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3-3.礼羅


「――それで、あの屋敷から逃げ出したと」

「すぐにでも逃げたかったのですけど、力も無く、何故か家主の目が届く所の仕事を回されることが多くて……」


 泣いている所を北の方にも見られてしまい、私は泣いた事情を説明せざるを得なかった。


 大和の山奥に住んでいたこと、育ての親が帰ってこなくなり結界が消えてしまったこと、結界が無くなったことで賊に襲われ、都の屋敷に売られたこと、あとは知っての通りである。


「よく狐だと明かされませんでしたね」

「育ての親に四六時中隠せるよう鍛えられましたから」


 寝ている時にも擬態が解けたら容赦なく水をぶっかけられた。


「これらの話は主人に報告します……ところで、貴女は家に帰りたいという思いは御座いますか?」


 北の方の言葉に椿さんが顔を上げるが何も言わない。


「……いいえ。結界が消えた以上、一人で暮らしていたらまた襲われかねません」

「その大和で育ての親を待つということも考えないのですね?」

「育ての親は時々ふらりと数日出かけることもありましたが結界が解けることはありませんでした。

 結界が意図せず消えたという事は儚くなることと同義でしょう。わたくしは、陽光殿の式神としてつとめる所存です」


 あの夜から私は既に腹を決めている。

 あとはお婆を祓った相手が誰なのかも純粋に気になるし。仇は討つ気はないけど単純に興味がある。


「……分かりました。礼羅と言いましたね。あなたは陽光様の式神としてつとめを果たしてくださいましな」

「はい」


 ここで私は北の方が『陽光様』と呼んだことに引っ掛かることはなかったのだった。



―――



 私はそれから改めて自分の知ってる和歌や漢詩、お経を書かされた。


「全て育ての親に聞かされたものです」

「自分で作ろうとは思わなかったのですか?」

「いいえ、全く」


 だって恋とか分からない。

 お婆に聞いても狐だから男を手玉に取るような話ばかりで、一度人里ので恋仲の男女を男の子たちと覗き見たときの雰囲気を知った時、それは恋とは違う気がしたのだ。


「私が傍にいたのは育ての親、たまに山の麓にある村にいる村人達です。駆け回って遊んだことはあってもそれだけ」

「お転婆ですね……」


 散々泣いてみっともない姿を見せてしまったけれど椿さんとはだいぶ打ち解けた気がする。

 椿さんも私には気易くなった。


「椿さんは和歌が好きなのですね」

「風景を想像するのです。例えばこの歌、作者の内親王の当時の背景も重ねれば美しく感じませんか?」

「えっと、その話すらも分かりません……」


 さすがに当時の時代背景とかそういう話までは知らない。

 歌の話になると椿さんは目を輝かやかせる。

 彼女は恋の話が好きなようで、万葉集や古今集の歌を読んでは妄想しているのだそうだ。


「……教養として学ぶこともありますから。男女の駆け引きで良い歌が出来れば良いですけど。……ですがそうは言っても椿はそのような時になった途端詠めなくなるではありませんか」

「北の方その話は……」


 顔を赤らめて扇で隠す椿さん。扇は北の方とおそろいだが譲られたのだろうか。

 恋愛話の気配がして北の方にさっと視線を寄越した。恋は分からないけど知っている人の恋愛話は気になる。


「北の方……!」

「ふふふ、よろしくてよ」


 北の方はにんまりと笑みを浮かべて扇で口元を隠した。


「巫女にも舞の祭事があるのだけど、椿もそれで舞った事があるの。その姿に惹かれた殿方がこぞって椿に歌を送ったのよ。なのにこの子ったら、昔からずっと架空の歌の返歌を考えてばかりいたのに、返せなかったの」


 椿は両手の袖で顔を覆っているがもはや袖に埋もれている。

 つまり口説かれる事を期待して妄想までしていたのにいざ本番になったら緊張して何も返せなかったと。


「椿さんらしいですね」

「それが可愛いところよ」


 だけどやけになったのか「わたくしのことよりも……!」と私を睨まなんばかりに見る。


「貴女は嵐山の君とはどういった経緯で繋がりを持ったのでしょう!?」


 ただの主従なのだけど確かに傍から見れば不遇な扱いを受けていたのを救ってもらった大恋愛に見えるのだろうか。

 心なしか椿さんの目が輝いているように見える。やはり何か勘違いをしていないか。


 式神にした時だって強引だったし。


「彼と言えば……嵐山の君は都に入れないとおっしゃっていましたが、あの相貌が原因でしょうか。

 わたくし都に来たのも半月程前で、その間も下女としてかの屋敷につとめいたので何も知りませんの」


 話を逸らしたけど想いを馳せるように遠くを見るのは北の方だった。


「……そうですね。嵐山の君は御苦労をされたことでしょう。

 元々あの相貌だったので生まれたばかりの頃は神の子だと喜ばれた頃もありました。

 ですがある出来事がきっかけでまだ七つの頃に寺へ入るよう勅令がされました。

 元服され、今の帝からは宮中に入る赦しを貰ったようですが、戒めていらしてるのか、未だ都に入るのをできるだけ避けておられるのです。

 この屋敷も内裏から遠くないとはいえ都の外れですから、ここが本人にとって気安く足を踏み込める限度なのかもしれません」


 北の方は茶で喉を潤す。


「勅が撤回されても未だ過去の事を覚えている貴人は少なくありません。今ではかの方の生まれを知らない者も多く、その分その容姿の怪しさから誰も近寄る事はしないようです」


 椿はお代わりのお茶を淹れながら補足する。

 出会った時はそこまで気負う雰囲気を感じなかったけど、彼も私の知らないところで苦労しているらしい。


「わたくしも遠目でお目にかかったことがありますが、旦那様からお話を伺うまでは旦那様の御身内かと思いました……」

「あの御二方は人離れしていますものね」


 椿と北の方が視線で頷き合う。

 安倍晴明とは式神越しでしか話したことがないからどんな顔をしているのかが想像出来ない。


 ちらりと他所を見れば御簾の向こうでは今もひらひらと白い蝶が舞う。それは紙にも式神にも見えた。誰かが様子を伺ってるのだろうか。


 その時私は忌み子と呼ばれる容姿とはいえ、数え七つの子供が帝から勅令を受けた事に違和感を感じなかった。


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