#5 カーディガンを買うだけの話
校門を出たところで、しずくちゃんがブラウスの胸元をそっと押さえながら、僕を見上げた。
「……ね、今日さ。ちょっと寄り道してもいい?」
「寄り道?」
「うん……その、カーディガン……買いたいなって」
小さな声だったけれど、耳まで赤くなっているのがはっきりわかる。
しずくちゃんは、一日中胸元のボタンを気にしていた。
「いいよ。じゃあ、駅前のお店に行こうか」
「……ありがと」
平日の夕方の新百合ヶ丘駅前は、学生や会社員でにぎわっていた。
制服姿の僕たちが入ったのは、明るい照明に包まれた衣料品店。
壁一面にカーディガンやパーカーが並び、店内には柔らかな布の香りが漂っている。
棚ごとに「新作」「人気カラー」「おすすめコーデ」と札がかかっていて、足を踏み入れるだけで少し特別な気分になる。
「えっと……カーディガン、カーディガン……」
しずくちゃんは落ち着かない様子で店内を見回す。
普段あまり服を買わないからか、視線がきょろきょろしているのが分かった。
僕は当たり前のように、「大きいサイズのコーナー」と書かれた棚へ向かおうとする。
でもその瞬間、袖をぐいっと引っ張られる。
「……っ、どこ行くつもり!」
振り返ると、しずくちゃんの頬はもう赤い。
「わ、私、普通のところで探すから! 勝手にそっちに行かないでっ」
「え?」
「わ、私まだ普通サイズでいけるもん!」
小声だけど、必死の否定。
顔が赤いのは、恥ずかしいからか怒っているからか……いや、両方だろう。
「……ごめん。でも、そっちのほうが楽なんじゃ」
「楽とかじゃないのっ。……まだ、普通で大丈夫だから」
そう言って、彼女はブレザーの袖をぎゅっと握り、まっすぐMサイズのラックへ。
少しして試着室のカーテンが閉まる音がして――。
数分後。
カーテンがかすかに揺れ、しずくちゃんが姿を現した。
「……ね、ほら。普通に着れるでしょ?」
無難な薄いグレーのカーディガンを羽織り、胸の前で裾をちょんとつまんでいる。
確かに着れてはいる。けれど胸に生地が引っ張られて、腰回りがもっさりして見える。
鏡の前で身じろぎしながら、しずくちゃん自身も小さな声で呟いた。
「……太って見える、かも……」
鏡に映る自分に向かって、手でお腹や胸元をなぞるようにして確認している。
その動作すら、人に見られたら恥ずかしいと思っているのか、ちらりと僕の方を見てまた慌ててそっぽを向いた。
僕が言葉を探していると、タイミングよく店員さんが近づいてきた。
「よろしければ、こちらのコーナーもご覧になりますか?」
にこやかに手を差し伸べたその先は、「大きいサイズのコーナー」と書かれた棚。
「っ……! そ、そんな……!」
しずくちゃんは耳まで真っ赤にして、思わず後ずさる。
(……店員さんにまで太ってると思われた……!)
そんな心の声が聞こえてきそうな表情。
けれど店員さんは柔らかい声で続けた。
「こちらは、お胸が大きめの方でもシルエットが崩れにくいんです」
「胸が……お、大きめの……」
その単語をはっきり言われてしまい、しずくちゃんは両手で頬を覆った。
「よろしければ、試着されてみますか?」
店員さんに言われるがまま、しずくちゃんは渋々カーディガンを手に取った。
試着室に入る前、店員さんがさらに言葉を添える。
「こちら、胸まわりに余裕を持たせながらも、全体のラインはすっきり見えるんです」
「……っ」
しずくちゃんの耳がかすかに赤く染まる。
「立体裁断なので、グラマーサイズのバストでも自然に包み込むようにフィットしますし、型崩れもしにくいですよ」
「ぐ、グラマーサイズ……っ」
小声で繰り返してしまい、慌てて唇を噛んで黙り込む。
店員さんは、にこやかに商品の魅力を説明しているだけ。
でも、しずくちゃんにはまるで「胸が大きいから」と言われ続けているみたいに響いてしまう。
彼女は思わず胸元を両腕で覆うようにして、うつむいた。
(……やだ、なんで私、商品の説明じゃなくて……胸の説明をされてるみたいに感じちゃうの……っ)
しずくちゃんが試着室から出てきた瞬間、僕は言葉を失った。
さっきと同じグレーなのに、シルエットがまるで違う。
胸の下からすっとウエストへ沿っていくライン。生地が引っ張られていないから自然で、むしろ体型を綺麗に見せていた。
「ど、どうかな……?」
裾をつまんで、上目づかいで尋ねてくる。
僕は一瞬迷ったけれど、正直に言葉がこぼれた。
「……似合う」
「っっ~~~~!」
しずくちゃんの顔が一瞬で真っ赤に染まり、両手で頬を隠して背中を向ける。
「な、なにそれ……ばか……」
店員さんがにこやかに微笑んだ。
「やっぱりお似合いですね」
「~~っ……!」
その一言でさらに赤くなる。
最初は「胸が目立たない服」を探していたはずなのに。
しずくちゃんは気づけば、色違いを3着も抱えてレジへ向かっていた。
「……だって、せっかくだし……」
言い訳みたいに小声で呟くけど、耳の先まで赤いのは隠せない。
店舗を出て、夕暮れの街を歩く。
しずくちゃんは、早速買ったばかりのカーディガンを羽織っていた。
嬉しそうに袖をつまんで、歩幅もどこか軽い。
「……ね、なんか……ちょっと自信ついたかも」
「よかったね」
「うん……。でも、学校で着たら、みんなに『それ新しいやつ?』って聞かれそう」
「たぶん聞かれるね」
「で、『どこで買ったの?』って聞かれて、『駅前のあのお店』って答えると……」
「『あそこって高くない?』ってなるやつ?」
「そうそう! 絶対言われるやつ!」
「で、『お嬢様っぽい〜!』とかも言われると思う」
「それ、褒めてるの? そもそも、そんなに高くなかったよ」
「あっ!……あの、しずくちゃん」
「なに?」
「……値札、ついてる」
「えっ?」
首元を見下ろしたしずくちゃんは、慌ててカーディガンをひっつかんだ。
胸の下で、ひらりと揺れる値札。
「~~~~っ! もー、見ててよ! そういうのっ!」
顔を真っ赤にして、袖でばたばた隠すしずくちゃん。
僕は思わず吹き出してしまった。
そんな彼女の後ろ姿は、やっぱりちょっと誇らしげで、そして可愛かった。




