これからのギセイの話をしよう。
注・この作品はかの有名なハーバード大学教授の著作とは一切関係はありません。もし仮に似ているような部分があっても、それは“偶然”か“オマージュ”もしくは“パロディ”であり、決して“二次創作”ではありません。というかそもそも、作者は彼の著作を読んだことは一度もありません。
二重三重の意味で、サンデル教授、ごめんなさい。
ぐらい書いておけば大丈夫だろう。運営から文句を言われることもないはず。
そういえば、新しい“二次創作”の基準だが、“歴史上の人物を題材にしたもの”が含まれるのは、どうかと思う。司馬遼太郎や吉川英治やヘロドトスや司馬遷や稗田阿礼やシェークスピアやゲーテが二次創作作家だと言われたら、世の大半の人が怒るんじゃなかろうか。
これではさすがに“二次創作”の守備範囲が広すぎる。
『マトリックス』は『攻殻機動隊』の影響を色濃く受けているし、『シュナの旅』は『犬になった王子』にかなり近いし、『トップをねらえ』はたくさんの作品から要素を持ってきてるし、これだけ基準を厳しくすると全部“二次創作”と言うこともできてしまいそうだ。
もちろん、全て一定の評価を得た作品であることは間違いない。“二次創作”なんて言う輩は、誰もいやしないが。
そもそも、“二次創作”の基準って明文化できるのだろうか?
まぁとりあえず、それはさて置いておこう。
今回は“メディア・リテラシー”についての話だ。
現在ニュースではMV-22オスプレイの配備云々の話題が、それなりに取り上げられている。ちなみにメディアの立場は“反対”一色である。専門家やら評論家やらは危険性だけを延々と述べ続け、配備は擁護すらされない。
というように書いてみると、メディアの報道がいかに偏ったものか、ということに気づくと思う。
「配備する目的は?」や、「オスプレイの性能は?」「配備するメリットは?」というようなことが報道されることはまずない。
マイナスイメージばかり書き立ててプラスイメージは扱わない。何かを批判するための情報操作の基本だ。
こういった状況を鑑みれば、「オスプレイ配備反対!」という意見ばかりが噴出するのも確かに納得、なんて天の邪鬼な作者はつらつらと考えている。マイナスイメージだけ言っていればなぁ、と。
繰り返し書くことになるのだが、“リスクとリターン”や“メリットとデメリット”というように、相反する二つの面を両方とも考えて物事を考えなくてはならない。そうでなければ、公正な判断など下せようはずもない。
今「オスプレイ反対」を叫ぶ人は、事故の危険性については考えているが、オスプレイを配備するメリットについては考えているだろうか?
オスプレイを配備する理由としては“朝鮮半島での有事への備え”と“中国への牽制”が主だったものとしてある。
現行の輸送機は、CH-53Dというヘリコプターだが、最高速度約240km/h、航続距離1,000kmほどである。
一方のMV-22は、最高速度565km/h、航続距離は最高で1,800kmほどにも達する。
数字で見れば、その差は歴然としている。
これだけの速度と航続距離があるオスプレイは、在日米軍が仮想敵国としている中国に対して大きな牽制となるのだ。また、日本と中国は、領土問題などに端を発して戦争が起こる可能性もある。
オスプレイを配備するのは、決して無駄とは言えない。
また、10万時間あたりの事故率は、現用の輸送機が4.15なのに対して、オスプレイは1.93である。また、米海軍所属機の平均は2.45である。
これも数字で見てみると、オスプレイは、それほど危険な機体とは言えない。もちろん、テストパイロットが“操縦が難しい機体だ”と証言していたりするのも事実だが。
あともう一つ。
オスプレイの飛行ルートを見て“山間部の飛行が多いな”とは思わなかっただろうか。
作者の勝手な推論だが、これはおそらく朝鮮半島での有事を想定してのことだと思われる。もちろん、これは推測の域を出ないものであり、マスコミも大っぴらに言うことはできないが。
というように、テレビのニュースからだけではなく色んなところから情報を集めてみると、オスプレイについても違った側面が見えてくる。
メディア・リテラシーで大事なことのまず一つは“メディアは真実を教えても、全てを教えているわけではない”と常に考えておくことだ。
時間的な制約などを鑑みても、一つのメディアが全てを教えることは不可能だ。どこかに情報の取りこぼしがある。最近“マスコミは事実を報道しない”という論調があるが、それはある意味で正しい。もっとも、マスコミの弁としては“嘘は教えていない。全てを教えていないだけだ”だろうが。
しかしここで、マスコミが全てを教えていないからマスコミの言うことは信頼しない、という安直な発想に転がり込んではいけない。
そんな発想でネット掲示板の書き込みだけを信じている人がいるが、どうせそれはマスコミがネット掲示板に成り代わっただけで、どうせ情報の取りこぼしがあるし公正な判断など下せるとは思えない。情報の精度は、むしろマスコミの方がずっと高い。
大事なのは、いくつもの場所から情報を手にいれて、それらを総合して判断することだ。マスコミだけでもネット掲示板だけでも百科事典だけでもいけない。
もう一つ、“情報の深読みをすること”も重要だ。
オスプレイの飛行ルートを見て、“山間部の飛行ルートが多いこと”、“日本の近辺では朝鮮半島が主だって山がちな地形であること”、“現在は北朝鮮の政情の先が見えないこと”などから、“もしかすると朝鮮半島での有事を想定しているのかもしれない”という推測ができる。
ニュースで直接的にはもちろん出てこないが、手がかりはある。
情報を額面通りに捉えるだけでなく、その裏を読もうとするだけでも、ニュースの性質は大きく変わる。
ウィルソン退役陸軍中将曰く「インテリジェンスの9割は、公開情報から得られる」そうだ。
世間一般でのメディア・リテラシーは、“情報の真偽を判断すること”だが、作者が思うにそれだけでは不十分だ。
“情報の真偽を判断すること”
“なるべく多くの場所から情報を集めて、それらを合わせてみること”
“情報の裏を読むこと”
の三つが揃って初めて『メディア・リテラシー』が成立するのではないか、と思う。
これができなければ、知らず知らずの内に自分の意見を操作されてしまうかもしれない。
オルテガの言うところの“大衆の反逆”かもしれないし、都合のよい世論を作るための“生け贄の子羊”かもしれない。
そのどちらになるにせよ、自分の意識しないところで都合よく動かされる危険性がある。要済みになればいとも簡単に切り捨てられる“ギセイ”に。
民主政治とは、多数派こそが“セイギ”となるような、そんな“ギセイ”を産み出すことに意味がある社会システムだ、ということを忘れてはならない。
「セイギはギセイのもとに成り立っている」なんてくだらない言葉遊びなんて、まっぴらごめんだ。