21-1.帝
かの陰陽師が出て行ってから静寂が包み込む。
感情の読めぬ女と狸親父、そしてかつて寵愛した女の忘れ形見が一人。
女は彼女が裳着を終えて間もない頃に面通りをした。
既に己の屋敷に御息所と呼ばれた妻も子もいたのに、産まれた子が双子だったせいか、当時の左大臣からの不審を疑われているせいか、右大臣の末娘と宴の折に顔を合わせてこいと言われた。妻をもう一人用意したと言われたも同じだった。
透けた御簾の向こうで娘は自分の噂を耳にでもしたのかどこか底の抜け落ちたような顔で目を伏せる。よほど嫌なことは御簾越しでも伺えた。
「……」
私の妻は嫉妬深い。顔合わせた娘を側室にするかはさておき、妻が出来てから若い娘と会話することは減っていたので戯れに歌詠みでもしようかと思っていた。
しかし他愛ない会話すらもずっと口を聞かないので私はどうしようもなく、父親から無理矢理設けられた席であろうということは目に見えていた。
容姿は悪くはないが自分の好みでもないし、裳着を終えたばかりの少女を無理矢理手を付けるつもりもなかったので。「もうよい」とその場から離れた。
「……烏滸がましい事は承知でございます、どうか、どうか姫様に情けを……!」
先程の娘より二つ三つほど年上であろう女房に頭を下げられる。斯様な娘に無理に会うつもりも無かった。
満月の光だけが頼りになる渡殿で暗がりで伏せた目の睫毛が頬に影を差すような女だ。顔を上げよと言わずとも葵が似合うような女だった。
「なら其方が相手せよ」と掬った髪は洗いたての水を含んだ重みがあった。傍付きの女房が何人かいたのか迫るかのような息遣いが小さく、しかししっかりと聞こえた。
次の日には娘が落飾したという噂を聞いた。
娘の女房が見合い相手の男を奪ったなどと噂され右大臣は恥をかかされたと憤慨して一時は遠ざけられ、母はその衝撃で儚くなった。妻は初めて一連の話を噂で知るとすぐに当たり散らした。
己が東宮に立太子した頃、既に辞めていた当時の女房が身篭っていたと知れば右大臣の切り替えは早く、まだ生まれてもいない子供の認知をしろと己に迫り、認めるとすぐに女房を養子にしてしまう。妻は東宮になった自分をとがめることは無かった。
女房の入内が決まった頃にはすでに子が産まれていた。
それから十四年経つが、かつて落飾した娘の髪は後ろ髪の紐を解けば、長い髪も外れ短く切り揃えた髪が残るだけだろう。
明け方には毎日経を読んでいるのも聞いている。徳の高い女と皆は言うが己への当て付けだろう。
「……誰も彼も、さんざん言いたい放題言い寄って」
右大臣の愚痴に陽光は思わず眉を顰めている。本当に祖父のことを嫌っているようだが、はたから見れば面白いが正直嫌っているのが不思議で仕方ない。
「はは、其方にはさぞ苦労をかけるよ、右大臣。余も人のことは言えぬがもう少し娘と孫に好かれる努力をしたらどうだ?」
自分がそう右大臣をからかえば、苦虫を嚙み潰したような顔をする。
「先帝の中宮の頃から、陛下は本当にわたくしを困らせる」
「迷惑の間違いだろう」
「それを本人がおっしゃいますな!……本当に」
梛の方は父親としての愛情が空回りした結果だろう。入内すればすべてが丸く収まると思っていたのだろうが、本人からすれば出家した身で還俗して入内など恥をかくようなものだった。
「嵐山の屋敷と言い、五ノ宮といい、本当に困ったものですぞ……」