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17-3.吉平


「【葛籠繭(つづらまゆ)】」


 呪力が伏せた椀の形になって赤黒い狐を覆いかぶせる。これで瘴気や邪気が撒き散らされることはないだろう。


「ワレェ閉じ込めんじゃねぇ!」

「こっちからの攻撃はできる」


 男の背には自分の呪力を付着させた。問題なく貫通できるようにしたので思う存分やって欲しいものだ。男は構えていた手を変え、印を結んだ。


「――大威徳明王(だいいとくみょうおう)


 阿弥陀・文殊が人々を教え導くために敢えて恐ろしげな姿をとったという明王だ。天竺の神話では悟りを開く直前だった修行僧が盗賊に襲われ、怒りに任せなり果てたという姿だと伝わっている。

 その明王は宝棒(ほうぼう)を振りかざし狐に一撃を与えた。


「儂にはこれが限界や!とどめを突け小童ァ!!」

「とどめを刺すのに手柄を譲るのは御免だよ!」


 それにこの狐も無理矢理妖力で押さえつけている。もう結界を維持するのにも限界だ。


「畜生!これでどうや!!」


 その場に指してあった錫杖を引き抜き勢いよく投げると狐の左目に刺さる。そこから一瞬だけ見えた白い毛に一瞬目を見開いた。


「これで終いじゃァ!」

「待て!この狐は!」


 狐が頭を振って抜けた錫杖が飛んで行ってしまう。

 己の制止も聞かず男は九字を切り始めた。


「臨・兵――っ!?ぐっ」


 怒りに任せ狐の爪が男の腹に当たる。己の呪力を付与しておいて助かった。


「僧侶、あの狐は祠の主だった氏神だ!神の使いは一尾でも一人では太刀打ちできない!」

「ワレぇ先に言わんか!」

「仕方ないだろ今気づいたんだから……!」


 集中していないと結界が破裂しそうになる。


「お前、袈裟を着ている程なら仏の道に片足でも踏み入れているだろ!?読経で浄化を!」

「んなこと出来たらとっくにやっとーわ!小童が指図すな!」


 分かってはいたが相手は頑固者だ。自分を小童と呼ぶ相手の言うことを聞くわけがなかった。


「信じられないかもしれないが、俺は都の術師だ。今は勅令で出雲に向かう途中さ」

「それがなんや。こんなとこで命乞いか?」

「そうじゃない。俺の……いや私の父は安倍晴明だ」

「はぁ!?噓やろ?」

「嘘じゃない。都でも人で不足だ。魑魅魍魎の退治だけではない。地方の星見がどうなっているのか、とにかく都の外の情報が欲しい。俺はお前の言う通り元服してから二年の若造だが、お前の本気を見せてくれたら父に口利きをしてやってもいい」


 父から言われていたのは播磨で独自の陰陽術を極めているという術師の引き抜き(スカウト)だった。

 いくら貴族のなりをしていても、見ず知らずの人間から突然播磨の呪術や天文知識を教えろと言われたら何事かと疑う。あの寺でも掃除をしていた老婆も袈裟こそ着ていなかったが髪を肩まで切りそろえた尼。つまり術師の一人だったのだろう。

 目の前にいる男もその口ぶりから自分とそう年は変わらないと思われる。つまり意欲や野心が強いからこちらの口に乗せやすい。

 そしてやはり相手もその口車に乗せられた。


「首が欲しかってんけどな、もうええわ――」


 右手を上げるとどこかに飛んで行ってしまった錫杖を呪力で引き寄せ、その手に構える。拍を打つように何度もしゃんしゃんと音を鳴らしながら数珠を持った左手で経を唱える。しかしその真言はあまり聞いたことのないものだった。


「ワレが結界を敷いてくれて助かったわァ」


 最後に結界に向かって複数の護符を飛ばすと結界の壁に描きながら格子状の図が描かれた。それが術式だと気づいたのは男が九字切りの印を結んだからだ。


「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・前・行」


 動きが封じられたものの、油断できず己の結界に力が入るが、まだ暴れているのか呪力の風が凄まじく、それを抑え込むことで精一杯だ。


「まて祓うな!浄化しろ!」

「この期に及んで寝言か!?儂とてここまで大きゅう成ったら禊は無理や!どうせ周囲の妖がぎょうさん人を寄こしはったんやから神さんに戻れるわけあらへん!」


 少し前なら自分もそう思っていた。しかしあの弟弟子が祓った美しい黄金の女狐やその娘らしい黒い狐を思い出せば尚のこと、この狐も同様に美しく輝くことができるのではないかと願いたくなる。


「掛けまくも畏き伊邪那岐大神……あーえーと、祓へ給ひ、清め給へ、神ながら守り給ひ、幸へ給へ!」


 椿の君が唱えていた祓詞が思い出せず結局いつもの略拝詞を唱える。こうなることならしっかり椿の君の言葉には耳を傾けておくべきだった。

 だが略拝詞でも効いたのか淀みが強い呪力の隙間から、小さい白い炎のようなものが小さく灯っていた。


「見つけた!」


 印を保ちながら手探りで片手でその白い炎を掴む。己の呪力で掴んでも、それはそっとの風で消えてしまいそうな風前の灯火で周囲の邪気をどうにかしないと。

 脳裏に過ったのはあの黒い狐が放った満点の星空。


「【(とばり)】」


 小さな結界の中に満ちるほどの星を閉じ込めることを想像する。すると白い炎は徐々に大きくなり、狐は雄叫びをあげながら小さくなっていく。

 最後には邪気が霧散して白い炎はどこかへ消えて行ってしまった。

 祠の周囲は大分荒れてしまったものの、邪気の気配はもういない。もしかしたら神々のいる高天原へいったのかもしれない。


 思わず足から力が抜けて尻もちをつく。男は祠を立て直し軽く整えると両手を合わせた。自分も後ろで手を合わせる。また神が戻って来てくれることを信じよう。

 その後満足したのか男は錫杖をこちらに向けた。


「ワレ、ほんまに安倍晴明の(せがれ)か?」


 相手の殺気に思わず両手を上げる。もう疲労で戦う気は失せているのに。


「……妾の子だけどね。だから言ったろう。俺には狐の血が流れている。父も術を解放すれば四尾の半妖だ」


 弟弟子――陽光は狐の血は半分までしか受け継がないと思っているようだがそれは少し違う。正確には代を追うごとに薄れるだけで、狐の尾を増やすにはそれ相応の研鑚が必要なだけだ。

 自分も異母弟も人以上に鍛える気にはなれないし、陰陽頭からも人から外れようものならすぐに祓うと言われている。


 父は人のふりをしただけの化け物だ。

 狐が九尾まで増やすのに千年かかると言われているにもかかわらず、たった四十年足らずで四尾にまで成長した。おそらく狐の中でも異常だろう。

 その出生の多くを語らない父だが、今思えば幼い頃はあまり良い扱いをされていなかったのではないかと思っている。その境遇ゆえに己を研鑽する方に矛先が向いたのかもしれない。


「四尾……」

「理解してくれたか」

「あぁ……」


 実力としては申し分ない。唐国との国交が消えてしまった今、必要なのは都以外の天体の情報と独自の陰陽と術師としての技術。それを築くのには申し分ない人材であるはず。


「こちらも猫の手も借りたいくらい人がいない。宮中で勤められるかは保障できないが貴族らの目に留まればそれ相応の――」

「儂は出雲に行く」

「え?」

「別にそのまま都にいっても構わんが、儂が一人で行ったところで誰もワレからの紹介だって信じてくれんやろ。ワレがホンマに安倍晴明への伝手よこしはるんなら儂の叔父貴に言うたら喜んでいくさかい、儂はまずワレが受けた勅がなんなのかこの目で確かめたい」


 叔父がいたのか。それならそちらの方が陰陽寮としてはありがたいけど、こうも彼があっさりとしているのはなぜだろう。


蘆屋(あしや)の法師はお前と叔父だけか?」

「いんや、もっとおる。ここいらは物騒やから周囲の妖が妙に騒ぎ立てと。都でも猫の手ぇ借りたええうならそんなんやろ。畑も荒れてしもうたさかい、ろくな褒美もないわな」


 あの老婆、余所者だと思って騙したか。


「付いて行っても俺があげられる褒美は無いけどね」


 なんせこちらは遠方から来たしがない受領だ。あの弟のことだからどうなるか分からないが、年貢の大半は弟弟子に渡されるはずだ。向こうが何か悪さしない限り。まさか帝はそれを見越して自分を寄こしたなんてわけあるまいに。


「そんなんどっかで術師として金を稼ぐつもりや。なんとかなるやろ。儂はワレが気に入った」

「えぇ……」


 新しい術を見せてもらっただけもう十分だし、こんな奴に付き纏まわられるのは大分面倒臭い。


「儂は道柳(どうりゅう)。お前は?」

「別に、名乗る名はない。適当に太郎でもなんでも呼べばいい」

「はぁ?なんなんかワレ!」

「妾の子でも安倍晴明の長男であることには変わりない」


 そのまま旅に付いて行くのかと思いきや、引き継ぎをしてから出雲に行くと言う。


道満(どうまん)と申します。この度が我が甥が誠に御無礼を……!」


 道柳とはそう歳が離れているように見えなかった。曰く彼の父と歳が離れていたのだという。


「よろしく頼む」


 いずれ顔を合わせるだろうと受領仲間らに二人を紹介させ、自分たちは先に出雲へ旅立った。


「そちらは人手が足りないと仰るが、土着の法師陰陽師に頼るほど技を持つ者が居ないだけでは?」


 今度枕元に虫が湧く呪いでもかけようかと思考を廻らす。

 あぁ、都の家族らに文を託すことを忘れていた。


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