4月△日 1
昨晩の夕食後、学校生活に必要な物を渡してくれたマロンに、朝一で理事長室に行くように言われていた瑞希は、玲と一緒に登校し、理事長室まで案内して貰った。私立の学校の理事長室だけあって、豪華なつくりになっているだろう事は、重厚な扉を見ただけで容易に想像出来る。
「白糸先輩、ありがとうございました。まだ学校の中、よく分からないので助かりました」
瑞希が玲に丁重にお礼を言うと、玲は優しく微笑んだ。
「いえいえ、どう致しまして。私はこれで教室に戻りますが、何か困った事があったら、三年八組の教室を気軽に訪ねて下さいね」
そう言って去って行く玲の背中を見送ってから、瑞希は緊張しながら理事長室の扉をノックした。
「どうぞ」
理事長室の中から市田の声が聞こえた事を確認すると、瑞希は扉をゆっくり開いた。瑞希の予想通り、扉を開いた先にある理事長室は豪華なつくりになっていた。重厚な机の奥、入り口の正面に位置する窓辺に市田が立っていた。
「失礼します」
「よく来たね。昨日はあまり時間が取れなくて申し訳なかった。昨晩はちゃんと眠れた?」
市田は瑞希に微笑みかけた。市田の笑顔も玲と同じように人を安心させる効果があるらしく、瑞希の緊張が少し和らいだ。
「はい。よく眠れました」
「それは良かった。あの寮には問題児がいるから少々心配していたんだが」
「ああ、はい……」
瑞希は思わず苦笑した。市田が敢えて誰だと言わなくても蓮の事だろうと容易に想像がつく。
「で、瑞希君。今日の放課後から君の訓練を始める。学校が終わったら動きやすい格好に着替えて、寮の地下の道場に来るように。玲に案内して貰っているよね?」
「はい」
「訓練期間は大体一ヶ月が目安となるから、そのつもりで」
「分かりました」
「あと、特待生である事は隠す必要はない。しかし、特待生になる条件や特定現象調査室、【影】に関しては極秘扱いだ。学校の中では話してはいけないよ?」
「もちろんです」
市田の口調こそ優しかったが真剣な表情をしていた為、瑞希も表情を引き締めて返事をした。
「話は以上だ。そろそろホームルームが始まる時間だ。教室に戻りなさい」
瑞希は市田に頭を下げると廊下に出た。それを待っていたかのように校舎に予鈴が響き渡った。
瑞希が息を切らせながら一年八組というプレートがかかる教室に到着すると同時に本鈴が鳴り、多くの生徒は席についていた。しかし、担任は来ておらず、教室内はざわざわとしている。
瑞希が着席すると、隣の席に真一が頬杖をついて座っていた。昨日は全く気が付かなかったが、同じクラスだったらしい。
「真田君も同じクラスだったんだね」
瑞希が真一に笑いかけると、真一はチラッと横目で瑞希を見たが、すぐに視線を前に戻した。
「ここが俺の席なんだから、そうなんじゃねーの?」
そう答えた真一は不機嫌そうな表情をしていた。
「そ、そう、だよね……」
瑞希は真一の冷たい対応にしょんぼりと項垂れた。
「ちょっと、あんた。いくらなんでもそういう言い方無いんじゃないの? 知り合いなんでしょ? いくらなんでもかわいそうじゃん」
突然、瑞希と真一のやり取りを聞いていた、瑞希の前の席に座っているショートヘアの女子生徒が瑞希に助け舟を出した。小柄な女子生徒だったが、口調や視線には意志の強さが感じられ、堂々とした印象を受ける。睨み付ける女子生徒の事は無視すると決めたらしく、真一は舌打ちをし、返事すら返さなかった。そんな二人を瑞希はぽかーんと眺めていた。
「えっと……?」
「あ、ごめん、ごめん。確か蘇芳さんだったよね? 私、広田香織。よろしく」
瑞希が自分の事を見ている事に気が付いた香織は、苦笑して自己紹介をした。昨日の入学式後にクラスごとのオリエンテーションがあり、そこで一通り自己紹介をしたが、瑞希は大半の生徒の顔と名前が一致していない。それこそ、昨日真一と寮で会っても同じクラスだという事に全く気が付かなかった程に。この女子生徒に関しても、改めて自己紹介され、そんな名前だったかと思い出した。
「あ……。宜しくお願いします」
瑞希が深々と頭を下げると、香織はクスクスと笑った。
「ちょっと、改まりすぎ!」
「あ、ごめんなさい」
「いや、謝る事じゃないんだけど……? ま、いっか」
香織はそう言って瑞希に笑いかけると、担任を待つように前を向いた。
忘れ物をする事も無く、午前の授業は無事に終了した。授業と言っても、教科担当の教諭の自己紹介ばかりで、殆ど授業らしい授業はしていないので、万が一教科書を忘れてもどうにでもなったが――。
昼休み、瑞希は食堂へ昼食を食べに行こうと思ったが、広い校内で迷子にならずに食堂を見つける自信が全く無い。食堂を知っていそうな人物として玲の顔がすぐに思い浮かんだが、玲の教室にこんな事で行くのも迷惑だろうと、途方に暮れていた。
「あ、真田君。食堂ってどこか知ってる……?」
瑞希はおずおずと隣の席の真一に問いかけるが、真一は瑞希の方を見ようともせず、席から立ち上がり教室の出入口へ向かった。真一の不機嫌そうな態度に、瑞希はしゅんとして俯いた。
「何、あいつ。ありえないね~。何、不機嫌そうにしてんだか……。ああいうやつの事は気にしないのが一番だよ!」
教室を出て行く真一の背中を、香織は呆れ果てた顔で見ていた。
「それより食堂でしょ? 一緒に行かない?」
「……いいの?」
瑞希が遠慮がちに香織に問いかけると、香織は満面の笑みを浮かべた。
「いいの、いいの! どうせ私も食堂で食べようと思ってたからさ。ちゃんと場所も調べてあるんだよ? 一緒に行こう!」
「広田さん、ありがとう」
「香織でいいよ」
香織は立ち上がると、瑞希の手を引いて歩き出した。
「ありがとう、えっと、その、香織ちゃん……」
瑞希には今まで特別親しい友人がいなかった。というのも、学校から帰宅すると、毎日、源三の剣術の稽古を受けていたからだ。放課後、同年代の子達が楽しそうに遊んでいる姿を羨ましく思っていたが、稽古自体は嫌いではなく、苦にはならなかった。ただ、友人を名前で呼んだり、一緒に帰ったりという経験は殆ど無い。だからこそ、香織を下の名前で呼ぶ事が無性に照れ臭かった。
「いえいえ~。どういたしまして、瑞希ちゃん」
香織が振り返って瑞希に笑いかけると、瑞希も香織につられるように笑顔を返した。
香織に連れてきてもらった食堂は、瑞希がイメージしていたものとは程遠かった。長いテーブルや沢山の椅子が並んでいるのは想像通りだ。しかし、二人席や四人席等もあり、テーブルと椅子も重厚なつくりになっている。少し変わったつくりのレストランと表現する方がしっくりくるつくりだった。
「すごい……」
瑞希が思わず呟くと、隣で香織が苦笑した。
「つくづく豪華な学校だよね。瑞希ちゃん、こっちっぽいよ!」
香織はたくさんの生徒が並ぶカウンターに、呆けている瑞希を引っ張って行った。
「何にしようかな~?」
香織は鼻歌でも歌いだしそうな雰囲気で掲示されているメニューを見ながら、財布からカードを取り出した。
「それ……」
「ん? ああ、このカード? 学食とか購買とか自販機とか、学校内での支払いに使えるICカードだよ。瑞希ちゃんはまだ持ってないの?」
瑞希が香織のICカードを見つめている事に気が付いた香織は、瑞希に問いかけた。
「これ?」
瑞希は自分の財布からおずおずとICカードを取り出した。昨日の夕食後、教科書などと一緒にマロンから渡された。校内での支払いはこのカードを使う事と教えてもらったが、香織が持っているものとは若干色が違う。
「それそれ! このカードって、確か限度額で色が分かれてて、校内で支払った金額を月末に一括引き落としするんだって! 便利だよね~。学校に来るだけなら現金は必要ないんだよ」
「そう、なんだ……」
特待生になる条件に学食無料などの経済援助という項目があった事を思い出し、瑞希はこういう事だったのかと妙に納得した。現金を渡されてしまうと恐縮してしまうが、カードを使って必要な物を購買で買う事にさほど抵抗は無い。
「瑞希ちゃん、決まった?」
「え……?」
気が付くと、もう少しで瑞希の順番になるところだった。瑞希が慌てて学食のメニューに目を通すと、メニューの中にはどんな食べ物か分からないものが幾つかあった。しかし、意外と庶民的なメニューもある。今日は和食にしようかなと考えつつ、瑞希はワクワクしながら自分の順番が来るのを待った。
今日は香織が親切にしてくれたお蔭で不自由なく過ごすことが出来た。香織に感謝しながら瑞希がいそいそと教科書などの荷物をかばんに詰めていると、香織が瑞希の方へ振り返った。
「瑞希ちゃん! 今日暇だったら、これから遊びに行かない?」
「ごめんなさい。放課後はちょっと……」
満面の笑みの香織に、瑞希は荷物を詰め込む作業を中断し、申し訳なさそうに答えた。
「そっか~。もしかして、瑞希ちゃん、門限とかあるの?」
「うん。そんなとこかな……?」
瑞希が俯いて答えると、香織は残念そうに肩を竦めてみせた。
「じゃあ、しょうがないか」
「ごめんなさい……」
瑞希は再度香織に謝ると、慌てて帰りの支度を再開した。黙々と荷物を鞄に詰め込んでいると、遠くの方で女子生徒がキャアキャアと騒いでいる声が聞こえたような気がした。瑞希は首を傾げながらも忘れ物が無いか、机の中を確認し、顔を上げた。すると、女子生徒のはしゃぐ声がだんだんと近づいてきている。瑞希は訝しく思いつつ眉をひそめるが、気にしないことに決め、机の上に出ているペンケースを手に取った。
「瑞希ちゃ~ん!」
瑞希が最後にペンケースを入れ、鞄を閉めた時、教室の後方から瑞希を呼ぶ声が聞こえた。瑞希が驚いて振り向くと、蓮が満面の笑みで手を振っている。その隣には玲もいた。目立つ二人組だ。もしかしなくても、さっきの黄色い歓声はこの二人が原因だろうなと瑞希は苦笑した。すると、教室の至る所からひそひそと囁き合う声が聞こえてきた。その大半が、玲や蓮を見た女子生徒が「かっこいい」などと言い合っているようだった。そして、蓮に大声で名前を呼ばれた瑞希の事を囁き合っている声も聞こえる。自分が少なからず注目されていることに気が付いた瑞希は、鞄を胸に抱くように持ち、小走りで出入口に立っている玲と蓮の元へ向かった。
「迎えに来たよ~!」
そう言うと蓮は瑞希に笑いかけた。無邪気な蓮の笑顔に、瑞希はしっぽを盛大に振る大型犬を連想して微笑した。
「帰るぞ」
突然後ろからかかった声に驚いて瑞希が振り向くと、いつの間にか真一が後ろに立っていた。真一は無表情でチラッと瑞希を見ると、スタスタと歩き出した。玲と蓮も真一の後を追うように歩き出す。
「瑞希ちゃん、また明日ね~!」
瑞希が振り向くと、香織が手を振っていた。
「香織ちゃん、さようなら」
瑞希はぺこりと香織にお辞儀をすると、慌てて三人の後を追いかけた。香織はそんな瑞希を見て笑っていた。
三人と一緒に廊下を歩いていると周囲からの視線が突き刺さるように感じる。特に女子生徒の視線が痛い。しかし、せっかく迎えに来てくれた玲や蓮の事を思うと、瑞希は独りで帰るとはとても言い出せず、俯きながら玲の隣を歩いていた。
「瑞希さん。お友達、できました?」
隣を歩いていた玲が微笑んで、俯く瑞希に優しく問いかけた。香織の事は友達と呼んでも良いのかと瑞希が答えあぐねていると、前を歩いていた蓮が振り向いた。
「玲ちゃん。今の発言、心配性のお父さんみたいだよ~?」
玲を見て、笑いながら蓮が茶化す。そんな蓮に玲はにっこりと微笑んだが、よく見ると目が笑っておらず、それに気が付いた蓮の笑顔が引きつった。不穏な気配を察知したのか、真一が呆れたような表情で振り返った。
「広田っていうお節介が、いろいろ世話焼いてた。蓮、いい加減学習しろよ……」
「そうでしたか。瑞希さん、早くお友達になれると良いですね」
玲に笑いかけられ、瑞希は小さく頷いた。
「ところで、真ちゃん。人の事、お節介とか言ってるけど、瑞希ちゃんが困ってても助けようとしなかったんじゃないの~? それでさ~、見かねた親切な子が助けてくれたとかなんじゃないの~?」
蓮がまるで今日一日を見ていたかのように適切に指摘すると、真一は急に歩く速度を上げ、先に行ってしまった。
「そう、なんですか?」
玲は微笑みながら瑞希に問いかけた。しかし、その目は笑っていない。真一が先に行った理由がなんとなく分かった瑞希は、曖昧に笑って誤魔化す事にした。




