21-2.礼羅
藤壺の女御から聞かされたのは言葉多くなくとも、入内した経緯が右大臣の強制だったことがうかがえた。
「嵐山の屋敷と言い、五ノ宮といい、本当に困ったものですぞ……」
「は?」
右大臣の愚痴に陽光が反応している。帝がそれもあったなと思い出す素振りをした。
陽光が知らないことでもあったのだろうか。
「嵐山の屋敷も右大臣が用意したのだったな。晴明に聞いた通りに作ったと聞いたが、どうだ?住み心地は」
あの広い御屋敷は帝ではなく右大臣が用意したものだったのか!
ということは陽光は自分の家を建ててくれた相手を毛嫌いしながら住んでいたということになる。
「なぜ、誰も言わなかったのです……?」
陽光は明らかに動揺している。
今初めて知ったとはいえ、右大臣から見ればせっかく屋敷を作ったのにもかかわらずその礼もせず、かと言って拒絶もせずそのまま居座り、しかも本人から毛嫌いされるなぞかなり厚かましい人間だったに違いない。
「そうと分かれば陽光は嵐山の屋敷に越したか?それなら晴明の屋敷に居座るか、平民と同じように長屋で生活をしようとしただろう」
あえて帝が右大臣からではなく、
確かに右大臣が用意したと知れば陽光は引っ越しもしなかっただろう。
だけど右大臣も右大臣だ。晴明が寺で暮らしていたことのある陽光が見栄を求めると思うはずがない。事実今も東西の離は使わないからと封じているのだ。
「そういえば、陛下が嵐山に屋敷を賜ったのは、皇子への手切れとして賜ったのだと言われておりましたわね」
藤壺の女御が面白そうに右大臣を見る。
「なぜそれを」
「噂もするでしょう。嵐山で別荘で大層なモノを作り、それはずっと出家していた皇子に賜るものだと知れば。ましてやずっと寺にいたかと思えば今度は術師の真似事なぞ、皇子でありながら身勝手がすぎると」
誰も事実を言わないのであれば陽光が寺に預けられているだけで出家していると思う人も大勢いる。
なのにいつの間に晴明の元で術師をしているのであれば様々な噂が立つのだろう。
頭では分かっているけれど女御の言い方は嫌味を感じて正直腹が立つ。
「屋敷こそあれど、主様はお一人で、下人や侍従の食い扶持を持たせたのに、どうしてそんなことをおっしゃるのですか?」
「おい――!」
やっぱり陽光はそうやって遮ろうとする。でも何も言わなければ陽光はずっと他人に対して殻に閉じこもるだけだ。
「ほう、そういえばこの娘も陽光に仕えているのだったな。言ってみよ」
帝がここぞとばかりに食いついてくるので陽光も言葉を飲み込む。
「では僭越ながら……主様は毎日袈裟を着て、身の回りのことは全て自分でおやりになられ、出仕しない日は狩りをして近隣に住む平民と獣の肉と皮を食べ物と交換して生活しております。
袈裟を着ているのに出家なさる人ほど経を読むことがなく、その代わり自らの術師としての鍛錬をしたり、己の手で母屋の床を磨き、下人の代わりに飯を焚いては己の好む味の探求をしております。わたくしに食べられる草は何か聞いてきたこともありました。
山奥で育ったわたくしから見ても、術師としての務めと出仕なさることを除いては平民と何ら変わりのない生活を送っておられます」
別に陽光に上流階級の暮らしをしてほしいと思っているわけではない。私だって晴明の屋敷にいる時は窮屈に感じるもの。ただ、陽光の身内には知っておいて欲しかっただけだ。
これを聞いて一番唖然としていたのは右大臣だった。生まれてから恵まれていた人にとってその生活は信じられないのだろう。
「残月からはなにも聞いてないが?」
「残月様もご存じではございますが、お言葉を選んでいらっしゃるのでしょう。それこそ、主様がそれで困っていらっしゃるようには見えませんが、東と西の離れを普段は閉じており、中は御簾を除いてもぬけの殻でしたので、今の生活をするまでに相当なご苦労があったように見受けられます」
惟也が私に時々屋敷に来たばかりのころの話をしてくれていた。屋敷だけ与えて食料どころか仕事すらも与えないことに呆れたものだ。
帝は「そんなつもりではなかった」と頭を抱える。
「それは誠か?陽光」
「…………はい」
苦い顔をしながらも帝の問いに答えると帝は右大臣に向き直った。
「……右大臣。其方は陽光から手を放せ。今まで余に行っていたことと違うではないか」
「それは――!」
「その老体だ。配下に任せるのは仕方のないことだろうが、それでも陽光は余の子だ」
右大臣は部下に色々任せていたけれど、その部下が陽光の噂を鵜吞みにして冷遇していたのかもしれない。それは想像だけれど、部下は図々しいにもほどがある。
右大臣も右大臣だけど帝も帝だ。陽光が右大臣を嫌っていても、愛情の裏返しとでも思っていたのか。
「そん、な……」
「ということで右大臣、其方は由良と陽光の縁を切れ……そもそも由良は先の丹後守の娘よ。お主とは直接の血のつながりはないであろう」
陽光の母君が右大臣の養子ということは知っていたけれど、その前からそれなりの地位にいたのか。
「由良の形見を見て残月が不審に思ったと聞かされて改めて調べたよ。由良のは先の丹波の守だったことは知っていたが、その父の妻は先の大宮の一人。息子は今の関白に所縁があるとか。本人もたまげていた」
家系図がややこしい。ここまで来るとほぼ他人な気がする。それでも陽光の後ろ盾は関白に代わるということなのだろうか?
だけど右大臣はすぐに反論した。
「陛下は、殿下を東宮にするとお考えではなかったのでは……!?」
「陽光は余が受け継ぎやすい相手と思ったからな。其方らのような人間をうまいこと遠ざけやすく、かつよき国へと導くことができるだろうが、その後ろ盾が陽光の邪魔になるのであればいらぬ」
「ちょっと待ってください!私は帝どころか東宮にもなる気はありません!」
「しかし考えが変わった」
帝は陽光に「やはりな」と分かっていながらも残念そうな顔をしていた。
諦めていても未練があるのか。
「七年前、其方が出家したいと言っていた時、火事は自分のせいという噂もあった故、己を責めていたのだと思っていた。そうでなくともお主にいわれのない言葉を投げられるのは変わらないだろうし幼い歳で母親もいない中、内裏は居心地が悪く逃げたくなるのも無理はない。
それで今も余が歌を詠めないのと同じように何かしらの傷を持っているのであれば……聞いても本人は自覚がないか、聞いても何もないと言うだろうが」
「……」
陽光が呪われたと思っているあの体質が頭に過ぎる。私が魔力を貰う代わりに妖力を与えているけれど、その呪いの原因は未だに掴めていない。
私の血を吸うまでは人や獣の生き血をすすって生きていた。そんな皇子が東宮にでもなったら私は離れなければならない。
さすれば内裏はとんでもないことになるだろう。だけど陽光がそれを言わないのは己の保身か、父帝を失望させないためか。
「当時は聞かなかったが、目が悪いお主でもはっきり見たのだろう?……由良と晶子の最期を」
「妹は生きてます!そんなこと言わないでいただきたい」
「……」
あきこと言うのは妹のことか。本来なら内親王として内裏にいてもおかしくなかっただろう。
「……陛下ほどではありませんが、傷になっていることは確かです。帝になりたくないのはそれが理由でもあります。あの火は私を燃やそうとしたのではないかと考えた日は数知れません」
膝の上で握りこぶしを作る。肌が白いから赤くなるのが分かりやすく、だから痛ましい。
「陛下は次代を求めていて、右大臣はその後任に嵐山の殿下と考え、当の殿下は臣籍降下を望んでいる。――それで間違いなくって?」
女御が皆の思惑をまとめた。女御はあえて自分の考えを言わなかったようだけれどその本心はどうしたいのだろう。
「其方は妃の身から退くと願うか?」
「二人の御子がいるのにそんな身勝手なことをすることはなくってよ。ですが……取り替えれば呪われることはないと僧侶の言葉を鵜吞みにし、間違えて陛下が恥をかけばいいと考えていたのは浅はかでした」
魔除けも兼ねていたのは陽光の想像通りだった。あれで魔除けになるわけないのに人の迷信は不思議だ。
だけど右大臣にも帝にも明かされてしまった以上、もうこれ以上は取り替えることは無いだろう。
「殿下もただ好き勝手術師の真似事をしているわけではなかったようですね……狐につままれていたのかと思っていましたが」
今までの私のことを疑っていたらしい。
「完全に疑いが晴れたと思わないことね。人前で主を誑かすような真似をしているようだけど」
「しておりません」
即座に否定する。一体いつ陽光を誑かしたのだろうか。
「傷だらけだったとはいえ、殿方にはしたなく素足を晒し、妖艶に命乞いをしていた。殿下はその狐に誘惑でもされたのではと」
初めて陽光と出会ったころに検非違使達の前で脚を晒したのだった。あれは己の痣を見せるためだったのだけれどそのつもりはなかった。
「彼女とは何もありません」
「どうだか?その先日に四尾の狐を祓い、その証に黄金色の毛髪を献上したばかりでしたからね」
今なんて言った?