後編
居間の床に巧妙に隠された扉から、オゥサヌァイが地下室に潜ってしばらく経った頃。
「おーい! 上にあげるの、手伝ってくれ!!」
そう言って持ち出してきたのは、一枚の分厚い盾であった。
「ぐ……なんです、これ!?」
「お、重い……」
従者たちが顔をしかめながら地下から引っ張り上げる。
方形で、人二人をやすやすと隠せるくらいの幅があり、しかもやけに厚みがある。
「こいつはな。30年前に竜退治をした際、竜の息吹を防ぐため拵えた盾だ」
「竜の息吹を!?」
竜が口から吐き出す高温の息吹は、竜の脅威の代名詞だ。
鉄をも溶かす高温のガスは、浴びずとも僅かに吸い込んだだけで肺を焼かれ、死に至る。
(それを防ぐとは信じられん!)
驚嘆するマリアに、オゥサヌァイは首を竦める。
「まあ、結局使わなかったんだがな。さて、こいつを運ぶか」
オゥサヌァイにマリア、そして従者たちの4人がかりで盾を運ぶ。
そしてたどり着いたのは、森の傍の開豁地だった。
「ようし、止まれ!」
オゥサヌァイは無造作に盾を地面に転がす。
そして盾の表側を上にすると、申し訳程度に草や土を上から被せて隠す。
「ま、こんなものか」
そして、そのまま森へと入っていこうとする。
「お、オゥサヌァイ殿!?一体何を!?」
呼び止めるマリアに、オゥサヌァイは応じる。
「なあに、件のトロルを誘き出すのよ。お主らは、どこか遠くで見ていておればよい」
ずかずかと森に進む男の背を見つめていたマリアは、意を決してその後を追う。
「マリア様!?」
「お待ちを!」
従者たちも、慌ててそれに続く。
「王女様たちは危険なことに、付き合わないで良いぞ?」
オゥサヌァイの言葉に、マリアは怒ったように応じる。
「王女であっても、乙女騎士団団長である。民の苦難に背を向けたとあっては、恥だ」
「……ふふ、そいつは失礼した。流石、あのアレクの娘だ」
オゥサヌァイの言葉に、マリアは少しうれしそうなに微笑んだ。
しばらく進むと、刺すような獣臭が漂い始めた。
(……これが、トロルの匂いか)
初めて嗅ぐ異臭にマリア達は顔をしかめるが、オゥサヌァイは気にする様子はない。
ゆっくりと身をかがめ、手振りでマリア達にも同じ動作を促す。
マリア達も低木の影に身を隠し、緊張した面持ちで様子を伺う。
「……あそこ、そこの木の奥だ」
オゥサヌァイが指し示す方向を見ると、巨大な姿が垣間見えた。
トロルだった。
口の周囲には、先ほどまで食べていたであろう獲物の赤い血がべったりとついている。
身張いしながら、腰の剣に手を駆けつつ、マリアは問う。
「それで、これからどうする?」
「儂が、あいつの気を引く。そうしたら、全員全力で、さっきの盾のところまで走る」
「そ、それだけか?」
「ああ」
釈然としないながらも、マリアは従者達の顔を眺めつつ、頷く。
「……分かった」
「よし。始めるか」
オゥサスァイは立ち上がると、指笛を吹き鳴らした。
甲高い鳥の声めいたその音に、トロルがぴくりと反応し、こちらを振り向く。
トロルの白く濁った眼が、マリア達を捉える。
にたり、トロルが喜悦を口元に浮かべた。
「走れ!」
オゥサヌァイの叫びと共に、マリア達は駆けだす。
「前の樹! 右側を抜けろ!」
「そこの茂みは飛び越える!」
オゥサヌァイの指示に従って、マリア達は駆け続ける。
後ろから、バキバキと木々をなぎ倒す音が響き続け、恐怖が募るが、振り向く暇はない。
やがて、森が切れて、先ほどの開豁地へと飛び出す。
「止まるな!走り抜ける!」
息が止まりそうになるのを堪えて、マリア達は理まった盾を飛び越えて、なお野
けた。
ただ、オゥサスァイだけは立ち止まり、追って来るトロルの方へと振り返る。
丁度、トロルが森を抜けて、飛び出してくるところであった。
食欲に憑りつかれ、睡液をまき散らしながら、こちらに駆けてくるのが見える。
オッサヌァイは、冷静にトロルの歩幅と距離を測る。
(……よし、いける!)
わずかな時間でタイミングを計ると、その場に身を伏せた。
「……オゥサヌァイ殿!?」
オゥサヌァイの気配が無いのに気付いたマリアが振り返り、その光景に驚愕する。
まるで怪物に身を差し出すように、地べたに這いつくばるオゥサヌァイと、捕食しようを迫るトロル
マリアが思わず叫びそうになった時、トロルが件の盾を踏み抜いた。
瞬間、トロルの足元が爆発した。
竜の息吹に耐えるのではなく、竜の息吹を弾き返す。
その為に、この盾は作られていた。
内蔵された火薬と爆破魔法が、竜の息吹を吹き飛ばすほどの強烈な指向性の爆風を生み出す。
この時、盾の表面を覆う鋼鉄は、微細な切片となって飛散し、相手をずたずたに引き裂く。
奇鍛冶師オゥサヌァイが作り上げた、対竜炎用指向性爆裂装甲盾。
それが、本来の用途とは別の、指向性対獣地雷として威力を発揮した瞬間だった。
下半身を吹き飛ばされたトロルが苦痛の悲鳴を上げる中、なんとか爆風をやり過ごしたオゥサヌァイが立ち上がる。
「お、オゥサヌァイ殿!?」
「や、やった!」
驚嘆しながら、駆け寄ろうとするマリア達に、オッサスアイは制止する。
「まだだ! まだ動く!」
見れば、上半身だけになったトロルが、両腕で大地を掴むようにしてこちらに近づこうとしている。
「……く!」
マリア達は止めを刺そうと抜剣した。だが、オウサヌァイはそれを押しとどめて、代わりに懐から何かを取り出す。
それは、マリアが持ってきた柄だけの剣だった。
オゥサヌァイはそれを握り、這いずり近付くトロルに向けた。
ブウゥン。
鈍い音とともに、柄から棒状の光が伸びる。
光は高熱の刀身となって、トロルの額を焼き買いた。
ブウゥン。
オゥサヌァイが僅かに腕を動かすと、重みを感じさせない光の剣が、トロルの頭部を真っ二つに焼き裂いた。
そして、トロルが完全に動かなくなると、マリアはおずおずとオゥサヌァイに問いかけた。
「……お、オゥサヌァイ殿、その剣は一体……」
アレクセイの形見を手に、オウサヌァイは笑う。
「ああ。昔見た映画……物語を参考に作ったものでな。いわば光の剣だよ。常にあっては刃なく、時に臨んでは熱き刀身を備える……あの男には、似合いの剣だろう?」
オゥサヌァイの笑顔に、在りし日の父の笑顔が重なった。
『これぞ、我が生涯、最高の愛剣なり』
辺境の小村の森に現れたトロルは、たまたま居合わせた王国乙女騎士団のうら若き騎士たちによって、被害が出る前に駆除された。
村人たちは大いに感謝したが、奥ゆかしい騎士達は早々に立ち去ったという。
王都への帰路、従者達の語る言葉をマリアは聞いていた。
「……しかし、マリア様。オゥサヌァイ殿のあの武具があれば、戦が変りますぞ」
「然り、あの盾と同じものを進軍する敵の軍勢の前に並べておけば……」
「あの光剣とて、固きトロルの頭を易々と断ち割った。おそらく板金鎧でさえも……」
その言葉に心中で同意しつつも、マリアは首を振る。
「いや……なればこそ、我が父はあの剣を返却したのであろう」
あれ程の力が濫用されれば、戦場はどれほど凄惨なものになるか。
誉れある決闘もなく、ただ相手を無遠慮に殺し尽くす場が生まれるのではないだろうか。
「この世界、いや時代にそぐわぬ、か……此度のこと、口外法度だ。よいな?」
「は、ははっ!」
従者たちにそう命じつつも、マリアは思った。
(あの父の光剣は……我が手元に置いておきたかったなぁ)
そんな、若干の梅根を覚えながら、王女は王都への道を進んでいった。
(了)