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滴る

作者: さやか

滴る


ぱた……ぱた……ぱた。


夜半、自室のベッドでうとうとしていた翔太は、床に水滴が落ちるよう音で目を覚ました。


「雨なんか降ってたか?」


大学が夏休みに入って一人暮らしをしていたアパートから実家に帰ってきたと同時に、翔太の両親は一週間の北海道旅行に出かけた。

言わば翔太は両親が旅行中のあいだの留守番になる。


この家は翔太の祖父が建てた家で築40年以上の古い家だ。

大雨が降れば雨漏りすることもある。


暗闇の中、窓の外に意識を向けるが、開いた窓の外には星が瞬き、乾いた夜の空気が流れている。


ぱた……ぱた……ぱた。


その間にも一定のリズムで雫が落ちる音は止まない。

配管かなにかからの水漏れか、それとも洗面所の古い蛇口からか。

いや、音は部屋の中から聞こえてくる。それも翔太が寝ているベッドの割とすぐ近くに。


ぱた……ぱた……ぱた。


明かりを点けてすぐに音の正体を確かめようか、それとも明日の朝になってから確認しようか逡巡した。

祖父母は翔太が幼い頃に他界しているし、両親は来週まで帰ってこない。この家には翔太しかいない。

水漏れだとしてもこんな夜中では対処のしようもないだろう。


眠気はまだ残っている。目を閉じればすぐにでも眠れそうだった。

音は一定のリズムで落ちている。

その音が眠気を誘うようで、翔太は重くなってきた瞼をゆっくりと閉じた。


ぱた……ぱた…ばた…ばた…ばたばたばたばたばたっ!


突然、雫が滴りに変わりかなりの量の水がフローリングの床にぼたぼた落ちるような音がして、一気に眠気が飛んだ。

すぐにベッドから起き上がりでスイッチを探り当てて電気をつけた。


水音はすでにしない。

部屋中を探し回ったがどこにも水が滴り落ちたあとはなかった。

どこも濡れていないし、天井や壁にも濡れたようなシミもない。

洗面所や風呂場、台所も探したが、どこの蛇口もしっかりとしまっていた。

相変わらず窓の外はひっそりと寝静まった住宅街がひろがっているだけだった。


水滴の音は確かにした。それもすぐ近くで、幻覚などではなかった。

だが、その証拠はどこにもない。


翔太は頭をかく。すっきりしない霞のような気持ちを抱えたまま、ベッドに横になった。

その夜はそれ以上不審な物音はしなかったが、翔太はあまりよく眠れなかった。



翌朝、翔太はスマホの着信音で目を覚ました。昨夜のことで明け方まで眠れなかったせいでなかなか起き上がれなかったが着信音はなかなか鳴り止まない。


手探りでスマホを掴んで画面を確認すると、同じゼミの1学年上の木谷からだった。

住んでいるアパートが近かいこともあり、ゼミ以外でも何かと親しくしている。


「おー翔太?今どこいる?」

「先輩、今何時ですか?」

「あー朝の6時くらいかな。朝まで麻雀やっててさ、さっき帰ってきたんだけど部屋の鍵なくして部屋入れないんだわ。いつもなら管理人のおばちゃんに開けてもらうんだけど、お盆休みで旅行に出ちゃっててさー」


木谷はかなりかなり変わっている。

博識で知識量はすごいが、よく物を失くすし、非常識な時間に電話もかけてくる。


「そんで翔太さちょっと部屋で寝させてくんね?」

「俺、今は実家に帰ってるんですよ。両親が旅行に行ってて、その間の留守番です」

「マジか、ついてねー」

「ああ、でも俺の実家はそんなに遠くないですよ。特急電車に乗れば2時間くらいかな」

「いや十分遠いだろ」


そこで翔太はふとあることを思いつく。


「木谷先輩って心霊研究部みたいなのに入ってましたよね?」

「オカルト研究会な。ちなみに会員は俺入れて3人しかいないから同好会扱いだけど」

「じゃあ先輩は心霊現象みたいなことに詳しかったりします?もしくは霊感とかがあったり」

「詳しいっちゃ詳しいけど、翔太なんかあった?」

「えっと、なんかってほどのことではないですけど」


改めてそう聞かれると、心霊現象というほどのことではない気がしてくる。

窓から降り注ぐ明るい日差しの下で昨夜の出来事を思い出してみると、自分の気のせいだったように思えてくる。


「まーとりあえずお前の実家の住所教えて、つーか大家さん帰ってくるまで泊めてもらっていい?」

「あ、はい。それは全然構わないです」



「なるほど、水の滴る音ねぇ」


やってきた木谷は徹夜開けという割には全然眠そうに見えなかった。

電車の中で寝てきたのかもしれない。


「そういうオカルト的な話って聞いたことありますか?」

「あー、俺はそういう怪異譚を集めるのは好きだけど、水が滴る音だけっていうと聞いたことねぇな」

「そうですか。やっぱり気のせいだったのかな。俺、別に最近心霊スポットとかに行ったわけじゃないし」


翔太がそう言うと木谷はニヤニヤ笑い出した。


「別に心霊スポットに行ったり、祠を壊したりしなくても怪異に遭う奴はいるよ」

「え、そうなんですか?」

「怪異っていうのは、まぁ原因がある場合もあるけど、たいていは理不尽に遭うもんだ」

「それは、なんていうか…」

「納得いかないって顔だな」

「はぁ、だってオカルト的な話ってたいてい主人公とかその友達とかが何かやらかして祟りにあったりするじゃないですか」

「そういう話が多いのは確かだけど、それは読み手を安心させるためだ」

「安心?」

「そうそう。変なことをしなければ、おかしなことにはならないから安心してくださいってことだ。まぁ実際はそんな都合のいい話ばっかじゃねぇけどな。人間っていうのは安心したい生き物なんだよ。公平世界仮説っていうんだけど、世界は公正で人間は自らの行いによって報いを受けるって信じているやつらがいる。例えば殺人とか通り魔とか事件が起きるだろ、そういう時に被害者を批判したりする奴はそういう思想がかなり強いやつってことだ」

「ああ、SNSとかニュースのコメントとかで誹謗中傷する人たちですよね」

「被害者に対して夜道を歩いてるからそんなことになるんだとか、変な男と付き合うからストーカーになんか遭うんだとか、とにかく被害者に落ち度があったと思い込もうとする。そいつらは被害者に落ち度がないと安心できないんだよ。実際は理由もなく理不尽な目に遭う人はいるけど、それを認めるといつか自分も同じ目に遭うかもしれないって恐れが生まれる。だから被害者を攻撃して安心してんだ。バカだよなぁ。まぁ単純に誰かを批判してストレス解消してる連中も多いだろうけど」


木谷の話を聞いていると、なんだか怪異より人間の方がよっぽどタチが悪いように思えてきた。


「じゃあ昨日のことは特に理由もなく起きたことなんでしょうか」

「理由があるかないかはお前の行動をよくよく思い返してみないとわからないな」

「俺の行動...。心当たりは何もないですが」

「まぁ、夜になってみればなんかわかるかもな」


木谷はそう言ってニヤニヤ笑うと、翔太が出した客用布団でさっさと寝てしまった。



ぱた…ぱた…ぱた...。


その音は昨夜と同様に夜半過ぎにまた翔太の耳に届いた。

音を聞いた瞬間、翔太は寝ていたベッドから飛び起きて、近くで寝ている木谷を起こした。

昼間も散々寝ていたくせに、木谷は早々にイビキをかいていた。


「先輩!」

「んぁ…」


ぱた…ぱた…ぽたっ…。


「聞こえませんか…ほら!」

「んー」

「この音です、昨日と同じです」

「なんか聞こえるか?」

「え、わからないんですか?水滴が落ちるような音がするじゃないですか」

「俺には別になんも聞こえねぇけど」

「そんな…」


ぱっと部屋の明かりがつくと同時に、昨夜と同様に音は掻き消えた。


「お前にしか聞こえない音か。確かにこれは家の不具合っていうより怪談だな」

「俺、頭がどうにかなったんですかね」

「その可能性もなくはないけど、何か理由がありそうだな」


布団の上にどかりとあぐらをかいて座った木谷はなんだか嬉しそうだ。


「それで、音ってどんな音だ」

「だから水が垂れるような音です。この木の床に直接落ちるような」

「ふーん、それでどんなことを想像した?」

「は?想像ですか?特に何も想像してないですけど。最初は雨漏りか配管からの水漏れだと思ったので」

「俺はお前の話を聞いた時、つい想像したけどな。髪の長い女が貞子みたいに前屈みに髪を垂らして、その濡れた髪からポタポタ水が滴るみたいな」

「なんですかそれ、めっちゃ怖いじゃないですか」


翔太はついブルっと震えた。そんなものが自室にいたかと思うととてもここで寝る気になれない。


「いや、ただの想像だって」

「脅かさないでくださいよ。まじで怖すぎです」

「でも、お前は最初そんなに怖くなかったんだろ?」

「はい、特に怖いとは思わなかったです」

「じゃあそんなタチの悪いもんじゃねぇんだろ」


木谷は何かを考えるように顎をなでる。


「この家に来てからお前何かしたか?」

「別に何もしてないですよ。4日前に帰ってきて、昼間は図書館か喫茶店で翻訳バイトの作業して、それ以外は食材の買い物に出かけたり、普通に家でゲームしたり動画観たり」

「そういうんじゃなくてもっと細かく」

「細かく?」

「例えば昨日は朝起きてから何した?」

「えーっと起きてから朝飯食って、いや、その前に顔洗って歯磨きして、あとポストの新聞と郵便物を回収したり」

「ああ、なるほどな。そういえばお前留守番だったな」

「そうですよ」

「お前ってなんで留守番してんの?」

「へ?」

「言っちゃなんだけど、この家って庭はあるけど結構古い家じゃん。万が一でも泥棒が入る家のようには見えねぇんだけど」

「それは、そうですけど…」


木谷に言われてみれば、この家には特に高価なものなどない。仮に泥棒が入ったとしても盗まれて困るようなものは置いていないだろう。

しかし、両親は旅行中の間、家の戸締りなどを翔太に頼んでいった。


「もしかしてだけど、何をしたかじゃなくて、何をやらなかったってことなのか」

「俺が、やらなかったこと?」

「お前、ご両親から留守の間に何か頼まれなかったか?」

「戸締りと郵便ポストの確認は頼まれましたけど…」


そこまで言って、翔太はあることを思い出した。


「ああっ!水やりだ!」


翔太は母親の言っていたことを思い出した。

戸締りや郵便物の回収のほかに、庭の草花に水をやってほしいと言われていたのだ。

もし雨が降ればいらないが、晴れが続いたのなら3日に一回は水をあげてほしいと。

翔太が実家に帰ってきて明日で5日目だが、雨は1日も降っていなかった。


「誰かがお前にそれを伝えようとしたのかもな」

「誰かって誰ですか?」

「まぁ、この家自身か、それとも植物に宿る何かとか」

「そんなもの…」


絶対にいないとは言い切れないと翔太は思った。

現に音は確かにしたのだ。

最初はゆっくりとした水滴の音が、どこか急かすようにだんだん早くなっていった。


早く気がつけ、草花が枯れたらお前の母親が悲しむぞ。

そう言われていたような気がする。


翌朝になって早速翔太は庭の草花に水を与えた。

白く乾いた土がたっぷりと水を吸って黒くなっていく。


花壇の母親が天塩にかけて育てた草花が風に揺れて微笑んでいるように見えた。

その晩から、水が滴るような音は一切しなくなった。



ここまで読んでいただきありがとうございました。

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