20-3.礼羅
陽光から起こされた私は香筆と紙と筆で言葉遊びをしたり、訪ねてきた右大臣にうわべだけの挨拶をするだけで終わり、いつの間にか日の出の時間になっていた。
都はいまだ陽光は夜更かししていたからか普段よりも遅い時間に目が覚める。
その後は陽光の朝餉を用意してきた女房を牽制し、今度は私の世話をしたがる女房に陽光が牽制したりしたものの、まだ式札に戻っていなかった香筆が飛び出して暴れまわったことでその場から逃げて行った。
朝餉を持ってきていた女房曰く、帝は藤壺の女御のいる離れに案内するそうだ。
来るのは昼過ぎだというのでそれまではこの部屋でだらだらと待っていればいいだろうけれど、ふと嵐山の屋敷にいる彼らは大丈夫だろうかと心配になる。
「礼羅、俺が寝ている間に何かあったか」
女房がいなくなった隙に陽光が式札で鶴を折りながら聞いてくる。
「いいえ――あ、右大臣がいらっしゃったわね」
「右大臣が!?」
「そう警戒しなくてもなにもなかったわよ。陽光は寝ていると言えばすぐに退散したわ」
本当にそうかと疑いの目で私を見てくるけど本当に何もなかったのだ。
だけど陽光が右大臣をよく思っていなくても右大臣の振る舞いは何か気になるところがあった。右大臣は陽光や私に探りを入れているにしては何か不器用さを感じた。それは祖父というより父に近い。
陽光は自分の髪が白く赤い目をしていると知ると由良の君ごと遠ざけるようになったと言っていたけれど、乳兄弟である惟也曰く、その父娘が不仲であったと聞いたことがないらしく、陽光の中でなにか勘違いをしているようにも思える。
陽光はこれまで帝へ送った文を右大臣が妨害していると思っているけれど、それについても懐疑的だ。
そうこう考えている間、陽光からの罰である式札作りを進めていると二人の幼い男女がやってきた。
「兄上!」
「霞……!?」
私が振り向くと御簾の向こうにはもう動いていいのかはしゃいでいるらしい霞と同じくはしゃぐ女の子が一人。
陽光が立とうとするのを制して私が御簾を上げに行こうと立ち上がるも、二人は待つこともせず自ら御簾をくぐってはどたどたと音を立てて陽光のほうへ飛んで行った。
「会いたかったぞ兄上!」
女の子のほうが本当の姫宮だろう。本当に顔がそっくりだった。
そして姫宮はまたすぐその場で頭を下げる。
「お初にお目にかかります、藤壺の女御の娘でございます」
そばに近寄りそう言うも陽光は挨拶を交わさない代わりにすぐに問いかけた。
「……お主が本当の霞の宮か?」
陽光も皇子として切り替える。
私はそっと元にいた場所に戻るけれど香筆はいつの間にか御簾を潜り抜けて隙渡をうろちょろしては床をくちばしでつついていた。陽光は気付かず姫に話しかけている。
霞の宮かと問われた姫宮はつたない口で答えた。
「どちらが霧か霞なのか、妾にはわかりかねる」
「妾もわからぬ」
霞も同じように答える。どういうことだろうと、陽光も困惑していた。
「分からないなら、なぜ帝はお前を霞と呼んだ」
陽光の問いに二人は「父上がそう呼ぶから」と答える。
その口ぶりでは帝は二人を見分けていたのだろう。二人は男であろうと女であろうと一人称、話し方、振る舞いを同じくしているが何かコツでもあるのだろうか。
しかし分かったうえで取り換えっこをしていたのを見逃していた。
「だけど、もう……主様に二人が取り換えっこしていたことが分かりました。今のように元の恰好で変えても問題ないのではないでしょうか」
私がそう言うと二人はきょとんとした顔でお互いを見る。
藤壺の女御の思惑はわからないけれど、ばれてしまったのであれば白を切って元から区別していましたよと取り替えず過ごせばいいではないか。
「妾はどちらでもかまわぬ」
「妾も」
あっけらかんとした顔で二人はそう言う。だけど陽光の意見は違った。
「取り替えるのも理由があるはずだ。藤壺の女御に聞け」
『呪い避けに取り替えられていた可能性もある。右大臣も知らなかったようだし、帝が来たら伺い立てればいい』
陽光の考えが私には分からなかった。
呪いというのは大抵相手の真の名が必要になる。二人がこうして取り替えていたのにはその呪いから外れるためなのだと陽光は考えているのだろうけれど、毛髪や爪の先を取られてしまえばその媒介に使われてしまいかねないから無意味だ。
子供がそのこの場においてもまだ成人前ということもあってか二人は名を名乗っていない。
「太郎坊様!姫様!ここにいらしたのですか!?」
壮年の女性の声が聞こえ振り向けば御簾の向こうでは複数の女房が座っている影が見えた。
「まずい藤命婦に見つかっ……兄上何をするのじゃ!」
霞は陽光の背中に隠れるが、陽光は無言で立ち上がると彼の腕を引いて横に担いだ。
「なにがまずいですか!?こんなところにいてはーー」
命婦と呼ばれた女性は後ろに付き従っていた女房に御簾をあげさせると陽光が霞を抱えている姿に唖然とした。
「戻れ。二人とも勝手にその場から離れたのだろう」
「いやじゃ!その前に狐!」
「は、はい?」
霞が私に指をさす。
「その面の下を見せよ!」
貴族の女は基本的に異性に顔を見せない。そんなこと霞も分かっているはずなのに突然の無礼に私は困惑する。
「殿下それは……」
「えい!」
けれど反応が遅れた。後ろの紐を解いたのは姫宮で、ぽろりとその面は私の顔から外れた。
お面をしていたので耳と尾を引っ込める以外の変化もしておらずその顔が露になる。
「なんじゃ、ただの人じゃ」
「顔も狐なのかと思ってたのに」
そう二人が口々に文句を垂れる後ろで、命婦は礼羅の顔を見ては幽霊にでも会ったかのような顔を浮かべていたことに誰も気付かなかった。