私の分まで長生きしてね
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よろしくお願いいたします。
青白い顔でピクリともしなかったノヴァの体を、キラキラとした光が包んだ。
「おい、嘘だろう?」
「これって、まさか……」
ノヴァの目が開いた。
「ノヴァ? 大丈夫? もう痛くない?」
「ミラが助けてくれたの?」
「うん、神様に、どうかノヴァを助けてくださいってお願いしたの」
「ありがとう、ミラ」
本当はそれだけではない。だがそんなことはどうでもいい。ノヴァが死ぬかもしれないといいう不安が消えて緊張が解けたせいか、ミラの目から涙が一気にあふれ出した。
「ノヴァのバカ、死んじゃったと思ったじゃないの!」
「ごめんね、ミラ」
アトリア村に住む13歳の少女が神に祈り、崖から落ちて瀕死の重傷を負った幼なじみを完全回復させた。
この話は瞬く間に広がり、少女に救いを求める者がアトリア村に押し寄せた。ミラは両親が止めるのも聞かず、人々を癒やし続けた。
「ミラ、もうやめて。そんなに毎日疲れ切って、大丈夫とは思えないわ」
母は泣いてミラにすがったが、ミラは首を横に振った。
「せっかく神様がくださった力なのだから、困っている人のために使いたいの」
1つだけ残念なことがあるとしたら、この忙しさの中で大好きなノヴァと一緒に学校に行けなくなってしまったことだった。その代わり、ノヴァは毎晩、会いに来てくれた。ミラが寝る前にこっそりミラの部屋の窓を叩き、飴やお菓子や学校の授業ノートを手渡してくれた。
「ごめんね、僕のせいで……」
「ううん、私は、ノヴァを助けられて本当によかったと思っているの」
「でも、ミラがこんなふうに頑張らなくても」
「お金を置いていってくれる人も多いの。そのお金があれば、お父さんもお母さんも生活が楽になるわ。それに、そのお金があれば、私もノヴァみたいに上の学校に行けるかもしれない」
ノヴァには才能がある。その才能を生かすべく、もっと大きな街の学校に行って勉強できるよう、推薦書を書いてもらえることになっていた。ミラはそんなノヴァに付いていきたかったのだ。
ミラは窓からノヴァに手を伸ばした。
「ノヴァ、大好きよ。あなたが生きていてくれるなら、私も生きていけるの」
だが、ミラとノヴァは更に引き離されることになってしまった。ミラの噂が、都に住む王のところにまで届いたのだ。王は騎士団に対し、噂の少女を王城に連れて来るように命じた。騎士団は先触れもなくアトリア村にやってくると、ミラを保護すると宣言した。
ミラは、やってきた騎士団長から話を聞くと「分かりました」と言って立ち上がった。
「嫌! ミラ、行かないで!」
両親は泣いてミラにすがったが、ミラは静かに微笑んで言った。
「王宮に行けば勉強もできるんだって。それに、ここにいろんな人が来るのは、村のみんなの生活の邪魔になっているでしょう? だから、私、行くわ。そして、国中の人を助けたいの」
ミラの言葉に、ミラの両親はミラの決心が固いことを思い知った。騎士団長から金貨がたくさん入った袋を手渡されたが、2人抱き合って泣くばかりだった。ノヴァたち幼なじみは、今、学校にいる時間だ。ミラとしてもノヴァたちとちゃんとお別れをしたかったが、ノヴァを待つ時間はないようだった。
「お父さん、お母さん、いつかもう一度だけでいいから会いたいってノヴァに言っておいてね!」
ミラはそのまま騎士団の馬車に乗って行ってしまった。街の学校から帰ってきたノヴァは、ミラが王都に行ってしまったと聞いて立っていられなかった。そして、決めた。神殿に行ってしまったミラを迎えに行けるだけの力を付けようと。
王城に着いたミラは、村娘の姿のままで王様の前に連れて行かれた。王様はミラを見て言った。
「このようなみすぼらしい娘に治癒魔法を与えるとは、神は何をお考えになっているのかさっぱり分からぬものじゃ。だが、それでも神に与えられた特別な力。その力で、王族を救え」
ミラはみずぼらしいと言われたことに傷ついたが、周りの人たちの服装と見比べれば納得するしかなかった。
決して意地悪をしているわけではない、陛下は思った通りに言っただけ。
そう解釈して切り替えると、ミラは国王にむかって頷いた。
「頑張ります」と。
翌日から、ミラは王宮の隅にある入院施設に待機し、王族からの要請があると王族の治療に当たるようになった。昼は治癒を、夜は勉強を。そうやって日々忙しく過ごし、自由な時間は眠っている間だけ。ノヴァに手紙を書きたかったが、外部とのやりとりは許さないと言われて諦めた。
やがてミラは有力貴族など国王の元に大金を届けた者たちのためにも力を使うように要求された。ミラは毎日、倒れるまで治療をさせられた。治療した人数が多ければ多いほど、王の懐は潤う。辛い日々が続く中、ミラはいつかノヴァに「頑張ったな」と言われることだけを目標に、毎日多くの人の怪我や病を治した。
ミラが17歳になった頃だった。「奇跡の聖女」などと持ち上げられていたミラに変化が起きた。
(あれ、力が上手く使えない?)
ミラは初めて上手く治癒できないケースに出会した。
「大きな怪我でしたからね、きっと1回では無理だったのでしょう」
補佐をする医師の言葉に頷いたが、ミラは内心怯えていた。
(もしかしたら……力は有限なの?)
はじめは力が思うように使えなくなることがある程度だった。だが、その内に力を使える日と全く使えない日が現れ、やがてどんなに頑張っても力が思い通りに発揮できなくなっていった。
不安になったミラは、神に祈った。
「お願いです、私の体と力に何が起きているのか、教えてください」
その夜、ミラに力を授けた神が夢に現れた。治癒能力の代償と、これからミラの体に起こる変化について知らされたミラは、その日を境に治癒を止めた。
同時に、聖女とまで呼ばれていた優しいミラの態度が豹変し、我が儘な娘になったのだ。
当然、王族は怒った。罵声を浴びようとも、死刑にすると脅されても、ミラは治療を拒否した。ミラはいつしか「王国の金を使いながら何の貢献もしない悪女」であると言われるようになっていった。
国王はミラを呼び出した。
「なぜ治療してやらぬのか?」
「もう嫌だから」
「どういうことだ?」
「疲れたのよ。もうこれ以上誰も治したくない!」
「なんだと!」
ミラは独房に監禁された。命じられても、剣を突きつけられても、ミラは誰も治さなかった。
獄中のミラは、やがて食事が一日に一回になり、二日に一回になり、三日に一回になっていった。ミラは次第に衰弱していった。
そんな時だった。国王の夢に神が現れた。
「我が愛し子を冷遇するのならば、すぐにこの国を滅ぼす」
慌てた国王は、ミラを独房から出すように命じた。ミラは餓死寸前で身動きもできず、体からは異臭がしていた。誰もが目を背けるその姿に、神殿がミラを預かると手を上げた。国王はこれ幸いとミラを神殿に押しつけた。
神殿に預けられたミラは、しばらくは意識が混濁したままの状態になっていた。神殿長はミラを気の毒に思っていた。できる限りのことをしてやりたいと思い、自身もミラの看病に当たった。
そんなある日だった。ミラが目を開いた。
「何か望みはないか?」
神殿長の言葉に、ベッドから起き上がれなくなったミラは「では1つだけお願いがあります」と言った。
「アトリア村にいるノヴァに会いたい」
「わかった」
神殿長はすぐにアトリア村に使いを出した。だが、使者は手ぶらで帰ってきた。
「拒否されたのか?」
「いいえ、ノヴァという若者は確かにアトリア村にいたそうなのですが、ミラ様がアトリア村を出た後、自身も村から出て行ってしまい、誰もその行方が分からないとのことです」
「なんと!」
神殿長は、ミラにどう言えばいいのか分からず、数日悶々として過ごした。
そんな時だった。ミラに会いたいと1人の若者が神殿にやってきたのだ。神官たちは若者を追い返そうとした。だが、若者は頑として動かなかった。
「ミラが呼んでいると聞いたから、来た」
その言葉に、1人の神官が恐る恐る若者の名を問うた。
「ノヴァだ」
神官たちは神殿長に伝えた。神殿長は非礼を詫びた上でノヴァを応接間に通し、ミラの状況を説明した。ノヴァは微動だにせずに、神殿長の話を聞いた。
「ですから、間に合ってよかった」
「間に合ってよかった? 何もよくない!」
ノヴァの怒りに、神殿長は空間が揺らぐような感覚さえ覚えた。
「俺はミラがいなくなった後、すぐに調べた。治癒能力者については、記録が不自然に隠されていた。ミラを取り戻すためにはミラの力について知る必要もあった。そのためには大神殿の禁書庫に入る資格が必要だった。俺はそれを得た。そして治癒能力者の秘密を知った。」
「大神殿の禁書庫? この国の神殿長である私でさえ入れないのに、そなたのようなものが」
「入れるさ。俺は大神殿の聖騎士だからな」
聖騎士と言われて、神殿長はたじろいだ。この国の神殿を統括する神殿と世界中の神殿を統括する大神殿では、当然ながらその立ち位置に歴然とした差がある。その上、大神殿の聖騎士は神殿や神官を守る神殿騎士とは全く違う。神官が祈りを捧げる者であるとすれば、聖騎士は厳しい宗教的修行を通して神と対話する聖力を得、激しい武器訓練によって悪魔さえ切り捨てられるほどの武力を手にした者であり、各地の神殿長よりも遙かに神から愛された存在。大神殿の神殿長は、各地の神殿長ではなく、聖騎士から選ばれる。それほどの地位と力を手にした存在が「大神殿の聖騎士」だ。
聖騎士が跪くのは大神殿の神殿長と神に対してのみ。各国の王でさえ、「神の代理人」と呼ばれる聖騎士には「命じる」ことができない。
「ですが、あなたは聖騎士の服装ではありません」
最後の抵抗とばかりに、神殿長が言った。ノヴァは首から提げたチェーンをたぐり寄せると、金色のプレートを見せた。
「そのプレート……」
「ああ、神殿長なら分かるだろう? 聖騎士だけが持つプレートだ」
聖騎士の人数は、常に9人と決められている。人が決めるのではない。聖騎士が引退したり大神殿長になったりした時、聖騎士のプレートは大神殿の神の間に返却される。返却されるとプレートに刻まれた名が消える。そして、神の間に置かれるとそのプレートに新たな名が浮かび上がる。その名を持つ者が神に認められた「聖騎士」となるのだ。
「ミラに会わせろ」
神殿長はミラがいる部屋に連れて行った。
「ミラ様。ノヴァ様がお見えになりましたよ」
「ノヴァ?」
痩せ細ったミラは、それでもはっとするほど美しかった。
「ノヴァ、なのね。会いた、かった」
「ミラ、迎えに来るのが遅くなってごめん。もっと早く来たかったんだが、先日やっと聖騎士になれたんだ」
「そう、だった、の。聖騎士、様、なんて、すごいわ。さすが、ノヴァ、ね」
「全部、ミラのためだよ」
「最後に、会えて、よかった」
「最後じゃないよ」
「でも、もう、私……」
「うん。だから、ミラとここを出る」
神官たちがざわめいた。
「その日まで、誰もいない所で、二人きりで過ごすんだ」
ノヴァは部屋の中にあるミラの私物を持ち出そうとしたが、私物と言えるものは何もなかった。独房からそのまま連れてきたこともあるし、そもそも王宮のミラの部屋にも何もなかったのだ。
ミラはきっと、それで満足していたのだろう。貧しい村の子だったのだ。少しあめ玉をぶら下げれば、ミラは喜んで神官や王たちに従ったにちがいない。王も神殿も、悪い人ではない。だが、他人を利用することに何のためらいも感じない。いや、有能な者の能力を生かして国のために使うことこそが自分たちの仕事であると考えているのだから、ミラのような能力者を囲い込み、自分たちにとって最も有益な形で使うのは当然だ。
王は治癒能力者についての情報を持っていなかったかもしれない。だが、神殿は……少なくとも神殿長クラスの人間ならば、稀に出現する治癒能力者について知っている。知っているからこそ、ミラを保護しなかった神殿に、ノヴァは不信感を持った。
ノヴァは、この国の神殿を信じていない。大神殿の聖騎士に見限られたらこの国の神殿は序列を下げてしまう。それは、神殿長にとってどうしても避けたいことだった。だから、神殿長はここまで体力を落としたミラを外に連れ出すのは危険だと言った。ここでゆったりと時間を過ごせばいいと。
「神殿長よ」
「はい」
「黙れ」
その一言に、神殿長と周囲の神官が凍り付いた。
「ミラはお前たちの前ではいい子でいなければならないと思っていたはずだ。そんなお前たちに、他に望みがあったとしても、言うと思うか? それ以前に、ミラはお前たちに、自分の利益になるようなことを頼んだことがあったか? ミラの願いは、いつだって民の幸せに寄り添うことだったはずだ」
「……」
神官たちが出て行った後、ノヴァはミラに「やりたいことはないか」と聞いた。
「俺が一緒に行くし、一緒にやる。だから、望みを言うんだ」
「そうね、なら……」
ミラは5つの願いがあると言った。
1 海を見たい
2 落ち葉のベッドで眠りたい
3 雪だるまを作りたい
4 故郷の村の桜を見たい
4つクリアしたら、5つめを教えてあげるとミラは屈託なく笑った。だが、ノヴァの心は痛んだ。
「よし、最初は海だな」
神殿の者は、簡素な馬車に乗せられて神殿から出て行くミラを見送った。
「少しでも、ミラ様が楽しく、幸せに過ごせますように」
神殿長の言葉に、ミラはやつれた顔で微笑んで見せた。
「ありがとう、さようなら」
ノヴァはミラの体調を見て何度も休憩を挟みながら海へ向かった。その途中で、ミラはノヴァに言った。
「私ね、ノヴァのことが、大好きだったの。死なせたくなくて、神様に、『どうかノヴァを助けてください、そうしたら神様に何でもします』って祈ったの。そうしたら、神様がくださったのが、治癒能力だったわ。でもね、『何でもします』が、寿命を捧げることだったんだって、これまでの、治癒能力者たちの記録を見て、初めて知った。1日治癒すると、10日分の寿命が、必要なんだって。50年分の命を、使っちゃった。でもね、私、後悔していないわ。だって、ノヴァはこうして生きているし、大神殿の聖騎士なんていう、すごい存在になった。あなたをあの時死なせなかった、それが私の誇りなのよ」
ノヴァは荷台に敷いた薄いベッドに横たわって、晴れ晴れとした表情で話すミラを抱きしめた。
「俺は、ミラと生きたい」
「ごめんね、ノヴァ」
海を見るために都を出たミラとノヴァは、馬車で2日かけて、都から一番近い海に辿り着いた。晩秋の海の水は冷たい。それでもミラは、初めて見る海に触れたいとねだった。ノヴァに抱き上げられて海水に足を浸し、海の水がしょっぱいと目を白黒させるミラは、年齢よりも幼くさえ見えた。
ミラはそのまま山に行って、落ち葉のベッドで眠りたいと言った。だが、海ではしゃぎすぎたミラは熱を出してしまった。荷馬車で寝泊まりするつもりだったノヴァだが、宿で休むことにした。
そのまま1週間、ミラは高熱にうなされ続けた。ノヴァは自分が聖騎士であることを誰にも話さなかった。宿の主たちは、旅の途中の若い夫婦と思い込んでおり、熱を出した妻に甲斐甲斐しく尽くすノヴァの姿を見て、「あんたもこのくらいやってくれたらねえ」と女将が主に言うほどだった。
意識を取り戻したミラは、感情の振れ幅が大きいと熱を出すみたい、と寂しそうに笑った。
「体は辛かっただろうが、それだけ海が楽しかったんだな」
「ええ。海を見ていたら、嫌なことを、全部、忘れられそうな気がしたわ」
ノヴァはただ黙ってミラの手を握りしめた。
ミラが意識を失っている間に、秋は深まっていた。さらに1週間の療養の後、ノヴァは海の町からほど近い山にミラを連れて行くことにした。女将が太鼓判を押す、素敵な紅葉スポットがあるらしい。
山道を上がれないミラのために、ノヴァはミラを背負って山道を登った。山の頂上は開けており、眼下には赤や黄色に色づいた森が見える。
「綺麗ね」
「ああ、なんだか温かい気持ちになるな」
紅葉した木々の下に連れて行って、ふかふかの落葉の上にミラを座らせる。ミラはゆっくりとその身を落葉の上に横たえた。そして、紅葉した葉の隙間から覗く澄み切った青空を見つめた。ノヴァも同じように隣に寝転んで、空を見上げた。赤・黄色・緑・青・雲の白。
「自然界はこんなに美しい色で溢れていたんだね」
「まるで色の洪水だな」
「でも、紅葉は、終わりの始まりよ」
ノヴァは何も言わずにミラの手を握った。
「散り際が美しいのは、きっと、それまで一生懸命生きたからよね」
「ああ、もちろんだ」
夕方になるまで、2人はじっと空を見上げていた。
下山途中からミラは前回同様に発熱した。髪に絡まった落ち葉を丁寧に落としてやりながら、ノヴァは意識を失っているミラに語りかける。
あの村にいた時から、物心ついた時から、ミラが好きだったこと。
ずっとずっと一緒にいて、いつかはミラをお嫁さんにしたいと思っていたこと。
あの大けがを負ったのは、ミラに「望みが叶う」と言われている花を渡したくて、その花が咲く崖に登って落ちたからだったこと。
「俺の願いは、いつでもミラが幸せであることだった。騎士団に連れて行かれた時だって、大事にされる、場合によっては貴族に嫁ぎ、貴族として不自由なく暮らせるようになるって言われたから、俺はこの思いを封印しようとしたんだ。でも、できなかった。ミラの傍にいたくて、たとえそれが主従関係であってもいいと思って、俺は神殿に入ったんだよ」
その後2週間、ミラは目覚めなかった。ようやく目覚めたミラはますます痩せ衰えていたが、ノヴァはミラが再び目を開いたことに喜んだ。
雪は北部で降り出していたが、海のあるこの町には雪は降らないと知った2人は、雪が降る故郷のアトリア村に向かうことにした。一日馬車で移動すると、3日間寝込む。そうやって3週間掛けて戻った故郷の村には、まだ雪は降っていなかった。
ミラの両親は、アトリア村にはいなかった。ミラに治療してもらおうと遠くからやってきたのに、ミラが騎士団に連れて行かれたと知った患者たちに詰め寄られ、夜逃げ同然で村を逃げて出したのだとノヴァの両親が教えてくれた。
「もう、お父さんとお母さんには会えないのね」
ノヴァは両親と相談し、村長にも掛け合って、空き屋になっていたミラの家に住むと決めた。
「ミラちゃんを養うくらい、うちでもできる」
ミラが治癒能力を失い、命も消えかけていることに気づいたノヴァの両親は、ノヴァが心置きなくミラを看病できるよう、自分たちに家に住めばいいと言ってくれた。だが、ノヴァは首を横に振った。
「最後は、家にいさせてやりたいんだ」
ノヴァの両親も、ノヴァが大神殿の聖騎士になったことを知らない。だが、神殿からも国王の手からもミラを取り戻した息子が、ただの神官ではないことくらい気づいている。それを隠すためにこの村にいてもなじむような粗末な服を着ているのだと知っている。
「この状態では、もうどこかに行く体力はないだろう。私たちも手を貸すから、必要なことがあったら言いないさい」
ノヴァの両親は食べるものを運ぶなど、できることをしてくれた。ミラもノヴァも、そんなノヴァの両親に感謝した。
体調を崩してベッドで眠り続けることが多くなったミラを支えながら、2人は雪が積もるのを待った。
ミラとノヴァの生活は心穏やかなものだった。寝たきりになったミラだが、目が覚めている時にはミラのためにノヴァの母が作る料理を口にし、「ノヴァが作る料理よりおいしい」といってノヴァを拗ねさせることもあった。スープを口に運ばれて一口一口かみしめるように飲むミラは、作り笑顔ではない、穏やかな目をするようになっていた。この村にいた時のような、本来の表情を取り戻しつつあった。
あの日から3ヶ月目の日、雪が降った。大雪だ。ミラはじっと窓の外を見つめていた。そして、雪だるまを作りたいと言った。3つ目の願いだ。
「あまり長時間は駄目だぞ」
ミラはノヴァに抱かれて外に出た。そして、ノヴァが姿勢を低くしてくれて、震える手を伸ばして小さな小さな雪だるまを作った。
「ねえ、窓から見えるところに、大きな雪だるまを作って」
ノヴァはミラをベッドに戻し、ミラから見える位置を確認して雪だるまを作った。
だがノヴァが部屋に戻ると、ミラは意識を失っていた。「残りの時間は3ヶ月だと思う」と神殿でミラが言った言葉が思い出される。ノヴァはただ、これまで同様に発熱したミラを看病し続けた。
3日経った。10日経った。2週間経った。1ヶ月経った。だが、ミラは目覚めない。あの日から3ヶ月。ミラはまだ生きている。熱も下がって、ただ眠っているようだ。
やがて雪解けがはじまり、ふきのとうが芽を出した。春がすぐそこに来ている。
「もうじき春が来る。4つめの願いが叶いそうだよ」
まだミラは目覚めない。やがて雪は消え、木々の芽が膨らんできた。そして、外国からやってきた旅人が植えていったという、アトリア村自慢の桜の花が開いた。
「桜の花が開いたよ。これを見たかったんだろう?」
ミラは目覚めない。ノヴァは毎日ミラを抱き上げて桜の木の下に連れて行き、話をしながら一日を過ごした。もうその頃には、王都で流された「悪女ミラ」の噂が作られたものであったことをアトリア村の誰もが気づき、ミラの事を悪く言う者は誰もいなかった。ミラが最後にこの桜を見てから死にたいと行ったことも伝わっており、2人が桜の下で過ごすのを邪魔する者はいなかった。
桜が満開になった。早い花は散り始めている。
「ねえ、桜が散り始めたよ。今日は満開だ。いい加減、起きろよ」
震えるようにミラのまつげが動いた。目が薄らと開かれた。
「さく、ら……さいた?」
「ああ、見てごらん。満開だよ」
満月が、桜を照らしている。ミラは満月さえまぶしそうに目を細める。ミラの額に、サクラの花びらが落ちてきた。
「ほら、サクラの花びら」
ノヴァが取ってそれを見えるよう用にしてやると、ミラは震える手でその花びらをつまんだ。
「4つ目、叶ったね」
「うん」
「最後の望みは、何? 4つ目が叶ったら教えてくれるって言ったよね」
ミラがふわりと微笑んだ。やつれ果てているのに、その不健康さを忘れるほど、美しい微笑みだった。
「ノヴァと……桜の木の下で……キス、したい」
ノヴァの唇が、ミラのそれにそっと触れた。何度も、何度も。
長い口づけの後、ミラはその手を少年の頬に添えた。
「ありがとう、ノヴァ。私があなたにあげた命だから……私の分も、長生きしてね」
頬に添えられていたミラの手から力が失われた。ミラの魂が肉体から離れていくのを、ノヴァはその体が冷たくなっていくことで実感した。
ミラの体を抱きしめたまま、ノヴァは慟哭した。
翌朝、村人たちは、ノヴァが桜の木にもたれかかり、事切れたミラを抱きしめたまま泣いているのを見つけた。ノヴァの気持ちが落ち着くまで、村のみんながノヴァを見守った。そして、ノヴァがようやく顔を上げたその日、ミラを村の墓地に埋葬した。
ノヴァは大神殿に戻ると、ミラのことを大神殿の神殿長と神に報告した。神は大神殿長に告げた。
「あの国に与えた加護を引き上げる」と。
その日から雨が振らなくなった。大地は干からび、農地は荒れて、税収が激減した。国王はそれでも国民から税を搾り取ろうとしたため、国王を恨んだ民が反乱を起こし、王族は皆殺しにあった。ノヴァはただ、国が生まれ変わる様をじっと見ていた。
反乱が落ち着いた頃、ノヴァは聖騎士のプレートを神の間に返し、聖騎士を引退した。そして、アトリア村に戻った。その足でミラの墓の前に座ると、ミラに話しかけた。
「ミラ。君が長生きしろというからあの時は思いとどまったが、君がいないこの世界など、守る価値もない。生きる意味もない。どうして俺を置いて行ってしまったんだ? どうして長生きしろなんて言ったんだ? それが俺にとって、どれほどの苦痛なのかも考えずに、ただ生きろというのは……無責任だよ、ミラ」
『ごめんね、ノヴァ』
「ミラ?」
そこには、ミラの姿があった。透けて見えるミラは、いわゆる霊体の状態なのだろう。聖騎士だったノヴァにとって、霊体は恐ろしいものではない。
『生きることが幸せとは限らないって、神様に叱られたわ』
「今頃分かったのか?」
『ええ。だから、待っていて』
「どういうことだよ?」
『新しい命となって、あなたに逢いに行くから。だから、私に会うまで、生きていて』
「ミラ?」
もうミラの姿はなかった。ノヴァは、また死ねなくなってしまったな、と思った。
そんなノヴァが、クマに襲われた夫婦から娘を託され、父となるのはそれから1ヶ月後。ノヴァは一生結婚しないと決めていたので、その娘を自分の娘ということにして、女たちの媚は亡き妻が忘れられないという理由で全てはねのけた。
娘がミラの生まれ変わりであると気づくのは、更に13年後、森でクマと戦って怪我をしたノヴァを、娘が治癒した時である。娘にはミラの記憶はない。だが、あの治癒の光は、間違いなくミラのものだった。
ノヴァは娘に治癒を禁じた。そしてミラの話を聞かせた。
「治癒能力は、己の命を削って生み出されるもの。2度と使うな。父より早く死ぬな」
娘はうなずき、2度と治癒の力を使うことはなかった。
もう、この世に治癒能力者はいない。神が治癒魔法を人に与えることを辞めたから。
人から治癒魔法が失われた。神の恵みを、人の愚かさで失った一例である。
読んでくださってありがとうございました。
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