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3-2.礼羅


「帝の寛大な御心に感謝が絶えません」


 陽光が動いてくれたのだろう。主には感謝せねばなるまい。


「嵐山の君のお休みが明けるまで貴女はこの屋敷の西の対に滞在してもらいます。

 一人でこの離れから外には出ることは許せないけど、何かあればこの椿に言えばできる限りのことはしましょう」


 監視だと言っていたから当然か。そしてこの巫女は椿さんというのか。


「分かりました。それで、陽光……嵐山の君と話がしたいのですが、いつ会えるのでしょう?」


 北の方と椿さんは顔を見合わせては首を傾げる。


「物忌みをしているのでお顔を見る事も叶いませんが、どうしてお会いしたいと?」

「だって、彼は私に無理やり血を飲ませて式神にした癖に私には何も施しがございませんもの。

 確かに私は都を騒がせたかもしれませんが、瘴気を吸い込んだ褒美くらいくれても良いじゃありませんか!」

「勅に見返りを求めるというのですか!?」


 椿さんは信じられないと言った顔をする。


「私の主人は嵐山の君です。帝なんて会ったこともないのに見返りもなく従えなんてできる訳がありませんわ」


 それに私は半妖と言われても完全に人じゃない。人のフリはしても人になろうとは思わない。


「北の方、この者は一体何者なのです。嵐山の君のお客様だと仰っておりましたが、仰ることが違います」

「椿、やめなさい」


 椿さんは北の方に不満げな顔を浮かべる。ここで私は初めて椿さんが子供っぽく見えた。


「あなたの言わんとしていることは分かりました。この場での話として留めて起きます。間違っても外でそんな事は言わぬように。不敬で殺されたくないでしょう」

「この場だから言ってるのです」


 二人揃って呆れた顔をした。

 そして北の方は咳払いをする。


「早速ですが禊をしましょう。あと髪を洗う用意を」

「え」

「奥様」

「禊をすれば多少心も晴れましょう」

「かしこまりました」

「え、えっ?」


 何が何だか分からないまま白装束に着替えられるとあれよあれよと外に連れていかれ、椿さんによって祝詞を唱えられ頭から水をかけられるとまた妖力や魔力が削られた。

 その後湯殿で身包み剥がされるとごしごしと全身を洗われる。

 抵抗するにも椿さんの力が思っていたよりも強くてされるがままだった。気分はずぶ濡れの猫、いや濡れ狐か。


 ちなみに部屋から出て戻るまでの道中誰にも会わなかった。

 北の方から梅の香りがする。もう梅の季節は終わったのに。


「髪にはどんな香を焚き染めましょうか?」

「いりません……」


 自分の匂いがこれ以上消えるのは落ち着かない。

 結局髪を洗いきった頃には全身くたくたで、髪が乾ききった頃にはすっかり夜になっていて、梅の香りに誘われるように私は眠りについた。

 次の日、朝食後に北の方が訪れた際には満足気に見ていた。


「ふふ、昨日よりも一段と綺麗になりましたね」


 もう二度とされまい。


「髪まで洗う必要は無かったと存じますが……」


 身体を洗うのはいいけど(しらみ)もないのに頭を洗うのは大袈裟だ。

 おかげでお婆が私の髪に塗りこんでくれた椿油が全て落ちてしまった。


「椿のおかげで、身体から邪気は消えていたけれど、ねえ?」


 椿に視線を送ると彼女も同意していた。布団や枕も取り換えられていたので相当汚れていたのだろう。


「汚いならはっきりと――あ……」

「どうかなさって?」

「妖狐の術で綺麗にすることもできたことを忘れておりました……」

「まぁ」


 狐であることを隠すために都に来てからほとんど術を使わなかったのでその存在を忘れていた。

 邪気で思い出したが、結局私はあの大量の瘴気を全て一人で中和しきれたのだろうか。



―――



 屋敷に滞在している間は完全に軟禁状態で部屋から一歩も出る事が許されなかった。

 椿さんは完全に私を物の怪として扱うようになり四六時中同じ部屋で監視され、北の方はそんな椿さんに困った顔をしつつも私に暇つぶしの写本を渡して来た。


(和歌集って言われても歌なんて読んでも楽しくないわよ……)


 だけどお婆はよく漢詩を地面に書いては消してを繰り返して口ずさんでいた。

 歌を教えられてもその良さが分からず首を傾げたものだがお婆は「気持ちは分からなくもないけどね」と複雑な顔をしていたけど。


「名花傾国両相歓、長得君王帯笑看」

「……」


 お婆が口ずさんでいた詩を歌ったら睨まれた。


「呪文を唱えても無駄です。妖力を無効にする結界ですから」


 初めに説明されたから知ってる。そしてその結界を破る自信が私にはある。破らないのは単純に殺されたくないからだ。


名花(めいか)傾国(ふた)つながら相歓(あいよろこ)び、(とこしえ)に君王の(えみ)を帯びて(みる)ことを得たり……唐国では有名な詩です。漢詩を呪文と勘違いされるのは心外ですわ」


 とある有名な詩人が楊貴妃に捧げた詩なのだとお婆が言っていたけど作者は忘れた。

 無知である事に恥をかけばいい。


「……詩を嗜むなら何故それを読んでつまらなそうな顔をするのです」

「え……?」

「その写本はかつての帝が編纂を命じて出来たもの。学を美徳とするなら和歌も学ぶべきでは」


 痛い所を付いてきた。


「……好きで学んでいた訳じゃありません。育ての親が唐国の狐なんだもの。何度も口ずさんでいれば嫌でも覚えます」


 苦し紛れの良い訳だと自分でも思う。だけど椿さんは少し考えると几帳の裏に行って紙と墨を持ってきた。


「筆を持った事は?」

「あまりないけど、地面に書いたり……。あぁ、あと馬の毛を貰って作った筆で布や木札に書いたことがあります」


 お婆は私に教えたことは多いけれど殆どが木箱に土を敷き詰め、木の枝を削ったもので掘って書いた。

 布は麻なら洗えば墨を落とせるし、木札なら削ればまた使える。でも面倒なので結局土に書く方法で落ち着いたのだ。


 椿さんは確認すると無言で硯に墨をすり、写本から一首選んで紙に書き始める。


「隣に先程の詩を書いてみてください」


 私の話を聞いていただろうか。


「別に博識である事を侮蔑するつもりはありません。このように、私の字もその写本に比べたら上手くは無いでしょう」

「そこまで思ってませんけど……」


 博識である事が悪いことに思うなんてあるのだろうか。この人は何を試しているのだろう。


「……文句は言わないでくださいね」


 お婆が書いていた通りに清平調子(せいへいちょうし)の三を書く。

 お婆は楊貴妃にまつわる詩を好んでいた。なぜその詩を好んでいたのかは教えてくれなかったけど、その詩を歌う時のお婆の顔はとても懐かしそうで穏やかな顔をしていた。ならお婆は楊貴妃だったのかと聞けば違うと即答された。

 書いた漢詩を見て紙を取り出すと椿さんはその文字をじっと見つめ、なぞったりしてはその乾ききっていない墨の湿りを確認した。だから何を確認しているの。


「……文字を書き、卒の無い作法で箸や匙で食事をし、妖術にも使えないのに詩を嗜む……。

 着せられた衣に不快感を持っているようでは無いですし、禊や湯殿でも嫌がる素振りは無かった。お香は好みもあるでしょうが、夜分に焚いている梅の香には不快感を感じている様子もないし、むしろ楽しんでいるようにも見える……」

「あの、椿さん……?」


 私の行動をそこまで見ていたのが怖い。そしてあの梅の香りはお香だったのか。


「狐、いや妖にしては人のようです。……まるで生まれてからそうやって生活してきたよう」


 大和の山の峰々が頭に広がる。今の季節なら青々として沢の水が気持ちいい時期だ。

 幼い頃は沢でお婆といっしょに衣を濡らすまで遊んだこともあったけど、私はお婆の狐の姿をほんの数回しか見たことが無い。

 私も狐の耳と尻尾さえ隠すことが出来れば人里に降りることは許してくれたから、お婆も知らない人の暮らしを知ることが出来た。


『お前さんはそう遠くない頃に妾の手から離れるだろうからねぇ』


 人里にいる人達も知らないのに私に読み書きを教える理由をお婆に聞いた時、そう言って私の頭を撫でたのだ。

 まるでお婆は私のために人の生活に合わせて育てたようではないか。


「……えっ?あの、どうなされたのですか!?」

「なんでも……なんでもないの……」


 私を育ててくれたお婆の愛情に今更気付いて涙が止まらなくなる。

 あぁ、あの放蕩婆がいなくなって清々したって思ったのに。


 結局私は北の方が様子を見に来るまで泣き続けていた。


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