#15 守るだけの話
夏の夕方、駅前にはセミの声と微かに涼しい風が混じっていた。
この日、私は、しずくちゃんと再び会う約束をしていた。
待ち合わせ時間にはかなり早いけど、向ヶ丘遊園駅の南口ロータリーには、既に制服姿のしずくちゃんが立っていた。
深いボルドーのサテンリボンの夏服、薄手の白いブラウスが、まるで彼女の心のように張り詰めていた。川崎市内で一番と言っても過言ではないくらいに大きな胸が、ブラウスを突き破るように、その存在感を主張している。
「……しずくちゃん、ボタン、ちょっとキツそうだね……」
「……はい。今日も、ちょっと動いたら……第二ボタンが外れそうになっちゃって……」
彼女は困ったように笑うと、そっと胸元を隠す仕草をした。
その言葉を聞いた瞬間、胸の中に、ふわっと何かが灯った。
「……じゃあ、うち来る? 少しだけ裁縫の話もしたいし。制服、改造してあげるよ」
しずくちゃんは、驚いた顔をしたあと、ほんの少し照れたように頷いた。
私の部屋までは、駅から歩いてほんの十数分。その道すがらも、しずくちゃんは終始胸元を気にしていて、何度もそっとリボンを握り直していた。
「……みゆさんの家、初めてなので……なんか緊張します……」
「そんなに構えなくて大丈夫だよ。散らかってるかもだけど」
しずくちゃんは小さく笑って、それからまた少しだけ胸元を押さえる。
(やっぱり、ずっと気にしてる……)
少しでも気を紛らわせようと、私は何気ない話題をふってみた。
「あ、そういえば、前にしずくちゃんが好きって言ってた『お互いに好きって言わないと出られない部屋に閉じ込められたけど、アイツが恥ずかしがって口に出さないからずっと2人きりな件』読んだよ」
「どうでした?」
「……めっちゃ甘かった。ていうか、読んでるこっちがムズムズした」
「ふふっ……あれ、焦らされますよね。あと、無駄に背景の描写だけ綺麗だったりして」
「そう!二人の間の距離が何センチとか、手の動きだけで1ページ使ってたり」
「でも……その”何センチ”が、大事なんですよ」
しずくちゃんは、そう言って少し前を向いた。夕暮れの風がリボンを揺らす。
「ああいうのって、言葉じゃなくて、伝わってるかどうかに意味がある感じがして……」
「……うん、わかるかも」
私は思わずしずくちゃんの横顔を見た。笑っていたけど、その目はどこか遠くを見ているようで、どこかで、自分自身にも重ねているような、そんな表情だった。
少しして、家に着く。小さなワンルームだけど、それなりに清潔感を保っているつもり。
鍵を閉めるときに、このまましずくちゃんを閉じ込めておきたいと思ってしまった。
煩悩を振り払うように、裁縫道具をテーブルに出しながら言う。
「これで、裏地にスナップボタン付けよう。あたし、創作用にこういうの結構調べて、自分でも何度か作ったことがあるから」
「えっ……すごい。私はこういうの……何も知らないです」
「しずくちゃんのサイズでやってないのは無防備すぎ! 私のサイズでも使うことあるからね」
「そういうものなんですね」
「安全ピンより安心で、ボタンが飛ぶ心配もない。……つけてみようか?」
しずくちゃんは一瞬、驚いたように眉を上げたあと、小さく頷いた。
「……じゃあ、ブラウス、脱いでみて。作業しやすいように」
言われてすぐに、しずくちゃんの頬が真っ赤になる。
「……あの、な、何か羽織るものとか……」
「あ、ごめんごめん! これ着てていいよ。私のだから、ちょっと露出多いかもだけど」
そう言って、ゆったりとしたオフショルダーのニットを渡した。
胸元が空いているから窮屈さもなくて、しずくちゃんにとっても快適だと思う。
安心したしずくちゃんは、ブラウスのボタンをひとつずつ外していく。
深い谷間と、見たことがないサイズのブラジャー。
「今、何カップあるの?」
「……あの……最近、Lカップになっちゃってました。……さすがに、もう成長しないとは思うんですけど……」
「そっか……やっぱり、大きいなって思ってたけど……無理してない?」
「……はい。無理……してると思います。特に、制服は……私だけ目立っちゃって……」
彼女の声は、自分の身体を責めているような響きだった。
「そういうの、我慢しなくていいよ。誰も悪くない。しずくちゃんのせいじゃないから」
「……でも、いつも気にしてばっかりで、バカみたいですよね」
「そんなことない。しずくちゃんは、自分のことちゃんと大切にしてる。でも、そういうのって、本当はもっと楽でもいいんだよ」
「このスナップひとつあるだけで気持ちが全然違うんだよ。わたし、コスプレ衣装とかで何度も救われた人を見てるから」
「……ほんとに……守ってくれるんですね……こういう小さなものでも」
しずくちゃんが私の服を着ると、自然と谷間が溢れる。それはとても魅力的だった。
たぶん、彼女は自分から谷間を出す服装をしたことはないはず。
こういうのをきっかけに、少しでも自信を持ってほしい。
「ほら、しずくちゃん、こういう服も似合うよ」
「……はい、まだ、ちょっと……恥ずかしいですけど」
ブラウスをテーブルに広げて、特に、胸元の開きやすい場所、気になる場所を聞いてみる。しずくちゃんは、頬を赤らめつつ、第二ボタンと第三ボタンの間を指で示した。
「了解! 任せて」
針に糸を通しながら、私は静かにそう言った。
裁縫箱からスナップボタンをひとつ手に取って、針を進める。
「そういえばさ……今期のアニメ、『お嬢さま、恋など無理ですわ!』って観てる?」
「……はい。観てます。あの……ちょっとだけ勇気を出すシーンにすごい共感しました……」
「まさか、しずくちゃんが観てるとは。主人公のお嬢様、めちゃくちゃ恥ずかしがり屋で可愛いよね。ツンもデレも不器用すぎてさ」
「……でも、あれが……本当の優しさだなって、思って……。自分の気持ちを隠すの、うまくできない感じが……なんか、分かる気がして……」
「分かる。わたしもね、最初あの子ただのテンプレ巨乳キャラかと思ってたけど、3話の図書室のシーンで一気に推しに変わった」
「……わかります……! あのとき……『わたくしの気持ちは……風で飛んでいったことにしてくださいまし……』って……」
「そう、それそれ! 恥ずかしすぎて赤面しながら言うあれ、最高だった……!」
そう言いながら私は、しずくちゃんのブラウスのボタンの間をそっと測る。
しずくちゃんも、時々屈んで私の手元をじっくりと見て、小声でなるほどと納得している。
「はい、ここにスナップ付けるとちょうど良さそう。あの子もこういうの付けたら、服の乱れ気にせずに告白できたのにね」
「……ふふっ。きっと、気づいてても恥ずかしくて言えないんだと思います……」
「まるで誰かさんみたいだね?」
「……っ……そ、そんなこと……っ。私は……少しは、頑張ってるつもりです……」
「へぇ、しずくちゃんも、好きな男の子とかいるんだ〜」
「……っ……い、いやいや……っ。私は、彼氏なんていないですし、つくる予定もないですからっ」
そう言って、照れたように目を逸らすしずくちゃんを見て、私は糸を引きながら、ひとり小さく笑った。
「……こうやって付けておけば、もしボタンが外れても、ちゃんと中で止まるから」
「……すごい……安心できます、これ……」
「でしょ?」
少し得意げに微笑む私に、しずくちゃんも自然と顔をほころばせる。
作業が終わり、ブラウスを返すとき。
「……着てみてもいいですか?」
「もちろん」
しずくちゃんは、ニットを脱ぎ、ブラウスに袖を通す。パチッと小さく音がして、スナップが留まった。
「……っ、……すごい。……ちゃんと止まってる……!」
「うん。少し動いても大丈夫だよ」
「はいっ」
「何なら、あえて飛ばそうとしてみてもいいよ?」
軽く腕を回してみるしずくちゃん。いつもより自然に動けている。
そして、律儀にちゃんと胸を反らして、ボタンを飛ばそうとしてみるしずくちゃん。
「……」
「ねっ、大丈夫でしょ?」
「……これなら、学校でも安心です」
「よかった」
「……みゆさん、ありがとうございます。こういうの……誰にも相談できなかったから」
「ううん。相談してくれて、嬉しかったよ。……それに、しずくちゃんが守ろうとしてるの、なんとなく伝わってたから」
「……え?」
「胸元とか、姿勢とか。無意識に気にしてるでしょ? そういうのって、ちゃんと伝わるものなんだよ」
しずくちゃんは少し驚いた顔をしたあと、ゆっくりと頷いた。
「……守ってる、つもりでした。……でも、ちゃんと守れてたか、不安で……」
「大丈夫。守るって、誰かに頼ってもいいことだから。わたしはそのためにいるし、これからも、なんでも聞いて」
その言葉に、しずくちゃんの目が少し潤んだ。
「……じゃあ……わからないことがあったら、また……相談してもいいですか? 他の服にもボタン付けてみたいので」
「もちろん。その代わりに、しずくちゃんをモデルにしたSS書いてもいい?」
いつも通り耳まで真っ赤になったしずくちゃんだけど、ほんの少し微笑んで、コクリと頷いた。




