17-1.吉平
出雲路や、旅の長きに憩ふ間も、涼風頼む君忘るなよ
生まれてこの方都からほとんど出たことの無い吉平にとってこの旅路は酷なものだった。
元服してからはさらに遠い存在となった弟弟子の代わりに出雲に向かっているのだが、国司の遣いとして向かっているのに官道である駅路を使うことは許されず、道中の宿町で牛車を乗り換え、また次の宿町で乗り換えを繰り返していくうちに乗り物の質は落ち、慣れぬ馬に乗り、牛や馬では埒が明かないと徒歩で山道を進んだりもした。
ある日父が突然連れてきた弟弟子は馴れ馴れしく接する事もはばかられるくらい尊い存在だった。冷遇されているので情けで侍従の真似事をしていたこともあったが今は事実上彼の部下として出雲に向かっている。
共に旅する受領仲間達や引継ぎを見守る勘解由使とも打ち解ければと思ったものの、「偶然白人の宮に仕えていただけ」だと嫌味を言われる。
そんなことくらいはなから分かっていたし目という役目を貰っているものの、自分はあくまで陰陽師だと伝えればふんと鼻をならす姿に思わず鼻で笑ってしまった。
「今夜は雨でも降るかもしれない」
ふとその土地その土地で風を読む。
陰陽の師である父から課題として記録するよう言われて白紙の本を渡されたが、空の色は同じなのに風の匂いはその土地によって異なることが面白い。なのに雨が降る予兆というものはどこの土地でも似たような空の匂いがするものだ。
「よくわかりやしたねェ。この辺は雨さ降るとぬかるんで歩けやしねぇでさァ。ちと辛いかもしれやせんが足を早めやしょう」
雇った旅の先導もとい用心棒が空を見て言う。後ろでは朝からずっと峠を登って疲れたらしい受領仲間。生憎自分は若さゆえか、彼らほど疲労を感じなかった。
旅をするにあたって用心棒からまず教えられたのは歩き方だった。
この用心棒も幾度となく都から来た役人を案内してきたようで、偉ぶる役人らとのやり取りも大分手馴れていた。
整備されていない道ではすぐに転んでしまうと言われていても生まれ持った癖は中々直せるものでは無い。
平民のように足を上げて歩くことになれない役人達は幾度となく転んでは傷をつけたり泥を被ったりした。それを繰り返せばもう宮中のように淑やかに歩くなんてことはしていられなくなった。
そんな旅を続けていれば鬱憤もたまりにたまる。その矛先は必ず自分に来ていたのだが、流石の自分も年上だからと受け流していたことも出来なくなり嫌味を返してやろうかと思っていたが、用心棒は「官人であるなら歌がさぞお上手なんでさァ」と煽り歩きながら歌を読んでいた。
この用心棒の世渡りの上手さに感服したものだ。閑話休題。
「ん……?」
「術師さんどうしたんでさァ?」
「いいや。今日は宿に着いたらすぐに休みましょう。皆さんお疲れでしょう。雨もそうですがあまり外に出ることはしない方が良い」
しかし用心棒は少し歩けば町に辿り着くから宿に入ろうとは言うものの、その「少し」がどれほど遠いことか。
商人の行き来が多い宿町を前に簡易的な式神の護衛を増やし、物見がしたいと言って仲間と別れ、近くの寺に詣でることにした。
「僧が……いない?」
「ぼんずゆうても、髪も剃らんと、生意気な若造ばっかりやわ。それにな、今は仕事やゆうて、なっかなか帰ってけえへんのや。いつ帰ってくるんか、わからへんわ」
僧侶に話を聞きたくて境内を掃除をしていた老婆に声をかければ今は留守らしい。それに父からの話とは違い徳の高いものではなく若者が僧侶をしているという。先代が亡くなったのだろうか。
「あんた、お役人さんやろ?帰ってきたら、なんぞ伝えたろか?」
「いや、先触れなしに来たので今回は見送ります」
「……ほうかい」
父から播磨の術師は独自の陰陽や天文学を持っているので目新しいものがあれば欲しいと言われていたので来たものの、仕方ない。僧侶も多忙なのだろう。
一目見るだけでなく欲を言えば一度手合わせをお願いしたかったが。土着の術師は一人だけではないのだし、数年後また来よう。
用心棒から聞いていた宿を見つけると部屋に入る。随分と部屋が静かだ。
足を休ませながら用心棒らと他愛ない会話をしていると宿主から御簾越しに声をかけられた。
「あのぉ、あんた様、話聞いとったんやけども、もしかして神官さんとちゃいまっか?」
「……術師として都から来た」
神官ではないが面倒なのでそうしておく。
案外こういった時には多少親切にしておけば、今後付け入ることはあれど邪険にはしない。父のつかい走りでも案外顔が広がるというものである。弟からは「それをするなら陰陽頭からの仕事を済ませてからだ」とよくいわれるのだが。
「実はな、頼みがあんねんけども、ちょっとある場所、祓うてくれへんか?お代は要らんさかい。ここしばらくおそろしゅうてしゃあないんや」
宿に着いてしばらくするとその宿主がどこで自分を術師と知ったのか、祓って欲しい物の怪がいる。宿代を無料にして良いというのでそれを受けることにした。訛りを聞き取るのは大変難しい。
用心棒が気にかけてくれたが、「憑き物についてしまったらひとたまりもない」という理由でその場にいた他の受領たちが連れて行くなというので仕方なく一人で宿主に付いて行くことにした。