〜また、君と逢う日まで〜
これで、いちおう最後となります。世界観が特殊なので、この作品を通して少しずつ明かされていきます。
「――いったい、どうやって……」
予想外の展開に、私は冷静な判断力を失いつつあった。
人間が猫に変身する――そんなことは、たとえ魔術士であっても不可能だ。仮に人類の突然変異種が現れたとしたなら可能性として否定できないが、すでに理解の範疇を超えてしまっている現象に答えなど見つかるはずもない。
「クスクス。英雄さん、能力の説明を相手に求めちゃいけないよ。そんなに親切な人、あなたが体験した戦場にいたのかな?」
痛いところを指摘され、私は黙ることしかできない。
だが、彼女の言葉はもっともだ。自分の能力を相手に教えるバカはいない。
それは、彼女が墓まで持っていかなければならない秘匿である。もしも知られたら、その相手が彼女の手によって墓に逝かなければならない。
「――いい顔、してるよ」
その程度のことまで気が至らなかった私をバカにしたのか。
私は睨み付けるように彼女を見上げた。
「ああ、違う違う。今のはね、別にあなたをバカにしたわけじゃないのよ。
そうね、強いて言うなら――今の力量がそのまま顔に出てるって言いたいの。
思い上がらず、虚勢もしない。
うん。そういう素直な心の持ち主って、すごくステキよ」
彼女に褒められ、心のどこかで嬉しがる自分が情けなかった。
女狐、と織田は言った。だが、それは私にとって遅い警告だった。この心は、すでに彼女の虜となりつつある。
――と、そこでようやく気がついた。私が別の盗賊に気を取られている間、彼はなぜ姿を現さなかったのか。
「トリックスター……君は、織田に何かしたのか」
努めて冷静に、私は質問する。
逆に、彼女はこれまでとはうってかわって、苦々しい表情を見せた。
「ああ〜……オっちゃんね。
だってだって、アイツ私に会うなり、いきなり抱き殺そうとするんだもん。後で一発ぶん殴ってやんないと気が済まないわよっ」
思わず見せた彼女の無邪気な仕草に、私は今まで力み過ぎていた肩の力が抜けたのを感じた。
しかし、織田が彼女を抱き殺そうとしたのはいかがなものか――って、そうか。
確か彼女は一度、変身した子猫の姿で私たちの前に現れている。あの時は織田が抱き上げたが、そう言われるとあの子猫は異常なほど嫌がっていたな。
「うう〜、思い出したらオっちゃんの臭いが……あの汗の臭いが……」
それは、彼女にとってよほど辛い経験だったのだろう。
瞳を閉じて手で額を覆い、さも熱があるかのように震えている。
こう見ると、やはり彼女は外見の年頃――恐らくは18、9の少女なんだな、と場違いな思いを抱いてしまっていた。
「――君にも、苦手なものがあったんだね」
「そりゃあ、私だって人間よ? まあ、私を追いかける“使徒”は、私のことを“魔人”って呼ぶけどね〜」
笑いながら、とんでもなく恐ろしいことをさらっと言ってのけたトリックスター。
彼女の言葉の意味がわからない人たちのために、ちゃんと説明をしておこう。 そもそも“魔女狩り”によって人々から隠れなければならなくなった魔術士たちは、多くのルールを独自に考案した。自分の身を守るため、間違っても人々にバレぬように。
ゆえに、魔術士たちは自分たちだけの組織を作り上げた。簡単に言えば、科学者の研究所兼養成所みたいなところか。今では全世界に拡大し、多くの魔術士たちが“魔導協会”に在籍している。
在籍していない魔術士たちも、基本的なルールは協会の“調停者”によって教育される。だが、それ以上は本人の自由意思を最優先とし、魔術を忘れて日常を過ごす者もいる。
基本的なルールは幾つかあるが、その中でもまず第一に教えられるのが“徹底した秘密主義”――不用心に魔術を使って正体を晒すな、ということだ。
仮にこのルールが破られ、世間に正体を晒し、その地域の大問題として発展した場合、協会側から派遣されるのが“執行者”である。
彼らは、ルールを破った者が故意か事故かにかかわらず実力をもってこれを排除し、その地域の治安を回復する。その行動内容は概ね執行者の任意とされるが、基本的な排除は抹殺だ。
この執行者たちの中でも、精鋭中の精鋭と呼ばれる実力者たちが“使徒”である。
その実力は協会の中でも間違いなく最強クラスであり、私の実力とほぼ同じか、あるいはそれ以上の超人性を誇っている。
つまり、使徒に追われるということは、協会側からすれば最大級の抹殺勧告である。それを涼しげな顔で、トリックスターは吐き捨てたのだ。
「ヒドいと思わない? 私なんかどこからどう見ても、か弱い女の子なのに。魔人だの化物だの、言いたい放題よアイツら」
だが、彼女の言葉にはさらなる意味が隠されていた。
“魔人”――長い時代を生き抜いた人間が、その時の流れとともにある種の神秘性を身に纏うことで“人類”というカテゴリーから外される、世界による修正の称号。
彼女は、その魔人の一人だという。ならば、彼女は本当に2000年もの時代を生きてきた盗賊だというのか。
「――君は、いったい、何者なんだ……?」
脳裏に浮かんだ疑問は、ほとんど無意識のうちに口から躍り出た。
私の言葉を聞いた彼女は、ふと気付いたように。
「――ああ。そういえば、私はまだ名前を言ってなかったわね」
極上の微笑みを浮かべながら。
「私の名前はクリスティーヌ・ルパン。
“超魔十二神将”《アンノウン・ナンバーズ》の一人にして序列9位の“快傑盗賊”よ」
――静かに。
禁断の名を口にしたのだった。
“超魔十二神将”《アンノウン・ナンバーズ》
その名を聞いた瞬間、私に髪が逆立つほどの戦慄が走った。
世界に12人しかいない、最凶にして最悪の超人魔人怪物たち。
人でありながら、人の身で殺すことは不可能と言われた絶対者。
まぐれにも勝てぬ、人の域を凌駕した魔力を持つ不死の超越者。
その中の一人――序列9位に彼女、クリスティーヌ・ルパンがいるという。
私は戻ってきた恐怖を全力で抑えつけ、聖剣を胸に構えたまま、彼女に問い掛ける。
「――超魔十二神将……あの化物たちの仲間だというのか?」
「仲間? ヴィルっち、面白いこと言うのね。
あのね、超魔十二神将っていうのは単なる称号みたいなものよ。私だって、過去に戦った相手が偶然にも序列9位の前任者だっただけで、固執してるわけじゃないし。
それにアイツらの中じゃあ、一番まともな人間のつもりよ?」
超魔十二神将なら、猫に化けることも決して不可能じゃない。死者を操る序列7位に比べれば、実に可愛らしいとさえ思える。
逆に、序列9位ならなんとか奮戦できるのではないか――そんな一抹の希望さえ沸き立つ。上位3名は“魔法”を操る“魔導師”でさえも容易に手が出せない存在と言われているが、聖剣を持つ私なら、彼女を倒すことも不可能ではないように思えてくる。
「――うん? もしかして、殺る気満々ってやつ?」
そんな私の殺気を見抜いたのか、クリスティーヌは微笑みを絶やさずに言葉を繋いだ。
「――いいねいいね。心地イイよ、その殺気。うん、さすが英雄さん。
…………でもね――」
空気が、一変する。
これは、決して喩えではない。
背筋を、耐えようのない悪寒が支配する。
全身から、身が凍るのではないかと思うほどに冷たい汗が、一斉に噴き出す。
今まで体感したことのない、地下室を満たす殺意の嵐に、私は蛇に睨まれた蛙のように金縛りにあって。
いつの間に移動したのか。
耳に生温かな吐息が感じられるほどに近くから、官能の中枢をくすぐる音域の囁きを最後に。
「――あなたの剣は、まだ、届かないわ」
首筋に叩き付けられた衝撃と同時に、私の意識は深い眠りへとついたのだった。 気がついたのは、それから数日後の朝だった。
部下からの報告と照らし合わせた彼女の侵入経路は、恐らく以下の通りだろう。
彼女は、私が仕掛けたロビーの魔術結界に気付いていた。
それゆえに一番柔軟性の高く、そして発見されても目立ちにくい子猫の姿を選んだ。
しかし、それだけでは安全とは言えない。他にもルビーを狙う盗賊がいたからだ。
そのため彼女は、この別の盗賊を利用した、とは考えられまいか。例えば、その別の盗賊が侵入しやすい経路を予め作っておく。猫の姿で気配を消せば、人間はまず感知しにくい。ましてや暗闇に紛れたなら、警備兵を難なく始末できただろう。
そしてロビーに辿り着いた盗賊が、私の罠に引っ掛かる。それと同時に彼女は地下室へ移動。私の契錠魔術を逆探知侵入し、破壊。私と警備兵がロビーに到着したのは、盗賊が罠にかかってから一分後――つまり、彼女は私たちと盗賊を一度に足止めしたのである。
華麗、大胆、ミステリアス――もはや言葉もない。
ちなみに、ルビーは私の手に握らされていた。織田も裏庭で倒れているところを発見、また彼女の後を追ったという。
トリックスター――いや、クリスティーヌがなぜルビーを残したのかはわからない。しかし私が気絶した後、彼女はロビーに待機していた警備兵と鉢合わせ、辛くも逃げ延びたという。
――だが、正確には違うか。恐らく彼女は、わざと警備兵たちに姿を見せたのだ。女王陛下に提出した報告書の通り、彼女は地下室で私と遭遇し、そのルビーを盗むことができずに警備兵に見つかって混戦。あわや逃亡――それが、彼女が残した筋書きなのだろう。
「――クリスティーヌ・ルパン……」
屋敷の窓から見える青空へ、想い人の名を密かに口にする。
もっと彼女と話したい。
もっと彼女を知りたい。 彼女の髪がなびく紅い夜から。
私はトリックスターに初めて苦汁を舐めさせた英雄として、さらにエーゼルヴァイン家の地位を固めている。
もはや、女王の信頼は揺るぎないほどだ。
「――今度は、私が君に会いに行こう」
しかし、私の心は別にあった。
私の心を盗んだ、怪盗の存在。
「――私が、君に相応しい男となる」
それから300年後の未来、私たちは再び対面することになるのだが、それはまた、別の話である。 ヴィルヘルムに手刀を叩き付け、私は胸元から“星”を取り出す。
アン女王の至宝――“プリンセス・ルビー・オブ・ザ・スター”
地球が長い時をかけて生み出した、奇跡の宝石。
しかしこれには、膨大な魔力が込められている。
その貯蔵量はAクラス。実にマスタークラスの魔術士が持つ魔力量に匹敵する。
一般の魔術士にしては、喉から手が出るほど欲しい代物だ。
もちろん、私も例外じゃない。
“彼”との決戦時には、使い捨ての魔術器になるはず――だった。
「――最初に見た時は、完璧だと思ったんだけどね〜」
触れてみて、初めて気付いた。
この宝石は、魔力を貯めることはできても、放出することができないのだ。
つまり、使い捨ての道具にもならない、できそこない。
ただ、内に込められた魔力を、術者が取り込むだけの道具。
「魔力回復専用の魔術器――ンなもんいらないっつうの」
まったく、何のためにここにきたんだか。
道化どころか、笑い話にもなりゃしない。
悔しいのでそのまま持って帰ろうとしたけど、隠れ家にはB級グッズがどんどん溜まっていることに気付いた。
「…………うん。ヴィルっちに話し相手になってもらって、ちょっとはスッキリしたし。
まあ、返してあげてもいっか」
なんて優しい私。
気絶したヴィルっちの手にルビーを握らせ、どうせならヴィルっちが手柄になるような逃げ方を考えてみる。
「警備兵のみんなと遊んでから、ちょっとだけロビーを壊して……ああ、でも、そうなるとヴィルっちが困っちゃうのかな?」
やるからには完璧に。
きっと私、いい奥さんになるかも。
意外と尽くしちゃうタイプだしね〜。
なんて言ってると、悪い男にコロっと騙されたりして。
「――っつうか、もう騙されてるんだけどさ」
よし、計画は出来上がり。
それじゃあ華麗に大胆に始めましょう。
「こんなサービス、二度とないんだからね」
そうして地下室を出る。
ロビーにはきっと、何百という警備兵がいるだろう。
彼らを傷つけずに遊んであげて、さようなら。
「――じゃあね、英雄さん」
そうして、私の人生初めての失敗の日。
けれど気にすることもなく、私は博物館を後にした。
自分で言うのもなんだけど、私は世界で一番の盗賊だ。
どんなものでも華麗に大胆に、そして完璧に盗んであげる。
繊細に試行錯誤する計画を立てて、世界が驚くミステリアスな演出を欠かさない。
私は計画を練るたびに、まだ見ぬ宝物に恋をする。
そんな私が、あるモノを盗まれた。
事前に築き上げた計画は見事に木っ端微塵。
ぐうの音も出ないほど、私はあっさりと敗北した。
あれは、古の聖人が死んだ、運命の日。
彼の聖遺物を盗もうとした、星降る夜。
そこに“彼”がいた。
いつも通り邪魔者を排除しようとした私を、まるで意に介さずに片手だけで一蹴した、圧倒的すぎる実力差。
けれど、あの表情は、今でも覚えている。
笑っているような。
泣いているような。
彼の心で凄まじい慟哭が暴れているのが、わかった。
まるで、見ているこっちが痛くなる、その表情。
まるで、見ているこっちが辛くなる、その表情。
――もう見たくない。
私は、逃げなければ殺される状況にありながら、そう思った。
彼が、あんなにも寂しげにしている表情を。
その紅い瞳は、私に一瞥もなく、横を通り過ぎていく。
その日から、私は決意した。
「――盗られたモノを、盗り返してやる」
彼を倒すために。
彼の心を盗むために。
だから私は、今日も元気に盗賊稼業を続けている。
いつの日か、彼を倒す実力を、つけるまで。
“超魔十二神将”序列1位にして“世界最強”の存在。
「――まだまだ先は長そうだよ、“魔王”さん」
「……ぬぅぅ。どこに行きおった、女狐め」
眼下でキョロキョロ辺りを見回すオっちゃんを眺めながら、私は今日も次の恋人に会いに行くのだった。
ご愛読、ありがとうございました。いかがでしたでしょうか?これを機に、また私の作品を見ていただけると嬉しいです。それでは、また次回の作品でお逢いしましょう!