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ずぶ濡れの死神にまつわる物語

死神と年老いた魔術師

作者: 方舟

 自殺だったんですって、と誰かが言った。


 事故だったんですってよ、と誰かが言った。


 黒い服を着こんでモノクロの世界を演出している参列者たちは、皆一様に首をかしげ、そして何か恐ろしい儀式にでも参加しているような面持ちでじっと遺影を見つめていた。


 そこに映っているのは年若い男。

 一分の隙もなく三つ揃えのスーツを着込み、素晴らしく作り物めいた笑顔で参列者を睥睨するその遺影を見れば、誰もがその奇妙すぎる儀式に首をかしげながらも、蛇に睨まれた蛙よろしく、肩をせばめ、顔を寄せ合って、まるで祭壇の下に祀られている者が耳をそばだてているのではと思うほどに、怯えた顔でひそひそと話し合うしかないのだった。


 祭壇の上には遺影。中央には位牌。


 祭壇の下には、小さな石ころが一つだけ。


 遺体はないのだ、と誰かが言った。そう、そこにあるべきものが、確かに無くなっていた。

 そのうえ、遺影を見た弔問客は、誰もが首をかしげて受付に声を掛ける。私は、誰それの葬儀に参列しに来たのだが、ここで間違いはなかっただろうか。


 ことごとく、間違いありません、と答えられ、首をかしげながら香典を差し出し、名前を記帳する。そう、遺影は弔問客の誰もが、当然飾られている物として疑問にも抱いた事のない写真とは、全く趣の異なるものが掛けられていたのであった。

 もっと端的にいえば、若々しすぎるのだ。


 この度彼岸へ渡った故人は、すでに90を軽く超えた老人である。往年の彼を見た者の中には、そのあまりの弱弱しさに、思わず侮蔑にも似た感覚を覚えたという者もいたものである。だからこそ、若々しい彼の写真が遺影として飾られているという異様なこの光景、その上、祭壇の下に祀られている筈の遺体が無く、その場に石ころ一つが大事そうに置かれているというこの状況は、異様を通り越し、既に葬儀という定義を越えているのではないかと、弔問客を不安にさせていた。




 ……その中にあって、一人落ち着いている者がいる。


 彼は他の弔問客と同じく黒い服に身を包み、しっとりと湿っているような黒い髪を後ろで束ねて、そっと焼香台の前に立つと、他の者たちと同じように儀礼を済ませ、そのまま会場を後にする。そして会場のゴミ捨て場までやってくると、小さな声で呟いた。


「これでよかったか」

「ああ、よかったとも」


 答えたのは、遺影に映った男と瓜二つであった。


「いや、一日だけ若返るというのはとても楽しいなぁ。まあ、自分の葬式を見るというのも乙だった」


 かれはにっと笑うと、肩をまわす。それからため息をついて額に手をやった彼を覗き込んだ。


「なんだ? 言いたい事でもあるのか?」

「……酔狂だ」


 暫く黙りこんだ後、彼はぼそりと呟いた。先ほどまで照明の関係で濡れているように見えているのかと思われた髪が、今はぐっしょりと濡れている。雨も降っていないし、そもそも彼は室内から一歩も外へ出ていないのに、この状況は少しばかり、男と同様異様な印象を与えた。

 だか男は気にしていない。三つ揃えのスーツをぴしりと着こなしたまま、楽しげにくつくつと肩を震わせて笑った。


「あと1ヶ月生きられると言っていたのに、一日で使い果たす事が酔狂だと?」

「酔狂だろうが。いくら死神でも理解できない」


 自らを死神と名乗った彼は、不審そうに男を見つめた。男はふと、その若々しい顔には不釣り合いなほど何かを悟った表情をして、小さく言葉を舌に乗せる。ともすれば聞き逃しそうなそれに、死神は耳をそばだてた。


「1ヶ月でやり残したことを消化するか? 90年も生きてきたんだ、大抵の事はやりつくしたさ。確かにやり残したと思える事は少なからずあるが、それでも言いだしゃキリが無い。それよりも最後の最後で皆を吃驚仰天させることの方がよほど有意義だ。違うか?」

「だから長年研究してきた『若返りの法』を使って、残り1ヶ月分の生命力を全部一日につぎ込み、一日だけ若返って皆を吃驚させたかったと? 悪趣味だ。それに言っておくが、吃驚というよりはむしろ、怯えてたぞ、弔問客達」


 やれやれ、面白みのない奴らばかりだ、とどこか楽しげに男は応えた。面白みや遊び心に命を掛ける男の性格は、どうにも人生を太く短くしたがるようだ。死神は深くため息をついた。


「魔術師は年老いても、やっぱり子供か」

「まてまて、魔術師だけではないぞ。男はいつだって、誰だって、子供なのさ」


 悪戯っぽくウィンクした男に、同じ男の姿をした死神は理解できん、とぼやいてみせた。


「面白みのない奴」

「死が面白くてたまるか。……幕切れだ、魔術師」


 手を差し出した死神に、男は芝居がかった一例をすると、自分のボタンを引きちぎってそれをバラに変えた。手渡された直後、死神の濡れた手のひらでしおれていくそれを見ながら、ふう、と寂しげにため息をつく。


「幕が下りれば、現実か。なるほど確かに面白みがない」


 男は黙りこんだ死神の傍を通り抜けると、照明の関係で暗がりになった通路の奥へ入っていく。死神は手渡されたバラを握りつぶし、後ろに向かって放り投げると、それについて通路の奥へ入っていった。


 あとに残ったのは、死神の手を逃れ、鮮やかな赤を取り戻した、バラの花びらだけであった。

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