ってたけど、頭が悪いとは言ってなかったし。やっぱり特待生って違うね!」
「不思議ちゃんって。玲ちゃん。それって僕、褒められて無いよね……?」
「そうですね。蓮さんの日頃の行いの賜物ではないですか?」
突如、よく聞きなれた声が聞こえ、驚いた瑞希が弾かれたように振り向くと、そこにはしょんぼりとした顔の蓮と、明後日の方向を向いて肩を震わせている玲が立っていた。
「な! え? あ! ど!」
瑞希は驚きのあまり口をパクパクさせた。瑞希の視線を追った香織も驚きのあまり硬直している。
「ん? 瑞希ちゃん、な~に?」
不思議ちゃんと言われたショックから立ち直ったのか、蓮が人懐こい笑みを浮かべて瑞希の顔を覗き込んだ。
「いいいい、いつから、そそ、そこにいたんですか!」
やっとの思いでそう言った瑞希の声は見事なくらい裏返っていた。
「瑞希さん達がここへ歩いて行くのが見えたので、すぐ後ろを付いて来てみました」
ひとしきり笑い終わった玲が、瑞希ににこりと笑いかけた。
「全然気が付かなかった……」
女子生徒から人気の高い、長身で目立つ二人がすぐ後ろから付いて来ているのに全く気が付かなかった事に、瑞希はいくらなんでも注意力散漫だったと項垂れた。よくよく考えてみると、成績上位者一覧の前にたどり着くまでに道を譲るように退いていた生徒が多かった。瑞希が周囲を見渡すと、女子生徒の視線が集まっている。いや、女子生徒だけではなく、男子生徒の視線も集まっていた。
「まあ、僕も玲ちゃんも、瑞希ちゃんに気が付かれないようにって、こっそり付いて来たからね~」
「何でそんな事……」
「無論、瑞希さんの反応が面白いからですよ?」
玲が満面の笑みで答え、その隣では蓮もうんうんと頷いていた。二人の満足そうな表情を見た瑞希の全身を脱力感が駆け巡った。
「お前ら、んなとこで何してんの? てか、広田は何で固まってんの?」
瑞希たちの周りは遠巻きに眺めている生徒が多い為、人口密度はそこまで高くないが、少し離れた所は倍以上の人口密度になっている。その中を、真一は人を掻き分けるようにして進んできていた。
「聞いてよ、真田君! あのね、白糸先輩も三井先輩もヒドイんだよ!」
「何が?」
「この一覧の前に来る間、ずっと私に気が付かれないようにこっそり後ろ付いて来てたの!」
「で?」
「何でそんな事するのか聞いたらね、私の反応が面白いからって白糸先輩が言ったの! ヒドイでしょ!」
瑞希はそう言うと頬を膨らませた。
「てか、それはお前が面白い反応するから悪いんだろ? 慧子さんばりに何が起きても表情変えなければ、からかわれる事も無いだろ。ま、お前はポーカーフェイス苦手そうだから無理か」
真一に鼻で笑われ、瑞希の頬は二倍の大きさに膨らんだ。ついでに鼻の穴も大きくなっているのはご愛嬌だ。
「ところでお前、自分の順位、確認したの?」
瑞希の反応を全く気にする素振りすら見せず、真一は瑞希に尋ねた。
「まだ!」
そう答えた瑞希の頬は尚も膨れたままだ。
「これだから瑞希ちゃんをからかうの止められないんだよね~」
「そうですね」
「…………っ!」
瑞希は無言で蓮と玲を睨んだが、頬が膨らんだままなので大して迫力は無い。その反応を楽しむように蓮と玲は目を細めて笑った。
「先に確認しとけよ……。まあ、おめでとさん」
真一はそう言って膨れている瑞希の肩をポンポンと叩くと学食へ入って行った。
「そういえば、まだ自分たちの学年の成績、確認してなかったね」
硬直から回復した香織が瑞希の隣で苦笑した。
「瑞希ちゃん、行こ!」
香織は瑞希に声を掛けると、一年生の一覧へ走って行った。瑞希も慌ててその後を追い掛ける。
瑞希が一覧の前に到着すると、一足先に成績を確認した香織が瑞希の両肩を掴み、前後に揺さぶった。
「すごいよ! 瑞希ちゃん! すごい!」
そう叫んだ香織はひどく興奮しているのか、若干頬が紅潮していた。
「香織ちゃん。ま、待って、待って……。な、何?」
「真田が一位だし、ほら、あそこ! 瑞希ちゃんの名前!」
前後に揺さぶられた事により、多少目を回して瑞希だったが、黙って香織の指さす方を見た。香織の指は真っ直ぐに十位の欄を指しており、そこには瑞希の名前があった。
「……は?」
順位を確認した瑞希はかなり間抜けた声を出して硬直した。確かにテストの手ごたえはあったが、学年十位に入るなど思ってもみなかった。見間違えではないかと、目を擦ってもう一度確認するが、どうやら見間違えではないらしい。
「真一さんが学年一位ですか。予想通りですかね。おや、瑞希さんが十位。頑張りましたね、瑞希さん。おめでとうございます」
立ち尽くしている瑞希の横に玲が立ち、瑞希に微笑みかけた。
「あ、ありがとうございます……」
放心しながらも、瑞希は反射的にお礼を返した。すると突然、瑞希の背後から誰かが抱き付いてきた。
「瑞希ちゃん、おめでと~! 僕、頑張って教えた甲斐あった~!」
瑞希の耳元で蓮の声が聞こえる。抱き付いているのが蓮だと理解した瞬間、瑞希の顔は茹蛸のように赤くなった。
「あれれ~? 瑞希ちゃん、顔真っ赤。もしかして熱あるの? 僕が看病してあげるから寮、帰る?」
瑞希の耳元で囁かれる蓮の声は、普段よりずっと低く甘い響きがあった。
――ななな、何やってんですかぁぁ!
瑞希は心の中で叫ぶが、予想外の蓮の行動にパニックになっている為か、全く声が出ず、体も動かなかった。
瑞希は制服のブレザーを教室に置いて来た事を激しく後悔した。今日は暑いからと、ブレザーを脱ぎ、上は薄いブラウスと下着が透けないように着ているキャミソールだけだ。瑞希に限らず、今日はほとんどの生徒がブレザーを着ていない。無論、蓮も。薄いブラウス越しに蓮の身体の感触と体温が伝わってきていた。
瑞希が硬直したまま動けずにいると、突然、すぐ近くで鈍い音が響き、後ろから抱き付いていた蓮が崩れ落ちるように離れた。恐る恐る振り向いた瑞希のすぐ後ろで、蓮が目を回して倒れていた。そして、その脇には幽鬼のような表情で佇む玲がいた。状況から判断すると、瑞希の後ろから抱き付いていた蓮を、玲が問答無用で殴り倒したらしい。
「……では瑞希さん、また後で」
目を回している蓮を無言で見つめていた玲は、瑞希の視線に気が付くとにっこりと微笑んだ。そして、蓮の首根っこを掴むと、ずるずると引きずりながら去って行った。玲の進行方向にいた生徒たちが逃げるように道を開けている。
「な、何か……すごいね、あの二人……」
「う、うん……」
ポツリと呟いた香織に瑞希は短く返事をすると、二人が去って行った方を引き攣った表情で見つめていた。




