#17 装備するだけの話
土曜日の午後、駅前のショッピングモールはにぎわっていた。人混みを避けるように、ひよりは姉のしずくちゃん後ろをちょこちょこと歩いていた。
「緊張してるの?」
「うん……なんか、変な感じ……。」
「大丈夫だよ。誰でも通る道なんだから。」
にっこり笑って、ひよりの手をそっと引いた。向かったのは、女性向けの下着や服を扱う明るい雰囲気のショップだった。店内は落ち着いた音楽が流れ、ふわっと柔らかい香りが漂っていた。
早熟なひよりは、大人用のブラジャーを必要としていた。そして、5年生にして中二病を発症している。
「わあ……! これ全部、下着……! うわっ、カラフルー!」
目を輝かせて下着売り場に飛び込んだひより。まだ子ども用コーナーにいそうな年齢で、妙にハイテンションなのが浮いている。しずくちゃんは、ひよりの背中を追いながら、そっと周囲の視線を確認する。
(……子どもなのに、下着売り場ではしゃがないでよ、もう……)
「お姉ちゃんっ! これ、どう!? こういうの“持ってる者”っぽくない?」
振り向けば、ひよりが手にしていたのは──
やたらゴージャスなレース、控えめに言ってお色気全開なブラジャー。
「やめなさい。今のひよりが着たら“持ってる”ってより、“持て余してる”になるから!」
しずくちゃんがブラの棚を見ていると、ひよりが戻ってきて、耳打ちしてきた。
「ねぇ……お姉ちゃん……“サイズ、測ってもらうやつ”……って、どうしたらいいの……?」
その声は、いつものひよりよりずっと小さくて、少しだけ震えていた。
(中二病こじらせてても、やっぱり緊張するよね……)
「スタッフさんに声かけて、一緒に行く? 一人じゃ不安でしょ」
「……うん」
しずくちゃんが店員さんに声をかけ、ひよりはカーテンの奥に案内される。
「少し緊張するかもしれませんが、大丈夫ですよ。成長してる証拠ですからね。」
店員さんの声に、ひよりは少しだけ安心した顔になった。
しばらくして、カーテンのすき間からちらりと顔を出した。
「……お姉ちゃん……」
「なに?」
「……この儀式、思ってたより“本物”なんだけど……!」
「だから“儀式”って言わないで」
店員さんは慣れた手つきで、ひよりのバストの位置、アンダーのラインを測る。
「はーい、ちょっと腕を下ろして楽にしてくださいね~」
(あっ、あっ、なんか……なんか恥ずかしい……!)
(これが、“持ってる者”の通過儀礼……!?)
(──今、聖なる数字が告げられる。私の“真の姿”が明らかになる……!)
「はい、トップ82cm、アンダー65cmで……うん、ではこちらのサイズが合いそうですね~」
「……っ!」
カーテンの奥で小さく震えるひより。
(このサイズ……! 私、今……“ステージを超えた”……!!)
しばらくして、採寸を終えたひよりが出てくる。しずくちゃんと一緒に選んだ淡いラベンダー色のブラジャーを試着して、ひよりは鏡の前に立った。
「……どう?」
「うん、すごく似合ってる。」
鏡に映る自分の姿を、ひよりはじっと見つめた。いつもより少しだけ大人びたように見える。まだ慣れないけれど、それでも、なんだかうれしかった。
その直後、しずくちゃんにドヤ顔を決める。
「……お姉ちゃん……」
「うん?」
「私さ、やっぱり……“選ばれた側”だったよ……」
「えっ……?」
「これ、Dカップだって……!!」
「はいはい、もうちょっと静かに“選ばれて”くれると助かるんだけど……」
「えー!? でも、これってさ、選ばれし者の運命って感じしない?」
(……は、始まった……)
しずくちゃんは、頭を抱えたくなるのを必死に堪えた。
「だってさ、普通のサイズはSMLとかじゃん。でもこっちは“ABCD”だよ!? これってもう……ステージが違うってことじゃん!?」
「……あーはいはい、じゃあDは“第4形態”ってこと?」
「いや、むしろ“D=Destiny”の“D”でしょ」
「えっ、じゃあAは?」
「“Apprentice”」
「Bは?」
「“Beginner”」
「Cは?」
「“Candidate”」
「全部ちゃんと考えてるの!?」
「もちろん! だってこの“カップ階級”は、進化の証だから!」
しずくちゃんは、頭を抱えそうになりながらも、なんとなく笑ってしまった。こういうところ、ひよりは全力だ。ある意味で、迷いがない。
「……うん、たしかに。ひよりは、自分にしかないものを見つけたって感じなんだね」
「そうそう! これって、もう“与えられた使命”っていうか……私に課せられた運命だと思うの」
「……使命ね。でもさ、使命って言うなら……ちゃんと大事にしなきゃだめだよ?」
「うん。だから私、“守るべきもの”のために生きるって決めたの」
「……なら、キャミソールも買ったほうがいいよね」
「え、なんで? お姉ちゃん、いっぱい持ってるでしょ?」
「うん。でも……ちゃんと“守る”ために、ね」
「守るって……なにを?」
首をかしげるひよりに対して、しずくちゃんはちょっとだけ口元をゆるめて、冗談めかして言った。
「だって、“選ばれし者”が持ってる大切なものだから。ちゃんと包んで、支えて、守ってあげないと。ひよりも必要でしょ?」
ひよりの目がぱあっと輝いた。
「わかってるー! そうそう! 胸ってね、“守るべき使命”があるんだよ! だから私、ちゃんと率先して大人用のブラジャーしてるんだから!」
「実際に、シャツの下に何も着てないと、ブラの形が透けたり、動いたときにズレたりしやすくなるの。そうなると、余計に目立っちゃったりして、恥ずかしいでしょ?」
「……うん、たしかに……」
「キャミソールを着ておけば、そういうのを防げるし、ブラも長持ちするし、肌も守ってくれる。汗も吸ってくれるから、夏場は特に大事なんだよ」
ひよりは、しずくちゃんの手元をじっと見つめながら、小さくうなずく。
「……そうなんだ……。私、ただの“かわいいインナー”って思ってた」
「それでもいいけどね。かわいいのを選ぶのも、気分が上がるし。でも、それだけじゃないって知ってると、自分の体をもっと大切にできると思うよ」
ひよりは手に取っていたキャミソールを胸元に当てながら、真剣な目で鏡を見つめた。
「……じゃあ、ちゃんと選ばなきゃだね。“持ってる者”として」
「そうだね。“選ばれし者”なら、そういうとこからちゃんと始めないとね」
しずくちゃんの口元には、少し照れたような、それでいて優しい笑みが浮かんでいた。
「そうなのっ! お姉ちゃん、分かってきたじゃん!」
嬉しそうに頷くひより。その無邪気な自信に、しずくちゃんは思わず笑ってしまった。
しずくちゃんは小さく笑ってキャミソールの棚に移動すると、ひよりもついてくる。
「ひよりも、自分に合うの探してね」
ひよりがキャミソールの棚を探っているしている間に、しずくちゃんはちらりとスマホを見た。私も、これから行うべき“使命”がある。
(……いや、ひよりの言い回しがうつったかも)
ショップの奥にあるカウンターには、名前を呼ばれるのを待っている取り置きの袋がひとつ。しずくちゃんは、数週間前に、こっそり店で採寸して注文していたのだった。
(……そろそろ、受け取りに行こうかな)
誰にも見られないように、さりげなく足早にカウンターへ向かう。もちろん、ひよりにも気づかれないように。できれば、キャミソールに夢中になっている間に終わらせたい。
落ち着いたネイビーに繊細なレースがあしらわれたブラジャーとショーツのセット。普通の売り場には並んでいない、特注サイズ。
「すみません、予約していた商品……届いてますか?」
「あ、園宮しずくさんですね。お待ちしておりました。こちらです。」
店員さんがそっと袋を差し出す。目立たないように、紙袋に入れてくれているのはありがたい。受け取った瞬間、しずくちゃんは反射的に辺りを見回した。
(よし……ひより、まだキャミソールに夢中みたい……)
そう思った、まさにそのとき。
「お姉ちゃーん! これとこれ、どっちが“持ってる者”感あると思う!?」
「~~~~っっっ!!」
思いっきり振り返ると、そこにはキャミソールを両手にぶんぶん振ってるひよりの姿。……だけじゃなかった。しっかり目が合ってる。しかも、その視線は、紙袋のほうに吸い寄せられていた。
「ん? それなに?」
「え、え、いや、これは、その、ただの……予約してたやつで……」
「ふーん……どれどれ……?」
ひよりが、猫のように静かに、そして意外と素早く近づいてくる。
「ちょ、ちょっと待って、それは――」
「……見えたっ!」
しずくちゃんが隠そうとしたその一瞬の隙をついて、袋の中をのぞき込んだひよりの目が、点になる。
「…………L?」
店内に、ふわっと時間が止まったような沈黙が訪れる。
「……えっ、お姉ちゃん、まだSとかMとかのサイズだったの!? 子ども〜?」
「ちがっ……っ、ちがうの! これ、そういうLじゃないから!」
「え、え、だって服ってSMLでしょ!? じゃあLって……子ども用の大きめサイズじゃん!?」
「もう! ちがうの!! それ、“バストのカップサイズ”のLなのっ!!」
「…………え?」
ひよりが硬直した。
「え、え? え? ええええっ!? カップって……Lまであるの!?」
「そうだよっ……あるんだよ……」
「ABCDEFGHIJKL……」
「数えないの!」
耳まで真っ赤にして、しずくちゃんは小声で答えた。
「じゃあ……私のDカップって、全然じゃん……。『立派なお胸ですねー』とか言ってたけど、さっきの店員さんが小さかっただけ?」
「そういうこと言わないの!」
しずくちゃんは、ひよりの耳元で、平均的な成人女性のバストサイズについて説明した。
そして、しずくちゃん自身が、そこからどの程度逸脱しているのかを説明した。
当然、顔は真っ赤で、もはや表情は涙目に近い。
「……Lカップってさ……さすがにデカすぎでは?」
「言わないでってば……!」
しずくちゃんは顔を真っ赤にしながら、紙袋を身体の後ろに回した。けれど、完全に隠しきれるわけもなく、ひよりはジト目で姉を見上げる。
「Lって、もはや“服”っていうか“収納”じゃん……。そうやって手を後ろにまわして強調されると、改めて凄いサイズだと思うよ……」
「ほんと、やめて……! そんなつもりもないし、お店でそういうこと言わないの! ……恥ずかしいでしょ?」
「え、なんで? すごいことじゃん。ドドンと構えてさ、私は選ばれた女ですけど? って顔すればいいのに。“Legend”なんだし」
しずくちゃんは深くため息をついた。
「……ねえ、ひより。逆にさ、あなたが今お店で『Dカップです!』って声に出されたら、どう思う?」
「……え?」
「スタッフさんに、『Dですね〜♪』って大きめの声で言われたら、恥ずかしくない? 友達とかクラスメイトとか近くにいたらどう思う?」
「いや、でも私は……選ばれし者だから」
「は?」
「私がDなのは偶然じゃなくて、選ばれし者の宿命だから……。これはもう、運命に刻まれた血の契約……!」
「なに言ってんの……」
「しかも、私には、高貴なる義務がある」
しずくちゃんは、ぐらりとよろめいた。話が通じない。
「……はあ?」
「だって私のクラス、たぶん胸のない子が大半なのに……私だけDとかさ、これはもう……啓蒙すべきじゃない?」
「……啓蒙?」
「“この先、こうなるんだよ”って、示してあげるの。ちょっと気まずそうにしてる子には、私が希望を届けるの。私の成長は、後進の道標だから……」
(……なんで、こんなに自信あるんだろ。私なんて……ずっと、“周りの目が気になる”ばっかりだったのに)
それが、羨ましいと思った。ひよりは、しずくちゃんの視線に気づかず、ひとり満足げに頷いている。
「……はいはい」
そう言いながらもしずくちゃんは、ふっと笑っていた。妹のその根拠のない自信と、どこか突き抜けた明るさが、ほんの少しだけ、まぶしく感じたのだった。
(……なんだかんだで、こういうところ、ひよりには学ぶこと多いのかも)
「でも、ひよりもきっとなるよ。……私くらいには、ね」
「へ?」
キャミソールを手にしていたひよりが、不意に顔を上げた。
「なにが?」
「なにがって……大きさの話」
しずくちゃんは、少しだけ視線をそらして、バツが悪そうに笑う。
「……ああ、胸の?」
ひよりはまったく気にする様子もなく、ぽんっと自分の胸を叩いた。
「ふふん。やっぱり私、選ばれし者だからねー!」
「はいはい……でもね、大きければいいってものでもないんだよ」
しずくちゃんはそう言いながら、近くに並んだスポーツブラの棚に目をやった。
「走ると揺れるし、肩もこるし、寝るときも邪魔になるし……。あと、水着とか制服とか、合うサイズがなかったりするの。体育のときも、目立ったり、いろいろ工夫しないといけなくて……結構、大変なんだから」
「……そっか。大きいのも、ラクじゃないんだね」
「うん。あとね、学校の水着も特注になるの」
「えっ、そうなの?」
「うん。普通のスクール水着、胸のあたりが合わなくて……。ちょっと動くだけでズレたり、縫い目が引っ張られたりするんだよ」
「うわ……それ、めっちゃ大変そう」
「そう。だから、ちゃんとサイズを測って作ってもらわなきゃいけないの。今日も、実はその水着の受け取りに来てたんだ」
「えっ、そうだったの!? ブラじゃなくて、水着も!?」
「そうだよ……。お店で取り寄せてもらったの」
しずくちゃんは、少し照れくさそうに笑ってから、小さく息を吐いた。
「ほんとは、ひよりがキャミソール選んでるうちに、こっそり受け取ってこようと思ってたんだけどね……。ま、もう隠しても仕方ないか」
「いいよ、一緒に行こっ!」
ひよりがにこっと笑って言う。その無邪気な顔に、しずくちゃんはつい苦笑いを返した。
「……わかった。でも、あんまり大きな声出さないでね? 店員さんが困っちゃうから」
「わかってるって~。“Legend”の受け取りなんでしょ?」
「……その呼び方やめなさい」
2人は軽く笑い合いながら、ショッピングモールの端にある、小さなインポート専門のランジェリーショップに向かう。ガラス張りの静かな店内の奥、受け取りカウンターへ向かう。ショッピングモールの喧騒が少し遠ざかり、控えめな音楽と、柔らかな香りがふたりを包み込む。
店員が笑顔で迎える。
「園宮しずく様ですね。ご予約のお品、こちらになります」
白い紙袋がそっと差し出される。袋の中には、落ち着いた紺色のスクール水着。見た目は普通の学校用だけれど、生地の厚みもサポート力も、既製品とはまったく違う。タグには「Lカップ対応・特注」と控えめに印字されていた。
ひよりがちらりと袋をのぞき込み、興味津々に尋ねる。
「これが……特注の水着?」
「そう。動いてもズレないように補強してあるんだって。普通のより生地が厚くて、形もきれいに出るみたい」
「なんか、凄そうだねっ」
「……これも、選ばれし者の大切なものを守るための……“神器”ってやつ、かな……」
しずくちゃんは手に取った柔らかなキャミソールを眺めながら、ぽつりとつぶやいた。
その言葉に、隣のひよりがぴたりと動きを止めた。じっとしずくちゃんを見上げて、目をまんまるにする。
「……え、なにそれ」
「え、いや、その……ほら……」
「お姉ちゃん、それはちょっとクサすぎない?」
「~~っっ!!」
「ひよりの設定にあわせたんだよ?」
しずくちゃんは顔を真っ赤にして、慌てて水着を戻そうとする。けれどひよりはニヤニヤしながら、その手を止めた。
「えー、いいじゃんいいじゃん。お姉ちゃん、こういうの言うとき可愛いよ?」
「か、かわ……やめてよ、そういうこと言わないの!」
ひよりはけらけらと笑った。でもその笑顔のあと、少しだけ真面目な声で言った。
「でも、なんか分かったかも。大きいって、ただ目立つだけじゃなくて、ちゃんと支えたり守ったりしなきゃいけないんだね」
しずくちゃんは、ふっと目を細めた。
「……うん。そう。だから“守るためのもの”を選ぶの、大事なんだよ」
「そっか……。じゃあ私も、今日選んだキャミソール、大切にするね」
「うん。それがいちばんいいと思う」
夕方の光が、店のガラス越しに差し込む。二人の影が並んで伸びる。袋を抱えるしずくの横で、ひよりが楽しそうに歩いていた。
「……ねえ、ひより」
「うん?」
「次、プールの授業、あるんだけど。私、ちょっとだけ怖かったんだ」
「……うん」
「でも、着るよ。これ。ちゃんと、自分で選んだやつだから」
「うん。すごく、いいと思う」
その言葉には、嘘がなかった。ひよりは、子どもっぽいところもあるけど、今日の彼女は、間違いなく、少しだけ“お姉さん”に近づいていた。なんだかんだで、ひよりを連れてきてよかった。




