#9 心配するだけの話
しずくちゃんの、ある日の夜。
「ねえ、お姉ちゃん……最近、誰かに“見られてる”って感じしない?」
お風呂あがりで髪を乾かしていた私に、妹のひよりが、そんなことを言った。
ひよりは、リビングのソファーにぺたんと座って、マンガを広げたまま、あぐらみたいな座り方でアイスを食べている。お世辞にも品のある姿とは言えないけど、まあ小学生に対してガミガミ言うのもなぁと思い黙認する。肩までの長さの黒髪が首筋にくっついて、汗でちょっとだけハネてるのに、それすら“自然体”って感じで、まるで気にしない。まるっこい頬に、やたらと表情がよく動く茶色い目。目の形が丸いから、笑うとまぶしいくらいで、怒ると目玉が全部見える勢い。ちょっとした子役より表情が多彩。ほんのり焼けた肌に、いつも動きまわってるせいかうっすら汗のツヤ。そのわりに、まつげだけは妙に長い。
そして、家系なのか──“そこ”だけ、発育が早い。シャツの下、しっかりとふくらんでる胸元。プリントされたキャラクターの形が歪んでいる。
ひよりも、自分が気づいてないところで“視線を集める側の人間”になっていた。男子にも、同級生にも、近所のおばちゃんにも注目される。それが無意識なのが、またタチが悪い。
ドライヤーのコードを束ねて、私は思わず手を止める。
――誰かに“見られてる”って感じ。
たぶん、私は、そういった視線に敏感なんだと思う。もともとの自意識過剰な性格と、現在Kカップに達する胸。たぶん、小学校高学年くらいから、ずっと「胸の大きな同級生」だったと思う。だから、誰かに見られている感じは、常に感じているといっても過言ではない。
「……っ、え? 見られてる? え、それって……まさか、ひよりも感じてたの?」
常に視線に晒され続けてきたからこそ、今の私は、“ちょっとした視線”には鈍感になってしまったのかもしれない。その一方で、最近になって身体の発育が進んだひよりは、そういった視線に敏感なのかもしれない。もう、ひよりも、そういう年齢なんだ……。
「やっぱり……お姉ちゃんも、感じてたんだ……」
ひよりが、少しだけ声を落として、真剣な顔で頷いた。とはいえ、ひよりは、まだ11歳の小学生。私ならまだしも、このくらいの年齢の子どもにも、そんな視線が向けられることに恐怖を感じる。
ひよりですら分かるってことは、もしかして――本当に、誰かに――。
ストーカー、覗き魔。何らかの犯罪の匂いを感じ取る。私が守らないと!
確かに、私にも思い当たるふしはある。
「そう言われると、……最近、夜道なんかで特に、誰かの気配を感じる気がしてたんだよね。やっぱり、私の勘違いじゃなかったんだ……!」
お風呂上がりに近所のコンビニに行くとき、確かに視線を感じることは多い。手間を惜しんで、部屋着のままブラジャーを付けずに外出したのがよくなかったのかもしれない。やっぱり、カップ付きキャミソールだけで外に出るのはやめようと決めた。
「ほら……こういうのって、“持っている人”にしかわかんないんだよね」
ちょっと小声で、少し憂いを帯びたトーンで、ひよりは続けた。
“持っている人”。言い回しは気になるけど、確かに胸がある私たちは、“持っている人”なのかもしれない。目の前にいるひよりも、既に大人用のブラジャーを付けるべきサイズであり、おそらく平均的な成人女性よりも大きめに見える。私自身が、そういった理由での苦労を散々味わってきた。ひよりも、もうそんな経験をしていてもおかしくはない。
「やっぱり遺伝かな」
私は小さく呟いた。胸の大きさによる苦労を、ひよりには味わってほしくなかったけれど、避けられないのかもしれない。今後、私と同じような経験をすることになるのだろう。“先輩”として、何かサポートができたらと思う。
「……ひより、ちょっと、服装も気をつけたほうがいいかもね」
私は、できるだけやんわりと伝えたつもりだった。責めるような言い方にならないように、でもちゃんと伝わるように。ソファにあぐらで座って、スプーンを口にくわえているひより。Tシャツは肩が落ちて片方のブラひもが見えているし、短パンもほとんど下着みたいな丈。小学生が家の中でくつろいでるだけとはいえ、「そういう目」があるなら、気をつけるに越したことはない。
「気をつける? 服装を?」
「うーん、なんていうか……そういう視線って、私たちが何気なくしてることでも、相手には違って見えるから……狙われないように、なるべく目立たない服のほうがいいと思うよ。私もさ、昔いろいろあったから……」
私は、いつになく真剣なトーンで、ひよりに伝えた。視線を感じる。人の気配がある。だから、肌を見せないほうがいい──それは、“現実的な警戒心”から出た忠告だった。とはいえ、必要以上に性的なニュアンスを伝えることもない。
「寄せ付けないためには、どういう服がいいの?」
「べつに、全部を隠せってわけじゃないよ。おしゃれしたい気持ちもあるし、自由であるべきだって思う。でもね……目立つって、時に“武器”にもなるけど、同時に“標的”にもなるんだよ」
そう言って、私は自分の部屋着の袖を軽く引っ張った。肩まで覆う地味な色のワンピース。以前はもう少し明るい色で、体にフィットした服を着ていたことを思い出す。
「たとえばね……」
私は、説明するように指を折る。
***
ひよりちゃんの、ある日の夜。
お風呂あがりで髪を乾かしていたお姉ちゃんに、アイスを食べながら聞いてみた。
「ねえ、お姉ちゃん……最近、誰かに“見られてる”って感じしない?」
「……っ、え? 見られてる? え、それって……まさか、ひよりも感じてたの?」
「やっぱり……お姉ちゃんも、感じてたんだ……」
私は、少しだけ声を落として、真剣な顔で頷いた。霊感があるということは、あまり大っぴらにすることではないと思ったから。夜になり、ちょっと怖かったのもある。
このとき、しずくちゃんは、姉としての正義感に駆られていた。
その一方で、ひよりは全く別のことを考えていた。自分を特別に見せたい、ミステリアスに憧れる、注目されたい・支配したい、不安や寂しさ、でも特別な自分を信じたい。
……ひよりは、「中二病」を発症していた。当然、犯罪の匂いなんて、嗅ぎ取っていない。
“大好きなお姉ちゃん”の気を引くために、霊感アピールに手を出していた。
“誰かに見られてるって感じ”も、霊感がある私を演出するためのもの。お姉ちゃんが意外と食い付いてきたことに驚いてはいるけど、それはそれで理解してくれて嬉しい。私は、“お姉ちゃんも霊感がある人”だということに、強い繋がりを感じていた。
「そう言われると、……最近、夜道なんかで特に、誰かの気配を感じる気がしてたんだよね。やっぱり、私の勘違いじゃなかったんだ……!」
「ほら……こういうのって、“持っている人”にしかわかんないんだよね」
小学生の私は夜遅い時間の外出を禁じられているからわからないけど、霊感のあるお姉ちゃんは、ちゃんと夜道で気配を感じているんだ!
私は、少し背伸びして、ちょっと小声で少し憂いを帯びたトーンで、お姉ちゃんの話に共感した。私の中で今まさに、何らかの能力を“持っている”特別な私が形成されていく。
同じく“持っている”お姉ちゃんの話を理解すると、まるで世界の真実を知ったかのような万能感が手に入る。
「やっぱり遺伝かな」
お姉ちゃんがふとこぼした言葉を私は聞き逃さなかった。やっぱり、私の知らないところで、特別な能力が代々受け継がれていっている。順番的に次は私、これも“運命”なら受け入れざるを得ない。
「……ひより、ちょっと、服装も気をつけたほうがいいかもね」
「気をつける? 服装を?」
「うーん、なんていうか……そういう視線って、私たちが何気なくしてることでも、相手には違って見えるから……狙われないように、なるべく目立たない服のほうがいいと思うよ。私もさ、昔いろいろあったから……」
服装に気をつけて、狙われないようにする。それは、私にはない発想だった。そして、お姉ちゃんに、“昔いろいろあった”と言うのも初耳だった。思い返せば、確かにある時期を境に服の系統が変わった気がする。私の知らない間に、お姉ちゃんは“選ばれし者”になっていたようだった。
何らかの能力を“持っている”私に、与えられる使命。次に選ばれる者としては、そのあたりが気になってしょうがない。
「寄せ付けないためには、どういう服がいいの?」
「べつに、全部を隠せってわけじゃないよ。おしゃれしたい気持ちもあるし、自由であるべきだって思う。でもね……目立つって、時に“武器”にもなるけど、同時に“標的”にもなるんだよ」
***
「たとえばね……」
しずくちゃんは、説明するように指を折る。その内容は、露出を減らす、身体のラインが出すぎないようにする、落ち着いた色合いにするなど。
「……って感じかな。私も、最初は戸惑いがあったけど、服を変えてからは明らかに“視線”が変わったよ」
説明を終えたしずくちゃんは、少し照れくさそうに笑った。そんな姉の姿を、ひよりはじっと見つめる。そして、小さく「ふーん……」と呟いた。興味がなさそうというよりは、求めていたものと違ったのかもしれない。
ひよりは、食べ終わったアイスの容器をゴミ箱に捨てて、キッチンでスプーンを洗った。泡が胸元に飛び、ティッシュを探す。ゆるめのTシャツから、チラッと谷間が見える。
「ひより、無防備すぎ! 変な視線感じるなら、そういうのも気をつけたほうがいいよ」
ついさっき服装の話をしたばかりなのにと、軽く注意した。でも、ひよりはピンときていないようだった。
「……ひより、本当に視線感じるんだよね?」
「うん、感じる。よく“後ろに何かいる”みたいな気配があるの。たとえば、夜とか、学校から帰るときの階段の踊り場とか……」
「……!」
(学校でも……? 完全にストーカーの可能性もある……)
しずくちゃんは内心でそんなことまで考えていたが、ひよりの言葉は、さらに続いた。
「……あと、たまに窓の外に、女の人の影が見えたりとか……」
「えっ、それもう完全にヤバいやつじゃん……っ!」
「え? ……いや、だからそれって、そういう存在なんじゃないかと思って……」
「そういう存在……?」
「うん、霊とか、そういうの。……“視えちゃう”のかなって……私もお姉ちゃんも」
「…………」
しずくちゃんは、一瞬、時が止まったような顔をした。
「──えっ?」
「だから、霊感があると、そういう“視線を感じる”よね……?」
「……え? ……えぇ……?」
しずくちゃんは、まるで自分の中の前提が全部崩れ去ったかのような、困惑した顔を見せた。
「ちょ、ちょっと待って……じゃあ、ひよりは、“性的な目で見られてる”とか、そういう話じゃなかったの……?」
「なにそれ!? そっちの方が怖いよ!」
「うそでしょ……!? 私、ずっと……てっきり……!」
声がどんどん小さくなる。顔が一気に赤くなるのが自分でもわかる。
「ち、ちがっ……違うの! 私がそういう目線を受けること多かったから……てっきりひよりも、って……うわぁあぁ……恥ずかしっ……!」
両手で顔を覆うしずくちゃん。しばらくの沈黙。
「……お姉ちゃん……もしかして、めちゃくちゃシリアスなつもりで言ってたの?」
ひよりが小さく聞くと、しずくちゃんは、うんうんと小刻みに頷いたまま、顔を隠してうずくまった。
「……ほんとごめん……そんなに真剣に受け取られると思わなくて……」
「……いや、私も、勝手に妄想して暴走して……あぁもうっ! ひよりのせいだからね!?」
「えぇー!?」
ひよりは思わず吹き出して笑った。しずくちゃんも、顔を真っ赤にしたまま、むくれた顔でそっぽを向いている。それでもどこか、空気が少し柔らかくなった。
「……でも、ひよりに変な人が寄ってきたら、私、絶対後悔するから……。気をつけよ?」
「……うん」
照れながらも、素直に頷くひより。
「……でもさ、私はまだ、そんな変な目で見られたことないよ? なんなら、さっきのお姉ちゃんの視線が1番いやらしいまである」
「っっ~~~~!」
ひよりがそう言うと、しずくちゃんは一瞬きょとんとした後、赤面した。
確かに、ひよりの胸や谷間を見ていた。でも、それは、心配だったからで……。
「心配してくれたのは、ありがとう」
──それは、“中二病”から少しだけ現実に引き戻された瞬間だったかもしれない。でも、完全に治ったわけじゃない。ひよりの中にはまだ、「何かが“見えてる”私」の物語が生きている。ベクトルは違うけれど、ちょっとした妄想で暴走してしまう点は、姉妹に共通していた。
その日、ひよりのノートには、こう書かれていた。
《見える者同士は、引き寄せ合う……。私とお姉ちゃんは、運命で繋がっている……!》
現実と妄想の狭間を揺れる、11歳の小さな魂。数年後、彼女もまた自身の行動や発言の恥ずかしさに悶えることになる。




