19-6.礼羅
「姫宮様!?これはどういうことですか!」
女房が私に詰め寄る。そんな事言われたって私だって分からないのに。
私の妖力と霞の呼吸で呪詛を追い出したと思っていたのに症状が悪化してしまっていた。
『どうしよう!呪詛を追い出したはずなのに!』
『落ち着け、他に原因があるなら探れ』
私はもう一度霞の腕を見る。目元に魔力を込めて見れば呪詛の色が見える。確かに消えたはずの呪いは消えていなかった。
ただの病ではないのは確かだ。呪詛か、毒か。
両腕を晒すのも厭わず自分の袖を捲り、今度は首元から気の流れだけでなく呪詛そのものを中心に全身くまなく調べる。
『呪詛が見えるなら最初からしろ』
『目で見るのは苦手なのよ……』
『そっちの方が珍しくないか』
むしろ何故私の視界越しに呪詛が見えるのかが不思議で仕方ない。
それに本来気の流れは感じ取るものだ。目で見るなんてお婆のような芸当は妖なら出来る者はかなり上澄み。私ですら当分は使いたくないくらいには疲れる。
だけどあることに気付いて私ははたと手を止めた。何度も確かめてもその気の流れの違和感が明確になる。
すぐに気付けないなんてお婆にどやされてしまう。ずっと陽光の気の流ればかり見ていたから忘れていたせいか。
「……御館様!」
女房の動揺と隙間からの光りに何事かと振り返れば、面越しでも分かる恰幅の良い好々爺が部屋に入ってきた。
「騒々しいが、姫に何かあったのか?」
『右大臣……まさか走ってきたのか?』
陽光の呟きにようやく内裏にいた重鎮らの中に居たあの老人を思い出す。
彼の口ぶりから先ほどまで陽光の元に居たのだろうか。
「御館様、姫宮様の病が移っては行けませぬ。お部屋に入られるのは――」
「よいよい。天文博士がおろう、姫に触れなければ問題あるまいよ。少しくらい孫の心配をさせてくれ……なぁそこの女狐よ」
私の方を見つめて目を細める。この男目の奥が笑っていない。
『右大臣のことは気にするな、霞の方に集中しろ』
陽光がそう言うけれどたった今気付いたことに対しての戸惑いが隠せない。
この先どうすればいいのだろう。隠すべきか、それともこの場で話すべきか。身の回りの世話をしている女房なら察しているだろう。だけど右大臣が目の前にいる手前、私がこの場で口に出していいものか。
いいや、この子供が大事な人であることには間違いない。どちらにせよこの子の病の原因を探るべきだ。たとえこの子が何者であろうと関係ない。
「先ほどから何も言わないが、まさか魔物が呪詛を見破れぬなんてあるまい」
周囲の声がうるさい。深く霞との繋がることを試みる。
悪魔は知らないけれど私の知っている妖は後ろから烏帽子を取って揶揄うくらいの悪戯心で騙すことはあっても悪意を持って呪うことはない。
特定の誰かを呪うなんてそれは人の心が原因だ。獣でも同じである。もし獣が原因であるならそれは人の行ったことが悪いということもある。
『呪詛の奥に触れてみるわ』
『おいそれは――!』
陽光との念話も切る。耳に妖力ではなく魔力を流せば打ち消すことができるので少しだけ静かになった。
「先ほどからずっと御首に触れておりますが何をなさっているのですか」
「まさか首を絞めようとなさって?」
「何!?今すぐこの狐を遠ざけよ!」
この屋敷でも何十人もの人間が住まうせいか、呪詛を探る間も外から様々な声が聞こえて悪酔いそうになる。
慢心、疑心、妬み、羨望、欲望。外と中が混ざり合って混沌と化す。どれが本当なのか嗅ぎ分けることが出来ない。
「うるさい」
盆の中の水が波打った。
「呪いは人間の得意分野でしょう。魔物でもなんでもない、人がこの子を呪ったの。人の尻拭いをわざわざこの私がやってるのよ。何も出来ない癖に騒がないで頂戴」
「この女……っ!」
傍にいた女房が持っていた扇を使って大手を振った。気付くのに遅れたのと衣が重くて避けきれない。
「待て」
扇の先を白い手が掴む。
黒い覆面を被ったままだが、近くにいた女房は後ろに男がいることに驚いたのか悲鳴を上げてその場から退ける。
「陽光――」
白金の道がある。
今まで陽光の気の流れをこの目で見たことがなかった。そして私と陽光の式神としての繋がり、魔力と妖力の交わり。
自分や陽光だけでなく、周囲にいる者達の道の流れが目に己の魔力を流すことで更に明瞭に見えた。
その中でも陽光の道の流れが際立って色濃く見えた。
(綺麗……)
おもむろに手を伸ばしかけたが陽光の一言で現実に戻る。
「念話を切るな」
「……周囲がうるさいのよ。貴方のことも言ってるのよ」
命令に違反したことは反省する。
だけど私が呪詛の奥深くに繋がると言えば陽光も絶対霞の深く奥まで探ることを許してくれなかっただろう。
「だとしてもお前がしようとしていることが何なのか分かってるのか」
周囲が置いてぼりになっているとも知らずやり取りが続く。
だけどその傍らでまた霞がうだるげな声で呼ぶ。
「あに、うえ……?」
目を覚ました霞の気の流れが変わる。私はその腹の中で見えた根っこのように蔓延る呪詛に手を伸ばし、己の妖力で包みこもうと試みるが弾かれた。
『どうした』
陽光が念話で問いかける。
『呪詛が私の妖力では弾かれるみたい』
『はぁ?』
どうして今まで気付かなかったと言わんばかりの顔をされるが、そんなこと私に言われたって知らないわよ。
少し考えて陽光は他の角度から聞いてくる。
『……魔力はどうなんだ』
『分からないわ。使いたくないんだもの』
他人のために己の魔力を使いたくない。というか今まで試したことがないし魔力のせいでお腹が減るのはごめんだ。陽光は霞のお腹に手を宛てた。
「手伝え、俺は道術を知らない」
陽光の魔力を使うのか。彼も魔力と妖力の制御が上手くなっていた。道術や妖術こそ教えていないけれど、私が後ろから補佐すれば何とかなるかもしれない。
「わかりました」
呪詛ではなく道の流れに集中する。
私は陽光の背後に回り手をあて、そこから間接的に霞に繋がるようにした。
他者を介して繋がるのは初めてだ。だけど陽光と私が幾度となく妖力と魔力を介していたからかよく馴染む。
「『道沖而用之、或不盈。淵乎似萬物之宗。挫其銳、解其紛、和其光、同其塵。湛乎似或存。吾不知誰之子、象帝之先。』」
経の一節を唱える。
道はあるものではなく、空の器のようなもの。「光を和らげて塵に同ずる」という和光同塵の由来がそこにある。
私自身がその教えの通りに生きてきた訳では無いけれど、お婆は己の力を隠すという解釈で人の生活に紛れていた。元来目立ちたがり屋なのか時々失敗してしまうのだけれど。
道の広さ、その中の空を受け入れることで霞の苦しみを鈍らせ、混沌を整え、塵と同じにする。
霞の腹の中にあった呪詛は魔力に吸い寄せられる形で寄ってくる。
『なんか掴んだ気がする』
『根っこよ!引っ張って!』
私の念話で陽光は根っこごとその呪詛を引っ張り出し、逃がさないよう推し固めるとその形は目に見えるものとなった。
「……なんだ、これ」
隣にいた陽光が引き抜いた塊を覗く。
丸い白銀で作られた飾りのようなものだ。円の中に晴明の桔梗紋に似た六つの角がある星がはめ込まれている。それを見て思い出すのは金の貨幣だけれど関係あるのだろうか。
陽光もそれを見とれつつも何かはっとしたけどすぐに意識を戻した。
「霞は……」
陽光につられて霞の方を見ればあの一瞬で体力がまた持っていかれたのか今度こそ意識を手放した。
『流石二人とも、一発で呪詛が取り除けるなんて上々』
晴明の形代紙が飛んで来た。いつの間にか祈禱の声は止んでいた。既に指示が回っていたのか女房らがそそくさと周囲の片付けをし始める。
閉じられた部屋はまだ暗いけれど幾分か物々しさは減った。
形代紙は一周すると右大臣のいる場所に向かい、その隣には目の閉じた晴明本人が座っていた。
「大勢の人がいる中よくやったじゃないか。藤壺の女御がお呼びだ」
右大臣は鬱陶しそうな顔でその紙を扇子で追い払う。
「それで、なにか見えただろう。あぁ右大臣殿もどうです、ご一緒に」
「言われずとも」
右大臣は先に藤壺女御のいる部屋まで歩いて行ったのだった。
橘に雨の滴る、宿の月。眺むるうちに君と知りぬる