17-2.吉平
「して、どんなことがあったのかだけは教えて欲しいんだけど」
「いやな、ここらは昔、お社さんが祀られとった場所なんじゃわい」
「へぇ、土着の豊穣伸か?」
「数年前な、狐が神様の御使いゆうた神官さんがおってな。あろうことか、その狐を祀ってしもうた。それから田んぼの実りも悪うて、嫌な状態が続いとったんや。何度かお坊さんにも助けを求めたんやけど、取り合うてくれんかったんや。」
この話いつか父から聞いたことがあるがまさか父が昔やらかしでもしたのだろうか。
田畑のあぜ道を歩くと森の中に入る。既に夜になろうとしている黄昏時だ。この時間の方が妖魔が出やすいとはいえ足元は悪い。
「明かりを」
札を取り出しその先から火を出す。生憎火を扱う術は式札がないと展開が出来ない。弟弟子や異母弟とは違って手数が少ないのが目下の課題である。
「わぁ、神官さんっちゅうんは、そんなんもできるんか!」
「いやぁ、手数が少ないのでこれくらいなんだ」
札に呪力を通して燃やすだけの基礎的なものだ。ただ不器用なので基礎的な術しか究めることで精いっぱいな上。しかしそうして喜ばれるのも悪くない。
道中視線が気になったが農民が見ていたのだろうか。
「おまえさん、すごい目ぇええんやろなぁ」
「力が多すぎるのも面倒なものですよ」
「ほんまにもったいないわ」
「ここや」と差す指の先には最近できた祠のようだった。そこから少し邪気が漏れ出ているのが分かるが、浄化は専門外だ。椿の顔が脳裏に過るものの、彼女と直接会えるのはまだ先のことだろう。
「数年前、近くの寺におったお坊さんが死んでもてからは、誰も世話をせんようになったんや」
「だからですか」
邪気か、いやもっと悪いものを吸い取ったのだろう。
「いやぁ、ホンマにもったいないわ。こんなに力があれば、ワシらも――」
後ろから複数の視線を感じすぐに松明替わりの炎を分裂させると同時に結界を展開する。
「なんで……」
透明な結界に閉じ込められた宿主は徐々に化け狸に戻る。そしてその潰れた顔で問うた。
結界に囲まれた者だけじゃない。そぞろに獣の化け物が炎の明かりの前に現れた。狸やイタチの郎党だった。大方周辺の妖や悪霊を祓わず中途半端に祠を建ててしまったゆえにそれに反発した化け物らが郎党を組んだか。それとも。
「この下に何かがいて、俺はその生贄か」
『おまんの知るところやない』
妖もこの土地の訛りで話すらしい。後で父への文に書いておこう。
生憎紙が無いので多くのことを伝えられないことが辛いところだ。おかげで椿の君にすら何も送れない。
「いやね、俺は四半分程ですが狐の血が流れているんだ。狐にまでは傾かなかったが、そのせいか目が良いだけでなく鼻も人よりはいい。だから我慢してたんだよ。宿に入る前からお前やそのまわりがやけにくっさい狸臭いんだから」
『分かっとるんやったら、お前の連れの命はあらへんで……!』
それははなから折り込み済みだ。
「それは理解してるよ。だから最初から別の宿に泊まってもらった。貴族の端くれが同じ部屋で眠るわけないだろう?」
呪力を込めて結界の中に圧をかけると化け狸は一気に砂に変って消えていく。それを見守る間もなく背後から何かが飛んできた。先ほどから感じていた視線の正体が動き出した。
炎を分散させて人魂のように浮かせれば、狸や鼬が目を爛々とさせている。
なぜ北の方の前に式神を見せては行けないのかその時世話をしてくれていた女房に聞いたことがある。
父曰く北の方が幼い頃、妖を真似た式神を作って見せたからだそうだ。既に許嫁として決まっていたのに当時の北の方が怯えて口を聞いてくれ無かったらしい。
さすがに呆れたものである。閑話休題。
「……確かに可愛いとは言えないよね」
それが獣といものだろう。皆相当手負いだ。苦しまずに逝かせようとは微塵も思わないけれど。
「【不知火】」
周囲の枯葉を簡易な式神に変えてそれらを一度に燃やす。不知火とは己の呪力が籠ったものを燃やす技を拡張した技だ。弟弟子は鶴の折り紙を利用していたが、自分はそんなもったいないことはしない。
「周囲の物を燃やすなんてあぶないことはしたくなかったんだけどね、旅の途中は誰かさんがやたら歌を詠みたがるから式札すら作れない」
おかげで周囲の枝葉を式札の代わりにする手段を覚えてしまった。不知火にすることは初めてだったが上手くいったようだ。
「いい加減みんなの元に戻りたいけど――」
背後からきぃんと金物がぶつかる音が響く。振り返れば長髪の袈裟を着た男が錫杖の先をこちらに振りかぶっていた。
「ワレェ背中にでも目ぇあるんか!?」
これまた訛りのある口でさらに錫杖を振りかざす。
「これがご挨拶かな」
こんな物騒な挨拶があるかと弟なら言いそうだが、今はもう一度錫杖を振りかざす男の技を見てみたいという気持ちが強い。
「お前があの寺の僧侶?父が言っていた僧侶とは別人のようだ」
「小童が、余裕かましとるんじゃねぇ!!」
「おっと」
結界にひびが入る。危うく錫杖で殴られそうになるが、すぐに脇にそれて難を逃れる。
木の陰に隠れてみるものの足音でバレバレのようで、しゃりんと錫杖の遊環が耳元で響いた。
「だいたいあの狸は儂の獲物やったんや!!」
「別に手柄はお前のものにしてもいいけどね」
「首級があらへんとお客から銭がもらえんちゅうのに!」
どうやら己の手柄を取られて苛立っているらしい。先ほどから攻撃の手を辞めない。
錫杖の次はどういう仕掛けなのか数珠を大きく伸ばしては自分をつかまえようとしてくる
「この場を見せれば碌はもらえるはずだ。大体、俺に攻撃しなくても俺はお前と敵対するつもりはない」
「さっきからのうのうと余裕かましてごうわくやっちゃな!狐やちゅうならワレの首を差し出したら十分な銭がもらえるんやさかい!」
狐の血が流れてると言ったが狐そのものではないのだが、ここまでくると話もろくに聞いてくれないだろう。頭を冷やすにしても生憎自分はさぼり癖が酷いもので水を扱う技や式神もないので相手の頭を冷やす術がない。
空を見れば満月が東から昇りかけている。庭から眺める月は悪くないが鬱蒼とした森の中では不気味さが勝る。
「術師に半妖が一定数いるのは知らないのかな!?」
「知るかボケ!儂が知っとる半妖は安倍晴明だけや!」
父の名がここにまで轟いていたことに驚きが隠せない。
庶子とはいえ自分もその息子なのだが、反論する間もなく錫杖で突き技を決めてくる。
「一気に力を使うのは品がないんだけどね――」
自分が撒き散らした呪力が浅葱色に光る。呪力の捉え方は人それぞれだが、自分は己の呪力はそのように見える。他はどう見えているのかは己の手の内を見せることになりかねないので基本的に話すことは無い。
祠を見れば今も赤黒く淀んだ邪気が渦巻いていた。
「間に合わなかったか」
この男の本命がどれだったかは知らないが、この祠はだいぶ穢れを孕んでいる。呪力が強いと判断された自分を喰らうのではなく贄にしようとしたくらいだ。この祠の主にいったいどれほどの贄をささげたのだろう。いやそれともこの祠の主が周囲の妖をそうさせたのか。
「ほう、ワレぇ目がええんやな?」
どうやらこの男も同じ物が見えるらしい。
その祠の中からどろりとした煙のようにそこら中に漏れ出てくる。その煙は赤黒い泥となり、泥山が出来上がると徐々に形が見えてきた。
「一尾の狐か。一尾とはいえ思とったよりも大物やったな。小童見たことあるか?」
「都ではそれを仕事にしているんでね。狐を討伐したこともある」
「神官サマいうんはホンマのことみたいやが、その言い方は気に食わんのお。それに同胞も殺すなんて血も涙もあらへん」
「俺は術師だ。それに人だから狐には容赦しないよ」
「へーへーそーですかいっ!」
そう言って男は錫杖を投げる。よく見ると呪力で腕と紐のように繋げていた。
「手柄は儂のもんじゃあァッ!!」
やはりというか大した損傷は得ていない。
大きな打撃音と共に錫杖は元の手に引き戻される。紐のように操れるとは興味深い。本人の呪力の性質だろうか。そう観察する間もなく赤黒い狐はすぐにその尻尾でこちらを叩く。
すぐに避けたが振りかざすだけで瘴気が駄々洩れる。耐性がない人なら一発で倒れるだろう。
「無鉄砲にも程があるよね!?」
「ワレに言われたないわこの小童!!」
さっきから声がうるさい。男はがしゃんと錫杖を鳴らし、古びた数珠を手に念仏を唱え始める。狐は甲高い叫び声をあげ始め、周囲の木々を枯らし始めた。
「――」
錫杖を地面に指し印を結び直すと一気に空気が変わる。
彼の背後には六面六臂六脚(顔腕足がそれぞれ六つあること)の牛に乗った明王が現れた。
(これはたまげた!仏の化身か!)
しかし本人は玉のような汗をかき始める。呪力が足りていないのだろうか。
普通の術師なら禊も祓徐も根気よくやらないと消えることは無い。原因が消えても周囲の邪気や瘴気が残れば意味がないからだ。祓うことが得意な椿ですら、その祓徐に時間をかけている。
父からの要望もある。多少のお膳立てくらいはしてやろう。