『心は益荒男』令嬢会議〜男女で態度を変えるボディタッチの多い男爵令嬢について〜
性同一性障害や異性装についての表現が出てきます。人によっては不快に感じられるかもしれません。
貴族子女が集まる学園のとある一室。
そこでは令嬢達による秘密の会議が行われようとしていた。
参加者は『某男爵令嬢とその取り巻きに不満を持つ貴族子女』。
当然ながら全員が女性で、男性は一人も参加していない。
「皆様、お忙しい中ようこそ。僭越ながら私、エスメラルダ・デ・ラメールが議長を務めさせていただきますわ。進行役はイザベル・デ・ルモンテ様にお願いしたいのですが、異議のある方いらっしゃいます? いらっしゃいませんわね。ではイザベル様、お願いしますわ」
「かしこまりました」
この場で最上位の侯爵令嬢から指名を受けて、伯爵令嬢イザベルが前に進み出た。
「進行役を仰せつかりました、イザベル・デ・ルモンテですわ。早速ですが本日の議題について、アンジェラ様、資料をお願いしますわ」
「はい。ある一人の人物に対して多数の苦情が寄せられておりますの。主な物を要約して読み上げますわ」
・男性との距離が近すぎる
・婚約者のいる男性と親しくしすぎる
・男性に対するボディタッチが多すぎる
・男性に対する態度と女性に対する態度が違いすぎる
・言葉遣いがよろしくない
・マナーがよろしくない
「数は何十と寄せられているのですけど、重複した内容をまとめるとこうなりましたわ」
「ありがとうございますわ、アンジェラ様」
「どういたしまして」
進行役のイザベルと資料読み上げ係のアンジェラ・デ・コスタは鷹揚に礼を交わしあった。
「これらの苦情に関して、我々『女子学生会』では検討する必要があると考えましたわ」
「まだるっこしい前置きなど不要ですわ! サッサと退学にでもして差し上げればよろしいのですわ!」
荒々しい気風で有名な辺境伯令嬢マルシア・デ・リベロが扇を掌に叩きつける。
相当にお怒りのようだ。
「お静かに。マルシア様。自由な発言は後で時間を設けておりますからその時に」
「…ならば後ほど存分に述べさせていただきますわ」
納得したわけではないのだぞ、と態度で示しながら、マルシアは一応引き下がった。
「裁定を下す前に、まずは一つ一つの事例を検討しようと思いますの。皆様、退屈でしょうけれど、暫しお付き合い下さいませ」
イザベルが合図をする。
下位貴族の令嬢達が手際よくカーテンを閉じ、部屋の照明を落とす。
「第一の事例。言葉遣いについて。映像1番」
合図に応じて、魔法科の令嬢が記録動画を再生する。
薄暗い室内に制服を着た女子学生の立体映像が浮かび上がる。
目立つのはピンク色のフワフワした髪。
胸は平らで中性的な体型である。
アクセサリーは首にチョーカーを一つ付けているだけで、全体的に簡素な装いだ。
『なんですか? 私に何か? 魔法科の方ですよね。私と貴方とは友達ではありませんし、そういう質問に答える義務はないと思います。失礼します』
少女の声が再生される。
参加者達の中にヒソヒソと囁きが起こる。
「そうですわ、いつもあんな感じですわ」
「紋切型というか、愛想がございませんわよね」
「社交術を習っておられないのかしら」
ざわめきを静め、イザベルは次を促す。
「映像2番」
女子学生の映像が消え、男子学生の映像が出現する。
銀縁の眼鏡をかけた頭の良さそうな、やや冷たそうな印象の令息だ。
参加者達が再びざわめく。
「フリオ様ではありませんこと?」
「ヴィエント侯爵令息ですわ」
「時期宰相と噂の秀才ですわよね」
ざわめきの中、よく通る男性の声が再生された。
『なんですか? 私に何か用でも? 私と貴方とは友人関係ではありません。個人的な質問に答える義務はありませんね』
参加者に小さく衝撃が走った。
「そっくりですわ…」
「言葉選びがまるで同じでしたわ…」
「どういうことですの?」
「映像3番」
ざわめきが収まらぬ中、再び女子学生の、ただし先ほどとは別人の映像が流れた。
『何かご用ですの? 魔法科の…御免あそばせ、お名前を存じ上げないのですけど。個人的なご質問はちょっと。家を通して下さいます? ごきげんよう』
参加者達にホッとしたような空気が広がる。
「普通ですわ」
「ええ、普通ですわね」
ごく普通な令嬢の会話例を見て、誰もが普通だと納得している。
「ではもう一度、問題の映像を再生しますわ。皆様、よく聴き比べて下さいませ」
繰り返し再生された映像と音声を参加者達は やや真剣に視聴した。
「普通なのは3番ですのに…」
「聴き比べると3番だけが異質に感じられますわ」
「1番と2番が似すぎていますわ」
ピシャリと扇を打ち鳴らす音がした。
「よく似た無作法者が二人いるというだけではなくて? あの者の言葉遣いは無作法で不快。それで十分ですわ」
マルシアが苛立たしげに言う。
「では議事を進めますわ。第二の事例、ボディタッチについて」
「映像1番」
今度は『普通』の映像から始まった。
女子学生が男子学生に声をかけ、書類を手渡す。
指先が少し触れ合うが、男子学生の方から軽い謝罪と共に引っ込められる。
「こんなものですわ」
「ええ、何もおかしくありませんわ」
「映像2番」
問題の男爵令嬢が映し出される。
同じように男子学生を呼び止めるのだが、同時に背中をポンと叩いている。
書類を手渡す際には手の甲で男子学生の胸元をポンとやっている。
「ほら、いつものアレですわ!」
「婚約者のいる男性にも気安く触れるのですもの」
「理解できませんわ」
「映像3番」
赤毛の男子学生が勢いよく駆け寄る映像が出た。
走ってきた勢いのままに、赤毛の男子学生はもう一人の男子学生の背中を叩く。
いい音がしそうなその平手に、叩かれた側の男子学生はよろける。
短い会話と書類の受け渡しの後、赤毛の男子学生は相手の胸元に裏拳をビシッと入れて、走り去って行った。
「……」
参加者達に沈黙が広がった。
「今のはレオナルド・デ・カリエンテ様…騎士団長の息子さんでしたわね」
「…同じ、ですわね?」
「力加減は異なりますけれど、やっている事は似てますわ」
「皆様、しっかりなさって! 男性同士と男女間とでは意味合いが異なりますわ」
マルシアが声を張り上げる。
「そ、そうですわね」
「おっしゃるとおりですわ」
気を取り直す令嬢達。
「男性同士なら問題のない行為であり、男女間で行うのが問題である、という結論でよろしいですか?」
イザベルの問いかけに全員が同意する。
「では次へ参ります。第三の事例。男性相手と女性相手で態度が違いすぎる件について」
毎度お馴染み、あの男爵令嬢の映像が出た。
男子学生と親しげに談笑している。
そこへ女子学生が現れて話しかける。
途端に男爵令嬢から笑顔が消えた。
うろたえるような、怯えたような様子で、口ごもったかと思うと、俯いて黙り込んでしまう。
「これですわ! この態度!」
「まるで被害者のように縮こまって、会話を拒否するんですのよ」
「私達は何もしていませんのに」
「私など婚約者から咎められましたのよ? 彼女をいじめないでくれ、と」
「いじめてなど!」
「むしろ私達の方が被害者ですわ。無実の罪で責められて」
今までで一番の盛り上がりである。
「映像2番」
金髪キラキラ美麗な男子学生が映し出される。
この国の第二王子エイドリアンだ。
侯爵令嬢エスメラルダの婚約者でもある。
男子学生と楽しげに談笑している所にエスメラルダが現れ、話しかける。
途端に王子から笑顔が消え、視線が落ち着きなく彷徨い始める。
口数少なく受け答えした後、視線を逸らし、俯いてしまった。
エスメラルダが立ち去る時、王子は顔を上げた。
その表情には切なさがあった。
「イザベル様、この映像は不適切ではなくて?」
「エスメラルダ様、ご不快にさせてしまいましたらお詫び申し上げますわ。時間も押してまいりました。次、3番と4番を続けて流して」
同性の友人と屈託なく話せるのに異性に話しかけられると途端に萎縮する男子学生、同じく異性とうまく喋れない女子学生の映像が立て続けに流れた。
「異議あり! 明らかに作為的ですわ。罪のない羞恥心の映像を並べて、それと同質のものであるかのように誘導しようとしていますわ!」
マルシアが椅子を蹴るようにして立ち上がった。
「あの者は異性に対して萎縮する訳ではなく、その逆ですのよ。異性に対して馴れなれしく、同性に対して拒絶的なのですもの。同列に語ってはなりませんわ!」
「同感ですわ」
「あの方のアレは演技ですわ。本当に内気な方は見ればわかりますもの」
「内気なフリ、いじめられてるフリですわよね」
ガヤガヤと騒ぐ参加者達が静まるのを待ち、イザベルは穏やかな声で語りかける。
「本当にそうでしょうか」
指を折り、一つ一つ確認するように、
「彼女は異性と距離が近すぎる、彼女は同性に態度が悪すぎる…これらは全て一つの前提に立っています。その前提は本当に正しいのでしょうか?」
「何がおっしゃりたいの?」
「マリア・エストラ男爵令嬢…彼女にとって本当に男性は異性なのでしょうか。女性は同性なのでしょうか。そこに錯誤はないのでしょうか?」
数人の参加者がハッとした顔になった。
次第にざわめきが広がる。
マルシアは厳しい面持ちで口を開かない。
アンジェラが挙手して発言許可を求める。
「それはもしや…彼女が『心は益荒男』だという事ですの?」
会場が衝撃にどよめいた。
『心は益荒男』。
このキーワードを解説するには、その前に『心は乙女事件』について語らねばならない。
二十数年前、国家を揺るがす出来事があった。
当時2年生だった王子が突然、卒業生を送る会で衝撃的な宣言をしたのだ。
『自分の心は乙女である、故にこれからは女性として生きる』と。
通例なら揉み消される所だが、大勢の貴族の前で為された宣言である。
おまけに複数の貴族令息が追随した。
『実は自分も』『男らしい生き方を強制されるのは苦痛だった』『本来の自分らしく生きたい』
有力貴族の思惑も絡み、王位継承権を捨てるの捨てないの、貴族籍を捨てるの捨てないのと政治闘争に発展した結果、貴族法に新たな条文が書き加えられた。
『王族及び貴族子息において、心と体の性別が一致しない場合は心の性別に合わせた社会的身分を得ることを可とする』
要するに、申告すれば社会的に登録された性別を男性から女性に変更しても良い、ということだ。
後に『心は乙女法』と呼ばれる性別変更条項の成立である。
そして『心は乙女法』成立から7年後。
今度は王女がやらかした。
『私の心は益荒男である! よって男として生きる!』
当時の国王の嘆きが記録に残されている。
『王家は何かに祟られているのだろうか。俺が何か悪いことをしたか?』
国王が何かしたかはさて置いて、国政は荒れた。
『心は乙女法』が審議される時、逆パターンについては誰もが頭に浮かべたものの、男子が権利を投げうって女子になるのに比べて、女子が男子になると逆に権利を得る可能性が高く、ややこしくなるため敢えて先送りにされたのだ。
とりあえず乙女な王子がなんとかなればいい、後の世に逆パターンが登場するとしても、それはその時代の政治家が悩めばいい、と。
まさかたった七年で心が益荒男な王女が登場しようとは。
内紛寸前の政治闘争の末、文官達は血の汗を流しながら補足条項を作り上げた。
法廷で認められれば女性から男性に登録変更していいですよ、と。
俗に言う『心は益荒男条項』である。
そして今、令嬢達の会議は騒然となった。
男爵令嬢マリア・エストラは異性に馴れ馴れしいビッチなのか、それとも女性に不馴れな『心は益荒男』なのか。
「嫌あぁーっ!」
一人の令嬢が悲鳴を上げた。
「どうしましょう! 『心は益荒男』の方と、もしお風呂などで一緒になってしまったら!」
「キャーッ!」
「更衣室も、お手洗いもですわ!」
「嫌ーっ!」
「皆様、落ち着きましょう。あの方、寮生ではありませんわ。お風呂で出会う事はありえませんわ」
「そう言えばそうですわ。自宅通学ですわよ」
「更衣室でご一緒した事も、考えてみれば一度もありませんわ」
「あの方、お着替えは空き教室で一人でなさってるのじゃなくて?」
「お手洗いもですわ。旧校舎か管理棟を使ってらっしゃる筈ですわ。私達と出会うのを避けているのだろうと不快に感じておりましたけど、今思うと…」
「そういう事でしたの!?」
ワイワイガヤガヤ喧々諤々。
騒然とする中、マルシアの声が空気を切り裂く。
「なんの根拠もない、憶測に過ぎませんわ!」
アンジェラが切り返す。
「確かに憶測です。でもそう考えると平仄が合うではありませんか」
「こじつけですわ!」
「男性との交流を恐れない人が、女性からのいじめは恐れて徹底的に逃げ回っているという方がむしろ不自然では?」
「ですからアレは演技ですわ! 実は図太いのです、あの者は!」
「図太い方が繊細なフリをしているとして、それだけでは罪になりませんわ」
「たくさんの方を不快にさせているのですから、十分に制裁の対象ですわよ!」
「その不快さが見る角度を変えることで変わってくると指摘されているんですのよ」
両者一歩も引かず睨み合う。
パンパンパン。
緊迫した空気をエスメラルダが手を叩いて断ち切った。
「お二方、結論を急ぐには早すぎますわ。彼女の真意はここでは測れませんし、憶測で許容するには実害が出ているのも事実です。幾つかの婚約にヒビが入りかけていますものね」
「そうですわ! 私、本当に悔しくて…注意しただけなのに、嫉妬してるみたいに言われて!」
一人の令嬢が泣き崩れ、それを友人が慰める。
「…そういう事ですから、何も咎めないというわけには参りませんわ。情状酌量の余地があるのかどうか、デリケートな部分の憶測も含めて、殿下に仲介の労を取っていただこうと思いますわ。異論はございまして?」
殿下。
先ほどの恋する青年の映像が令嬢達の脳裏をよぎった。
あれを引っ張り出すのか。
婚約者の顔もまともに見られない初心で内気な第二王子を。
本当に役に立ってくれるのか、アレは?
だが仮にも王子、『頼りないです』とは言いにくい。
「では本日はここまでにしましょう。新たな展開がありましたら後日皆様にお伝えしますわ」
※
第二王子エイドリアンは胃が痛む想いだった。
婚約者に頼られたのは嬉しいが、その内容が問題だ。
男爵令嬢マリア・エストラ。
その周辺で起きている婚約者同士の不和問題や令嬢達の悪感情について、納得のいく答えを持ち帰らなければならない。
触れたくない微妙な秘密に如何にして触れずに済ますか。
触れずに済ませることが果たして可能か。
単純に『婚約者を粗末にしたのが悪い、はい、男子有責で婚約破棄。以上終わり』としたらダメかな、ダメなんだろうな。
エイドリアンはマリアを呼び出し、人払いをした部屋で話し合いを持った。
「…という訳で、彼女を納得させる回答が必要なんだが」
マリアは手にした紅茶の湯気をじっと見つめていたが、やがて顔を上げた。
「わかりました。全校集会を開いて下さい。この際、思い切って誤解を解きます」
「だがそれは」
「自分で釈明しなくては彼女の前に立つことはできないでしょう。どうせなら学園全体を巻き込んでやります。 誰も無関係では居させません。一人残らず道連れにします」
マリアの指の関節が白くなっている。
紅茶のカップがミシミシと音を立てている。
あ、これ、止めても無駄なやつ、とエイドリアンは観念した。
※
そして開かれた全校集会。
何が起こるのか分かっていない男子学生達と、対照的にハラハラドキドキの期待と不安に胸を膨らませている女子学生達。
『ついに決着が付きますのね?』
『ええ、どちらが正解なのでしょうね?』
ヒソヒソと囁き合う女子学生。
その囁きさえ男子学生達にはさっぱり意味が分からない。
「これ何の集会?」
「さあ?」
男子学生の頭上に無数の疑問符が浮かぶ中、壇上に第二王子エイドリアンが現れた。
「諸君、こうして集まってもらった事に感謝する。かねてより女子学生会から問題提起されていた件について、マリア・エストラ嬢から釈明がある。皆、偏見を持たずに、虚心坦懐に、彼女の話に耳を傾けてもらいたい」
偏見を持たずに!
女子の大半がそのフレーズに反応した。
『やっぱりソッチですの?』
『益荒男ですの?』
ざわつく会場。
マリアが前に進み出る。
決意に満ちた面持ちで語り出した。
「私の名前はマリア・エストラではありません」
は?
「私の本当の名前はエステバン・デ・ラ・レアル」
しゃべりながら首のチョーカーを外すと、少女の声が青年の声に変わった。
同時に髪の色もピンクから金色に変わっていく。
後ろに立つエイドリアンと同じ色だった。
「存在を秘して育てられた、この国の第三王子です」
はぁ〜!?
ちょっと待て、いきなり何をぶっ込んでくる?
男子も女子も心は一つ、驚愕しかない。
急展開にもほどがある。
そんな聴衆を気にも留めず、マリア、いや、エステバンは語り続ける。
「幼い頃は辺境伯家に預けられていました。成長して命の危険がなくなるまで、身分を隠し続ける予定でした」
そうなの!?
聴衆の視線が一斉にマルシアに向いた。
「フン!」
彼女は扇で顔を隠し、鼻で笑った。
あ、知ってたんだ、と皆が腑に落ちたような気持ちになった。
エステバンの釈明はまだ続く。
「身の安全のため、性別を偽って入学しましたが、令嬢らしい振る舞いが上手くできなかったため、また正体を見抜かれるのを恐れて女子と距離を置いたため、各方面に迷惑をかけました。それについてはお詫びします。申し訳ない事をしました」
ほんと、それな!
一部の女子が大きく頷き、一部の男子は決まり悪気な様子になった。
「卒業までは正体を隠す予定でしたが、情勢を鑑みて、今明かす事にしました。このままマリアでいたら、風紀を乱すとして退学させられかねないし」
ほんとにな!
女子の大半が頷く。
「それに最愛の人が凄く怒ってるみたいなので」
…は?
「マルシア、黙って貴方の前からいなくなって御免! 再会した時、こんな姿で御免! 訳を話さなくて御免! 悪かったと思ってます、許して下さい。そして私と結婚して下さい!」
「お断りですわ」
一刀両断ですと!?
聴衆は再び驚愕した。
「正体を隠す? ハ! 一目で分かりましたわよ。バレバレなのですわ、そのヘタクソな女装!」
マルシアはせせら笑った。
「喉仏さえ隠せば女に見えると? 魔道具で声を変えたって、頭の鉢は大きいし、膝の関節も手首の骨もゴツゴツじゃありませんの。胸も腰も体型補正が不十分。腰骨の形を見れば一目瞭然ですわ」
いや、分かりませんでしたけど!?
聴衆は顔を見合わせる。
あなた気付いた?
ううん、全然。
「騙されてたのは疑う事を知らない無邪気なご令嬢と、世間知らずなご令息くらいでしょうね」
私達、無邪気だったのね!
俺達は世間知らずだったのか!
聴衆の心を抉りつつ、マルシアはコロコロと笑う。
「くだらない女装ごっこを続けるようならその性根を叩き直してやろうと思ってましたけど、ま、こうしてカミングアウトした勇気は褒めてあげますわ。ですけど結婚なんて、お笑い草ですわ。敵からコソコソ逃げ回って、女のフリして兄弟の陰に隠れて? そんな情けない男、まっぴらですわ。私を娶るなら、男の中の男、最強の男でなくては!」
ホーッホッホ、ごめんあそばせ、と高笑いしながらマルシアは会場を出ていった。
気まずい沈黙が流れた。
「ド畜生ーっ!!」
突然、エステバンが吠えた。
「あの女泣かす! ぜってー泣かす! 男の純情踏みにじりやがって!」
「お、お前、ちょっと落ち着け、な?」
「兄貴!」
兄貴?
「俺、てっぺん取る!」
てっぺん?
「てっぺん取って、武力と権力でアイツを跪かせてやる!」
「何か不穏な単語が聞こえたんだけど? 謀反の計画じゃないよね? 違うよね?」
「まずは辺境伯家のタウンハウスにカチコミかける!」
「か、カチコミ?」
「見てろよマルシア! お前んち更地に変えてやるからな!」
「待って、スーたん、待って。お兄ちゃんに分かる言葉で説明してお願い」
スーたん?
お兄ちゃん?
疑問符だらけの聴衆を置き去りに、取りすがるエイドリアンを引きずるように、肩を怒らせて去っていくエステバン。
その後ろ姿を見守りながら、聴衆は思った。
あれが素なんだ。
いつもは頑張って丁寧語喋ってたんだ。
それにしても。
「マリアたん…」
「男だったんだ…」
一部の男子が真っ白に燃え尽きていた。
※
3人の令嬢が庭園でお茶を飲んでいる。
エスメラルダ。
イザベル。
アンジェラ。
「私よく分からないのですけど、マルシア様はどういうお気持ちだったのでしょう? 積極的に断罪したがっておられたのに、実際には正体をご存じだったのでしょう? 矛盾してませんこと?」
アンジェラが首をかしげる。
「断罪と見せかけて貴族社会から逃がすおつもりだったのだと思うわ」
エスメラルダが穏やかに微笑む。
「幼なじみですもの。身の危険があって隠れていると察しがついたでしょうし、不自由な女装生活から早く解放して差し上げたい気持ちもあったと思うわ。なのにイザベル様が真相に迫るから、焦ったでしょうね」
「やめてくださいませ。お恥ずかしい。真相どころか的外れな推理に終始していたのですから」
「あら、名推理でしたわよ? 私などすっかりその気になってしまいましたもの。…つまりマルシア様は終始一貫して第三王子殿下の味方だったという事かしら?」
「敵対するフリをしてね。素直じゃないわよね」
「素直じゃないと言えば、全校集会での捨て台詞もそうですわね。公衆の面前でエステバン殿下に恥をかかせて。本気で嫌いな訳ではなかったのでしょう?」
イザベルが手元の日刊貴族新報の記事をチラリと見る。
そこには第三王子と辺境伯令嬢の婚約が書かれている。
「あれは照れ隠しというか、乙女心ね。大勢の前で公開告白されて、恥ずかしさもあったでしょうし。女装姿で花も指輪も無しなんてあんまりですもの。きちんとしたプロポーズをやり直して欲しい気持ちもあったのではないかしら」
「マルシア様に乙女心が?」
そんな物あるのかと言いたげなアンジェラである。
「恋する心は皆、乙女なのよ」
「辺境伯家でも?」
「辺境伯家でも」
日刊貴族新報によると、全校集会のあった日の夜、辺境伯家で轟音と共に家屋が半壊する騒ぎがあった。
現場にいた第三王子は『辺境伯領に古くから伝わる伝統的な求婚儀礼であり、事件ではない』と主張し、辺境伯もそれを認めた。
辺境伯領のワイルドなイメージが一層加速したのは言うまでもない。
「エスメラルダ様は事情をご存じでいらしたの?」
「いいえ。全校集会で初めて知って驚きましたわ」
「エイドリアン殿下、婚約者にも隠し通していらしたのね…」
内気な印象の第二王子は意外と口が固かった。
「第三王子殿下は身も心も益荒男でしたわね」
「本当にそうね」
あわや更地にされる所だった辺境伯家タウンハウスは家屋半壊で済んだが、怪我人は多少出たらしい。
その後は怒涛の展開で、存在を秘されていた第三王子は瞬く間に己の軍勢を作り上げ、政敵を荒っぽい手段で次々と葬り去っている。
もはやそこにピンクの髪の男爵令嬢の面影はない。
あるのは獰猛な金髪の獅子の顔だ。
「最初から存在を公にされていればよろしかったのに」
「出来ない事情があったのでしょう。『心は益荒男』事件の直後ですもの」
第三王子が誕生したのは王女がやらかした騒動の翌年である。
王家の求心力が最低値に落ちていた時期である。
やらかした王女の兄、当時の王太子が今の国王であり、エイドリアンとエステバンの父親である。
尚、エイドリアンの上にもう一人、第一王子がいる。
エイドリアンと第一王子の母親は王妃だが、エステバンの母親が誰なのかは公開されていない。
つついてはいけない、王家の闇があるらしい。
「ともあれ、辺境伯家へ婿入りが決まったのですから、第三王子を担ぎ上げる勢力も大人しくなりますわ」
「しばらくは平穏無事であって欲しいものですわ」
第三王子が絶賛大暴れ中なので、国政は割と荒れている。
現国王は前国王の言葉を引き合いに出して嘆いたという。
『王家は何かに祟られているのだろうか。俺が何か悪いことをしたか?』
祟られているかはさて置いて、国王は確実に何かはしている。
「明るいニュースはございませんの?」
「ありますわよ。第二王子殿下とエスメラルダ様の御婚礼ですわ。楽しみですわね」
「殿下はエスメラルダ様のお顔をちゃんとご覧になれるのかしら?」
エスメラルダはクスクスと笑った。
「努力してらっしゃるようですわ」
「心に益荒男要素が足らないのではなくて? 弟君と足して2で割ったらよろしいのに」
「まあアンジェラ様ったら」
コロコロと笑いさざめく令嬢達。
乙女だったり、益荒男だったり、何かとお騒がせな王家だが、明るく笑い合う乙女達がいれば、闇も陽光に溶けて消えていきそうだ。
この先また何か起こるとしても、世の中を変えていくのもきっと、心の乙女と益荒男達。
感想を頂きました。ありがとうございます。
誤字報告も頂きました。(初めて貰った誤字報告。読み込んでくれてるんだなぁ…。ちょっと感動)皆様、本当にありがとうございます。