5歳で断罪の未来を思い出したので全力で婚約者に嫌われようとした結果、なぜか溺愛されている件
長編で重いのを投稿したので、軽めのテンションの短編です。
五歳の誕生日の夜。
私は、とんでもないものを思い出してしまった。
……え?
これ……知ってる。知ってる!?
目の前には、断罪広場。
真っ赤なドレスの女の子――いや、私が、ギロチン台の前に立っている。
……ちょ、ちょっと待って!?
なんで私が断罪されてるの!?
次々に流れ込んでくる前世の記憶。
乙女ゲーム『ローレル・プリンセス』。
その中で悪役として、ヒロインを嫌がらせし倒し、一族郎党まとめてギロチン行きにされたのが……公爵令嬢アリア・フェンディール。
――っていうか、それって私の名前じゃない!
あまりの衝撃に、私はベッドの上で跳ね起きた。
「はぁ、はぁ……ゆ、夢じゃ……ない……」
心臓バクバク。
体ガタガタ。
五歳にはヘビーすぎる情報量だよ。
改めて考えなくっても分かる。
ちょ、いや……ムリ無理むり!
だいたい私は今の家族が大好きなのだ。
優しいお父様と、ちょっと過保護なお母様。さらに輪をかけて過保護なお兄様。
どうしてこの人たちが、巻き添えで処刑されなきゃいけないの!
たしかにアリアは隣国からやってくるお姫様――もといヒロインを虐めて虐めて虐めて、危うく国際関係の悪化を招きかねなかったからっていう話だったけども!
ダメ! 絶対ダメ!
ギロチン嫌だ。死にたくない。誰も死んでほしくない!
そんな未来、全力で回避する!
と、心に誓ったその時――。
廊下から、使用人たちのひそひそ声が聞こえてきた。
「そういえば来週よね」
「アリアお嬢様とリアム殿下の……」
この国の王太子リアム。
ゲームでは、私の婚約者。
そして、ヒロインの攻略対象の一人で、つまり断罪ルート直行の相手。
……って、来週!? 私、あの人と来週お見合いするの!? そんな急にラスボスが登場する!?
私は即座に決意した。
悪役令嬢にならないことと、断罪を回避することを。
そのためには。
……よし、嫌われよう。全力で。
そもそも婚約なんてしなければ、未来は変えられるはず。
さようならギロチン! こんにちは明るい未来!
が、ふと我に返る。
というか、嫌われるってどうやるの?
「えっと……挨拶を雑にするとか……返事をそっけなくするとか……?」
自分で言っておいてなんだけど、前世の私はとても真面目な性格。
そしてこっちの私は、今までずっと完璧なお嬢様として育てられてきた。
礼儀正しさはもう本能。雑にするのって逆に難しい。
「で、でも……やるしかない!」
私は枕をぎゅっと抱きしめて決意した。
絶対に未来を変えてみせるんだから……!
その時。
コンコン。
「アリア? 物音がするけど、あなたまだ起きているの?」
ヤバい、母様だ!
「だ、だいじょうぶです! ちょっと、変な夢を見て起きてしまっただけで」
そう答えると、中に入ってきた母様が、若干青褪めた私を見て優しく抱きしめてくれた。
「きっと怖い夢だったのね。大丈夫よ、アリア。お母様はいつでもあなたの味方よ」
その温もりに、私は胸がいっぱいになった。
大丈夫……絶対に守る。
家族も、自分も。
そして私は心の中で宣言した。
よし! 明日から王子に嫌われる練習を始めよう、と。
――だけどこの時の私はまだ知らなかった。
その努力が全く意味をなさないことを。
◯◯◯◯
翌朝。
私は気合いバッチリで目覚めた。
本番まであまり時間はないけど、今日から嫌われる訓練開始だ!
が、朝ご飯からの帰り道、廊下に置かれた鏡に映る自分を見て、私は思う。
――少し癖はあるけど綺麗な金髪と、釣り目がちだけど大きな青い瞳。
大きくなったらもう少し悪役令嬢っぽく目つきの鋭い美女になるとはいえ、今は天使って言っても過言じゃない可愛い容姿だ。
しかも着ているのは、その顔立ちにぴったりのふわふわのワンピース。
どう見ても、絵に描いたような良家のお嬢様だ。
……この外見で嫌われるって、どんなハードモード?
でもやらなきゃ未来は変えられない。
私は深呼吸して、その場で練習をしてみた。
「ごほん。お、おはよーございます……あーっと、もっとだるそうに……」
……だるそうに挨拶って、どうやればいいの?
「え、えっと、ポケットにこう手を入れて、顎を引いて……目もこう、もっと細くして」
どうしよう、なんか、一生懸命悪ぶっている感満載で、全然様になってない。
それでも諦めず鏡の前で、無愛想な表情や、そっけない返事の練習をしていたら……。
「アリア? そんな顔してどうしたの!」
通りがかった母様に不審がられた。
「いや、これは……えっと……」
その後ろから兄様も心配そうに覗いている。
「具合が悪いのか!? 大変だ、すぐに医者を――誰か、レノアン先生を大至急呼んできて……」
「やめてー! 大丈夫、大丈夫だから!」
この国でも五本の指に入るって言われる大先生をそんな気軽に呼ばないでー!
私は急いで言い訳を考えると、焦りながらも叫んだ。
「に、兄様の真似をしてたのっ! ほら、兄様よくこんなお顔してるでしょう? それがカッコいいからって思って……」
「アリア……!」
その答えに、兄様は感極まった表情になると私を抱き上げぎゅっと抱き締めた。
「そっかそっか、兄ちゃんはとっても嬉しいぞ! ただ、俺の顔はそんなに怖い感じじゃないと思うんだが」
「……」
四歳離れたシスコン気味の兄様は、今私の前では表情がでろでろに溶けてるけど、アリア(悪役令嬢に成長したバージョン)と同じく、目つきが鋭い系の美形で、黙ってると結構怖い。
九歳にして既にその風格がある。
だけどそんなことを言ったら兄様はとてもショックを受けるので、私は余計なことは言わないでおいた。
顔が怖い兄様だけど、中身はとっても優しいのだ。
――それよりも、危なかった。
何とか危機は回避できたけど、早くも不審な行動がバレるところだった。
これはこっそりやらないと……。
ということで、私は自分の部屋で、王子様に嫌われるための練習を続行することにした。
例えば、礼を雑にしてみる。
しかし、どう考えても無理である。身体が自然に淑女の礼をしてしまうから。
なら次、会話を弾ませない!
……うん、これはできるかも。
リアム様が何を話しかけてくるかは分からないけれど、とにかく返事を短くすればいいのよね。
はい、いいえ、べつに。
これしか返さなければ、感じが悪いってなって嫌われること間違いなしだ。
あとは……目を合わせない……とか?
そんなふうにひとり鏡の前で試行錯誤していたら、突然、父様が部屋に来た。
「アリア。リアム王太子殿下との面会の日程が明日の昼に変更になった。準備をしておきなさい」
「ふぇっ!?」
嘘、まだ練習を始めて半日なのに!?
もう時間がない。
こうなれば徹夜で練習だ!
しかし、体は五歳児。
時間になると自然と瞼が重くなる。
「がんばる、のよ、アリア……ぐぅ」
気づけば私は枕を抱きしめて、眠りの世界へと旅立っていた。
○○○○
起きた私の胸の去来する言葉、それは。
「絶望と後悔……」
五歳児らしからぬ感想を述べてしまう。
眠ってしまった。しっかりばっちり十時間。
おかげでお顔はつやつや、元気いっぱいで、王子様との顔合わせに向かうのにコンディション的には問題ないけど……。
仕方がない、練習の成果を見せてやる!
着替えを済ませた後、そう意気込んで玄関に出ると、母様が私を見て「まぁっ」と目を輝かせた。
「アリア、とても可愛いわ。さすが私の娘ね!」
「お、お母様……今日はその、可愛くなくてもよかったのに……」
「何を言ってるの? 可愛くなきゃダメよ?」
……つらい。
今日ばかりは可愛いと褒められたくなかった。
そしてあっという間に王宮に到着。
豪奢な門、広すぎる庭園。
どこを見てもキラキラで、私は思わず「わぁ……」と声を漏らしてしまった。
ち、違う! 本当はもっとクールに……無感動にしないといけないのにっ!
なのに自然に目がキラキラしてしまうのは、私がまだ五歳のせい。
きっとそう。絶対にそう!
案内された応接室は、さらに豪華だった。
天井は高いし、ソファふかふかだし、今淹れてもらっている紅茶の匂いも良すぎる。
だけど嫌われるとか……本当にできるのかな。
……いや、気をしっかり持たないと!
そうして尻込みする自分を内心で鼓舞して、緊張で手を握りしめていると――。
「フェンディール公爵令嬢。リアム殿下がお入りになります」
ついにご本人の登場だ。
扉が静かに開いて、一人の少年が入ってきた。
銀髪に近い淡い金髪、深い緑の瞳。
兄様と同い年のリアム様は、もうすでに王子様感がすごい。
ひいぃぃぃ! 本物の王子ぃぃ!
ゲームの頃より幼いけど、それ通りの見た目で……いやそれ以上の破棄力があって、かっこいいぃぃ!
……じゃない! 今はそんな場合じゃない!
私は深呼吸して、今日の作戦を頭の中で復唱した。
今日のミッションは!
丁寧に礼をしない。
返事はそっけなく。
目を合わせない。
「はじめまして、フェンディール嬢」
リアム様が優しく微笑んだ瞬間、私は――。
「ひっ……ぁ……は、はじめましゅ……!?」
噛んだ。
最初の一言で、噛んだ。
しかも変な声が出た。
え、う、嘘でしょう!?
リアム様は目を丸くしたあと、ふっと優しく微笑んだ。
「緊張しているのかな? そんなに身構えなくてもいいよ」
違う! 身構えてるけど、そうじゃないの!
だけど、これもある意味作戦成功って考えられるかもしれない。
よし、じゃあ次にいく!
私はあえて無作法を見せつけようと礼を浅くしようとした。
したのだけれど――身体が勝手に完璧な淑女の礼をしてしまった。
結果。
「まだ五歳だとは思えないくらい、とても綺麗な礼だね」
リアム様に手放しで褒められてしまった。
私は心の中で頭を抱えた。
……失敗したものは仕方ない。どんどんいこう。
次の目標は、会話を弾ませない。
「フェンディール嬢は王宮へ来るのは今日が初めてかな?」
「はい。……べつに」
ふっ……決まった。どうよこの、そっけない返事!
なのにリアム様の反応は。
「初めてで『別に』っていう返しが来るなんて……君はとてもおもしろい子だね」
リアム様はキラキラの顔を更に煌めかせて笑っていた。とても楽しそうに。
え、なんで!? どうしてそんな好印象っぽくなってるの!?
こうなったら、私は目を合わせないようにと俯いた。
目を合わせないという無作法で嫌われよう作戦だ。
が。
「フェンディール嬢。顔を上げてほしいな。……だめかな」
優しい声でそう言われ――反射的に顔を上げてしまった。
しかも。
完全に目が合った。キラキライケメンの王子様と。
その瞬間。
「君の瞳はまるで光を反射する湖面のように、とても綺麗な色だね」
そう言われ、私の顔は茹で蛸の如く真っ赤に染まる。
いやあぁぁぁぁ! もういやだ、これだからイケメンは!
リアム様が完璧な王子様すぎる!
褒められた上に、素直に照れてどうするんだ私!
だけど負けじと私も言い返す。
「ふん、リアム様の瞳は、そんなに綺麗じゃ……」
言い切ろうとした。悪く言おうとした。
なのに。
「……綺麗じゃ、ないって思ったけど、その、キラキラしてて、まるでエメラルドみたいに綺麗だな、って……」
あぁぁぁぁっ!
口が滑った、完全に褒めてしまった!
だって本当に綺麗なんだもん! 嘘でも、その目が綺麗じゃないとか嫌いとか言えなかった!
するとリアム様はほんの少しだけ目を丸くして、それから柔らかく微笑んだ。
「ありがとう」
……ああだめだ。
そもそも、私はあのゲームの中でもリアム様が一番好きだったのだ。
これ、どんな拷問……?
この笑顔を見たらつい目的を忘れそうになってしまうけど。
しっかりしろ私! この婚約は絶対に回避しないと!
というわけで、再度作戦続行である。
なのに。
「フェンディール嬢は何か好きな食べものはある?」
「す、好きなもの……っ。べ、べつに……」
「僕は蜂蜜の入ったクッキーが好きなんだ」
「!? 蜂蜜、私も好きです! 紅茶に入れて飲むと美味しい……はっ!」
うっかり釣られてしまった!
するとリアム様はふっと笑った。
「そっか。じゃあ次に会う時は美味しい蜂蜜を持っていくね」
ちょっ……待っ……!
私のばか―っ!
しかもリアム様、今『次に会う時』って言わなかった!?
そして顔合わせが終わり、帰宅したその日の夜。
「アリア、おめでとう!」
父様と母様が嬉しそうに言った。
「王宮から正式に、リアム殿下との婚約内定の知らせが来たわ!」
………………。
最後のあの言い方から、予想はしていたけど。
頭が真っ白になった。
そもそも私とリアム様の婚約は水面下ではほぼ確定していたみたい。
今回の顔合わせって、どうやらその最終確認だったっぽい。
そして母様達が言うには、私のあの場での行動は、まだ幼くて可愛らしい、純粋な愛嬌があったと思われたらしい。
緊張しながらも丁寧で、恥ずかしそうにしているところが、逆に好印象だった、と。
そこで私が床を転げ回って泣くとか、紅茶を王子様にぶっかけるとか、「結婚は嫌です!」と泣き叫ぶとか。
そういう致命的なことでもしない限り、婚約がなくなることはなかったわよ、と母様に笑いながら言われ、私は自分の浅はかさを呪った。
……なんでそっちをもっと早く思いつかなかったのか!
「アリア、どうしたの? 嬉しくないの?」
う、うれしいわけないでしょおぉぉぉ!?
心の中で大絶叫した私は、そのまま自室に逃げ込み、ベッドの中で泣き崩れた。
全部失敗した……!
もしやこれが俗にいう、ゲームの強制力ってやつなの!?
「どうしよう……」
ギロチン嫌だよー。死にたくないよ。
だけど、婚約をしてしまった事実は変えられない。
……ここで私が改めて考えてみる。
そもそもなぜゲームのアリアが悪役令嬢になったのか。
アリアは最初から悪役だったわけじゃない。
アリアは婚約者のリアム様が大好きすぎたのだ。
そして、年々リアム様に近付く女の子達への嫉妬心は激しさを増していった。
で、遂にはヒロイン登場でそれが爆発したと。
リアム様も、最初はアリアに他の子とは仲良くしていないよと伝えていた。
だけど、本当にただすれ違っただけの女の子にも嫉妬するようになったので、アリアへの気持ちが徐々に離れていったはず。
アリアが断罪されたのは、彼女が虐めたのが王女様だったからという理由が大きい。
でも、ヒロインが現れなくてももしかしたらリアム様に愛想を尽かされてた可能性は高いっていうのが、どっかの誰かの台詞に会ったなと今更思い出す。
で、あれば。
私は今後、どうすべきか。
むくりと体を起こし、真剣な顔で悩む。
ゲームでの結末を知っている私がヒロインを虐めるなんて絶対にない。断言できる。
けど今回婚約が決まってしまったみたいに、何があるか分からない。
婚約は……今更覆せない。
それなら、そもそもリアム様に愛想を尽かされないように、今度は好かれる努力をした方が……いいんじゃない?
むしろ、好意の強さでいけばゲームでは、
『アリア>リアム様』だったのを、
『リアム様>アリア』にしてしまえばいいんじゃ……。
そうすればヒロインが現れようが何しようが、私は死なずに済むし、この婚約も続行されるはず!
どうせなら私だって、リアム様と仲良くなりたい!
あと、もしも断罪されそうな事態に陥った時、もしかしたらリアム様が私を助けてくれるかもしれない。
私は新たな覚悟を決める。
こうなったら……私は悪役令嬢にはならず、リアム様に思いっきり好かれて、断罪を回避してみせる!
五歳の冬。
私は窓から見えた流れ星にそう誓ったのだった。
○○○○
次の日の朝。
いつも通り家族と朝食を取る。
しかし今日は、みんなのテンションが朝から高い。
「アリア、おめでとう」
「ええ、殿下もアリアをとても気に入ってくださったみたいでよかったわ」
「さすがは俺の可愛い妹だ!」
……いや、気に入ったのは私のせいじゃなくて、事故みたいなものなんだけど。
内心つっこみながらも、笑顔は忘れない。
「……ありがとうございます、お父様、お母様、お兄様」
「まあ! アリアったら、なんてかわいらしい返事!」
「尊い……。この笑顔を永遠に残すために、すぐにでも画家を呼んで早速描いてもらおう!」
うん。
普通にしてれば褒められる。
あとお兄様、私の笑顔の肖像画でそろそろ部屋が一つ埋まりそうです。
……ただ、問題はリアム様に会った時なのだ。
今度こそ、まぐれじゃなくてちゃんといいなって思ってもらわないと!
朝食後。
執事が封筒を持って来た。
母様が封を切るとそこにあったのは。
「まあ……! 明日、殿下がこちらに遊びにいらっしゃるんですって!」
え、来るの? 明日?
は、はやい!
「アリア、楽しみね!」
た、楽しみ……と言われても……。
まだ好かれ方の完璧な練習すらまともに出来てないのにぃぃ!
部屋に戻った私は、脳内会議を始める。
よし、落ち着けアリア。ひとまず、リアム様の前では……。
常に笑顔で、言葉遣いと作法も丁寧で、相手の目を見て話す。
そして噛まない。
……全部淑女教育で教わっていることばかりだ。
ということは、いつも通りじゃない?
だけど昨日の私は、噛んだり、テンパったり、動揺したり、そのいつも通りが一切できていなかった。
よし……じゃあその辺りを徹底的に練習あるのみ!
私は鏡に向かって笑顔を浮かべながら、
「はじめまして、リアム様……ちがう! はじめましては昨日した!」
「リアム様、今日も素敵です」
「リアム様、王宮のお庭はとても広かったです」
「リアム様、わたし、今日も噛んでません」
……最後のは絶対言わない方がいい。
そうしてなんとなくテンションが上がって、うまくいきそうな予感がしてきた――その翌日。
リアム様の到着を、私は玄関ホールで緊張しながら待っていた。
今日こそは……この間みたいに変なことしない……!
ちゃんと好かれて、断罪未来をぶっ壊す!
馬車が止まり、扉が開く。
リアム様が姿を現し――とても綺麗に笑った。
「アリア嬢。また会えて嬉しいよ」
きゃぁぁ! 笑顔イケメン! しかも名前呼び!
……いや落ち着け私! 心臓を鍛えろ!
私は先日の失態を繰り返さぬよう、ゆっくり礼をした。
「リアム様……! 本日は……よ、ようこそおこしくだしゃい……」
噛んだ。
開始三秒で噛んだ!
なんでぇぇええ!?
しかしリアム様は優しかった。
「アリア嬢は、緊張している姿も可愛らしいね」
可愛らしいじゃないのよ! 違うの!
可愛いって言われるのは嬉しいけど、私はもっと普通の挨拶がしたかったの!
私が内心ジタバタしていると、リアム様はふっと微笑んだ。
「アリア嬢とは、もっとゆっくりお話したいと思っていたんだ。もっと肩の力を抜いていいんだからね。今日はよろしく」
どうしよう、笑顔が眩しい。しかも優しい。カッコイイ。
既にもう気を失いそう……。
これ、私ばっかり好感度が上がってない……?
そして私は悟った。
好かれに行く作戦も、どうやら波乱の予感しかしなかった。
○○○○
応接室に、向かい合って座る。
私は深呼吸して、決意を新たにする。
今日は淑女っぽく行こう!
と、運ばれてきた紅茶の隣に小さなガラス瓶が置かれていることに気づく。
すかさずリアム様が口を開く。
「それは今日のお土産だよ。蜂蜜を持ってきたんだ。確か好きだって言ってたよね。これは特別な養蜂園のもので、紅茶にもとても合うんだ」
リアム様が柔らかく微笑んでそう言った。
「本当に!?」
私の好物を覚えてくれていた。
声が完全に喜びのトーンになってしまった。
しまった、もっと落ち着いて言うはずだったのに!
でもリアム様は気にした様子はなくて、むしろ嬉しそうに言った。
「よかった。アリア嬢、使ってみて?」
すすめられて、私は恐る恐る蜂蜜をティースプーンですくい、紅茶にそっと垂らす。
ふわりと甘い香りが立ち上り――鼻が幸せで満たされる。
一口飲む。
「……ほわぁぁ、しあわせ……って、はっ!」
完全に気の抜けた顔と声になってしまった……。
無意識に、最大限本音が出た!
リアム様は少し目を細めて、こちらを見ていた。
「喜んでくれてよかった。僕も嬉しいよ」
と、微笑むその姿が眩しい…眩しすぎる……!
私は恥ずかしさを紛らわせるように、慌ててクッキーへ手を伸ばした。
が、ひとつつまもうとして、――落とした。
ぽと。
リアム様の前で落とした。
ぎゃんっ!
私が顔から火を噴きそうになっていたら、
「アリア嬢、どうぞ。僕のをあげる」
リアム様が自分のクッキーを差し出してくれた。
やさしいぃぃ! けどぉぉぉ!
テンパりすぎて私は――
「い、いいですっ! 私、おちたやつ……食べる……!」
と言ってしまった。
違うっ、そうじゃない!
私今貴族! 三秒ルールは使っちゃダメ!
案の定、後ろの侍女が慌てた。
「アリア様!? 落ちたものは食べてはいけません!」
「う、そ、そうですよね、はい!」
リアム様はくすっと笑った。
「アリア嬢は本当に面白いね。見ていて飽きないよ」
「そ、それならよかったです!」
いいのかな、いいの? 本当に?
だけど……リアム様は楽しそうに笑っているから、きっといいんだろう。
うん、そう思おう。ポジティブ思考でいこう!
その後は、簡単な質問→拙い返答→はっとして落ち込む私→リアム様は優しく笑ってくれる→私のリアム様への好感度が上がる。
……という地獄と天国が交互に押し寄せ、私の心はジェットコースター状態。
私はリアム様のことをたくさん知れたし良かったんだけど。
リアム様の方はどうなんだろう。
だけど帰り際、
「今日は本当に楽しかった。君の好きなことや好きな物、もっと知っていけたらいいな。これからもよろしくね」
夕陽を受けて一段と光り輝く笑顔を浮かべたリアム様に、そんな真っ直ぐな言葉をもらってしまった。
素直に嬉しかった。
だけどまだまだ改善すべき点はある。
まず、噛まない!
三度目の正直だ!
他にもいくつかの改善点を思いつき、次こそは完璧を目指そうと決意を新たにするのだった。
◯◯◯◯
なんだけど。
三回目の面会の時。
その日は噛まなかった。
だけど。
「アリア嬢、君の好きな遊びは何?」
リアム様が自然に話を振ってくれた。
これはチャンス! ここで好感度を稼ぐのよ!
私は胸を張って答えた。
「お、お絵描きが好きです……! あとは花を見たりとか、本を読んだり……犬とか……ご飯とか……お菓子とか……」
言いながら思う。
どうしよう、ちょっと言いすぎた……?
だけどリアム様は気にした様子はなくて、小さく笑った。
「そっか。色んなものが好きなんだね」
もっと落ち着いた返事がしたかったのに!
でも、笑っているのならまあいいのかな?
ここで、私もリアム様に倣って渾身の笑顔を見せることにした。
私は淑女教育で培ってきたことを思い出し、品よく愛らしく見えるようににっこり笑った。
……つもりだった。
「にへっ……」
なんか変な顔になった。
途端にリアム様の目がしぱしぱと瞬く。
どうしよう……もろに作り笑顔だ。
見なくても分かる。愛らしいというより不自然さが際立ってる。
あまりにも恥ずかしくて泣き出しそうになる。
さすが五歳児。精神年齢もそっちに引っ張られてる。
だけどリアム様は、気にしていないと言わんばかりに優しい眼差しを向けてくる。
「一生懸命笑おうとしてくれたんだよね。そんなに気を遣わなくても大丈夫だから」
「すみません……。私、変な顔になってしまって」
と、すかさずここでリアム様の優しさが爆発した。
「そうかな。僕はその顔もとても可愛いと思うよ」
「はぐっ!?」
急に言われて、私は固まった。
それでも何とか十五秒で現実世界に戻ってきた私は、声を絞り出す。
「あ、ありがとうございます……」
しかし爆弾はさらに投下される。
「照れるところも素敵だね」
うわぁぁぁぁ!
恥ずかしいぃぃ!
恥ずか死ぬぅぅ!
さすが作品きってのキラキラ王子!
ゲームでもそうだった。息を吐くように誉め言葉が流れ出す。
この年からそうだったなんて、恐ろしい!
私は堪らず机の下で足をバタバタさせてしまった。
五歳なので許される行為だった。
ちなみに後で母様には、足バタバタはやめなさいとやんわり怒られた。
◯◯◯◯
そんなこんなで、時は流れ、私は十二歳になった。
世間的にはもう立派なご令嬢として扱われる年齢である。
淑女としての礼儀も身につけ、更に将来王妃になるための教育もばっちりだ。
鏡を見れば、五歳の頃よりずっと綺麗に、淑女っぽくなっている自覚もある。
――ただし。
リアム様と二人きりだと、なぜか私の淑女像は毎回あっけなく崩れ去る。
今日も例外ではない。
「アリア嬢。この前言っていた庭園の白い薔薇、城の温室で咲き始めたよ。良ければ見に来ない?」
「はわぁ……ぜひ……行きたいです……!」
即答した瞬間、私は気づいた。
やらかした!
本来なら、
「お誘いありがとうございます。光栄ですわ、殿下。ぜひ拝見させていただければ幸いです」
このくらいが模範解答なのに……!
リアム様以外だとちゃんとできるのに、なぜ……。
今の私は、鼻先にニンジンをぶら下げ涎を垂らす馬レベルの返答だった。
けれどリアム様は柔らかく微笑んで言う。
「よかった。アリア嬢が喜んでくれると、僕も嬉しいよ」
……な、なんでそんなに優しいの!?
そんな風に言われるとますます好きになってしまう!
大体、生前の推しで、カッコよくて優しい人が婚約者なのだ。好きにならない方がおかしい。
私の好感度だけが、今日も跳ね上がっていく。
対するリアム様は……嫌われては、いないと思う。
むしろそこそこ好かれている自覚もある。それに、ゲームのアリアみたいに所かまわず嫉妬してないし。
けど、私の想い以上にリアム様が好意を持っているかと問われると……自信はない。
思わずため息をついた私に、リアム様はすぐに気がつく。
「どうしたのアリア嬢。なにか悩み事かな」
「っ! あ、い、いえっ、ちょっとこう……そう、お、お腹が空いたなって!」
私の誤魔化し方! 下手か!
自分でも意味がわからない言い訳をした直後、タイミングよく私のお腹がぐうっと鳴った。
……最低だ。
よりにもよって王子様の前で鳴るタイミングじゃない!
だけど優しいリアム様は、
「ふふ。じゃあ先にお茶にしようか」
微笑みながらそう言った。
怒っていない。むしろ楽しそうだ。
私はしょんぼりしたが、リアム様は、
「アリア嬢が素直なところ、僕は好きだよ」
と追撃してくる。
やめてぇぇ!
そんな風に言われたら、ますます好きになるぅ!
頭の中でリアム様に言われた好きだよという言葉がグルグル巡り、倒れそうになりながらもなんとか体裁を取り繕い、私はリアム様と一緒に席に着く。
案内されたテラス席に紅茶が運ばれてくる。
リアム様はいつもの蜂蜜を自分のカップに入れず、
「よかったら、アリア嬢から先にどうぞ?」
と蜂蜜瓶を差し出した。
優しい。甘い。甘すぎる。蜂蜜より甘い。
私が蜂蜜を入れる様子を、リアム様は穏やかに見つめている。
そして――その目がじいっと私を捉える。
「……?」
なんだろう。
優しいのに、静かに熱がある感じ。
まるで本気で、目の前の女の子だけを見ています、みたいな視線。
……いやいやいや。
ないないない。
そんなわけないでしょ!
私の好意の方が絶対強いし! 恋は盲目って言うし!
勘違いは危険!
そう必死に自分に言い聞かせた。
お茶を終えた後、約束通り温室を巡った。
リアム様は歩くたび私の手をそっと取って誘導してくれる。
ぎゃぁぁぁぁ! と精神世界で叫んだが、平然を装った。
「この薔薇も、アリア嬢が好きそうだね」
甘い声で囁かれる。
近い。距離が近い。リアム様の僅かな吐息を感じるレベルで近い。
「……き、綺麗ですね……」
声が裏返った。
もうダメだ……脳が溶ける……。
そんな、幸せ過ぎてむしろ呼吸困難にさえ陥りかけたデート(私視点)を終え、外に出ると――。
「アリア、今日は俺が迎えに来たぞ」
兄様が立っていた。
助かった! 帰れる! 脳が溶け切る前に!
「兄様!」
私は嬉しくて走り寄った。
すると、向かい合った兄様とリアム様が互いににこやかな笑顔を浮かべた。
――ただし、兄様はやっぱり顔が怖いので、獲物を目にした悪者みたいな顔だったけど。
「殿下、妹がお世話になりました。それでは妹は私が連れて帰りますので」
「君がわざわざ足を運ばなくても、アリア嬢は僕が責任を持って送り届けたのに」
二人は確か今通っている学園の同級生。
なんだけど。
……目の奥、二人とも笑ってなくない?
帰りに兄様に聞いてみた。
「兄様、リアム様と仲悪いの?」
「別に普通だ」
「でも、さっきなんだか、ちょっと……」
そう言ったら兄様が皺を寄せた眉間に指を押し当てる。
「……最近、お前に向ける殿下の視線がとんでもなく重くなってる気がするんだ」
「え? 気のせいじゃない?」
「いや、重い。絶対重い。俺の何かが反応してる」
「何かって何!? 気のせいだって! むしろ……私の方がリアム様のこと好きすぎて重いと思うんだけど」
「いーや、あいつの方が重いな。後多分黒い」
「黒い? リアム様はどちらかというと色白で……」
「そういうことじゃない! ……正直俺は殿下に可愛い妹を渡したくない。だってあの人絶対、異常に独占欲強いって。俺、このところお前の隣にいると尋常じゃないくらいの殺気を感じるんだが」
「だから、気のせいだよ!」
そんな会話を交わしながら帰った。
結論は出なかった。
○○○○
それから更に数年後。
私は十六になった。
つまり大人の仲間入り。夜会にも堂々と参加できる年齢である。
そして今日は、初めて参加する夜会当日。
あぁぁぁ心臓しぬしぬしぬ……!
私は着せられたドレスに震えていた。
リアム様が送ってくださった特注ドレス。
淡い桜色の生地に、花弁模様のレース。胸元には、リアム様が選んだ宝石のブローチ。
嬉しい……幸せ……でも死ぬ……、いや死にたくないけど、死ねるくらい幸せ。
感情が混線して壊れそうになりながら階段を降りていると、一番下で兄様が待っていた。
「アリア、殿下は遅れるそうだ。だから先に俺と行こうか」
「えっ、リアム様が……遅れる?」
なんだ、折角リアム様と一緒に行けると思ったのに……としょんぼりして俯くと。
「その必要はないよ」
聞き覚えのある声が目の前から聞こえてきた。
飼い主を見つけた犬のようにがばっと顔を上げると、そこにいたのはやっぱりリアム様だった。
リアム様は、それはもう完璧な姿だった。
黒い正装に金の装飾。
整った微笑みと輝く瞳は、まっすぐ私だけを向いている。
うわぁぁぁ、推しの正装姿半端ない! 目が潰れそう! 息できない……。
そんな風に思いながらあわあわしていると、兄様とリアム様が視線を合わせる。
そして。
「遅れると聞きましたが……?」
兄様が問いかけると、リアム様は微笑のまま答えた。
「予定は急いで終わらせてきたよ。アリアをエスコートする役を、他の誰かに譲るつもりはないからね。たとえ、兄上でも」
「……まだ俺は殿下の兄上ではありませんよ」
「あと数年もすれば兄上だろう?」
「まだ数年あります」
「そんなものは誤差だよ」
こわい、え、怖いよこの空気!?
笑顔で言っているのに空気がピリピリする。
二人の視線の間に立つ私は、完全に板挟みである。
そして――リアム様が私に手を差し出した。
「行こう、アリア」
兄様の視線が刺さった。
でも私は震えながらもリアム様の腕に手を添えた。
すみません兄様……でもやっぱりエスコート役はリアム様がいいんです……! と心の中で謝罪しながら。
馬車の中でも、横顔のリアム様が美しすぎて直視できない。
どうしよう……緊張がすごいなんてもんじゃない。
だけど私は一つ、確認したいことがあった。
「……あの、リアム様」
「ん? どうしたの?」
「その、兄様とは……仲が悪いんでしょうか……? 私、どっちも大好きなので……もしぎくしゃくしてたら悲しいなと思いまして」
そう言った瞬間、リアム様が少し驚いた顔をして、それから優しく笑った。
「大丈夫だよ。僕らはとても仲がいい。なにせ将来は兄弟になるんだからね。君が心配することは何もないよ」
「……そ、そうですよね……!」
何も疑えないほど綺麗で真っ直ぐな声だった。
だったら、うん、大丈夫だよね!
○○○○
だけど夜会の会場に入った瞬間――煌びやかなドレスを身に纏う王女様、もといヒロインを見た瞬間、私は重大な事実を思い出してしまった。
あれ、今日って……ヒロインとリアム様が初めて出会う日じゃん……!
自分の抜けっぷりに、膝が軽く震えた。
今日を迎えるまで、ドレス可愛い! とか、リアム様からの贈り物嬉しい! という気持ちでいっぱいですっかり忘れていたのだ。
私が悪役令嬢になるかもしれない、こんな重要な運命分岐の日なのに、私はのほほんと恋する乙女してたっていう。
私のバカ! 油断大敵すぎる!
リアム様の腕に手を乗せた状態で、精神は地面を転げ回っていた。
リアム様のカッコよさに心臓破裂してる場合じゃなかった!
会場の中心にいるヒロインは、それはもう美しい。
それだけじゃない、淡い柔らかな金髪、爽やかなスカイブルーの瞳。明るく、社交的で、誰をも惹き付ける笑顔で。
あぁ……実物で見てもこんなに綺麗で可愛かったんだ……。
そりゃリアム様も好きになるよね……ゲームでは。
なら、現実だってきっと……そう思いながら、恐る恐る私は横を見る。
が。
リアム様――ヒロインにちらっとでも目線を送るどころか、なんか、私を見てない?
……いや、私しか見てなくない?
視線がガン刺さりする。
結構な熱量……どころか、ちょっと瞳孔開きかけるように見えるのは、私だけ?
すると私の困惑を悟ったらしいリアム様が、いつものようにふわりと笑った。
……え、あれ? 今のは……偶然?
いやでも……なんかすごい目で見てた……気がするけど。
……うん、気のせいか。
もしリアム様が私のことを見てくれてるなら、それに越したことはない。
そうしてついに夜会は始まった。
曲が始まると、リアム様は当然のように手を差し出す。
「アリア。僕と踊ってくれる?」
「もちろんです!」
そして――まさかの三曲連続。休憩なし。
ダンスって結構体力使うんだよね……。
でも一緒にいられるのは嬉しい。
リアム様の手は熱く柔らかく、視線は常に私に落とされているから、余計に。
曲の終わり、
「大丈夫? 疲れていない?」
と囁かれ、返事は、
「大丈夫ですわ」
と、よそ行き完璧淑女の声で言ったけど内心はバテバテ。
それでも息がゼーハーしそうになるのを何とか耐えきった。
そしてその直後。
来た。ヒロインが近づいてくる。
「リアム殿下。差し支えなければ、次の一曲……私と踊っていただけませんか?」
ですよね!
予定通り!
ゲーム通り!
私は心の中で深呼吸する。
きっとこれからリアム様は彼女と踊るのだ。
その姿を見てゲームのアリアはハンカチを噛みちぎる勢いで悔しがり、ヒロインをターゲットにする。
でも大丈夫。落ち着け。私は悪役にはならない。
本当はちょっと悲しいし、リアム様が彼女に好意を寄せたらどうしようって不安もある。
けどここは、リアム様の私への気持ちがゲームの時よりも高いって信じるしかない。
よし、それなら余裕ある婚約者の顔で、この場はリアム様を譲らないと。
そう思って笑顔を作りかけ――その前に、リアム様が言った。
「ごめんね。僕は今夜、アリアとしか踊るつもりがないんだ」
ヒロインも私も固まった。
場の空気が五秒止まった。
「……そ、そうですか。ではまた別の機会に……」
ヒロインは笑って下がっていった。
「あの、リアム様、いいんですか……?」
ヒロインが去った後、こそっとリアム様に尋ねる。
するとリアム様は、室内のどの証明よりも眩しい笑顔で言った。
「今日は君の初めての夜会だよ? だから君の隣から離れるつもりはないよ」
「ぴゃっ……!」
ごめんなさいヒロインさんでも嬉しいごめんなさいでも嬉しい!
情緒が振り回されて瀕死だ。
その後、リアム様は言葉通り、一歩も私から離れなかった。
お菓子の並ぶテーブルに行く時も手を繋ぎ、飲み物を取りに行く時も腕を引かれ、そして再び会場の真ん中でくるくると踊り続ける。
嬉しさで死にそう。
と同時に思うのは。
これ鍛えないと本当に倒れそう……。
王妃教育は順調だけど、持久力と体力問題が露見し、その日は終わった。
○○○○
その後もヒロインはリアム様に接近してくる。
私は覚悟していた。
あの日は私の初めての夜会だったから、次はリアム様もヒロインと一緒に過ごすんだろうなって。
だけど――。
二度目の夜会。
後半、休憩スペースの近くで涼んでいると、ヒロインがふわりと笑顔で声をかけてきた。
「リアム殿下、それにフェンディール様。せっかくの夜会ですし、よろしければ一緒に中庭を散策しませんか?」
……来た。
ゲームでは、この散策が二人の親密度を爆上げしたイベントだったはず。
あと、私はお邪魔虫だろうなぁ。なんとなくヒロインの目が、私は必要ないって言ってる気がする。
が。
「悪いけど、僕はアリアと二人きりで過ごしたいんだ。中庭の散策なら、あそこにいるフェンディール令息を誘えばいいと思うよ」
「!?」
……ヒロインはあまり兄様に興味がなさそうとはいえ、確かに兄様も攻略対象の一人だったけど。
あと、兄様婚約者いないから、二人で一緒にいても問題はないだろうけど。
……なんか、ゲームと違わない?
内心驚く私をよそに、
「……まあ。そう、ですわね……。では、また」
ヒロインは微笑んで下がった。
私は嬉しいんだけど、本当にいいのかなってちらっとリアム様を見ると。
「僕が君と過ごしたいのは本心だよ」
と甘い言葉と笑顔をいただきました!
だめ、体溶けそう……。
加えてリアム様は、
「それに、兄上にはまだ婚約者がいないでしょう? 彼女とならお似合いだと思ったから」
「そんな、兄様のことまで考えて……!」
少し……大分顔が怖いのが理由っていう訳じゃないだろうけど、未だに兄様の隣は空席。
確かにあのヒロインとならお似合いかもしれない!
リアム様の優しさに、私のハートがまた撃ち抜かれて、好感度が上がっていくのだった。
○○○○
しかし!
ヒロイン挫けない。諦めない。
また別の夜会。
「殿下、実はダンスがまだ得意ではなくて……次の曲だけ、手ほどきをお願いできませんか?」
ヒロインの声音は真剣だった。瞳を潤ませ、本気で悩んでいるような顔。
このイベントもあったけど、彼女の姿に、私も思わずほだされる。
リアム様はダンスも上手だし、ここは彼女のお願いを聞いても……と私の方からリアム様にそう言おうと口を開いて――。
「彼と踊るといいよ。フェンディール令息はとても頼りになる」
「殿下、な、なんですか急に!」
いつの間にかリアム様が、会場にいた兄様の肩を掴んでいた。
「よろしくね」
「何がですか!?」
しかし兄様は殿下の笑顔とヒロインの姿を見て、思いっきり眉間に皺を寄せて唸った。
「っ、そういうことか……!」
が、ヒロイン。
「ひぇっ、やっぱ顔怖っ! 私この人攻略する気ないんだけどっ!」
そう小さく呟いたかと思うと、
「用事を思い出しましたので、また……!」
と吐き捨てるように言って足早に立ち去ってしまった。
……なんかさっき、攻略、って聞こえた気がしたんだけど、もしかしてヒロインさんって……。
仮にそうだとして、でも、これだけ全部リアム様が断ってるんだから。
……これはもう……断罪される未来、完全にないのでは!?
私は非常に前向きになった。
でも!
私のリアム様のこと好き度合いの方が絶対勝ってるから!
まだまだ油断しちゃダメ……もっと好きになってもらわないと……!
そこで出た結論。
……筋トレだ。
参加する夜会すべてで共通すること。
リアム様はずっと私とだけ踊っている。
リアム様は平気そうだけど、私、体力も筋力もまあまあ限界だ。
次の日絶対に筋肉痛になってるし。
つまり、恋愛の距離が縮まる=体力必須。
そこで私は筋トレを開始した。
黙って。秘密裏に。
家族にも言わず、侍女にも言わず。
○○○○
数週間後。
お茶会の日、リアム様と庭園を歩きながら優雅に紅茶を嗜んでいると――。
「ところでアリア。最近、筋トレしてるらしいね?」
紅茶を吹きそうになった。
「っ!? な、なぜそれをっ!?」
本当に誰にも話していない。
夜、部屋でひっそりスクワット・腕立て・謎の自主体操までしているのに!
リアム様は答えず、ただ柔らかく笑った。
その笑顔が逆に怖い。絶対なんか知ってる。
どこかにスパイいる? 侍女にばれてた?
私は必死に理由を探すも結局わからず、追い詰められた結果、ひらめいた。
「もしかして、私の筋肉に気づいたんですかっ!?」
急いでドレスの袖をめくり、以前よりほんの数ミリほど盛り上がった自慢の力こぶを見せた。
そうしたらリアム様は――吹いた。
「ぷっ……ふふ……っ」
今まで見たことない笑い方だった。
なんで笑っているのかは分からないけど、貴族的じゃない素の笑顔は破壊力満点で、私の顔も自然と綻ぶ。
「でもすごいですね! 本当に気づいていたなんて。よかった、私、結構頑張ってて……!」
ドヤ顔で言う私。
リアム様はひとしきり笑っていたけど、目の端についた涙を拭った後、理由を尋ねてきた。
なので私は、胸を張って語った。
「私、もっとちゃんと、リアム様のエスコートについていきたいので……! 夜会で何曲も踊ったり、これからもっと隣にいるためには、筋肉が必要だなって思いまして」
沈黙。
そして――リアム様の表情がふわっと変わった。
ゆっくり笑って、まっすぐこちらを見ながら。
「アリアは、本当に面白いね。そういうところが、僕はとても好きだよ」
「っっ!」
わぁぁぁぁ!!
好き……っ!? 好きって言われた!
でもきっと、私ほどじゃない!
私は100好きだけど、リアム様はきっと60くらい……!
だからもっと鍛えないと。心も、肉体も……!
そう拳を握った直後――私はうっかり口を滑らせた。
「あ、そうだ! 筋トレもですけど、最近は兄様とダンス練習も――」
その瞬間、空気が確かに変わった。風の温度が一度落ちた感じ。
リアム様は笑顔のままなのに、声だけが静かに降りた。
「それ、僕が全部見るよ」
「え? でも兄様が」
「僕が手伝うから。全部言って。何を練習するかも、何に困っているかも」
語尾が一切揺れない。
「……兄上に頼らなくていい。これからは僕が見る」
リアム様は優しく言ってるのに。
なぜだろう、背筋がピッと伸びた。
だけど、いい練習になるし、距離も縮むし、リアム様からの提案って、私にとっていいこと尽くめでは!?
このチャンスを逃すものかと、当然、私はこくりと素直に頷いた。
「はい、お願いします!」
「うん。そう言ってくれて嬉しいよ」
そう答えたら、リアム様が嬉しそうに笑ってくれた。
●●●●
僕は昔から「完璧だ」と言われてきた。
容姿。頭脳。立ち居振る舞い。期待される王子としての役割。
どれも難しいと思ったことはなかった。
やろうと思えばできるし、求められれば満たす。 幼い頃から、それが当然だった。
ただ――内心ではずっと思っていた。
……つまらない。
努力せずともできてしまうことほど退屈なものはない。
本来、子供らしくあるべき時期に、喜びも悲しみも、悔しさも感動も、何も湧かない。
自分が人間であるという実感が薄い。
優しいと思われるなら、それはそう振る舞っているだけだ。
表情を作り、声の高さを合わせ、間を調整すれば、誰にでも好印象は与えられる。
僕はそういうふうに組み立てられた人間だ。
――婚約についてもそうだった。
誰が婚約者でもよかった。
王妃教育の下地があれば十分。年齢や家柄の適性があるなら、それでいい。
フェンディール公爵令嬢は礼儀が整っている、と聞いていた。
なら、適切な距離で関係を築けばいい。
そう思っていた。
……彼女と出会うまでは。
初めて会った五歳の少女は――感情がそのまま顔に出て、言葉がもつれて、緊張して噛んで、目を潤ませて。
それでも必死に礼をする人間だった。
その礼は完璧だった。
「できる」のに「崩れる」。
矛盾した存在だと、瞬時に理解した。
そして――生まれて初めて。
もっと知りたいと思った。
僕にないもの。僕が既に失くしたもの。僕には作れない素朴な反応。
全部を余すことなく持っている少女――それがアリアだった。
会うたびに、彼女は素直に喜び、正直に困り、分かりやすく照れ、子供らしく誤魔化し、真面目に努力しようとして空回る。
その全部が可愛らしかった。
手を引けば驚き、褒めれば耳まで赤くなり、好物を出せば子犬みたいに目を輝かせる。
僕にとって初めて、僕の中に変化をもたらす相手だった。
それが嬉しかった。
これが「心が動く」ということなのだと、その時知った。
――だから、離す気はない。
フェンディール令息が僕を警戒していることは知っている。
彼は昔からアリアを溺愛している。
そして、それ故になのか、僕の年々重さと黒さを増す愛情に敏感なようだ。
だけど、彼が心配する必要はない。
僕はアリアを傷付けることはない。必ず幸せにするんだから。
彼女は僕の人生に、退屈ではない時間を与えてくれた。
僕はそれを手放すほど愚かではない。
むしろ――もっと彼女を知り、もっと彼女を惹きつけ、もっとこちらだけを見るようにする。
僕がそこまで執着しているなんて、彼女は全く思っていないだろう。
アリアは今日も、僕の隣で幸せそうに笑っている。
その顔を見ながら、僕の顔は今日も自然と綻んでいく。
これからも、アリアが僕のこの、少し歪んだ感情に気づかなくても構わない。
僕はもう、彼女から生涯視線を逸らす気はないのだから。
○○○○
私はリアム様のことが大好きだ。まだ私の方が好意の矢印は大きいだろうけど。
でも……いつか私以上に好きになってもらえる日が来る。
その時こそ、私の断罪フラグは完全消滅――そう信じて、私は今日も腕立て伏せをする。
……だけどリアム様の視線が最近ちょっと怖いほど重い気がするけど。
気のせいだよね? きっと。




