4月△日 3
瑞希は自室に戻ると、汗を流す為にシャワーを浴びた。広い大浴場を使ってみたいとも思ったが、結局行くのが面倒になってしまった。勿論、自室の浴室も広々としていて不満など無いが、大浴場と聞いて興味を持つのは日本人の性だろう。
シャワーを浴び終わり、部屋着に着替えた瑞希が濡れた髪の毛をドライヤーで乾かしていると、突然玄関のインターホンが鳴った。誰だろうかと、瑞希が慌てて玄関に行き、扉を開くとそこには玲が立っていた。
「瑞希さん、夕食まだとっていませんよね?」
「あ、はい」
「じゃあ、ラウンジへ一緒に来て頂けませんか?」
瑞希がコクンと頷くと、玲はにっこりと満足そうに笑った。
玲の後に続いて瑞希がラウンジに入ると、そこには特待生全員とマロンが待っていた。テーブルの上には豪華な食事が用意されている。
「やっと来たか」
瑞希の姿を見た裕太がニヤッと笑った。目つきは悪いが、八重歯があるせいか、笑った顔は少し可愛らしい印象を受ける。
「初訓練、お疲れ様~! 瑞希ちゃんは僕の隣ね~!」
蓮は隣の椅子をポフポフ叩き、瑞希に手招きをした。
「あの……? これは……?」
状況が全く理解出来ない瑞希は、隣に立っている玲に問いかけた。
「慧子さんの提案で、瑞希さんと真一さんの歓迎会をする事になったんですよ。さ、座りましょうか」
玲はそういうと、そっと瑞希の背中を押した。瑞希は促されるまま蓮の隣に腰掛けた。
「じゃあ、お酒は二十歳になってからだからぁ、ジュースしか無いけど乾杯しましょう」
マロンが満面の笑みでグラスにジュースを注いでいる。
「はい。これ瑞希ちゃんのねぇ」
瑞希がマロンからグラスを受け取ると、蓮が立ち上がった。
「皆さん、グラスは持ちましたか~? じゃあ、新しい仲間が加わった事を祝って、かんぱ~い!」
『かんぱーい!』
蓮の掛け声で全員がグラスを合わせる。瑞希も戸惑いつつグラスを合わせ、ジュースに口を付けた。ひんやりした感覚と甘酸っぱい味が口内に広がり、シャワーを浴びたばかりの身体に染み渡り、その心地良さに瑞希は目を細めた。
「あの、眞鍋先輩。ありがとうございます」
瑞希はこの歓迎会の発案者だという慧子に頭を下げた。歓迎会を開いてもらった経験など無かった瑞希は妙に気恥ずかしく、嬉しくもあった。
「べ、別に私は……。せっかくの週末だし、ちょっと騒ぎたかったの!」
慧子は顔を赤くして瑞希から目を逸らした。慧子が照れている事を理解した瑞希は小さく笑った。
「瑞希ちゃん、お腹空いたでしょ~? これ、美味しいよ」
瑞希が慧子を見て微笑んでいると、隣に座る蓮が瑞希にパスタが乗った皿を手渡した。
「ありがとうございます」
瑞希が皿を受け取ると、蓮は次々に料理を取り分けていく。
「マロンちゃんが作る料理はどれも美味しいから沢山お食べ~。そいで、おっきくおなり~」
「そうよぉ。私の作る料理はどれも美味しいから遠慮せずに、お腹一杯食べるのよぉ! そして大きくなりなさい」
マロンも瑞希に幾つかの料理が乗った皿を手渡した。
「あ、ありがとうございます。でも、身長は十分――」
「あらぁ! 育つのは背だけじゃないわよぉ!」
マロンはそう言いつつ、料理をどんどん取り分けている。
「はい、これもね~!」
「あ、ありがとうございます」
「これも美味しいわよぉ」
「ありがとうございます」
「こっちもどうぞ~!」
「ありがとうございます」
こんなにいっぱい食べられるかなという瑞希の心配をよそに、蓮とマロンが競い合うかのように次々と料理を取り分けていく。あっという間に瑞希の前が料理の乗った皿でいっぱいになった。
「なんかさ、お前さっきから礼しか言ってないよな?」
瑞希が正面の真一を見ると、真一は苦笑していた。確かにそう言われてみればお礼ばかり言っていると、瑞希は頬を赤く染めた。
「真ちゃん! 女の子にはもっと優しくしないとダメでしょ~! 瑞希ちゃんに意地悪言うと僕が許さないよ~!」
「意地悪なんて言ってないだろうが!」
蓮の言葉にすかさず真一が反論した。
「普通に話しかけただけだろ!」
「いや、今の言い方は意地悪だよ~!」
「どこがだよ!」
「全てだよ~!」
「え、あ、あの……」
言い争いを始めた二人に瑞希がオロオロしていると、瑞希の斜め前に座っている玲が笑った。
「大丈夫ですよ、瑞希さん。あの二人はいつもあんな感じですから」
「そうなんですか?」
「ええ、そうなんです。しかし、うるさければ黙らせますが……?」
そう言った玲の目に妖しげな光が灯る。
「え、あ、いえ。賑やかだなって……。何だか仲の良い兄弟のようですね」
「え~! 僕、もっと可愛げのある弟の方がいい!」
「俺はもっとまともな兄貴がいい!」
蓮と真一から不満の声が上がるが、瑞希はこんなやり取りすら兄弟のじゃれ合いみたいだと思い、玲と顔を見合わせて笑った。
歓迎会を兼ねた夕食が終わり、マロンは食器の片づけを、他のメンバーはテレビを見たり、雑談をしたり、ラウンジで思い思いの時間を過ごしていた。瑞希は玲と蓮の正面に座り、ソファ席で食後のお茶を飲んでいた。
「瑞希さん、今日の訓練は如何でしたか?」
玲が瑞希に優しく問いかけた。
「えっと、霊力? のお手本を見せてもらって、それを使う事は習ったんですけど……」
「上手く出来なかったの~?」
俯いた瑞希の顔を蓮が笑顔で覗き込んだ。
「はい……」
「初日から出来るようにはなりませんよ?」
玲も瑞希の顔を覗き込む。
「あの、どうしたら上手く出来るようになるんでしょうか? 市田さんにはイメージをして、意識を集中させるように言われたんですけど……」
「ん~。確かにイメージは重要だよね~。そだ! 座禅でも組んでみる?」
「座禅ですか?」
瑞希が顔を上げて蓮を見ると、蓮はにっこりと瑞希に笑いかけ、お茶を一口飲んだ。
「そう。座禅。霊力を鍛えるのには最適って言われてるよ~?」
蓮はそう言うと、ソファから立ち上がり、床に座った。
「えっとね~、まずこうやって座るでしょ?」
蓮がやってみせたのは、左腿の上に右足を、右腿の上に左足を乗せる結跏趺坐だった。
「ホントは座布団を二枚に折ってその上に座るといいんだけど……」
この座り方から出来そうにないなと、瑞希が蓮の座り方をじっと見ていると、蓮はその視線に気が付いて苦笑した。
「あはは。この座り方がきつかったら、こうして座るんだよ」
蓮は座り方を少し変えた。左足が右腿の上に乗る半跏趺坐、いわゆるあぐらに近い座り方だった。これなら出来るだろうと、瑞希はこくこくと頷いた。
「で、手はこうして組んで」
蓮は右掌を上に向け、その上に左掌を上にして合わせ、親指を軽くつけた。
「肩の力を抜いて、姿勢を正すでしょ? そしたら口を軽く閉じて目線を一メートル位先に落とす」
蓮が姿勢を正した姿は様になっており、瑞希は思わず見とれていた。
「呼吸は鼻からゆっくりとすればおっけ~」
「あとは、体外に放出されている霊力を内側に閉じ込めるようにイメージします。そして、霊力を込めたい部分――瑞希さんは木刀を使うのでしょうから、まずは手からですね、そこに霊力を流し込む事をイメージします」
玲の補足に蓮は満足そうに頷きながら立ち上がった。
「三井先輩、座禅が様になってましたね。皆さん、座禅とか組んでるんですか?」
瑞希が蓮に問いかけると、蓮は瑞希から目を逸らした。蓮の反応に不思議そうに小首を傾げる瑞希に、玲が苦笑交じりに答えた。
「私も蓮さんのお父様や蓮さんに教えてもらってやりましたね。真一さんもね。蓮さんは実家がお寺ですから、昔から座禅は組まされていましたし。私は小さい頃から武道は習っていましたから黙祷はやっていましたけど、座禅での集中はまた一味違うんですよ。ね? 蓮さん」
「っ! 玲ちゃん! 実家が寺だって瑞希ちゃんには言わないでって、昨日言ったのに~!」
蓮が恨めしそうな顔で玲を見た。
「大体、実家が寺って……。僕のイメージが……!」
蓮はブツブツと独り言を言い出した。蓮の周辺だけ心なしかどんより暗い。
「お、お寺が実家ってすごいですね!」
蓮の只ならぬ様子に、瑞希は慌てて叫んだ。
「ホント……?」
蓮が瑞希を見るが、顔がどんよりと暗い。
「えっと……。カ、カッコいいですよ!」
「ホント? ホントにカッコいい? ホントにそう思ってるの?」
蓮は瑞希に疑いの眼差しを向けている。
「将来、お坊さんだよ? ホントにカッコいい?」
「え、ええ……」
「親父に頭も剃られるんだ! それでもカッコいいの?」
蓮はそう言うと、両手で顔を覆い、ワッと泣き真似をした。
一瞬、瑞希の脳裏に坊主頭になった蓮の姿がよぎる。あまりの似合わなさに思わず噴出しそうになる瑞希だったが、寸でのところで何とか堪えた。
「カ、カッコ……いいです……!」
笑いを堪えつつ、瑞希は蓮にフォローを入れた。そんな瑞希と蓮のやり取りを黙って聞いていた玲は、顔を逸らして、肩を震わせている。
「ホント……? ホントにそう思う?」
蓮はジト目で瑞希を見ている。
「は、はいっ……!」
ここで笑ったら蓮は立ち直れなくなるだろう事は瑞希にも容易に想像出来る。瑞希はこみ上げてくる笑いを必死に押さえ込んだ。
――笑っちゃダメ! ガンバレ、私!
瑞希はそんな応援を心の中でしながら暫く蓮と見詰め合い、こみ上げてくる笑いをギリギリのところで堪えていた。すると突然、蓮が満面の笑みでガシッと瑞希の両手を握り締めたかと思うと、その両手をブンブンと上下に振った。蓮の目には感激の涙が浮かんでいる。
「瑞希ちゃんはいい子だ! ホントにいい子だ!」
そう言った蓮の様子を見て、笑いを堪えていた事は何とか誤魔化せたと、瑞希はホッと胸を撫で下ろした。
「ありがとう、瑞希ちゃん。ありがとう!」
瑞希が安心したのも束の間、蓮は瑞希の手を握ったまま、今にもテーブルを乗り越えて抱き付いて来そうな勢いで迫ってきた。瑞希は身体を引くが、ソファの背もたれが邪魔で思うように逃げられない。
「蓮さん。瑞希さんがドン引きしていますけど?」
危機一髪のところで玲が蓮の頭を鷲掴みにし、強引に引き戻しにかかるが、蓮は意地でも瑞希の手は離さないつもりらしく、瑞希の両手は力強く握られたままだった。
「蓮さん、いい加減にしないと、私、本気で怒りますよ?」
玲が口元を笑みの形に歪めると、蓮は渋々瑞希の手を離した。綺麗だが迫力のある玲の笑顔を見た瑞希の背中に、冷汗が一筋流れた。
暫くの間、玲、蓮と共に談笑をしていた瑞希であったが、思っていたよりも肉体的にも精神的にも疲れていたのか、ソファでウトウトし始めた。話し声やテレビの音ですら子守唄に聞こえる。そんな瑞希に誰かがそっと毛布を掛けてくれた。瑞希がゆっくりと目を開くと、蓮がニコニコしながら瑞希の顔を覗き込んでいた。
「あはは。起こしちゃった? ここで寝てると怖いオオカミさんが来るよ?」
「ん……」
小さく身じろぎをし、瑞希は再び目を閉じた。
「あれ? お~い。瑞希ちゃんや~い!」
「…………」
「寝ちゃった……のかな? 玲ちゃん、ど~しよ~?」
「疲れているのでしょうから、暫くそっとしておいては? マロンさんが帰る時に、お願いして部屋まで運んでもらえば良いのではないでしょうか?」
「でも、風邪引いちゃわない? マロンちゃんだって終バス、ギリギリになっちゃうだろうし……」
「そうですねぇ……」
玲は思案顔になった。すると瑞希が目を擦りながらゆっくりと起き上った。このまま寝ていたいという欲望と、部屋に帰って寝なくてはという理性の間で戦っていたが、理性の方が勝ったようだった。
「あ! 起きた! 怖いオオカミさんが来る前に、部屋、帰って寝ようね~」
蓮はニコニコしながら瑞希に言った。瑞希はコクンと頷くと、眠い目を擦りながら立ち上がり、蓮に深々と頭を下げた。
「毛布、ありがとうございます……」
「いえいえ~」
「三井先輩はとっても優しい人……」
「へっ?」
瑞希は眠いせいなのか、何ら脈絡の無い事を呟いた。いや、思っている事を間違えて口に出してしまったという方が正しいのかもしれない。蓮は予想していなかった瑞希の言葉に顔を赤くし、金魚のように口をパクパクとさせていた。
「皆さん、おやすみなさい……」
瑞希は深々と頭を下げると、フラフラとしながらラウンジを後にした。
「蓮さんは優しい人らしいですよ? そんな事面と向かって言われたの、初めてじゃないですか? 良かったですね?」
玲は蓮にそう言うと、顔を逸らして肩を震わせた。
「え……あ、うん……。そうだね……」
蓮は瑞希が歩いて行った方向を暫く呆然と眺めていた。




