#18 部活に行くだけの話
秋の朝。日曜日なのに、リビングに現れたしずくちゃんは制服姿だった。
「……なんか、不思議だよね。日曜日に制服って」
「うん……。でも、しょうがないの。外部の先生の都合で、茶道部は毎週日曜なんだもん」
彼女はそう言って、小さくため息をつく。
部活動中は着物を着る決まりらしく、これから茶室での準備がある。
茶道で着物を着るには、体型を“着物向き”に整えなければならない。
凹凸の少ないほうが、直線的な布地には似合うらしい。
思わず、鏡の前のしずくちゃんに目を向ける。
可愛らしいシュシュを使って、髪型をポニーテールにしている
両手で髪をアレンジすると、豊かな胸も上に引っ張られるように動き、その存在感が増す。ブラウスのボタンが弾けるのではと心配せざるを得ない。
誰がどう見ても着物が似合う体型とは言いがたい。
「……んっ」
鏡越しに、彼女の頬がほんのり赤くなる。僕の視線に気づいたらしい。
「……な、なんか見てるでしょ」
「いや、ボタン飛びそうって思って」
「……ふーん。もうその手は通じないよ」
そう言って、しずくちゃんは、そっとボタンを2つ外した。
恥ずかしがらせようとした僕に対して、しずくちゃんの意外なリアクション。
「……ほら」
しずくちゃんはブラウスの第二ボタンあたりを少し引っ張って、その裏地を僕に見せる。
パチンと小さく音がして、ブラウスの間に仕込んだスナップボタンが、そのまま形を保っていた。
「前に、みゆさんに付けてもらったやつ。……これのおかげで、ちょっとだけ安心できるの」
小さな誇らしさと、どこか照れくささが混じった表情で、しずくちゃんは笑った。
その笑顔が、僕の胸の奥を優しく打つ。
「……すごいね、それ。全然開かない」
「ふふ。わざと引っ張っても、ちゃんと止まっててくれるの。……私の味方って感じ」
そう言って、手を離すと、スナップが自然とブラウスを元の位置に戻す。
その様子を見ながら、しずくちゃんは少しだけ胸を張ってみせた。
「……目立つのは嫌だけど。でも、これがあると……ちゃんと、前を向ける気がするから」
「うん。そういうのがついてるって外側からは全然わからないね。よかったね、安心できて」
「……ありがと。……ふふっ、これでボタンの心配はしなくて済むかな」
「うん。ていうか、前より堂々としてる気がするよ?」
「えっ……そ、そんなことないってば……!」
頬を赤くしながら、しずくちゃんはリボンの形を整える。
その仕草が、いつもよりちょっとだけ軽やかに見えた。
「でも……確かに、ちょっとは前より気にせずに動けるかも。それって、地味に嬉しいよね」
「安心できるって、地味だけど大事なことだよ。特に毎週のことだし」
「……うん。今日も、ちゃんとお点前できるように……頑張ってくるね」
着付けでは、体型を着物に合わせる。直線と平面で構成された布地に。
しずくちゃんの場合は、胸を潰して、胸下を膨らませることになる。
胸を潰すためによく使われるのは、和装ブラ。だけど、市販のものではしずくちゃんに合うサイズがなくて、ノンワイヤーのブラで胸を潰す。
そのブラも、なんというか使い込まれている印象……。
「こういうのをジロジロ見るの良くないよ……?」
「ご、ごめん」
「私だからいいけど、他の人にはそんなことしないでね」
「それは大丈夫。しずくちゃんにしか興味ないから」
「っっ~~~~! もうっ!」
胸下にはタオルを当てて、身体の凹凸をなくす。
「……またタオル増やさないとだめかな」
独り言のように呟いて、畳んだタオルをバッグに詰め込む。
「昔は2枚で済んでたのに……今じゃ、5枚……」
「また、大きくなったんだね」
「言わないでよ……!」
慌ててバッグの口を閉じる。その仕草さえもぎこちない。
詰め込みすぎたバッグはパンパンで、持ち上げるとずしりと肩に食い込む。
ベルトを斜めがけにした瞬間、布が胸の谷間を通り抜けてぴったりと収まる。
そのせいで、かえって胸の大きさやかたちが際立ってしまう。
「……やだ、目立つ……」
カーディガンの前を押さえ込み、俯いたまま小声で漏らす。
「別に、誰も気にしないって。平常運転だよ」
「気にするの! ……私が」
恥ずかしそうに唇を尖らせ、肩をすぼめる姿は、まるで試合前に緊張している選手のようだった。
「……でもさ、さっきスナップボタン見せてくれたとき、自然と僕に下着見せてたよね?」
言った瞬間、しずくちゃんの顔がみるみる赤くなる。
「っ……それは、ち、違うの……!」
「いや、こっちは正面から見せてもらったから、いまさら気にすることなくない?」
「ちがうの……全然ちがうの……! 好きな人に見られるのと、そうじゃない人に見られるのは……全然、意味が違うから」
「え……」
その言葉に、一瞬、息が詰まる。
「……あのときも、平気だったわけじゃないよ。恥ずかしかったし、見せたかったわけでもないけど……でも、“見られてもいい”って思えたの」
「……そっか」
しずくちゃんは、他の部員に着替えを見られるのが恥ずかしい。それに、胸の分だけ着付けの工程が多く、時間がかかってしまう。
だから、誰よりも早く学校の茶室に向かうのが習慣になっている。そこで、ゆっくりと着付けをするみたい。
でも、今のしずくちゃんには、その習慣が必要なくなっているように思える。
胸以上に、内面が成長している。……本人は自覚していないようだけれど。
「いってらっしゃい」と僕が声をかけると、しずくちゃんも「行ってきます」と応える。
……と、そのまま出て行くかと思ったら、玄関の前で立ち止まった。
「……ねえ」
背中越しに、小さな声が返ってくる。
「“行ってきますのキス”って、そろそろ、したほうが……いいのかなって」
「えっ?」
「や、やっぱりナシで! 忘れて!」
「いや、したいなら……その、僕も別に……」
僕が言いかけると、しずくちゃんがそろそろと振り返る。
頬が赤い。耳も赤い。目も潤んでて、もう泣きそうなレベルで緊張してる。
「……じゃ、じゃあ……ちょっとだけ、目つぶって……」
言われた通りに目を閉じる。僕の心臓が、ひどくうるさい。
だけど……いつまで経っても、何も起こらない。
恐る恐る目を開けると、しずくちゃんは、顔を両手で覆って、しゃがみ込んでいた。
「むり……! やっぱむり……!」
「しずくちゃん!?」
「だ、だって……顔近づけたら……ドキドキがもう……っ」
恥ずかしさのあまり、顔を隠したまま小声で抗議してくる。
「……次、絶対成功するから……今日は、予行演習ってことで……!」
そう言って、立ち上がると、そそくさと靴を履く。
「い、いってきますっ!!」
「あっ、うん、行ってらっしゃい……!」
バタン、と玄関の扉が閉まる。
僕はその場に立ち尽くしながら、思わず苦笑した。
——でも、なんかいいな。こういうのも。




