携帯電話と帰り道
どこにでもありそうな道。車がまばらに通り、人や自転車もちらほら見える中に一組の男女がいた。
二人は高校生で、背が平均より少し高く、イケメンでも不細工でもない……けれど平均よりは整った顔立ちの少年と、背が平均より少し低く、特別可愛いというわけではないが平凡的な可愛い容姿をした少女。
二人はまるで付き合っている恋人同士のように隣り合って歩き―――けれど、それぞれの視線の先は携帯電話にあった。
お互いの間に会話はなく、指がキーの上でせっせと動く。
―――それに似た光景が、数メートル後ろでも展開されていた。
●○●○●
「いい加減なんか話せって……。」
少年少女――黒崎と白波の後ろ数メートルをまるでストーカーのようについていくメガネの少年―――鬼島がうんざりしたように呟く。
彼の視線も前の二人と同じように携帯画面に固定され、指がさっきの呟きをメールに打ち出した。黒崎に送ったメールは三〇秒も待たないうちに返信され、鬼島はボタンをいじくりメールを開く。
>>何を!?
それを見て鬼島はあきれたようにため息をつく。
(何で俺がここまでしなくちゃいけないのか……。)
○●○●○
黒崎は鬼島の幼馴染で、筋金入りの童貞だ。
誰かと付き合ったことなどなく、異性を下の名前で呼んだこともないレベルの。
人見知りな上に、どこの少女マンガだと問いたくなる程理想が高く、本当に思春期の男子高校生なのかと問いただしたくなるほど純粋で、それはお茶の間で談笑とともに流されるドラマのちょっとしたキスシーンで固まるレベルだ。
そんないろいろな要素が重なって、黒崎は一六年間生きてきて、恋というものをしたことがなかった。
―――あの日までは。
●○●○●
その日のことは今でも覚えている。
鬼島に『地球が滅びる日が来た』と同党の衝撃を与えたのは、確か夏休みまであと一か月を切ったある日。
鬼島たちの通う高校は部活への参加が自由で、特にしたいことのなかった鬼島と黒崎は帰宅部に甘んじていた。その帰り道。
「鬼島、俺さ……」
黒崎が顔を赤くし、声を震わせて何かを切り出した。
「―――俺、好きな人ができた……かもしれない。」
「……え?」
ぶるるるる……。と車が横を通り過ぎていく。
ちちちち……。と電信の上で小鳥がさえずる。
ちりーんっ。と自転車がベルの音と共に行く。
ピンポーンっ。と家のチャイムが鳴らされる。
そんな風に周囲の音が大きく響いて、自分の存在が周囲に溶け込んでいくように希薄になっていって―――
「……?鬼島?」
黒崎が不思議そうに固まった鬼島を覗き込み、そう問いかける。
鬼島は慌てて黒崎を見て、立ち止まっていた足を動かし、隣に並ぶ。
「それで……好きな人だったか?」
「まだ決まったわけじゃねぇよっ!……ただ、」
驚きで止まった思考を動かすためにそう尋ねた鬼島に、黒崎は慌ててそう返す。
「ただ?」
鬼島が聞き返すと、黒崎は赤くなって、
「ただ……彼女の隣に俺が居れたらいいと……思った、だけで……。」
「……それを恋っていうんじゃねぇか?」
鬼島はそんなことすらわからない幼馴染をため息交じりに見て、口元にいたずらっぽい笑みを湛えて
「―――で、誰だよ?」
黒崎はさらに赤くなり、視線をふらつかせ小さくつぶやく。
「……白波……。」
「白波……って、同じクラスの?」
鬼島の問いかけに、黒崎は赤くなり、俯いたまま頷く。
(白波……か。)
鬼島は何とも男らしくなくて情けない幼馴染を横目に、白波という少女を思い起こす。
(可愛いけど……倍率は高くさなそうだな……。)
ならば、
「手伝ってやるよ。」
「……!」
その言葉に期待するように、黒崎が顔を上げる。
(面白そうだし、話してきたのはきっと手伝ってほしかったからなんだろうし。)
鬼島は手伝う理由をはっきりといわないまま、さらに言葉を重ねた。
「手伝ってやるよ、お前の初恋。」
○●○●○
(とはいったものの……。)
鬼島は青筋を立て、数十秒おきに送られてくる催促のメールを見る。読む前に未読がたまっていくメールだけでなく、黒崎自身もちらちらとこちらをうかがっていて、
(少しは自分で考えろよッ!)
その怒りをぶつけるように、鬼島はキーを叩いた。
●○●○●
「男ならエスコートぐらいしなさいよあの馬鹿っ!」
鬼島の隣を歩くおさげの少女―――櫻野が忌々しそうに黒崎を睨みつけ呟く。
この二人も恋人のように隣り合って歩いているが、意識しまくっている黒崎と白波と違い、お互いがアウトオブ眼中にあるらしかった。
ぴろりんっ。と何度聞いたかわからない受信音が鳴る。
櫻野は開きっぱなしの携帯をいじくり、メールを開いた。
>>どうしたらいいかな?
何か話すべき?
それを見て櫻野は苦笑し、内心で呟く。
(これでも、かなり進歩してんのよねー。)
○●○●○
白波は櫻野の従妹で、筋金入りの処女だ。
男子と話したことはないし、並んで立ったことももちろんない。
小さいころに近所の男性|(二歳年上)にいじめられたことがきっかけで軽い男性恐怖症で、今まで恋愛などしたことがなかった。
―――あの日までは。
●○●○●
その日のことは忘れたくても忘れられない。
まったくと言っていいほど色めいた話を聞かない白波にそれを白状させたのは自分なんだから。
確か、あと一か月で夏休みになろうか、といった日の昼休み。まばらにいる人たちが思い思いに弁当を広げる教室でのこと。
「あんた最近、やけに身だしなみに気ぃ配ってるじゃない?」
「そ……そんなことないよ……。」
白波は櫻野の言葉に慌ててそう言い、取り落としかけた卵焼きを慌てて弁当箱で受け止める。
櫻野はにやにやしながら半眼で白波を見て、
(面白い。)
そう内心で本音を漏らし、
「気のせいじゃないわよ。
―――だってあんた、最近寝癖とかちゃんと直してきてるじゃない。……前はちょっとぐらいなら気にしてなかったのに。」
「そっ……それは……。」
白波は自分のショートヘアーに触れ、言い訳を探すように視線を揺らす。
それを追い詰めるように、櫻野は楽しそうに笑って
「で、なにがあったの?……何もないわけはないもの。」
白波が作ろうとして沈黙を破り、顔の赤い白波に問いかける。
白波は諦めたように赤い顔をさらに赤くして、俯き、蚊の鳴くような声で告げる。
「私……好きな人ができたかもしれない。」
それは小さく、震えた声。櫻野はそれに驚いたように瞬きを以上に繰り返し、落ち着こうと途中で止まっていたミートボールを口に運び、飲み込んでから
「―――あの男性恐怖症の、あんたが?」
「かっ……かもだよ!ただ、少しでも一緒にいたいって思うだけだからっ!」
「それを恋って言うわね。」
櫻野は白波の言葉を遮ってそう言い、
「で―――誰?」
問いかける。白波はすでに諦めたのか、顔を赤くしたまま素直に告げる。
「く……黒崎君……。」
名前から櫻野は一人の少年を連想し、
(地味だけど……そのほうがいいんかねぇ……まぁ、することは一緒だし。)
白波に向かって、不敵に笑い宣言するように言う。
「あたしがあんたの初恋、手伝ってあげるわ。」
○●○●○
(とはいったけど……男なら少しは気ぃ使いなさいよ馬鹿黒崎ッ!)
櫻野は白波の隣を歩く黒崎を睨みつけ、健気な従妹を救うためにキーを打った。
●○●○●
ぴぴぴっ。と短く鳴った携帯を黒崎は慌てて持ち直し、受信メールを開く。そして、
>>天気の話でもしてろ!
その突き放されたようなメールに冷や汗をかき、横目で白波をちらりと見てすぐそらす。
(てっ……天気の話ってなんだよ!となり歩いてるだけでも心臓バックバクだってのにスベったらどうする気だよ!)
黒崎はメールを送ってきた友人に内心でそう不満を漏らし、ふぅぅぅー……。と、緊張で張りつめた息を吐き出し、気まずげに空を仰ぎ見る。
(やっぱ無理なんだよ……。二人っきりで帰るなんて……。)
○●○●○
ちゃらーんっ。と、携帯が軽快な音を鳴らす。ずっとそわそわしてメールを待っていた白波は慌てて何度か違うボタンを押しながらもメールを開き、それを読んだ。
>>天気の話でもしてみたら?
会話に困ったときの定番だし。
(てっ……天気!?)
白波は慌てて周囲を見渡し、四割ほどが雲に覆われた空を見て、
(くっ……くもり……?でも、青いほうが多いし……)
そう考え込む。
むーっ……。と小さくつぶやいて、白波はどう表わしたらいいかわからない空から視線を落とし、コンクリートを敷かれた地面を見る。
(やっぱ無理だよ……いきなり二人なんてさぁ……)
●○●○●
黒崎と白波が二人で帰ることになった理由。
そこには、あとをつける鬼島と櫻野の策略が働いていた。
それは、二日前のこと。
○●○●○
「鬼島君、ちょっといいかしら?」
弁当を食べ終え、駄弁っていた鬼島と黒崎の所にやって来たのは櫻野だった。彼女は席に残してきた読書中の白波をちらりと見て、
「……多分、理由はわかってると思うんだけど。」
(成程……)
鬼島は理由がわからず首を傾げる黒崎を横目に、立ち上がる。
(つまり、黒崎と白波に関すること、か……。)
「じゃあ行こうか?」
●○●○●
櫻野が鬼島を連れてきたのは渡り廊下。
鬼島はそれに「ドラマのカツアゲ現場みたいだな」といって睨まれつつも、話の本題を切り出す。
「黒崎と白波のことなんだろう?」
「……やっぱり分かってるわよね……。こっちだって分かってるもの。」
「知らないのは本人たちだけ、だもんな。」
二人は言葉を交わし、確認しあうようにさらに言葉を重ねる。
「白波は黒崎が好きで、」
「黒崎君は白波が好き。けれど、」
「「お互いは気づいていない、」」
「クラスの奴らだって知ってるだろうになー。」
「灯台下暗しってやつよ。」
それで、と鬼島は話を終了させるように、切り替えるように切り出す。
「そんなお互いの苦労話というか、お互いのツレの不満を言い合うためだけに俺を呼んだわけじゃないんだろう?」
「当たり前でしょ?―――私はそこまで暇じゃないもの。」
(それにしてはいっつも無駄な噂話してる気がすんだけどなぁ……。)
鬼島は内心でそうつぶやき、それを内心にとどめて櫻野の話の先を聞く。
「あなた、あの二人見てて―――正直イライラしない?」
「見てて面白いけど……正直。」
「一か月ぐらいたってるのよね。あの子の好きな人を私が聞いてから。けど、その一か月であの子は日常のあいさつを交わせる中にしか発展してないのよ?一か月たったんだから、せめて―――」
櫻野はちらりと時計を見て、残された時間を確認してから言い放つように宣言する。
「―――一緒に下校するぐらいの努力をするべきだわ。」
○●○●○
―――そしてそれは、話した二日後に実施された。
授業がすべて終わり、部活がある人は部活に、部活のない人たちは帰ろうと移動する教室。
そこに普段はあまり見かけない四人組があった。黒崎と白波と鬼島と櫻野だ。
「え……?今なんて……?」
呆然と鬼島の言葉を聞いた黒崎と白波が瞬きを忘れ、そう問い返す。
櫻野は何か隠し事をしているかのようにいたずらっぽい笑みを浮かべ、
「だから、私たちちょっと用があって一緒に帰れないの。
……だから、今日は二人で帰って?」
「なっなななななな……。」
白波がその言葉に顔を赤くし、何か言おうとして言えないまま意味をなさない言葉をつぶやく。その横で負けないぐらい赤面した黒崎が、白波より少しだけ冷静に問う。
「なっ……何で、一緒に帰ることに……?」
「物騒だから?」
「まだ明るいよ!」
「ほら……すぐ暗くなる……かもだし?」
「夏だよ!」
「痴漢とか危険だし?」
「人がいるとこで堂々とする人なんていないよ!」
「でも電車……。」
「紛れるほどの人混みもないよ!」
ふーっふーっ……。と白波はボケ続ける櫻野に対する突込みで呼吸を荒げ、
がしっ……。と首に腕を回され教室の隅に消えていった。
(な……何がどうなった……そもそも俺の質問に対する答えはどこに?)
まだ赤いままの顔で教室の隅に消えていった白波を視線で追いかける。
「さて……で、お前は一緒に帰りたくないのか?」
「帰りたくないことなんかないけど……。」
黒崎は視線を床に落とし、呟く。
「恥ずかしいし……。」
「帰・り・た・く・な・い・わ・け・な・い・よ・な・!?」
けれど鬼島はそんな黒崎の肩をつかみ、そう強制するように言い直し、
○●○●○
今の現状に至る。
(でも、半ば強制だったとはいえ、折角白波の隣にいるんだしっ!)
黒崎はそう内心で決意し、
「あっ……あの、さ?」
声の高さが定まらないまま、そう話しかける。
「うっ……うん!」
地面を見て歩いていた白波が慌てたように上を向き、目を合わせ、なぜかお互いに立ち止って言葉の先を待つ。
(告白現場みたいな……違うけどっ!まだ早いけどっ!)
黒崎はふと思ったことを全力で否定し、間違ってないか、と不安でどぎまぎしながら次に言葉を発する。
周囲を歩く人たちも決死の覚悟で何か言い始めた黒崎に若干の関心をひかれているらしく、二人にちらちらと視線が集まる。それに気づかないまま、
「い……いい天気……だね?」
「う……うん!」
「……。」
「……。」
そんな今時失敗したお見合いでも言わないようなことを言い、何かをやり遂げたように再び前を向く。
周囲が「それじゃ駄目だろう」と内心で突っ込んだその時。
白波の後ろから自転車が勢いよく走ってきて、
「……っ!?」
携帯を片手に持っていて白波に気づかず直進する自転車に、黒崎は……
●○●○●
「い……いい天気……だね?」
「う……うん!」
「……。」
「……。」
黒崎が緊張してそう話しかけてきた何気ない言葉。それにちゃんと返事をできたことにほっと息を吐き、
「……?」
慌てた様子で自分の背後に視線を向ける黒崎に視線を向け、怪訝そうに黒崎の視線の先に視線を向け、
「……!」
体が強張った。
こちらに向かってくる自転車。
そのスピードはかなりのもので……もうすぐそこにあるのに、運転手は携帯に視線を落としたままで。
(避けなきゃ……)
そう思う。
けれど、こわばった体は動かなくて。
「……?……!」
運転手がようやく白波に気付き、自転車を止めようとするが間に合わない。
誰もが接触の可能性を考えた時だった。
「危ないっ」
黒崎が白波の手をつかみ、自分のほうに引き寄せた。
白波の背後を自転車が通過して行って、白波の背中を冷や汗が流れていく。
「あ……ありが……」
お礼を言おうと、顔を上げる。
けれど、顔を上げた先には黒崎の顔があって、近距離で目があって……
「……。」
「……。」
それはきっと、一瞬とも刹那ともいえるほど短い時間だったのだろう。けれど、白波にはそれが十分にも感じられ、
「あ……ごめんっ」
黒崎が慌てて引き寄せ、抱き寄せるようになっていた白波の腕を離し、耳まで赤くなって視線をそらす。
(あ……。)
それを少し残念に思ってしまったことに赤面し、白波も視線をそらす。
「いっ……行こうか?」
黒崎の提案に頷き、隣を歩きながら白波は羞恥心を内心に押し込めて、小さくつぶやく。
「―――有難う。」
本当はもっときちんというべき言葉。けれど、自分にはそれ精一杯で……
けれど、分かってくれた黒崎を―――
他人に価値観を押し付けない黒崎を―――
(私は、好きになったんだ―――。)
○●○●○
「危ないっ。」
それは咄嗟の行動だった。
白波を助けないと。それだけが頭を支配して、咄嗟に彼女の手をつかみ自分のほうに引き寄せた。
それが抱き寄せている、ということになるのではないかと気づいたのは自転車が彼女の背後を通り過ぎ、ほっと息をついて冷静になってからだった。
(ど……どうしよう……)
自分とは雲泥の差の柔らかい体を抱いたまま、黒崎は顔を赤くする。
(どっ……どうしたらっ!?)
黒崎はパニくった頭でそう考え、
「あ……ありが……」
お礼を言おうと顔を上た白波と目があったことで、その意味のなかった思考ですら止まってしまう。
一秒にも満たない……けれど、普段の日常の一時間ほどの濃度がありそうな時間を固まったまま過ごし、
「あ……ごめんっ。」
慌ててその体を離す。そして気まずさから視線を反らし、
「いっ……行こうか?」
そう提案する。背後で白波が頷いた気配を察し、黒崎はゆっくりと歩きだす。
「……有難う。」
しばらくして、背後から小さく言われた言葉に、黒崎は頷く。
本当はもっとちゃんと返事を返すべきなのだろう。けれど、自分にはそれしかできなくて。
なのに、きちんと自分の意志で言うべきことを言える彼女を―――
それすらできない黒崎を責めない白波を―――
(俺は、好きになったんだ―――。)
●○●○●
「でも、よかったー。」
櫻野はほっと息を吐き、でも、と続ける。
「何であそこまでいってたのに何も変わらないかなー。ライトノベルだったらフラグ立って主人公のハーレム要員なのに。」
「元からお互いに好感度マックスだからだろ。……というかラノベ読むんだ?」
「何か文句でも?」
櫻野の睨みあげる視線に鬼島は苦笑いで否定をし、
「ま、あんな恋もあっていいんじゃねぇか?」
○●○●○
後日談。
その日の夜、鬼島と櫻野の携帯には黒崎と白波からやけにテンションの高いメールが山のように送られてきたとか。
読んでいただきありがとうございました!
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