来世のご挨拶
『来世にお世話になる方、特に両親やご親戚には、前世のうちに挨拶へ伺うのがマナーです。服装は男性ならスーツ、女性なら肌の露出が少なくフォーマル感のあるワンピースやスカートスーツがおすすめです』
俺の余命はあと1年。そう告げられた後、医者から手渡された『終活リーフレット』にはそんな説明が書かれていた。
「最近は廃れつつありますが、前世のうちにきちんと挨拶をしておくのが礼儀なんです。そうしておいた方が、相手も来世のあなたに対してより親近感を持ってもらえますし、何より子供として生まれたら迷惑ばっかりかけることになるんですから」
来世の挨拶に関するページを読んでいた俺に、医者がカルテを見ながら教えてくれる。
「でも……自分が来世に誰の子供として産まれるかなんてわからないんじゃ?」
「昔はそこから調べるのが大変だったんですが、今はネットで調べられますよ。多田さんは余命一年であまり時間がありませんから絶対にやらなくちゃいけないわけではないと思います。残り少ない時間ですので、悔いなくお過ごしください」
「はあ」
診察が終わり、俺は家へと帰った。自宅のベッドで寝転がり、この一年の間に何かしておかなければならないことがないかを考えてみた。しかし、空っぽの人生だったからか、特に思い残したこと何一つなかった。
俺は病院でもらったリーフレットをパラパラとめくりながら、やることもないから一応挨拶はしておくかと思い立つ。働いていた頃に着ていたスーツを引っ張り出し、近所の和菓子屋で手土産を買い、ネットで調べた来世の俺の母親になる人に会いに行った。
ネットで調べた情報によると、その人は千葉県に住む、二十代前半の女性らしい。電車を乗り継ぎ、最寄駅で降り、駅から十分ほど歩いたところにある寂れたアパートに辿り着く。アパートの201号室のチャイムを鳴らす。反応がなかったので留守かもしれないと思ったが、しばらくするとゆっくりと玄関が開き、チェーンロックがかけられた半開きの扉の隙間から、どちらさまですか?と若い女性が顔を覗かせた。
「突然すみません。実は、私今年いっぱいで死んでしまう予定なんです。それで、急いで来世を調べたんですが、なんでも、私が来世にあなたの子供として生まれ変わるらしくて。来世では色々とお世話になると思うので、前世のうちにご挨拶にお伺いしました」
女性は半信半疑だったが、俺が自分の免許証と来世の情報が載っているサイトの画面を見せて初めて、信じてくれた。それから俺は来世ではできるだけ叱らずに育ててほしいとか、頭が悪くても多めにみてほしいといったことを簡単に伝える。とりあえず挨拶はできたので、彼女に手土産を渡し、そのまま帰ろうとした。しかし、俺が口を開きかけたタイミングで、彼女は「ひょっとしたら生まれ変わらせてあげられないかもしれないですが、その時は許してください」と沈んだ表情のまま呟いた。
「どういうことですか?」
「そのままの意味です」
どういうことだ。俺は不審に思いながら、玄関の隙間から家の中を覗いてみた。すると狭く、荒れたリビングの真ん中にポツンと置かれた椅子と、だらりと垂れ下がった紐が見えてしまった。今ちょうど死のうとしていたところなんです。彼女は隠すことも、誤魔化すこともなく、諦めの表情でそう説明した。
生まれ変わらせてあげられないかもしれない。その意味を理解した俺は、瞬間的にこれはまずいぞと思った。俺が前に聞いた話によると、生まれ変わりはタイミングが非常に重要らしく、その機会を逃してしまうと、人間には生まれ変われなかったり、来世の人生が全く別のものになってしまうらしい。
現世が散々だったからせめて来世は幸せな人生を送りたいと思っていた。だから、現世のうちに色んなボランティアをしたり、パワースポット巡りをして、徳を積むようにしていた。それなのに、そもそも生まれ変わることができない、生まれ変わることができたとしても精神的に参ってしまっている母親の元に生まれてしまったら、俺の計画が台無しになってしまう。
俺はもう一度、来世で俺の母親になるはずの彼女をみつめた。そして、残り一年という自分に残された時間でやるべきことを悟るのだった。
「何があったか、教えてもらえませんか? 何か力になれることがあったら、力になりたいんです」
*****
それから俺は、必死になって彼女を支えた。彼女が精神的に落ち込んでいたのは就職活動の失敗や、両親との不仲などいろんなことが原因だった。俺は彼女と信頼関係を築いた上で、精神科の受診や親との和解、就職活動のサポートなど、彼女を精神的に回復させるために走り回った。
一年という短い時間で人をそこまで変えることができるだろうか? 残された時間が短い俺はずっとそのことが不安だった。しかし、俺が出会った時が彼女にとっての人生のどん底だっただけらしく、彼女は元々は明るい性格で、俺という支えで本来の明るさをみるみるうちに取り戻していった。この一年で、彼女はよく笑うようになったし、会話の中で冗談を言うようにもなった。人生を前向きに考えられるようになっていったし、前のように自殺を考えることもなくなっていった。
「本当に心から感謝してる。だから……本音を言えばあなたには死んでほしくないし、あなたが死んだ後、また前みたいに死にたいって思ってしまわないかすごく不安なの」
就職祝いの席で、彼女は俺の目を見ながらそう言った。彼女が心配になるのも当然だと思った。だけど、俺はそのことについて不安には思っていなかった。彼女がここまで立ち直ることができたのは、俺の支えがあったからではない。彼女が必要としていたのはきっかけだけだった。俺という存在がいなくても、彼女には一人で生きていけるだけの力強さがある。彼女と過ごしたこの短い時間で、俺はそのことを理解していた。
彼女の手を握りながら、ゆっくりと俺の考えを説明した。彼女は途中涙ぐみながらも話を聞いてくれ、俺がいなくても強く生きてほしいという俺のお願いに力強く頷いてくれた。愛してる。俺は彼女への感情を素直に伝えた。それに対し、彼女も同じように愛してると返してくれた。
「それじゃあまた、来世でね。あなたに会えることを楽しみにしてる」
俺たちはそんな会話を交わして別れた。それは、俺が余命を宣告されてから、ちょうど11ヶ月目のよく晴れた冬の日だった。
もう思い残すことはない。俺は家で孤独死することは嫌だったから、病院で残された時間を過ごさせてもらうことになった。そして、愛する彼女と過ごす来世を想像しながら、死を待っている俺に、前に俺に余命を宣告した医者が慌てた様子で病室に入ってきた。
「朗報ですよ、多田さん! つい先日、治療不可能と言われていた多田さんの病気の治療方法が発表されたんです。そして、その治療方法の治験を、多田さんですることができそうなんです!」
医者の言っていることがうまく飲み込めなかった俺はどういうことですか? と尋ねる。
「つまりですね。多田さんが死なずに済むかもしれないってことですよ!」
その言葉を聞いた俺は、驚きのあまり声を失った。そして医者に対し、叫ぶようにこう言った。
「そんな! 今死ぬことができなかったら……来世で彼女と会えなくなっちゃうじゃないですか!!」