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4-7.陽光


 北の方との話を終えても中々礼羅は帰ってこなかった。


 折角だから帰ってくるまでここで待てばいいと言う北の方のお言葉に甘え、下手なりに歌詠みや世間話をしていれば北の方の女房も通いの者はそぞろに帰っていく。

 ほとんどが家庭を持っているため子供や夫のためにも帰らないといけないらしく、既婚の女が仕事をすること自体珍しいはずなのにこの屋敷にはそんな女房が多い。


 唯一残った住み込みの女房である椿の君は安倍家の女房の中で一番若い。

 元々神祇官府で務める齊部家の娘らしいが、とある事情で晴明殿が北の方の女房として引き取ったらしい。俺と同い年らしいけどしっかりしている。


「母上、陰陽頭から話を聞いて様子を伺いに参りました」


 御簾の向こうから吉昌の声が聞こえる。北の方は椿の君に手振りで迎えるよう伝えると椿の君は几帳から出て俺の後ろにある御簾に向かった。

 一瞬だけ椿の君の顔が見えた顔の口角が上がっていた。さっきまで礼羅が返ってこなくてそわそわしてたのに。


「なんだか兄者には申し訳ないですね……」

「いいのですよ。夕餉はいただくのかしら。なら厨に伝えませんと」


 そんな会話をしていたら向こうから椿の君の悲鳴が聞こえた。

 北の方はささと立ち上がって様子を見に来る。俺も後ろを振り返って御簾の方を見ると、尻もちを付いた椿の君の前には吉昌ではなく吉平が立っていた。


「参ったな。声色少し変えただけなのに吉昌だと勘違いされてしまった」


 いやわざと北の方を「母上」と呼んだだろう。

 まだ紅葉に色付いていない青い楓の枝を持っていた吉平は困った顔を浮かべ、北の方は「そんなことだろうと思いました」とため息を吐いた。


「吉平さん、椿は旦那様から(おどか)されたばかりなのですよ」

「そうでしたか。なら悪い事をした」


 「立てるかな」としゃがんでは椿の君の腰に手を添えようとする吉平に北の方は「いたずらに触れるんじゃありません!」と叱る。また苦笑するとお詫びのように手に持っていた楓の枝を椿の君に渡した。ちらりと吉平の袖の影に折りたたんだ紙が見える。気障なやつめ。


 吉平は晴明殿に似ているが、あまり研究熱心ではなく庶兄であることに甘んじているのか所帯を持とうとしない。

 弟に気を使っているのか、ただ遊びたいだけかは知らないけど。


「こちらこそ、お見苦しい姿を見せてしまいました」


 青い楓の枝を受け取った椿の君はそそくさと膝立ちのままその場から離れてしまった。

 吉平はサプライズのつもりだったのだろうが、今回はタイミングが悪かった。


「あー……俺は話を聞いたら帰った方がいいだろうか」

「好きにしてください。貴方にとっては実家ですから」

「ではお言葉に甘えて」


 そう言って吉平は俺の隣に座った。

 北の方も几帳の向こうではなく外側に座る。女房が帰ったから体面を気にする必要もなくなったと判断したのだろう。


「椿の君は逃げてしまったか」

「厨まで行ったのでしょう。気が利く子です」

「律儀なことで」

「立場を弁えているのですよ。貴方の距離が近いのです」


 本来屋敷に仕える女房でも異性と顔を顔を会わせないのが普通だ。

 実際気心知れた北の方とも俺は普段は几帳越しで話しているくらいなのだから。


「可愛らしいじゃないですか」


 好きな子をからかいたくなる小学生男子か。


「そんなこと仰るなら迎えたらどうです?私は気にしませんよ」


 冗談めかして嫁にどうかと言ってくる。

 確かに顔を見たんだから責任取ってと言われてもおかしくない世界だ。吉平の様子じゃあ椿の君の顔を何度も見てるだろう。でも椿の君の実家は許してくれるのだろうか。


「ははは、当分は無理でしょうね。陽光殿はどう思うかい?」

「寺育ちに色恋のことを聞くな」

「流石、塗籠で一晩中読経していた者は違う」


 据え膳を食わなかったことを揶揄いのネタにするな。


「そんなことをおっしゃるなら縁談を設けてもいいのですよ。椿以外で」

「御冗談を。北の方は吉昌の御子に気をかけたらよいのでは」

「姑が何度も訪れてはあちらの北の方にも負担がかかるでしょう。それならいつまでもふらふらしている貴方を見た方が世話のし甲斐があるというもの」


(こえぇえええ……)


 「弟に子供が出来たんだからさっさとお前も相手見つけろ」という継母からの圧力が凄まじい。


「お待たせしました」


 しかし椿の君が良い頃合いに北の方の後ろから現れる。几帳で顔が見えないが。


「あら早かったですね」

「助かったよ」

「……?」


 椿の君は首を傾げるそぶりをしながらもそそと花瓶に挿した楓の枝を几帳の向こうにいる自分らにも見える場所に置いた。


「……青いな」

「陽光、話を切り出すならもう少し雅な感想を言って欲しいな?」


 いやだって青いじゃん。悪かったな歌を詠めなくて。


「青楓、萌ゆる若葉を手折りなば、染むることなくいつか枯れなむ」

(青楓の萌える若葉を手折ってしまったら、紅く染めることなくいつか枯れてしまうでしょう)


 几帳の向こうから椿の君が即興で歌を詠んだ。流石だと思うけど内容が微妙だ。


「椿の君のそれはどういう意味かな」

「そのままの意味ですが」

「てっきり、一緒に紅葉狩りにでも行きたいのかと」

「秋はまだ先でしょう。急用に子供のようないたずらをする方はお断りします」


 あーあ、これは嫌われた。北の方が咳払いをする。


「それで本題は?」

「あぁそれはですね……」


 晴明殿が向ったのは右獄だろうから、そこに弟の吉昌を確認のために向かわせたとのことだった。


「父上にもお考えがあるだろうし無理に引き戻したら悪化することもある。陽光は不服だろうが貸してやってくれないか」

「式神に何かあったら私にも伝わる。今のところ何も知らせがないから問題ないだろうが……」


 ちらりと北の方と几帳の向こうを見る。


「ご婦人に気を遣う必要があるか?」

「俺は彼女を式神にしてから会ってない。見てくれているのは北の方と椿の君だけだ」

「最近梓弓が聞こえないと思ったらそういうことですか」


 夜の梓弓の音は椿の君によるものだ。たまに歌も一緒に聞こえる時があるが何のためにやってるのかは晴明殿も教えてくれなかった。


「なら椿の君、念のため話を聞かせてくれないか。陰陽頭にも奏するから」

「え、えぇ……」


 若干嫌そうに聞こえる。

 それでも椿の君は淡々と説明し、吉平がたまに相槌を打っては聞き返したりして話を掘り下げていけば知らないことも出てくる。

 話し終えた椿の君は最後ぼそりとつぶやいた。


「……皆さまの区別が付かない私は女房失格ですね」


 彼女の気に触れてしまったようだ。


青楓、萌ゆる若葉を見初むれば、いつうつろふや心もとなし

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